48 この世界で生きるために
さくらがこの世界に来てから、もうしばらく経つ。
今でこそ店を経営するようになったが、それまでは大変なことの連続だった。しかし、さくらはそれを物ともせずにやってこれた。苦労など、微塵も感じていなかったのだ。苦労とはいわば他人からの評価であって、努力という名の自己犠牲など、彼女にとっては瑣末なものであった。
そしてさくらがずっと続けていること、それは『手作りの創作』だった。誰に頼まれたわけでもなく、ただ生きるために作り続けていた。それも楽しく、そして穏やかに。
あの猫家族との生活の中で必要なものは、その多くが手作りだった。木の皿やお玉、菜箸、猫たちのために食べやすい器も作ってやった。ナイフを自作し、ロープをつくり、釉薬や果ては土鍋まで手がけた。時には子猫のために、葛の根から薬を煎じることもあった。
ブルーウッドに来てからは、紙芝居を作って演じたり、お手玉やおはじき、縄跳びに、石灰を固めたチョークなど、端材や布切れを使っては何でも形にしていった。子供たちと触れ合う時間も多く持っていたが、店を始めてからというもの、そうした関わりは次第に少なくなっていった。その代わりに、これまたずっと続けていることがあった。
「さくら、こんな感じでいいかにゃ?」
「うん、いいよ。だんだん上手になってきたね。ありがとう、きなこ」
『とんかつ さくら』の営業が終わってから、毎晩一時間ほど続けていること。それは、子供の客に渡してあげる『小さな木のおもちゃ』作りだった。
おもちゃといっても、決して複雑なものではない。ごく簡単で、素朴なものばかりである。
ジェイムズたちが飲みに来るたびにもらっている木の端材。それらを使って作るおもちゃは、車輪のついたものや人形、ロボットに似たもの、動物や羽のついたもの、積み木や将棋の駒のようなものなど、実に様々な形をしていた。
さくらが形を整え、きなこがやすりをかけて角を丸くしていく。ときどき穴を開けることもあり、キリを使うときには細心の注意を払った。きなこも猫の手を器用に使い、よく手伝ってくれていた。
さくらのためなら文句も言わず、文字や計算まで覚え、何でもこなしてしまうきなこにとって、勉強や手伝いは当たり前のような日常の一部だった。
「今日の男の子も喜んでくれていたにゃ」
「うん。うれしいね」
さくらは、とにかく子供を大事にする人だった。それは見返りを求めるものではなく、ただただ、無償の愛そのものだった。先日の運動会でも、さくらは必死になって応援するあまり、周囲をやや引かせてしまったほどだ。それでもさくらは構わなかった。いつでも全力で、満面の笑みを皆に送るのだった。
おもちゃの大きさは、小さな子供が口にしても飲み込めない程度で、小学生くらいの子供なら飾っておくのにもちょうどいい。造形自体は凝ったものではないが、手にした人が大切にしたくなる、温もりのこもった手作りのおもちゃだった。
中には不思議な形のものもあり、子供だけでなく、大人が見ても少し困惑する場面があった。なにしろチェック機関がきなこしかいないため、さくらの経験や知識が反映されたデザインの中には、この世界の人間には想像もつかないものも含まれていたのだ。そうした反応を受けた形については、以後、取り入れないようにしていった。
そんな折、頼まれごとをされることもあった。
「手作りのチェスを作ってほしいのです。できませんか?」
リゼロッテには、先日からチェスの相手として教えを乞うている『師匠』がいるという。世界大会を目標に掲げるには自分だけの力では到底足りず、その役目を引き受けてくれたとのことだった。その人物が働く事務所に持っていくための、チェス盤と駒が欲しいという相談だった。
さくらはチェスよりも将棋が得意だった。生前の地球では、周囲に負けなし。新聞の対局棋譜を読んでは「自分ならこう指す」とシミュレーションをするのが趣味であった。そんなさくらだが、チェスもなかなかの腕前であり、生前は孫とチェスや将棋、オセロといった素朴なボードゲームを楽しんでいた。そういった経験から手作りの盤についても心得があったので、他ならぬリゼロッテの頼みとあって、本腰を入れて作ることにした。
ジェイムズに頼み、一級の木材を手に入れる。大きさから形まで、できるだけ精巧に。そしてほんの少しだけオリジナルのデザインを盛り込み、気分はまるで運慶快慶。駒の造形は、芸術的と呼べる出来栄えになった。
持ち運びを考慮し、さくらは折りたたみ式のチェス盤に仕上げた。内部に駒が収まるよう工夫され、木製ゆえに手に馴染みやすく、何より唯一無二の逸品となった。
「いやはや、これは……さくらさん。もしよろしければ、このチェスセット、すべて私が買い取りましょう」
リゼロッテの父であるロレンツォ・フリージアは特に感激し、この折りたたみチェス盤の『意匠権』をさくらに提示したうえで買い取った。それが高額な取引であったことは、言うまでもない。
「お父様、これはわたくしが依頼して、さくらちゃんがわたくしのために作ってくれたものなのです。返してくださいなのです」
フリージア家では、父と娘の小競り合いが始まってしまった。さくらは、ロレンツォが娘のために大金を払って引き取り、リゼロッテに渡すものだと思っていた。しかし、ロレンツォはそのまま御用達の職人に預け、このデザインと同じチェスセットを作らせているのだという。
これではさすがにリゼロッテが可哀想だと思い、さくらは改めて彼女のためだけに、新しいデザインを取り入れて作り直してあげた。すると今度は、不思議な紋様と造形を備えたものが生まれ、またしてもロレンツォが目を光らせてリゼロッテを困らせる事態となった。
このように、さくらは何でも作れてしまう。そして請け負えば、たいてい期待以上のものを形にする。
それを誰よりも喜び、楽しみ、そして経験から生まれる豊富な知識と理論は、人々を喜ばせ、ときには役立つものとして、さくらの手から生み出され続けていった。
ある日には、別の小学校からも弁当の依頼が舞い込んだ。片方を引き受けて他を断るという選択肢は、さくらにはなかった。それは協力者がいるからこそできることであり、さくらのためなら労力を惜しまない、心根の強い仲間たちのおかげでもあった。
さくらには、不思議な魅力がある。愛らしい、人当たりがいい、朗らか、太陽のように明るい。そういった表面的なものだけではない。どこか異質な知恵や、奇妙とも言える振る舞いも、さくらの魅力のひとつだった。そこに思惑を抱いて近づく者がいなかったとは言い切れない。さくら自身も、そうした視線を何となく誤魔化したり、受け流したり、時には聞こえないふりをしてきたところがある。
もっとも、駆け引きや交渉事に長けた人生を送ってきたことは、確かだった。
「静かに生きていたい」
そう願っていた前世。しかし、どこかに何かを置き忘れてきたような感覚もあった。
「さくら、いまのうちに、やりたいことをやっておくにゃ」
きなこはそう言った。きなこも、時に達観したような物言いをすることがある。キャット・シーとしての自我が芽生え、大きく育ちつつあるのだろう。
当然、きなこも成長し、いつか別れの時が来る。さくらがきなこに追いつくことは、決してない。
そのとき、さくらはどう思うのだろうか。
きなこは、そのときどう行動するのだろうか。
時代が、時間が、それらを決めるのだろうか。
さくらは、きなこの言葉に答えることはなかった。
この世界で生きること。
それは、さくらにとって、案外難しいことなのかもしれない。




