59 ご当地グルメ
朝から昼にかけてのヴァンデンバーグ邸には、穏やかな時間が流れていた。
この屋敷があるグラン・パレスの南西部は、王都に近い北東部とは異なり、自然の要害やさくらたちが通った険しい道のりがある。それゆえに王都の喧騒やブルーウッドの賑わいからも遠くかけ離れており、アリシアが療養するにはもってこいの場所であった。
「本当に美味しいお酒なんよこれ。くせになってしまう」
思わずそう言って、アリシアは自身の頬に手を当てた。
庭に出て、畑の植物や野菜の説明を受けながら楽しく採取に励むさくらときなこ、そしてフリーゼ。彼女たち以外は、屋敷の中で昼間から酒を楽しんでいた。
「ようやくこの酒の謎にも迫れそうなんじゃ」
今朝目にした光景、そして今まで解明できなかった樽の謎。それらが点と線で結ばれるのか。それは王都に帰ってからの課題となった。
「ライテスおじちゃん」
コトリとグラスを置き、アリシアが静かに尋ねる。
「うむ。なんじゃ」
「さくらちゃんを、大事にしておくれな。お願いだから。きなこちゃんも」
「……わかっとるわい」
ライテスはそう返事をすると窓の外を眺めた。楽しそうに植物を採取する三人を、垂れ下がった瞼の奥にある小さな瞳で見つめるのだった。
「ええと、これとあれと……」
「さくら様、それは雑草ではありませんか?」
なんでもかき集めるさくらを見かねて、メイドたちは思わず声をかけた。時にはクワを持って勢いよく刈ってくれるため、助かることではあったのだが。
「いえいえ、私にとっては宝石のようなものです!」
まるでヤギを放ったかのように、辺りの草がなくなっていく。泥まみれのさくらは、手に持つ花のようにパッと明るい笑顔を見せた。
「さくら、あっちに綺麗な色の面白そうな実があるにゃ」
「どれどれ?」
きなこが見つけたのは、畑から少し離れた場所に実をたくさんつけた野草だった。
きなこに連れられ、さくらとフリーゼ、そしてメイドたちはその場所へ向かった。
「これにゃ」
きなこが指し示したのは、赤と緑が入り混じった、まだ人の手がついていない植物だった。無造作に伸び放題の様子は、まるで放置された枯れ草のようでもある。
「それは夏になると出てきます。正直、処分に困っておりまして」
メイドの一人が言った。どうやら厄介なものらしく、扱いあぐねていたようだった。
「これは大発見だよ」
さくらが言うと、メイドたちは皆、目を丸くして困惑の表情を浮かべた。果たしてこれが何なのか、と。
「大きな実だけ採取しよう」
きなことフリーゼは頷いて実を収穫し始めた。さらに根から掘り起こし、鉢に入れて植え替えができるよう、いくつか持ち帰ることにした。
「ただいま戻りました」
「あらあらまあまあ。そんなに汚れてしまって」
屋敷へ戻ってきたさくらたちを労うように、アリシアは笑顔を向けた。泥だらけになった三人はまず風呂へと案内され、それから再びダイニングへと戻ってきた。
「それで、何か良いものはあったのかい?」
アリシアは期待を込めて、嬉しそうなさくらに問いかけた。
「ええ、たくさんありました! あれもこれも全部いただきたいくらいです!」
さくらも目を輝かせ、満面の笑みで返す。
「うふふ、なんなら全部持って帰ってもいいんよ」
「えへへ、まさかそういうわけにも。それとですね、ひとつ珍しいものがありましたよ」
さくらは先ほどの赤い実を取り出した。これほど期待を持たせるからには何かあるのだろうと、バレットやエリックでさえも顔を寄せ合った。
「なんねこれ? なんぞ気持ち悪い形してんね」
「『唐辛子』というものです。ピリッと辛くて、料理のいいアクセントになるんですよ」
「へえ、こんなものがうちの庭にあったんか」
「あ! だめ!」
思わず口に入れてしまいそうになったアリシアを、すんでのところで制止した。さくらの鋭い声に驚いたアリシアは、少し目を白黒させている。
「ごめんなさい。これ、生で食べるととっても辛いんです。乾燥させてすりつぶしてから使うんですよ」
「そうなんか。よかった」
「妻は少々むこう見ずなところがありまして……」
夫のアドリアーノは少し呆れたように、困った顔を見せた。
「リウマチの患部に塗るといいという民間療法もありますが、それはやめておきましょう」
「それにしてもさくらさん、これをどうするんじゃ?」
なぜそんなに喜んでいるのかとライテスが問う。他にも多くの草花を収穫したのに、これだけを特別扱いすることに皆が疑問を抱いているようだった。
「本当に幅広く使える調味料なんです! 特に私は『豚汁』に入れたくて、これをずっと探していたんです」
「と、トンジルとはなんなのだ」
熱く語るさくらの様子に、まだ秘められた美味しいものがあるのだと察し、フリーゼは思わず涎を垂らしながら問い詰めた。
「お味噌汁の発展形なのですが、豚肉や人参、ごぼうなど、具材は何でもいいんです。出来上がった豚汁に、この唐辛子で作った七味唐辛子を振りかけると、ただでさえ美味しいお味噌汁がパンチの効いた豚汁へと……」
さくらが芝居がかった身振りで語っていると、周りの者たちがまるでゾンビのように詰め寄ってきた。
「なにそれ……今すぐ作ってちょうだい……」
「そうじゃさくらさん……自分だけわかったような口を利くのはそこまでじゃ……」
「さ、さくらちゃん……今すぐキッチンを借りて作ろうではないか……」
アリシア、ライテス、フリーゼはじゅるりと涎を拭い、さくらに迫る。
「い、今はお味噌がないので……その代わりに、今すぐ作れる料理を作りますね」
「パスタを作りましょう」
さくらはメイドに案内され、キッチンで一緒に作ることを提案した。
何本かを石窯オーブンで乾燥させ、生の唐辛子は輪切りにしてオイル漬けにする。メイドたちが手際よく準備する間に、庭で採取したニンニクやパセリ、ハーブを刻み、茹で上げたパスタとフライパンで仕上げた。
「辛いものが平気な人はいますか?」
ダイニングに戻ったさくらが少し挑戦的な目で問いかけると、エリックがすっと手を挙げた。彼は目を閉じ、静かに、ゆっくりと挙手することで、さくらの挑戦を受けて立つ姿勢を示した。
「そうですか……では、これはエリックさんに食べていただきましょう」
さくらたちが用意したパスタの皿。その中の一枚は特別仕様だった。その皿を、エリックの前にコトリと置く。
「「いただきまーす」」
皆、楽しみにしていたさくらの料理に目を輝かせながらフォークを握った。
「まあ……」
「なんじゃと……」
「うんま!」
「おいさくら!これうめえ!」
それぞれが思い思いの感想を口にする。アドリアーノやメイドたちも驚きに目を見開いていた。
「なんて美味しいパスタなの、さくらちゃん」
「このピリピリした辛さとニンニクの香りがたまらんわい」
アリシアとライテスは夢中で口に運び、時折感心したようにさくらを見つめた。
「嬢ちゃん、これうんめえなあ!」
「やいさくら!もっとだ!おかわりだ!」
ジェイムズとバレットも気に入ったようで、さくらは胸を撫で下ろした。
ところが。
調子よく食べていた紫の髪の男が、突然動きを止めた。白目を剥き、その身にどろりとした負のオーラをまとっているかのようだ。
「……エリックさん?」
「エリック、どうしたにゃ?」
さくらときなこが心配そうに覗き込み、きなこが背中をポンと叩いた瞬間。
「痛い痛い!」
「わぁ!」
「なにこれ痛い!辛い!」
「にゃにゃっ」
「辛い辛い!痛い痛い!こんなの聞いてない!」
あまりの衝撃に、エリックは部屋を飛び出していった。どうやら唐辛子を一本丸ごと食べてしまったらしい。
「エリックさん、これを!」
さくらはキッチンからマヨネーズを持って追いかけた。エリックはそれを軽く口に流し込み、言われた通りに口の中で転がしてから飲み込んだ。そして、そのまま庭先でバタリと倒れ伏したのだった。
「さくら、これお店で出そうにゃ」
「そうだね。付け合わせにちょうどいいね」
「うむ。ニンニクの匂いが少し気になるが、夜の宴会のつまみにももってこいだ」
『とんかつ さくら』の従業員たちは真剣に議論を交わしていた。
「私もさくらちゃんのお店にいつか行きたいわ」
アリシアが少し寂しそうな目を向けた。いつかそんな日が来るのだろうか、と。
「アリシアさん、必ず来てください。私たちもアリシアさんのために頑張りますから」
「ええ、お願いね。本当にありがとう、さくらちゃん」
さくらは屈んでアリシアの手を取り、優しく微笑んだ。
「またね〜」
「ほんじゃの」
陽が傾き始めた頃、さくらたち一行はヴァンデンバーグ邸を後にした。
帰りの道のりはとても足取りが軽かった。心地よい疲労感と達成感。そうした感情の裏側で、それぞれの胸にはこれから成すべきことへの焦燥感も宿っていた。皆、物思いに耽り、口を開く者はいなかった。
駅まで着いて馬車に乗り換え、リヤカーも積み込んで、ようやくミンチェスティへと戻った。
また日を改めて鉄鋼商会に集まり、会議をしようとロベルトが言った。それまでに今日起きた事柄を精査するという。さくらへの聴取も含め、樽の破片などを調査し、報告をまとめ上げる予定だ。
「ふう、お疲れさま、きなこ」
「疲れたにゃ。さくらもよく頑張ったにゃ」
二人は自宅へ帰ると、すぐに風呂の支度をした。今夜は早めに床に就き、深い微睡を経て、泥のように眠るのだった。




