58 静かなる獅子
「ライテスおじちゃ〜ん」
「よう、アリシア。今日は元気そうじゃのう」
ようやく辿り着いたグラン・パレス南西の一角で、ライテスの案内のもと、その友人宅の門前に到着した。
その友人は杖をつきながら、屋敷の長いアプローチをどうにか歩き抜け、メイドと共に一行を迎えていた。
「うん、まあ、ここ最近はこんな感じなんよ」
「そうかそうか」
ライテスとその友人は手を取り合って再会を喜び合っていた。
「ライテス様のご友人の方、女性だったんですね」
ライテスよりも明らかに年下で、品の良い初老の女性であった。
「そうなんじゃよ。ワシの姪っ子での」
ライテスはそう言って、ほんの少し遠い目をした。その言葉を聞き、アリシアの素性を知るフリーゼとジェイムズ以外は、揃って敬礼の所作を取る。
「あらあら。私はもう王家を離れていますので。どうかライテスおじちゃんのお友達として扱ってくださいまし」
アリシアはスカートを少したくし上げ、軽くお辞儀をした。その流れるような所作は優雅で、自然と王家の慣わしを感じさせるものだった。
「こんなところで立ち話も辛かろう。ささ、中へ入ろうではないか」
ライテスが朗らかに言うと、メイドの一人が先導し、一行は屋敷の中へと案内された。持ってきた樽は別の使用人たちによって運び入れられ、長い旅路もここで一段落となった。
ヴァンデンバーグ邸の大きなダイニングには、長い木製のテーブルが据えられていた。古さを感じさせながらも格式を備えた造りで、壁には最新式の魔導ランプではなく、古風なオイル式ランタンが灯されている。甲冑や長剣が飾られ、床は本木の板張りで、歩くたびにかすかに軋む音を立てていた。
窓際の端にはアリシアと夫が座り、その正面にライテス、その背後にフリーゼが立つ。ライテスの隣にさくらときなこが座り、他の者たちも順に席についた。
「この度は遠いところ、わざわざありがとうございます。アリシアクリアストリム・ヴァンデンバーグと申します」
足の不自由な身を押して立ち上がり、ぺこりと頭を下げるアリシア。その傍らに立つのが、夫のアドリアーノだった。
「初めまして。この屋敷の主、アドリアーノ・ヴァンデンバーグと申します。妻はこの通り、足が思うように動かなくなりまして。最近は私がつきっきりで看病をしております」
夫のアドリアーノはアリシアより少し年上だろうか。白髪も多く、頬はこけ、疲れを隠しきれない様子が見て取れた。
「お招きいただきありがとうございます。私は王都ミンチェスティの一番街で店を営んでおります、静川咲良と申します。こちらは家族のきなこです」
「きなこですにゃ」
二人は改めて挨拶を交わし、アリシアとアドリアーノも穏やかな笑顔でそれを受け取った。
「まあ、とても可愛らしいお二人ですね」
若く活発な声色と身のこなしのさくら、そして不思議な風貌のきなこに、アリシアは目を輝かせていた。
「そうなんじゃよ。ワシのお気に入りなんじゃ」
ライテスも孫を紹介するように、にこにこと語る。さくらときなこも、その柔らかな笑顔につられ、自然と笑みを返していた。
「しかしライテス様。お願いしていた、ウイスキーを漬けておられるお店というのは、もしや……」
アドリアーノがまさか、という表情でさくらときなこを見つめ、ライテスに問いかける。
「そうじゃよ、アドリアーノ。この娘さんが作っておる。驚きであろう?」
ちゃめっ気たっぷりに微笑みながら、ライテスはそう答えた。
「うふふ……こんなに小さな少女がウイスキーを作っているなんて、本当にびっくり。ずっと楽しみにしてたんよ」
アリシアはよほど酒が好きなのだろう。早く味見をしたいと、瞳が雄弁に語っていた。
「私のお酒でよければ、いつでもお持ちしますので、遠慮なくおっしゃってくださいね」
「ええ、お願いしますね、さくらちゃん、きなこちゃん。ああ、本当に愛らしいわ……」
アリシアは思わずため息を漏らした。かつて強く願った思いが、胸をよぎったのかもしれない。
「ところでアリシア、身体の調子はどうかの」
「さっきも言いましたけど、あまり変わりはないんよ。ずっとこのままなんかな」
足をさすりながら、心配そうなライテスにそう答える。
「医者が言うには、もう治る見込みはないそうです」
アドリアーノは落胆した表情を浮かべていた。医師でさえ手を尽くした結果なのだろう。
「たまには畑に出て、仕事がしたいわ」
普段は車椅子での生活だという。大好きな土いじりができない辛さが、さくらにも強く伝わってきた。
「少し、よろしいですか?」
さくらは立ち上がり、アリシアのそばへと歩み寄る。
「どうしたの、さくらさん」
「失礼しますね。もしかして、関節が痛みますか?」
膝のあたりをさすりながら、そっと問いかける。
「ええ、とても痛いんよ。膝の形も、少し変わってしまって」
「そうですか……」
さくらはアリシアの手を取り、同じようにやさしくさすった。
「アリシアさん。私、良い方法があります」
そう言って立ち上がり、バレットの方を見る。
「な、なんだてめえ。俺がなにかしたか」
「違いますよ、バレットさん。さっそく仕事をしましょう!」
「なんだと!?」
鼻息を荒くし、仁王立ちになるさくらを、一同はぽかんと見上げるのだった。
「つまり、さっきの『温泉』とやらを、この屋敷まで運んでやりゃいいんだな?」
場所を変え、一行はアドリアーノの書斎へ移動していた。さくらの大雑把な説明を、まずは噛み砕いて理解しようとするバレットだった。
「そうです。湧き出る熱々の温泉を、銅の管を通して、お庭まで持って来られればと」
「だが、あの温度のままじゃ、人間はとても入れないぞ」
温泉の湯を確かめたときの熱さを思い出し、フリーゼが口を挟む。
「(私は多分、入れるんですけど……)」
さくらは心の中でそう思いながら、口には出さなかった。
「その熱いお湯を冷ます装置を作ってほしいんです。ええと……こんな感じなんですけど」
さくらは書斎にあった黒板に図を描き、説明を始めた。
「いちいちおめえは俺を焚き付けるようなものを考えやがるな。おもしれえ」
「こういったものは作れますか?真ん中にお湯を通す鉄管があって、その周りに、ぐるぐると冷水用の管を巻くんです」
「ちょいと大変だが、俺に任せりゃそんなもん大したことねえ。やってやる」
さくらの描いたものは、いわゆる熱交換器のような構造だった。温泉の熱湯を管で引き上げ、ヴァンデンバーグ邸の庭へ送るまでの間、その管の周囲を、山から汲み上げた冷たい水が通る別の管で取り囲む仕組みである。温泉の湯を水で薄めることなく、適温のまま目的地まで届けることができる。
「これなら、温泉の大事な成分を損なわずに使えますね」
「しかし、えれえ構造を考えたもんだ。まったく、おめえは何者なんだよ」
「うふふ。それに、冷却に使った水はぬるま湯になりますから、貯めておけばお皿洗いなどする時も手が冷たくならなくて、家事も捗りますよ」
さくらはそう言って、ヴァンデンバーグ邸のメイドたちの方へ視線を向けた。
その意図に気づいたメイドたちは顔を見合わせ、次の瞬間、思わず歓声を上げた。冬場のしもやけや凍傷による手荒れ、血行不良の悩みも一気に解消されるのだから、無理もなかった。
「ところで、その温泉が、どうアリシア様のお役に立つのですか?」
エリックが図を眺めながら、話の核心を尋ねる。
「はい。アリシアさんの状態は、少し難しいご病気だと思います。私のいた国では『リウマチ』と呼ばれていました。薬で寛解を目指す病気です。ただ、この国では医療もまだ発展途上で、お薬もないでしょう。まずできることは緩和治療です。薬が完成するまでは徐々に治すことを目指します。そして日常生活に支障が出ない程度まで動かせるようにする。そのために有効なのが、温泉療法です」
さくらは、かつての夫のことを思い出していた。関節リウマチの治療法が確立されるまで、さまざまな方法を試した中で、最も効果を感じたのが温泉療法だった。根本的な解決にはならないが、痛みが和らぎ、気持ちも大きく変わった。結局のところ、心地よいことは人の心を確かに軽くするのだ。
「なるほどのう……ワシは腰が曲がる程度で済んでおるが、決して他人事ではないのう」
「そうなんです。病気は誰にでも訪れます。まずは、次にこちらへ来るとき、アリシアさんを温泉地へご案内しませんか?」
さくらの提案に、また改めて温泉地を目指す話がまとまった。
「ありがとう、さくらさん。ほんの少し、気が楽になったわ」
「私からもお礼を。妻のために、私もできることを少しずつやってみます」
アリシアとアドリアーノは深く頭を下げ、手を取り合った。その姿にさくらは微笑みを返し、ライテスも少しだけ、ホッとしたようにため息をつくのだった。
一行はまたダイニングへと戻っていた。
「そういえば、この地方には珍しい植物が自生していると、ライテス様から伺いました」
「ええ。我が家の畑にも、食用になるものを含め、さまざまな草花がありますよ」
さくらは植生について問い、アドリアーノは窓から庭の景色を示した。
「あとで見せていただいてもいいですか?実は、こちらへ伺った目的の一つでもあるんです」
「もちろん構いません。自由に持っていっていただいても結構ですよ」
アドリアーノは微笑みながら答えた。ウイスキーを持参してくれただけでなく、妻の病気まで案じてくれる恩人に、何か返したいと思っているようだった。
「ありがとうございます。楽しみです」
さくらはきなことフリーゼと共に、メイドに案内され、畑の草花を夢中で見て回った。
「楽しそうで何よりじゃな。さ、ワシらは持ってきた酒を飲もうではないか」
「まあ嬉しい。本当に楽しみだったんよ」
ライテスの言葉に、アリシアは思わず両手を重ね、頬に当てて微笑んだ。




