30 男子高校生たちの放課後
「腹減ったなぁ」
「ああ、どこかでなにか食べて帰ろうぜ」
王都からほど近く歩いた地域『ベイ・ピース』にある男子高等学校から、『魔法科学クラブ』活動帰りの男子学生二人が、ミンチェスティの自宅へと向かって歩いていた。
「なんか、ガッツリ食いてえな」
「アオ、お前そんなにお金持ってるの?」
「いや、まったく」
「じゃあまた、パン屋でドーナツ一個だね」
男子高校生など、金回りがいいはずもないし、クラブに忙しい学生が、アルバイトをする暇などあるはずもなかった。アオーウィックとカナタディバウスの二人は夕方五時の薄暮を眺めながら、どこか物寂しい家路を歩いていた。
「あそこのパン屋のドーナツ、小さいんだよな」
「仕方ないだろ。僕らのお小遣いで買えるのは、あのドーナツくらいなもんだ」
「カナタ、お前奢ってくれよ」
「僕がお金を持ってるわけがない!」
二人はいつも通り、例のパン屋に寄り道して買い食いでもするつもりだった。しかし気づけば、普段の帰り道から少し外れてしまっていた。
「あれ?このままだと大聖堂の方に行っちまうな」
「お腹空きすぎて、頭まわんないや」
そんなことを言いながらも、余計な労力を使いたくなかったのか、元の道へ引き返すことはせず、そのまま大聖堂の中心を突っ切ることにした。半ば諦めの境地にいた二人が、そのとき気づいたのは、なんとも言えない食欲をそそる匂いだった。
「おい……なんだこの匂い。カナタ、お前、この匂いの店知ってる?」
「いや……アオが知らないんじゃ、僕が知るわけないでしょ。なんだろう、この美味しそうな匂い」
そうして二人は、その匂いの元へと、半ば引き寄せられるように歩いていった。ジュワッと衣が揚がる音、肉汁がほとばしる香り、スパイスとハーブの効いたソースの匂い。二人は思わず目を閉じ、鼻を鳴らしながら、その匂いを胸いっぱいに吸い込んでいた。
「どうしたんにゃ、そこの二人」
厨房の窓から、きなこが男子学生二人に声をかけた。
「あれ……おかしいな……俺、夢でも見てるのかな?」
「アオ、僕もそう思ってたところだ。ネコがしゃべってるもんな」
「我はネコではない。神聖なる魔獣であるぞ」
二人はそんなやり取りよりも、この匂いの正体である店内が気になって仕方なかった。きなこが開けた窓から、思わず中を覗き込む。
「……はぁ、美味そうな匂いだなぁ……」
「まったくだ……お腹すいたなぁ……」
二人は、まさに夢見心地だった。この時間からディナータイムが始まるとんかつさくらには、すでに多くの客が入り、仕出し弁当も次々と売れていた。
「若者たちよ、食べていくかにゃ?」
きなこはそう提案したが、二人は首を縦には振れなかった。
「俺たち、今、金持ってないんですよ」
「食べたいのは山々なんですが、またお小遣い貯めてから来ます」
二人は、名残惜しそうに諦める。見るからに出来たばかりの店で、ここはミンチェスティ一番街の一等地だ。世間をよく知らない学生でも、値段の程度は容易に想像がついた。
「ちょっと待ってるにゃ」
きなこは二人を引き留めると、店内へ戻った。中から相談する声が聞こえ、ほどなくして店の扉がガラリと開く。
「君たち、お腹すいているんでしょう? どうぞ入って」
さくらが直々に外へ顔を出した。額に汗を浮かべながら、にっこりと微笑み、早く早くと手招きして二人を促す。
「お、おい……入れってよ。どうする?」
「どうぞって言うんだから、入ろうぜ」
もはやなりふり構っていられない。二人はさくらの笑顔に背中を押されるように、店内へと足を踏み入れた。
「うわぁ……」
「なんか……すげぇ」
初めて入るとんかつさくらの活気に、二人は圧倒された。山盛りの皿を豪快に食べる力仕事の男たち、仲良く笑顔で箸を動かす親子連れ、酒を片手に語らう勤め帰りの者たち。そして、それらの間を縦横無尽に歩き回り、手際よく配膳するリゼロッテ。そのすべてが、アオとカナタには新鮮だった。
「さっ、こちらのカウンターにでも座って」
さくらは二人のために席を用意する。
「あの……俺たち、持ち合わせがなくて」
「いいよ。また今度、ご家族と一緒に食べに来てくれればそれでいいの。今、作るからね」
「でも……」
「子供は遠慮なんかしなくていいから」
——いや、そう言うあなたも、俺たちと同じくらいですよね。
そんな言葉を胸の内に飲み込み、二人は黙ってカウンターに腰を下ろした。
さくらは、きなこが揚げた極厚ロースカツとポテトフライを皿に盛り、山盛りのキャベツを添え、ご飯も大盛りによそってくれる。
「どうぞ!ソースはそこのトックリに入ってるからね」
「あ、ありがとうございます……そ、そおす?」
「な、なんだかわかんないけど、すごく美味しそう……」
二人は「いただきます」と声を揃え、ソースをかけ、サクッと一口、とんかつを口へ運んだ。
次の瞬間、二人の目は血走るように見開かれ、三秒ほど固まったまま動かなくなる。
「う、うめえ……」
「う、うまい……」
言葉のバリエーションを失った二人は、もはや声を発することは無意味だと思い、無心で箸を動かし始めた。
「ご飯のおかわり、してあげるよ」
「ご、ごはん?」
さくらは二人の茶碗をさっと取り上げ、再び漫画のような山盛りにして戻す。
「あ、これ、ご飯って言うんだ」
「これ美味しいな。この形の食べ物、うちじゃベシャベシャなのに、なんでこんなにふっくらしてるんだろう」
そう言葉を交わしながら、二人は夢中でとんかつ定食を平らげ、あっという間に食べ終えてしまった。
「美味かった……」
「最高だった……」
腹いっぱいになった二人は、改めて店内と、さくらたちの姿を見渡す。相変わらず客足は途切れず、入れ替わりも激しい。このまま居座れば邪魔になるだろう。そう考え、二人はそそくさと席を立った。
「ごちそうさまでした」
「すごい美味しかったです」
「ありがとう。ご家族にちゃんと宣伝してね。約束だからね」
さくらは人差し指をピッと立て、片目を瞑る。
「ありがとうございます。必ずまた来ます」
「父と母に伝えます。本当にありがとうございました」
アオとカナタは何度も頭を下げ、そして二人はとんかつさくらを後にした。
「はあ……なんて美味い食べ物なんだ、あれは」
「僕、あんなの初めて食べたよ」
「俺もだ」
二人はぼんやりと空を見上げる。
「さくらさん……だっけ?綺麗な人だったな」
「僕は食べ物運んでたあのメガネの人がいいな」
「また行こうな」
「ああ。ちゃんと親に言おう」
アオとカナタは、残りの帰り道、とんかつとさくらたちへの感謝の気持ちを、惜しみなく言葉にしながら歩いていくのだった。




