45 明日への翼
私の名前はミーシャ・マッシーライト。王都にある最大のマーケット『グランデ・マルシェ』の中で、青果店を営む家庭の娘だ。お父さんはいつも店にたっていて、お母さんは普段は家事をし、夕方になると店を手伝っている。私は女学院に通っているが、学校から帰ってきたら決まって店の手伝いをさせられる。
私は、この店の手伝いが嫌いだ。
手伝うことによる報酬はまったくなく、勉強する時間もなくなる。そのせいでクラブ活動もできないし、ましてやアルバイトなんてできるはずもない。女学院の高等部にあがったら、友達と観劇に行ったり、おしゃれなカフェでランチをしたり、その出かけるためのお金をアルバイトで稼いだりできるものだと思っていた。しかし現実はどうだろう。家族のためとはいえ、こんな野菜や果物を扱っている女学生など、ほかにいるだろうか。
服を汚さないためにエプロンをつけ、髪の毛が落ちないようにほっかむりをする。ダサい。こんな女学生、どこを見渡したっていない。私はもっと羽ばたきたい。自由になりたい。ああ、あの鳥さんはどこへ行くのかしら。こんな野菜を売る商売で一生を終えたくない。ああ、アルバイトをしたい。グロリアーナ様のように、あんなにもキラキラした生活を送ってみたい。いや、まったく近寄り難いし、今まで一言も喋ったこともないけどさ。まあいいじゃない、夢を見るくらいは。
「おーいミーシャ。ちっとわりいけど、一番街の『さくら』に届けもんしてくれ」
そんな夢を描いていたら、お父さんの声で一気にかき消された。なんだよ、気分よかったのに。
「えぇ? なんで私?」
「おめえしか手ぇ空いてるのいねえだろうが。早く行ってやってくれ」
「はぁ……しょうがないなぁ」
どうやら一番街にできた新しい店、『とんかつ さくら』に、今日の仕入れで足りなかった「ジャガイモ」と「タマネギ」を届けてほしいという依頼だった。朝にはいつも店主たちが仕入れに来るのだが、今朝は『ベイ・ピース』の道路が崖崩れで寸断され、物資が届かなかったらしい。それが夕方になってようやく入ってきたため、店まで運んでほしいとのことだった。
私はただでさえこの八百屋が嫌いなのに、たまにある『配達』が特に嫌だった。なにしろ『リヤカー』を引いて王都の街を歩かなければならない。そんな女学生いる? 土で汚れたエプロンをして、ほっかむりをして、リヤカーを引くんだよ。友達に見られたら最悪だ。
仕方なく私はリヤカーにジャガイモとタマネギを五十個ずつ載せ、よいしょとハンドルを持ち上げる。そして、まだ幼い十歳の弟と一緒に、王都の街をリヤカーとともに進んでいった。
弟は後ろからリヤカーを押していたが、疲れてしまったのか、途中から荷台に乗ってしまった。結局、私ひとりでこのやたら重い荷物を運んでいる。まったく、どうして私がこんなことを。
それにしても、うちの店の入荷分のほとんどを占める量のジャガイモとタマネギを、ほぼ毎日仕入れているらしいが、どれほどの人気店なのだろう。こんなにも大量に仕入れて、本当にはけているのだろうか。それにジャガイモとタマネギ? どんな料理を出しているというのだ。想像もつかない。うちでは、お母さんがたまに余ったジャガイモとタマネギとお肉で煮込み料理を作ってくれるくらいだ。まあ、それが一番おいしくて、私は好きなんだけど。
そんなことを考えていたら、届け先の『とんかつ さくら』に辿り着いた。間違いなくここだ。
……いや、なんだこの店構えは。店名が書かれた妙な布切れが店先に下がっているし、横に開くこれは何? 引き戸ってやつ? それに……ん? 横にある小窓から見えるのは……ネコ? ネコチャンが料理してるの? なにこれ、意味がわからない。まあいいや、早く届けて、早く帰ろう。
「あ、さくら、届いたにゃ! よかったにゃぁ」
少し開いた小窓から、そのネコチャンが私に気づき、中の誰かへ伝えた様子だった。その雰囲気からして、私のことを待っていたらしい。そう思った瞬間、店の引き戸が開いた。
「わぁ、よかったぁ! 届けてくれてありがとうございます! 大変だったでしょう?」
店の中から飛び出すように出てきた女性。店主だろうか。大汗をかき、メイド服の上に割烹着を着て、頭には頭巾を巻いている。見た目は私とそう変わらない年頃の女の子だ。こんな子が働いているの? 私と似たようなエプロンをして、頭巾までかぶっちゃって。それなのに……なんだかこの子の笑顔、素敵だな。
そんな第一印象を抱いた直後、中にいた大柄の男たち数名が、どかどかと出てきた。
「よう、ごくろうさん! あとは俺っちたちに任せな!」
その者たちは、私がリヤカーで運んできた材料を、あっという間に店の中へ運び込んでしまった。さっきまで中で食べて飲んでいた姿を見ていたのに、なぜ手伝うのだろう。関係者なのだろうか。
急な流れに私は戸惑っていたが、ぼんやりしている私を呼び戻す声がした。
「リヤカーはそこへ置いて、どうぞ中へ入って」
店主の女の子が、私を店内へ招こうとしている。いや、お代は明日でいいと、さっきお父さんが言っていたはずだ。もう届け物は終わったし、私は帰るだけなのに。
「おねいちゃん」
気づくと、その店主の手には弟の手が握られていた。どうやら、屈強な男たちが材料を運び込んだ際、弟の体まで一緒に連れて行ってしまったらしい。
「ああ、すみません……すぐに連れて帰りますので」
「いえいえ。どうもこの子、お腹すいたみたいですよ?」
店主が見下ろす弟が、鼻を垂らしながら「グゥ」と盛大にお腹を鳴らしていた。ああ、なんて恥ずかしい。今すぐにでもこの場を去りたい。
「うちで食べていってくださいよ」
弟の手を取ろうとした瞬間、店主がそんなことを言い出した。いやいや、何を言っているの。私は今、お金なんて持っていない。
「届けてもらったお礼です。ぜひ食べていって?」
半ば強引に押し切られ、弟を連れて中へ入っていく店主の女の子。きっと『さくらさん』というのだろう。私は「はぁ」と一息つき、つられるように店内へ入った。
中を見ると、やはり先ほどの男たちはテーブル席で飲み食いをしていた。他には女性客も多く、ちょっとした貴族らしき人も数名いる。それに、もう一人の従業員の子、多分、私と同じ学校の生徒だ。なんだここは。とても不思議な空間だ。それが強く印象に残った。
小さな二人用のテーブル席に案内され、私と弟は腰を下ろした。ほどなくして料理が運ばれてきて、私は思わず息を呑んだ。なんとも言えない芳しい香り。ほくほくとした白い穀物。そして、どうやら私たちが扱っている野菜や果物が、ふんだんに盛られている。弟の皿には、スティック状のジャガイモが美味しそうに並んでいた。
私と弟は、夢中で食べた。美味い。なんて美味しいんだ。サクサクしていて、中はじゅわっとしている。このホカホカの白い『ご飯』も格別だ。それに、この『ぽてとさらだ』が、私は一番好きだった。これがそうか。ジャガイモとタマネギを使っているのだ。甘くて、少し苦くて、しょっぱくて、ほんのり酸っぱい。まろやかな口溶けの中で、タマネギのシャクッとした歯触りが際立っていて、本当に美味しい。
あっという間に食べ終わり、弟はさくらさんから木のおもちゃをもらっていた。弟はとても喜んでいて、その笑顔を見ると、私も少しだけ心が温かくなった。
「いつもお手伝いしているの? えらいね」
さくらさんが声をかけてきた。店の人が客にこんなふうに話しかけるものなのだろうか。
「あ、いえ……そうですね。いつも手伝わされています」
言葉が少し辿々しくなり、きつい言い方になってしまった。お腹が満たされて、気持ちが緩んでいたのかもしれない。つい、本音が出てしまった。
「若いうちから家の手伝いなんて、普通はできるものじゃないよ」
いやいや、あなたも私とそう歳は変わらないでしょう。あなたこそすごい。こんな繁盛している店を切り盛りしているのだから。
「あ……でも、本当はいろいろやってみたいこともあるんですけどね。家が自営業だと、なかなかそうもいかなくて」
私は、なぜか同じ年頃の女性に、そんなことを口走っていた。さくらさんは少しきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに目を細めて、私の話に耳を傾けてくれた。
「本当は研究をしてみたいんです。友達と遊んだり、カフェでランチをしたり、そういう青春もいいなって思うけど、本当は勉強がしたいんです。今、センチュリオンは魔力を科学として応用する技術を発展させようとしています。私の通っている学校でも、クラブ活動で魔法とか物理を扱う専攻科目があります。そういった研究に携わってみたくて……でも、今の家庭環境では無理かなって」
私は、何を話しているのだろう。言葉が止まらず、同時に両目からも涙が溢れ出した。
「そう……やりたいことができないって、少し寂しいね」
さくらさんは、涙ぐむ私の背中にそっと手を当てて、そう言ってくれた。そして、言葉を続ける。
「私はずっと、やりたくないことをやらされてきた人生だったの。私も、いつかやりたいことをやってみたいって、ずっと思っていた。でも、時代がそれを許してくれなかった。それでも今は、こうしてやりたいことができている。それはね、私が“やりたい”って気持ちを、強く願い続けたからだと思うの。やらなきゃいけないって思うことを、最後まで貫き通したからだと思う。どんなに反対されても、別の道を押し付けられても、過去の私はそれをすべきだったと今では後悔してる。だから私は、今こうしてこのお仕事ができている。ミーシャちゃんも必ずできる。絶対にできるよ。やりたいと思うことを強く願って。それをご両親にぶつけてみて。きっといつか、ご両親はわかってくれる。私はいつまでもそれを見守っている。頑張って。きっと大丈夫だから」
私はもう、後半のさくらさんの言葉を、きちんと理解できていなかった。私はきっと、糸のゆるんだ操り人形のように、頭をがくりと垂れていたのだろう。エプロンの裾を握りしめ、その手の甲に、ぽたぽたと雫が落ちた。
ありがとう。
私は、頑張れる気がする。
あの時のさくらさんの言葉がなければ、今の私はこんな職についていなかった。それは確かなことだ。だが、それが果たして幸せだったのだろうか。私が手を染めているこの技術が、人類にとって、本当に必要なものだったのだろうか。
私にはわからない。きっとさくらさんも、こんな結末を望んでいなかったと思う。
それでも私は悔いてはいない。人の人生など、どこかで間違えようと、正解を引こうと、結局はこのあるべき結末へと収束していくのだろう。
研究職として、工学者として、そして魔法科学者として、それだけは、はっきりとわかる。
私は私だ。誰にも変わることはできないし、私が誰かになるなんてできやしない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
面白そうだなと思ったら、ぜひブックマークと下の評価欄の☆☆☆☆☆をクリックしていただき、評価をよろしくお願いいたします。




