32「そうだな、いい光景だ」
「随分と大きな湖だな」
目の前に広がる水面を眺め、俺はしみじみと呟いた。天気もいいし採取が終わったら少し休んでいくのもありかもしれない。
幸い近くに魔物の気配もないし、ピクニック気分が味わえそうだ。
「ラーナ湖はこの辺りじゃ一番大きいからな。棲息する魔物も比較的大人しいものばかりで、薬草も豊富に生えているから採取するにはもってこいの場所だ」
いつも通りの覇気のない声でオールが軽く説明してくれる。ただそこに疲れが滲み出ているのは気のせいではないだろう。ーーふむ、さすがに遠方の依頼帰りから休みなしで採取に引っ張ってきたのはまずかったか。
目の下には隈もあり死んだ魚の目がさらに死んでいる。
「オールさん、大丈夫ですか?」
「ん? ああ、このぐらいどうということはない。それこそ昔は一晩ぶっ通しで魔物と殺りあったこともあるしな」
「ひ、一晩ですか?」
「そうだ。運悪くネクロマンサーがアンデット化してな、さらに場所が墓地だったんでもう次から次へとゾンビが溢れてさながら祭のようで……」
その時のことを思い出しているのか、オールの目がまたさらに死んだ。その様子にティルは何を言ったらいいのかわからず涙目になっている。
「ティル、こっちに来い。オールのことは少し放っておけ。あれは疲れているだけだからな」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、少し休めば元に戻るだろう。それよりアクネル草の採取をさっさと終わらせてしまおう」
俺たちはオールを放置し、各自アクネル草の採取にとりかかった。だが、事前にどこに生えているのか聞いていたこともあって、そう時間もかからず依頼分の本数を採取することができた。
「意外と早く終わったな」
アクネル草をアイテムボックスに入れ、俺はこのあとのことを考える。とりあえずは宿で作ってもらった弁当を出しピクニック気分を味わうとしよう。
「ティル、昼食にしよう。オールも戻ってきたならこっちきて座れ。ルビー、勝手に弁当を漁ろうとするな」
ルビーをティルに預け、俺はその場に弁当を広げた。中身は具沢山のサンドイッチだ。
皆、自分の好みの具が入ったサンドイッチを手に取り、美味しそうに食べている。俺もマトの実とレタスっぽい野菜が挟まったものを取り頬張った。
とても穏やかな時間だ。こうして暖かい日差しを浴びていると高校の屋上でトマトジュースを1ダース開けた時のことを思い出す。あの時は明もいて呆れた目で見られたな。
こちらに来てから明たちの情報は何も掴めていない。勇者として召喚されたなら噂くらい流れてもいいはずなのだが、それすらない。国が違うからなのか、それとも召喚自体を隠蔽しているのか。
あんな呪いを仕込むくらいだ。隠蔽している可能性が高いか。まぁ、何にせよ必ず見つけ出す。そしてまたこの場所で今度は明たちも交えて弁当を食べるのだ。
「ふう、お腹いっぱいです。クロムさん、湖のほう見てきていいですか」
「ああ、いいぞ。気をつけろよ」
「はい! ルビー行こう」
ティルとルビーが湖のほうへ駆けていく。俺はそれを見送り、残っていたサンドイッチをすべて胃におさめた。
「楽しそうだな」
空になった弁当箱を片付けているとオールがぼそりとそんなことを呟いた。視線はティルたちのほうを向いており、俺も手を止め同じほうを見る。
ティルは遠くの水面を指差しルビーに何やら話していた。魚でもいたのだろうか。身振り手振りでルビーに説明している姿はなんだか可愛らしい。
「そうだな、いい光景だ」
そういえばラウルスにきてからこんなにのんびりしたことはなかったな。明たちの情報を集めることもだが、ティルに戦闘経験を積ませるために依頼依頼の毎日だったからな。冒険者としての知識と経験があれば一人でもなんとか生きていける。ティル自身のためにはどうしても必要だった。
だが、こんな光景が見られるのなら、のんびりするのも悪くない。
オールもそう思っているのか若干表情が和らいでいる。
「どれ、俺も行ってくるかな」
どうやら湖には魚がいるようだし、土産として宿に持って帰るのもありだな。
今夜は魚料理だとわくわくしながら立ち上がった瞬間、魔力の揺らぎを感じた。それは本当にごくわずかなもので、俺はさして気にしなかった。魔素が豊富ならたまにあることと軽く考えていたのだがーー。
バシャンッ!
前方で大きな水音がした。ルビーでもはしゃぎ過ぎて落ちたかと視線を向ければ、そこにはルビーどころかティルの姿もなかった。
「…………ティル?」
「クロムッ、引っ張られた!」
切羽詰まった様子でオールが俺を追い越し湖へと駆け寄る。遅れて追いついた俺は水面を睨みつけ、ティルとルビーの気配を探るがなぜか見つからない。
きれいさっぱり消えているティルたちの気配。まるで最初からそこにはいなかったかのような。
オールが湖に飛び込もうとするのを手で制し、俺はさらに感覚を拡げた。それでも引っ掛かるのは大小の魚の気配のみで、ティルたちのものはない。
「オール、おかしい。ティルたちの気配がない」
「どういうことだ?」
「わからん。ただこのまま湖に飛び込んでもティルたちはいない」
どうすることもできず俺たちはその場に立ち尽くすしかなかった。唯一、手掛かりがあるとすれば、ティルたちが湖に落ちる直前に感じた魔力の揺らぎ。
それがどういう意味なのかわからないが、手掛かりなのは確かだ。
「ーー!?」
また魔力の揺らぎを感じた。何が起こるのか身構えていると、腕にぬるりとしたものが巻きついてきた。
それは蔓というより生き物の舌のようだった。布の上だというのに生温かい感触に唾液のようなぬるぬるとした液体。ぶっちゃけ気色悪い。
衝動的に叩き斬りそうになるがグッと我慢していると、舌(仮)が俺を湖に引きずり込もうと動いた。好都合とばかりに無抵抗で引きずり込まれてやる。
「オール! 抵抗するなよ!」
最後にそれだけ言い、俺は湖へと引きずり込まれた。




