46 遥かなるドライス卿
とある日、さくらときなこは朝早く、警視庁に魔導ベルを打ち鳴らし、エリックに事の次第を告げた。まだ街が完全には目覚めきっていない時間帯だったが、返事はすぐに返ってくる。登庁していることを確認すると、二人はそのまま警視庁へと向かった。
「やあ、さくらさんにきなこさん。ずいぶんと朝早くから、どうされましたか」
エリックは窓口デスクをひらりと飛び越え、まるで待っていたかのように、颯爽とさくらたちの前へと躍り出る。
眠気まなこの夜勤勤めだった窓口の女性役人は、その光景を目にして眉をひそめ、次いで目を見開き、慌ててメガネをクイっと持ち上げた。
「はい、いつもお願い事ばかりで、すみません」
「いえいえ。お役に立てるなら何よりです。今回はどうされました?」
「ええ、またバレットさんに、ちょっとした注文を」
さくらは申し訳なさそうにしながらも、今回の依頼内容を手短に説明した。エリックは途中で何度か頷き、話を遮ることなく聞き終える。
「なるほど。確かに、それなら彼の腕が必要ですね」
そう言ってエリックは軽く笑い、必要な手続きを素早く整えた。さくらときなこは礼を述べ、ウイスキーと荷物の入った風呂敷を携えると、ブルーウッド・イースト地区にある『鉄鋼商会』へと赴いた。
朝の商会はすでに活気に満ちており、金属を打つ音や火床の熱気が、建物の外にまで伝わってくる。扉を開けた瞬間、鉄と油の混じった独特の匂いが鼻をくすぐった。
「ほう。鉄を細工しろってか」
作業場の奥から現れたバレットは、差し出されたウイスキーを受け取ると、まるで孫を愛でるかのようにボトルを胸に抱きしめた。その一方で、仕事の話と分かるや否や、渋い表情をさくらに向ける。
「ええ、今回は少し複雑でして……もしダメなら、断っていただいても」
「あぁん? 俺にできねえことなんざねえぞ。おい、ちっと鍛造屋を呼んできてくれ」
バレットはそう言って弟子に顎で合図を送り、すぐにその者を呼びに行かせた。
ほどなくして、足音とともにその人物が姿を現す。
「どうも親方。今回は、どのようなご入用で?」
丁寧な挨拶とともに現れた青年は、油に汚れた作業場の中では少し浮くほど、穏やかな雰囲気をまとった好青年であった。バレットとは正反対の空気を持っているが、腕は確かである。
「おう。まずこいつの話を聞いてやってくれ」
挨拶も終わり、周囲の視線が自然と集まったところで、さくらは今回の依頼について、紙芝居を用いた説明を始めた。
「まず、最終的な形と目的は『人が乗る乗り物』です。馬車の場合は馬の『馬力』が必要になりますし、動物を飼い慣らす手段や躾の大変さ、与える食糧の経費など、便利な反面、不便な点を挙げればきりがありません」
バレットにエリック、そして弟子たちは腕を組んだり、近くの椅子に腰掛けたりしながら、それぞれの姿勢でさくらの話に耳を傾けていた。
「そこで今回考えましたのが、『人力』、つまり人の力を最大限に発揮でき、なおかつその力を逃さず、場合によっては二倍、三倍にも増幅できる仕組みです」
聴衆は今ひとつ理解しきれず、本当にそんなことが可能なのかと疑問を抱く。
さくらは一度息を整えると、次のページへと紙をめくった。
「まず、馬車やリヤカーに使われている『車輪』。これも大きな発明ですが、活用しない手はありません。車輪を二つ用い、それを支える骨組みを作り、さらに人間自身が回転して、その動力を車輪に伝える仕組みです」
どよめきが起こる。
人間が回転する。その言葉にますます訳が分からなくなりつつも、その場の者たちは、さくらの続く説明から目を離せなかった。
「必要なものは、車輪が二つ、動力となる回転機構が一つ、その機構と後ろの車輪を繋ぐ『ベルト』が一つ、そして『車体』です。これが、私が考えた『想像図』になります」
あくまで想像だと言い添えながら、さくらは紙をめくる。
次のページに描かれた『設計図』を目にした瞬間、さらに大きなどよめきが起こった。
初めて見る特異な形状に誰もが驚き、バレットでさえ、伏せがちだった瞼の奥の瞳が鋭く光ったほどである。
「中央のこの部分に人が乗り、その真下にある回転機構に足を乗せて、筋力を使って回します。すると、その力がベルトを伝って後ろの車輪へと伝わります。回転速度と比重は、前の回転機構と後輪を回すための『ギア』の大きさに比例します。前が大きく、後ろが小さければ後輪は速く回り、推進速度も上がりますが、その分、人の筋力が多く必要になり、当然疲れます。楽にしたければ、その逆です。その代わり、いくら回しても速度は上がりません」
次第に理解が進み、聴衆の表情には納得の色が浮かび始めた。同時に、金属を扱う者たちの胸の高鳴りは、いつまでも収まらなかった。
「今回作っていただきたいのは、このような形のものになります。安く作っていただけるなら、それが一番うれしいです。なぜなら、これがもし作れるなら、一番必要とするのは働く人や学生さんだと思います。通勤の時間を短縮したり、通学する学生さんは遠くまで通う道のりを短くできれば、他の勉強や活動に使える時間が大きく増えます。これができるだけで、みんな喜んでくれると思います。ぜひ、よろしくお願いします」
さくらは心からの想いを込めて訴えた。バレットは静かに頷き、弟子たちも「やろうぜ」と意気込む。エリックは、その様子を穏やかに目を細めて見守っていた。
さくらときなこは深く頭を下げ、改めてバレットたちにお願いをする。バレットはその心意気に応えるように、さくらの肩に手を置き、ニカリと笑うのだった。
「さくらちゃん、わたくしも通学がとても疲れちゃうのです」
この日のディナータイム前、さくらたちは開店準備をしていたときに、今朝バレットの商会に行った時のことを話していた。
「リロちゃん、お家から学校までそれほど遠くないんじゃなかった?」
「違うのです。わたくしは少々お寝坊さんなのです。通う道のりをほとんど小走りしちゃっているのです」
「いやそれは早く起きればいいだけなんじゃないかにゃ……」
きなこも眉を八の字にして困惑した表情を浮かべる。
「それが早く起きられたら苦労はしていないのです」
「10分前行動だよ!」
さくらはビッと指を立てる。
「ああ!そうやってみんな同じことを言う!揃いも揃って!必ずそれを言うのです!」
「言われたくなかったらやればいいのにゃ」
「あ!またそうやって!正論を言う!正論が常に!正しいとは!限らないのです!」
珍しく地団駄を踏みながら、悔しさを露わにするリゼロッテだった。
「リロちゃん、朝早く起きることなんて簡単なことなんだよ?」
さくらは目を細め、なにかを含ませるようにしてそう言った。
「どうするのです?」
「起きればいいんだよ」
「もう!そうじゃないのです!」
ぷんすかと、起きられない自分にもどかしい気持ちを募らせるリゼロッテだった。
「リロちゃん、私が毎日起こしに行くというのはどうであろうか」
今夜も宴会が入っており、二階座敷の準備をしていたフリーゼが、階段から顔を出してそんなことを言い出した。
「フリーゼ様に起こしてもらうなんて恐れ多いのです……それに、どんな起こし方をするのですか?」
「うむ。まず腹筋に一発お見舞いするのだ」
「そのまま永遠の眠りへと旅立ってしまうのです」
今宵も元気な娘たちプラスネコで、笑い合いながら楽しげに開店準備を進めるのだった。




