31 できあがり
とある日の朝早く、さくらの店に設置された魔導ベルから、受信の知らせが届いた。さくらがさっそく解読したところ、発信主は警視庁警部補のエリック・ヤングであった。このタイミングでかかってくる用件について、さくらにはある程度の察しがついた。王宮御用達の大工、ジェイムズ・アームストロング、通称ジェイアーミーに依頼していた、あの楽しみにしていた品の件だろう、と。
さくらはきなこと連れ立って、まずは警視庁を訪れた。
「やあ、さくらさん。朝早くから申し訳ございません」
警視庁の窓口デスクの横にある、スプリング蝶番の扉をひらりと飛び越え、エリックはさくらときなこの前に現れた。ここ最近、エリックの表情はどこか柔らかい。初対面の頃に漂わせていた『ナイフのように尖った』雰囲気は、もはや明らかに影を潜めている。
かすかに口角を上げ、目尻にうっすらと皺を寄せて目を細めるその顔つきは、警視庁内で彼をよく知る者からすれば、かえって薄気味悪く映るほどだった。
「いえいえ、エリックさん。ご連絡ありがとうございます」
さくら自身も、エリックと会うたびに緊張感が薄れていくのを感じていた。警戒心はすっかり消え、今では何より頼りになる存在である。この世界で数少ない相談相手のひとりであり、顔を合わせる機会を重ねるごとに、信頼感は着実に深まっていた。
「ジェイさんから連絡がありました。おそらく、依頼の品の件でしょう」
エリックはくいっと親指を立て、ある方角へと指し示す。
「わぁ、やっぱり。嬉しい、ずっと楽しみにしていました」
思わずさくらの踵が浮いた。胸の前で手を合わせ、喜びを隠しきれない様子だ。
「ふふ、きっかり一週間ですね。さすがジェイアーミー、といったところでしょう。さっそく行ってみましょう」
「ええ、ぜひ」
こうしてエリックは、さくらときなこを連れ、ジェイムズの事務所へと向かった。
「よう、エリック。それに嬢ちゃん、ネコチャン。おはよう!」
屈託のない笑顔で迎えてくれたジェイムズに、さくらたちも思わず頬を緩める。
「ジェイムズさん、おはようございます。ご連絡ありがとうございます」
「そんな堅っ苦しい挨拶はいらねえって。ほら、こっち来いよ」
ガハハと豪快に笑うジェイムズに引き連れられ、事務所の奥にある工場へ案内された。そこには、さくらが依頼した品が『数十枚』、縦に立てかけられていた。
「わわ、すごい……!こんなに出来たんですか?」
「ああ、ちっと作りすぎちまった。試作を重ねた結果だけどな。使えそうなのは三十枚くらいあるぜ」
「それにしても見事です。私が思い描いていたもの、そのままですよ」
「へへ、そりゃどうも。俺っちも、こんなもん作るのは初めてでよ。楽しかったぜ」
さくらが惜しみなく称えると、ジェイムズも彼女の喜びようを見て、ほっとしたような表情を浮かべた。
「じゃあ、さっそく運んで改築しちまおうか」
「えっ、今日できるんですか?」
「ああ。何人かで行けば、ちゃちゃっと終わるよ。半日くらいかな。今日でも構わねえかい?」
「ええ、ぜひ。お昼の営業はお休みになってしまいますけど……わぁ、嬉しいなぁ」
さくらはひとしきりジェイムズに礼を述べ、きなこと一緒に喜びを分かち合った。
「なに? お昼の営業はなしだと?」
とんかつさくらに戻った二人を待ち構えていたのは、いつも通り朝早くから来ていたフリーゼだった。今朝からの顛末を説明すると、フリーゼは一気に難色を示す表情を浮かべる。
「ここで働くことが、私の楽しみなのだ」
「あ、本当にごめんなさい。急に決まってしまって……」
「フリーゼ、すまないにゃ。今日は帰っ」
「では、ディナーの営業で働かせてもらおう!」
「えっ、夜はリロちゃんがいるから大丈夫で……」
「いやいや、リロ殿も働きすぎであろう。私が代わりに入ろうではないか」
「おい、フリーゼ。いい加減にするにゃ。お前は」
「では夜に参る!さらばだ!」
そう言い残して、フリーゼは駆け出し、あっという間に姿を消してしまった。旋風のような余韻を受けて取り残された二人は、なんとも言えない表情を浮かべる。
もっと早く連絡しなかった自分たちにも非があると考え、今夜は四人体制で営業しよう、と心に決めるのだった。
改装工事の間は、エリックが管理を引き受けてくれるという。さくらときなこはマーケットへ向かい、今夜の営業に使う食材と、営業終了後に行うある催しに向けた品々を物色していた。通常営業は行う予定だが、せっかくの機会なので、ちょっとしたイベントをしようと、二人で相談していたのだ。
朝九時頃から夕方四時頃まで工事を行い、その後は営業中でも簡単な作業なら問題ないとさくらは伝えた。ジェイムズたちは細部にまでこだわり抜き、さくらたちの営業が終わる頃、工事は完全に仕上がった。
「わぁ……」
「にゃんと……」
「こ、これは……」
「す、素晴らしいのです……」
完成した二階を前に、さくら、きなこ、フリーゼ、リゼロッテの四人は、言葉を失っていた。
「どうだい、嬢ちゃん」
ぶっきらぼうに問いかけられ、ぽかんと口を開けていた四人は、はっとして我に返る。
「は、はい!とても素晴らしいです!感動しました。なんて素敵なんだろう……」
「そりゃよかった。ネコチャン……は、もう気に入ったみてえだな」
きなこはすでに『その上』でころころと転がり、うっかり爪を立てそうになったところを、さくらに慌てて止められていた。
「フリーゼ様、いかがでやすか?」
「うむ。相変わらず、見事な腕だな、ジェイ」
「えへへ、そりゃどうも」
姫君に褒められ、ジェイムズはまんざらでもなさそうに、頭の後ろへ手を回してだらしなく笑った。
「素敵なのです。香りもいいですし、なんだか異国情緒がありますのです」
「な。どこか不思議な感じ、するよな」
センチュリオンではまず目にしない光景と、その独特の芳香に、リゼロッテは目を輝かせている。
「ところで、これはどう使うのが正解なのだ?」
フリーゼは、さっそく中へ入ろうとしていた。
「それでは皆さん、ここの使い方を説明しますね」
さくらはジェイムズと共に、素材や構造について詳しく説明した。靴を脱いで上がること、そしてこの場所が持つさまざまな効果についても、丁寧に伝えていく。
「では、難しい話はこの辺にして……皆さん、上がってみましょう」
わっと皆が上がり込み、肌触りを確かめたり、寝転がったり、匂いを嗅いでみたりと、それぞれが思い思いの感触を味わっていた。
「嬢ちゃん。作った俺っちが言うのもなんだけどよ、よくこんなもん思いつくな」
「ええ。こんな場所があったら、宴会とか特別なお客様をお招きするのにいいかな、って思ったんです」
「なるほどな。確かにこれなら大勢上げられるし、足を伸ばしてくつろげる。長居させるにはうってつけだ」
「そうなんです。たくさんお酒を飲んで、たくさんお料理を召し上がってもらえますよね」
「考えたなぁ。このアイデア、他にも回していいかい?」
「どうぞどうぞ。たくさん広めましょう」
良いものは独占せず、広めていく。その質で競い合うことこそが、商売における健全な在り方だと、さくらは考える。
こうして、さくらが考案した『あがり』の施設、『畳』を使った『お座敷』による宴会場は、ついに完成を迎えたのだった。




