52 酒好きの集まり、故の真剣さ
「おめえさん、この樽になにをしてやがるんだ?」
「えっと……」
「それはだにゃ……」
ようやくバレットから呼ばれ、酒を仕込むための樽が出来上がったとの報せを受け、エリックを伴ってさくらときなこは鉄鋼商会までやってきていた。
しかし、当のバレットからの圧力を正面から受け、二人はまるで蛇に睨まれた猫のように身をすくめていた。さくらときなこは顔を見合わせ、言葉に詰まっているのだった。
「おめえさんらが、なにかしら訳のわからん能力を持っていることはわかってるんだ。特におい、ネコ」
「わ、我は……ネコではないにゃ……」
「やかましい。そんなことを訊いてるんじゃねえんだよ」
「まぁまぁ、バレットさん。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるかってんだ」
バレットはジェイムズと共に、ようやく納得のいく樽を完成させた。それをさくらの言うとおり、さまざまな方法で焼き付けを施し、さらには『ベイ・ピース帝立高等学校・魔導科学教育長 ロベルト・ハーンズ』の協力も得て、薬草や香辛料を加えた実験まで行っていた。
それでもなお、完成まであと一歩というところで、なにかが決定的に足りないと感じているという。結局のところ、その不足分は、さくらときなこによる何らかの『味付け』ではないか、という結論に行き着いていたのだった。
「それがわかったら、苦労していないのでは?」
エリックが二人の援護に回る。もはやこの話は、機密事項と呼べるものでもなくなりつつあった。
「ああ、そうだな。だが、あと一歩ってところなんだ。そらもう、こいつらの能力以外にねえだろうよ」
もどかしさを滲ませるバレットだった。どうやら酒のことになると、前後不覚になってしまうらしい。
「バレットさん、わかりました。もう少しだけ、私たちが把握していることを説明しますね」
「それを先に、早く言えってんだ」
エリックはジェイムズと魔導科学教育長ロベルト・ハーンズを呼び出し、さくらときなこ、そしてバレットは、商会の鍵付きの部屋で話し合うことになった。
「ところで、なぜフリーゼ様もいらっしゃるのですか?」
なぜかフリーゼも同席していることに、さくらは疑問を呈した。
「うむ。さくらちゃんときなこ様の一大事と聞いてな。これは是々非々であると感じたのだ」
「別に一大事ってわけではないにゃ……」
全員が揃ったところで、さくらが口火を切った。
「まず、ほんのちょっぴりなんですけど、わかっていることがあります」
全員が固唾を飲む。
「私が、なにか特別な能力を持っている、というわけではないと思うんです」
少し意外な語り出しに、一同は眉をひそめた。
「私ときなこ、この二人が揃っているときに、いつも不思議なことが起きていました。でもそれは、大きな奇跡というほどではなくて、あくまでほんのちょっぴり、不思議なことなんです」
本質を掴みかねているさくらときなこ以外の者たちは、ひとまず彼女の話が終わるまで口を挟まないでおこう、という暗黙の空気を共有していた。
「ただそれが何なのかは、自分自身でもわかりません。きなこもまだ理解できていません」
「わかってねえのかよ」
「はい。もはや自分たちがなに者なのかすら、わからなくなってきています。特にきなこは『キャット・シー』でありながら、逆にその能力を引き出すことができていません」
変化擬態の能力の発動自体はできていた。揚げ物が美味しくなることも、油が特殊になることも、味噌が発酵することも、それらはさくらの努力の上に、さらにきなこの能力が重なっているのは明らかだった。
しかしそれ以上に、父猫のように、かつての戦争に介入できるほどの強大な力を秘めているとは思えなかった。成長の段階にあるのだろうが、魔獣としての能力は、まだほとんど表に出ていない。さくらは、その点についても簡潔に説明した。
「そりゃ、おめえ、ネコのおかげだろうよ」
「そうだとは思うんですけど……ね、きなこ」
「むぅ」
きなこにも、思うところがあるようだった。
「さくらの口から言えないことは、ボクにも言えないんにゃけど……」
そう前置きしてから、きなこは語り出した。
「ボクの能力自体は、大したものじゃないにゃ。それはさくらもわかっていて、多分、ボクに気を遣って言わないだけにゃ。ボクのお父ちゃんやお母ちゃん、それに生き別れた兄弟もいるんにゃけど、その者たちは、とてつもない力を持っていると思うにゃ。さくらに名前をもらって覚醒してから随分経ったけど、自分のことは自分でわかるにゃ。ボクは家族と比べて、能力は限定的にゃ。ただ、さくらを支えることだけは、他の者たちにはできないと思っているにゃ。これは、ボクだけの特殊能力だと思うにゃ」
そう言って、きなこは目を閉じた。珍しく長く語るその姿に、さくらだけでなくエリックも、ほんの少し目を見張った。
さくらは、きなこを労わるように、その背中を静かに撫でてやった。
「わかった。じゃあ話を元に戻そう。この酒の具合が変わっちまうのは、なぜなんだ。まずはそこを知りたいし、解決したい」
バレットがそう言うと、ジェイムズもロベルトも、その言葉に合わせて頷いた。
「おれっちの思うことを言っていいかい」
しばらく静観を守っていたジェイムズがそう切り出す。
「こないだ、嬢ちゃんの店の地下に入れてもらったときに、ひとつわかったことがある。俺っちたちが作ってる樽と、形はまったく変わっていない。外見は一切変わってないんだ。ってことは、内部でなにかが変わってるのは確かだ」
「そりゃそうだろ、おめえ。焼き入れたり、葉っぱ入れたりしてるんだからよ」
すぐにバレットが突っ込むが、
「いえ、ジェイムズさんの言っていることは、そういう意味ではないと思いますよ」
ロベルト・ハーンズが割って入り、補足するように語り出した。
「わたくしどもも研究チームとともに、さくら様の樽を調べましたが、外見に変化はありません。しかしですね、少しくらい、なにかしらの変化があってもおかしくはないはずなんです。木材ですから、湿気や乾燥の違いで収縮しても不思議ではありません。それが一切見られない。これは、逆に不可思議な現象です」
「なるほどな……そりゃ確かにそうだ。いくら俺のカシメが頑丈でも、少しくらいは歪むはずだ」
バレットはロベルトの言葉に、ようやく腑に落ちた様子だった。
ロベルトは続けた。
「きなこ様のお力は、さくら様との『触れ合い』があって、初めて発動しているのではないかと推測します。この仮説を、暫定的に『共鳴』と名付けましょう。ただし、その共鳴が、どのような条件の触れ合いで生じるのかは、まだ憶測の域を出ません。ですので、まずは実験を行い、一つ一つ条件を精査していく必要があります」
「『実験』だなんて……」
バレットの部下が、ぼそりと呟いた。しかし当のさくらときなこは、それほど気にした様子もなかった。
「かまいません。私も知りたいですし。ね、きなこ」
「にゃ。それが世の中の役に立つなら、ボクらは協力を惜しまないにゃ」
さくらときなこは、うんうんと頷き、納得した様子を見せた。
「少し、私もよろしいか」
ずっと最後方に立ち、黙って成り行きを見守っていたフリーゼが、手を挙げた。
「私も、以前から不思議に思っていたのだ。味噌のときも、畳のときもだ。なぜか、さくらちゃんときなこ様は、少し誤魔化すような振る舞いをしていた。二人は、薄々わかっていたのではないのか?」
さくらときなこは、はっとしてフリーゼを見上げた。確かに、はぐらかすような立ち居振る舞いをしていた自覚はあった。
「ごめんなさい、おっしゃる通りです。でも私自身にふと浮かぶアイデアがあるのは確かですし、そのたびに、きなこが必ず補足してくれている感覚もあります。それでもフリーゼ様やライテス様に対して、正直ではありませんでした。申し訳ございません」
「さくらちゃん」
「は……はい」
フリーゼは姿勢を正し、改めてさくらと向き合った。
「私は貴女を尊敬している。もちろん、きなこ様もだ。勘違いしないでほしい。私はなにかを疑っているわけではない。ただひとつ確信していることがある。それは貴女はきっと、私たちを『救ってくれる』存在だということだ。あらゆる意味で、だ」
言い終えたフリーゼは、静かに微笑んだ。
『少しスケールの違う話になったな』と、さくらときなこだけでなく、周囲の者たちも首を傾げた。しかし、その真剣な眼差しに、さくらときなこは圧倒されていた。
「わかりました。真剣に協力します。ありがとうございます」
さくらは、ほんのかすかに目を細め、フリーゼに微笑み返した。
「じゃあ、その実験とやらは後日にするとして、今回はここまでにするか」
バレットが「仕事すんぞ」と部下に号令をかけ、席を立った。
他の者たちも帰り支度を始め、それぞれの持ち場へと戻っていく。
「さくら様……ひとつ、お願いが……」
お開きになったはずの会議のあと、ロベルトがさくらに声をかけてきた。
「はい?なんでしょうか」
「ええ……実はですね、検証用のお酒がたりなくなってしまいましてですね、はい……できればもうちょっとだけですね、あのウイスキーを検証用にいただけないものかなと思いましてですねはい……あ、いえいえ!あくまで検証用ですので!はい!本当に!お金もちゃんと払いますので!ええ!」
集まった男たちは、全員が酒好きだった。なるほど、この者たちの強力なタッグは、これが原動力なのだと、さくらは少し呆れつつも、その頼もしさに感心する。
さくらはロベルトを『とんかつ さくら』へと迎え入れ、惜しみなく『検証用』のウイスキーをボトルに詰め、彼に手渡すのだった。




