44 日常ワンダー
運動会の疲れもまだ癒えない月曜日。いつもと変わらず、さくらときなこは朝早くからマーケットへと買い出しに出かけていた。
「おっ、とんかつ屋のねえちゃんにネコチャン!おはようさん!」
もはや「とんかつ」は王都では立派な固有名詞となり、多くの人に知られる存在となっていた。青果店の店主が、さくらたちに相変わらずの元気な笑顔で挨拶を向ける。
「おはようございます。今日はなにか珍しいものでもあるんですか?」
「へへ、よくわかるな。今日からこれを取り扱うことになったんだ。見てくれ」
店主はさくらときなこに、大きな袋に入ったものを升で取り出し、二人に見せた。
「わぁ、大豆ですか?」
「そそ。ベイ・ピースで量産に成功したらしいんだ。今はちいっと高えけど、これから安定して仕入れられるし、徐々に安くなっていくと思うぜ」
「わかりました。試しに十キログラムください」
「よっしゃ!まいどあり!」
さくらは新たに大豆を仕入れることに決め、これでまた新しい挑戦ができると考えた。
「さくら、大豆ってなんだにゃ?」
「とても栄養が豊富な食べ物だよ。いろんな料理に支えて、いろんな加工品も作れちゃうの。ただ煮るだけでも美味しいんだよぉ?」
「へぇ、たのしみだにゃ」
大豆の加工は非常に幅が広く、それでいて栄養価も高い。何より美味しい。さくらは買った品々をキャリーカートに詰め、きなこと足早に店へと戻った。
自宅へ戻った二人は、店の地下にある『倉庫』にて論議を交わしていた。ここは普段、食料や飲料を保管するのに最適な場所で、温度と湿度が常に一定に保たれている。日当たりもないため、これから来る暑い季節にも涼しく保てる貯蔵庫として絶好の環境だった。
付け合わせの漬物などもここで作って寝かせており、さくらときなこは、少し手を加えることで漬物などの発酵を促進させることもできていた。
まず一階の調理場で、さくらときなこ、そしてフリーゼにも手伝ってもらい豆を炊く。それを今度は三人で一生懸命すりつぶし、さらに叩いていく。米の麹とともに亀壺に詰め、それをフリーゼに地下室へと運んでもらった。
「ふう……ここでよろしいか」
「はい、ありがとうございます。でも、こんなに多くなるとは思わなかったな」
「そろそろ教えてくれにゃ、さくら。これはなんなのにゃ」
「『疲れがとれる』魔法の調味料だよ」
さくらは、本来なら出来上がるまでに一年近くかかるものだが、早ければ三ヶ月ほどで取り出せるものもあるし、発酵を進めれば色が変わり、それはそれで味わい深くなるのだと説明した。
「それが、なぜ三日後に出来上がってしまうのだ」
当然、フリーゼは疑問に思う。眉を八の字にし、頭の上にはてなマークを浮かべていた。
「まあ、きなこの何かの力なんでしょうね」
さくらも言い淀むが、フリーゼは「まあ、きなこ様なら」と納得していた。楽しみだね、と三人は話し合い、店のフロアに戻っていく。
「ところでフリーゼ様、今日の夜は空いていますか?」
「うむ、私は常に何かしら用はあるのだが、空けようと思えばいつでも空きはできるのだ。それに私はぼたんちゃんであり」
「よかったにゃ。今夜は宴会が入ってるにゃ。よろしく頼むにゃ」
「承知した!」
フリーゼは満面の笑みで応える。頼りにされるのが、たまらなく喜ばしいようだった。そうして三人は、ランチ前の準備へと取りかかるのだった。
「父上、帰っていただけないでしょうか?」
「なぜだ。我はお前の働きぶりが見た……市井の民たちがどういった生活をしているのか見て回り、直接問いかけることによって身近でありながら、そして我の威風を轟かせ」
なにやら国王パルデスブレイディオは、うんぬんかんぬんと理屈を並べているが、一言でまとめれば『飲みながらフリーゼの働いている姿を見たい』という、実にわかりやすい理由であった。
この日の夜は「とんかつ さくら」の二階にある座敷にて、先日の運動会の学校教師たちが打ち上げと称し、弁当の代金とともに、たっぷりとお金を落としていく予定が入っていた。
そのためフリーゼは、昼間にさくらときなこに頼まれ、宴会をサポートするべく夜の部のアルバイトに入っていたのだ。だが、その話をどこからか聞きつけ、パルデスが密かに来店していたのである。
「父上、ほかのお客様が恐縮してしまっております」
「気にすることはなかろう」
「気にするに決まっていると申し上げているのです」
二階には校長先生をはじめ、多くの教師たちが美味しい揚げ物を肴に楽しく酒を酌み交わしていたのだが、途中からパルデスが現れたことで、大きな声で話すこともできず萎縮してしまっていた。
店の外には警備にあたるエリック以下、大勢の警察が配備され、周囲は事件でもあったのかと噂されるほどの物々しい雰囲気に包まれている。
そこでフリーゼは、逆にお酒を飲ませてしまおうと考えた。
その目論見は見事に的中し、その後のパルデスがどうなったのかはお察しの通りである。フリーゼは外で待機していたエリックを呼び出し、颯爽とその巨体を連れ出させた。そうしてようやく、宴会場は活気を取り戻したのだった。
またある日の夜には、アオーウィックとカナタディバウスの家族、ハイドライト家とザナディア家が集まり、二階の座敷を貸し切って宴会を開いていた。両家は仲がとても良く、酒や食べ物も次々と注文し、賑やかに、楽しげに話に花を咲かせている。
「へぇ、『ベイ・ピース帝立高等学校』っていう学校なの」
「さぞかし、二人とも頭の出来が良いのであろう」
「いえいえ!そんなそんな!」
この日も宴会が入っているため、夜の部にはフリーゼが手伝いに来ていた。二階を任されているフリーゼと、たまに客と話をするのが好きなさくらは、アオとカナタから学校の話を聞いていた。
「そんなに学力が高いんですか?その高校は」
「うむ。ベイ・ピースの中では特に魔法の学力が最も高く、センチュリオンを見渡せば『御三家』と呼ばれる内の一つなのだ」
『高等御三家』。それは王立大学校に進むための進学高等部であり、その総称である。
一つはリゼロッテやフリーゼが通う『エクレール女学院』。
次に、アオとカナタの通う『ベイ・ピース帝立高等学校』。
そして『グラン・パレス防衛大付属高校』である。
「いえいえ!僕たちは、たまたま入学できた外部進学者ですから!」
アオとカナタは、しきりに謙遜する。
「何を言っている。外部から進学したのなら、なおのことすごいではないか」
「そうだよ。過度な謙遜は時に傲慢になるって言うよ。ちゃんと自信を持って」
フリーゼとさくらに諭され、アオとカナタは一瞬顔を見合わせ、「ありがとうございます」と頭を下げるのだった。
「でも、この間は死んだ魚の目をして歩いてたって、きなこが言ってたよ」
「あはは。いつも『魔法科学クラブ』の帰りなので、体力を使い果たしちゃうんですよね」
「それに、そなたたちの家からでは学校は遠かろう」
「そうなんですよ。僕たちの目下の悩みです。毎日、馬車に乗るわけにもいかないし」
学生の悩みは尽きないものだが、だからこそ毎日は変化に富み、ありふれた日常の中にも小さな非日常が紛れ込む。子供と大人の境界線を生きる彼らにとって、その一瞬一瞬のすべてが、かけがえのない青春の日々であった。
「こう……なんていうか……自分で漕いで動かす乗り物はないの?」
さくらは自転車を漕ぐようなジェスチャーをして、アオとカナタに問いかける。
「何でしょう……よくわかりませんが、今の歩行速度より速く移動できるなら嬉しいですね」
「うん。昔の魔法に『はやがけ』っていうのがあったらしいけど……今、使える人はいるのかな?」
アオとカナタは、さくらの思い描くものを自分たちなりに解釈しようとするが、まだはっきりとは掴めないままでいた。
「さくらちゃーん、一階が大変なのですぅ。早く降りてきてくださいなのですぅ」
階下からリゼロッテの悲痛な叫びが聞こえてきた。どうやらまた来客が増えたようだった。
「あ、ごめんなさーい。それじゃそろそろ下に降りるね。フリ……ぼたんちゃん、あとはよろしくお願いします」
「うむ!任せておけ!」
「あ……行っちゃうんだ……」
こうして『とんかつ さくら』の夜は、また穏やかに更けていくのだった。
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