47 全てのはじまり
「こわいこわい!」
「エリックさん、大丈夫ですよ」
「こわいこわい!離さないで!」
「いざとなったら足がつきますし、大丈夫ですってば」
試作品一号が出来上がったとの知らせをバレットから受け、さくらときなこはエリックと共に、さっそくバレットの工場を訪れていた。
その出来映えは実に見事なもので、タイヤのようなゴムこそないものの、形はきちんと自転車をしており、あとは細部を詰めていけば、十分に人力自転車として成立しそうな姿をしていた。
……のだが。
「ちょっとちょっと!絶対離さないで!」
「んふふ……ちゃんと支えてますってば」
そう言いながら、さくらの手は少しずつ、ほんのわずかずつ離れつつあった。
まずはこの試作品一号を試してみよう、ということになり、年頃の男子で、体力や判断力、機敏さ、そしてこの自転車のボディに合った体型をしているエリックが、試運転役に選ばれた。
しかし、どうやらエリックは体幹があまり強くないらしく、初めて見る未知の乗り物に、すっかり恐怖している様子だった。後ろからさくらが支えているものの、後ろを振り向くことすら怖いらしい。
「むりむりむりむり!」
まずは足で地面を蹴り、二輪の乗り物に慣れていくよう、さくらは指導する。自転車の基本中の基本だ。
だが、それすら思うようにいかないエリックである。
「だらしねえなぁ、エリックよ」
ニヤニヤと腕を組みながら、バレットがエリックをからかう。バレットのような背丈の者用に三輪の自転車も作られており、本人はそれを見事に乗りこなしていた。
「だって!そっちは倒れないじゃないですか!」
いつの間にか、エリックはさくらの補助なしでも、ふらふらしながら数メートル進めるようになっていた。バレットの言葉を聞き返す余裕も出てきたようだ。
「それにしても、すごいですね。もう作っちゃうなんて」
さくらは、相変わらずのバレットの仕事の早さに、ただただ感嘆する。
「おうよ。俺にできねえことはねえって言ったろ」
「はい、さすがです。これから細かいところを詰めていけば、もう販売もできそうですね」
「気が早えんだよ、おめえは。まあ、一番の悩みどころはこのガタガタとケツが痛えことだな」
現代の自転車は、ゴムでできた『タイヤ』と『チューブ』の発明によって、飛躍的な進化を遂げた。この異世界では天然ゴムや石油が見つかっておらず、その点だけは、さくらも頭を悩ませていた。
さくらたちは、引き続き細かな調整をバレットに依頼し、また後日訪れることにした。
とある日曜日の早朝。
試作品第二号が完成したとの連絡を受け、さくらときなこ、エリックに加え、アオーウィックとカナタディバウスの二人も連れて、ブルーウッド・イースト地区へ向かった。
「前と後ろのギアの大きさを変えてみたぞ」
バレットは前後のギア比を調整し、速度と必要な力の配分を、ちょうどいい具合にしてくれたという。
「わわ、これはすごいですね。それほど力を入れていないのに、ぐんぐん進みます」
「そうだろう。これくらいじゃねえと、女や子供にはきついからな」
細かな調整を重ね、試行錯誤を繰り返してきたバレットと職人たち。こうして物事は少しずつ前へ進んでいくのだと、さくらは改めて感慨に浸る。
「これ、すごいね。さくらさんが言ってたのは、こういうことだったんだ」
「こんなこと、お前思いつくか?」
「いや、まったく」
アオとカナタは、さくらの発明を前に、ただ驚愕するばかりだった。
「アオくんも、カナタくんも、乗ってみて」
さくらの軽い一言に、二人は恐る恐る挑戦する。
「うわ……なかなか難しいな」
「僕はこういうの、意外と平気かも。ほら」
どうやら、アオよりもカナタのほうが向いているらしい。それを見て、アオも対抗心を燃やしたのか、何度も転びそうになりながら、ふらふらと乗れるようになっていった。
「ふふ、二人ともすごいね」
「いやあ、なかなか大変ですね」
「アオより、僕のほうが上手かったですよね?」
「まだまだこれからだよ。カナタはすぐ調子に乗る」
二人とも負けず嫌いなのか、「俺が」「僕が」と闘争心をむき出しにして練習していた。
「そろそろ、ちょっと話を聞いてもらっていいかな? 二人をここに連れてきた一番の理由なんだけど」
練習が一段落したところで、さくらはアオとカナタを、鉄鋼商会の事務所へ連れて行った。
「車輪に、魔導の力を?」
さくらが提案したのは、『自転車の車輪の外郭に、不思議な力を付与できないか』というものだった。普通なら突拍子もない発想だ。
ゴムのような有機物は、特定の原料がなければ作れない。それを探す労力を考えるより、魔法で代替できないかと、さくらは考えたのだ。
「なるほど……さくらさんは、本当にすごいことを思いつきますね」
アオは胸を躍らせながら、感嘆の声を漏らす。
「うん、すごいね……でも、できないことはないと思います。きっと」
カナタもアオと顔を見合わせ、不敵な笑みを浮かべた。
「ほんと? なんとかなりそう?」
ぐいっと身を乗り出すさくらに、二人は少しのけぞりながら説明を始める。
「今できている自転車に必要なのは、本質的には『乗り心地』ってことですよね」
アオの言葉に、さくらとバレットは揃って頷いた。
「現代では失われた戦闘魔法のひとつに、『ブーヨ』という魔法があります。対象を、ネバネバしたものや、ぐにゃぐにゃしたものに変換する魔法です」
カナタが、『魔術クラブ』の部員らしい詳しい解説を加える。
「俺たちはそれを応用して、靴底やソファの座面に使う実験をしてます。ふわふわの綿のような緩衝材としてですね。そしてもっと研究を進めれば、自転車の車輪くらいなら、付与できると思います」
アオがそう言い、カナタと頷き合う。二人の『魔法科学』の研究が思いのほか進んでいることに、皆が感心した。
「なるほど。それがあれば乗り心地も良くなるし、地面との接地力が増して、推進力も上がりそうだね」
「そうですね。ただおそらく一番の問題は、魔力を一定に保ち続けなければならない点です」
カナタが、さくらの理論に対して懸念を示す。何かを得れば、必ず別の何かを失う。物事は常に一得一失である。
「それって、大変?お金もかかる?」
「いえ。たぶん一か月に一回くらい注ぎ込めば大丈夫だと思います。それに研究を重ねれば、効率も上げられるはずです」
現代地球でも、自転車のタイヤの空気圧を保つには、最低でも月に一度は空気を入れる必要がある。それを思えば、手間は大きく変わらず、魔力の維持費も徐々に下げられるだろうと、さくらは考えた。
「よし。じゃあ、それを二人に開発してもらいましょう!よろしくね!」
花が咲くような笑顔を向けられ、アオとカナタは顔を真っ赤にする。さくらに握られた手の感触を、しばらく噛みしめていた。
「ははは、どうですかバレットさん。私のこの身のこなし!」
「へぇ。ようやく乗れるようになりやがったか、エリックのやつ」
アオとカナタの熱心な研究によって、自転車の車輪には魔導の力が付与され、乗り心地は一気に改善された。それだけでなく、これまで不安定だった車輪の軸も改良され、直進安定性は格段に向上した。
「ははは、見てください、さくらさん!こんなにスピードが出ますよ!」
すっかり調子に乗り、スイスイと自転車を操るエリック。
「あ!エリックさん!前、前!」
「え?あ!うわぁあ!やだやだやだやだ!うわああ!」
後ろを振り向いたまま走っていたエリックは、前方の川へと、見事にダイブしていった。
「それにしても、すごいね、アオくん、カナタくん。ありがとう」
「い、いやあ……それほどでも……」
「アオのやつ、さくらさんのためならって言って、ずっと学校に居残って研究してたんですよ」
「お、おい!言うんじゃねえよ!」
二人は連日、車輪への付与研究に没頭し、わずか一週間ほどで魔法を完成させたのだ。
「うふふ、嬉しいな。じゃあ、この自転車二台、君たちにあげるね」
「え!?本当ですか?やったぁ!」
「うわわ、本当ですか?うれしいなぁ!」
試作品第三号をもらえるとは思ってもおらず、二人は両手を上げて歓喜した。引き続き研究と称し、魔力の消費量や部品の強度などを検証しながら、通学に使ってもらうことになった。
その結果、二人の通学時間は大幅に短縮され、研究や勉強に充てられる時間も増えた。他の生徒たちから羨望の眼差しを向けられ、教師たちからも自転車制作の依頼が殺到したという。
エリックからは「道路とルールの整備が必要ですね」との提案もあり、今後はミンチェスティを中心に、都市改革が進められていくことになった。




