春の花はいつ咲くか③
兄が藤月零士となり、妹が香月新菜となってから、一月が過ぎた。暑い夏だったあの時から、時は流れ秋になり木々の葉は鮮やかに色づいていた。
「ーーさて、これで終わりね」
瀬良が重ねてきた罪の清算をやっと片付けることが出来た。みんな、良心的な人たちばかりで涙が出るほどありがたかった。借金に関しては無利子で良いよとまで。もちろん、私だけで片付けたわけではない。お兄ちゃんや新菜にも多方面で手伝って貰った。
借金返済の代わりに頼まれた孤児院の修理増設を、お兄ちゃんにお願いしたら数人の同僚と部下を率いて、あっという間に孤児院を建て替えた。これには向こうの家も諸手を上げて喜んでくれた。同僚と部下はみんな気の良い人たちで、食事とお酒で手を打ったらしい。
新菜にも似たような感じで、借金返済の代わりにと頼まれていたドレスのデッサンや小物作りをお願いした。こちらが返済できないのに、それならと逆に頼まれてしまうものだから、お兄ちゃんも新菜も箔を付けまくっていた。新菜には、依頼という形でこれからも頼むらしい。
「これで瀬良はほんっとうに終わる!!」
「妹ちゃん、お疲れ様」
「あれ、神城さん?」
ぐっと胸の前で拳を握ったら、まるで見てたかのように神城さんが私の肩を叩いた。神城さんの横には無表情の大男が居る。揃って私服ってことは、揃って休みなのかな?町の真ん中で歓喜に震えていた私も私だけど、まさか遭遇するとは思ってもいなかった。
「こんにちは、やけに嬉しそうだね」
「こんにちは。クソ野郎が作った借金の返済が終わったんです」
「クソ野郎って…。でも良かったね。零士も喜んでるんじゃない?」
「はい。心置きなく職務を果たせると言ってました」
「それは重畳。そうだ、これから一緒にお昼でもどう?」
神城さんはニコニコ笑っているけど、横の大男は無表情。ただつまらなそうに神城さんや私を見ている。そういや、この人って総隊長って言ってなかったけな。
「誘ってくださりありがとうございます。でも、ごめんなさい。これからお爺様と会う約束なんです」
「お爺様って、神月の?」
「そうです。前から誘っていただいてたんですけど、ここ最近は忙しかったから」
「へー。大和、お前の爺様も元気そうだ」
「そうだな。こんな小娘を呼びつけるとは」
低い艶やかな声だな、と思った。私を見る目は冷めきっていて仄暗い。この人がお爺様の言う『仕事しか出来ない孫』なのか。話を聞いていたより、顔も体格もイイ。さぞかしモテるんだろうなあ。いやでも女の影がないと嘆いてたぐらいだ。モテても近付きがたいタイプか、女に興味がないかのどちらかだろう。
「それで、葵。この女は誰だ?零士の知り合いか?」
「零士の妹だよ」
「瀬良壱沙です。神月のお爺様にはお世話になってます」
「瀬良、壱沙」
「あー、こいつは神月大和。見ての通り無表情無愛想だから」
「ふふ。神城さんとイイコンビですね。では、すみませんがこの辺りで失礼します」
「え、ちょ、イイコンビってどういうこと?!」
賑やかな神城さんと無表情無愛想の神月さん。イイコンビじゃんね。ケラリと笑って、私は背中を向けて歩きだした。お爺様と待ち合わせしているのは、行きつけの喫茶店。夜にはバーにもなるこのお店は、コーヒーとケーキが美味しい。夜は、もちろんお酒が美味しい。お爺様は昼間の常連さん。私もお爺様に連れていって貰ったのがきっかけで、常連になった。昼と夜もね。
三月の名家であっても、貴族であっても、お爺様は変装も護衛もなしで此処へやって来る。藤月の当主もまた然り。不埒な輩もいるけど、三月の名家に手を出す愚か者はそう居ない。絶対に居ないと言い切れないから、変装ぐらいはしてほしいものだ。
「壱沙、こっちだ」
「お爺様、遅くなってすみません」
「今ついた所だ。珍しくワシが先についたが、何かあったのか?」
「道中でお孫さんと神城さんに会ったんです」
「孫?旅に出とる奴はまだ戻っとらんし、仕事しか出来ん奴は缶詰だろうし、あー筋肉しか興味ない奴か?」
神月の三兄弟は個性的だなあ。
「仕事しか出来ない方です」
「あぁ、大和か。大和と会ったのか」
「えぇ、まあ」
「なら丁度良いな。壱沙よ、婚約してくれないか?」
「…は?」
お爺様は何を言ってらっしゃるのかしら?意味が、分からない。婚約?誰が誰と婚約するの?お爺様の黒曜石は真面目で、からかっている様子は見えない。カランとお冷やの氷が揺れた。
「あの、お爺様?おっしゃってる意味が、あの、分からないんですが。誰が誰と婚約するんです?」
「あの無愛想が服を着て歩いているような奴と婚約をさせたくないんだが、お前が一番良いんだ」
「一番良い?というか、無愛想が服を着て歩いているって…」
「次男の大和だ。次の当主は大和なんだが、あれの父親が薦める女性に限って、よく分からん貴族のご令嬢ばかり。仕事しか出来ん奴に、意地汚いようなご令嬢を任せると神月が没落しかねん」
「意地汚いって…。ですが、お爺様」
「なんだ、壱沙。お前は自分で兄と妹を藤月と香月に売り込んでおいて、自分は瀬良だからと言うつもりか?お前が瀬良でも、ワシはお前だから言っているんだがなあ」
そりゃ、お爺様のお役に立てるなら何だってしたい。したいんだけど、当の本人が居ないのにこんな話を進めても良いものなんだろうか。押し黙った私を一瞥したお爺様は、いつものを注文してお冷やを飲んだ。
「いくらお爺様でも、そこまで権限がないのでは?大和さんに鬱陶しがられません?」
「何を言うか。この神月重吾の一声は国をも揺るがす力があるぞ」
「いや、そっちの権限ではなくて。家族内での権限ですよ。いくら祖父でも、勝手に婚約者を作るなど…」
「かまわん。ワシの言うことだからな。誰も無下には出来んのだ。婚約してくれる気になったか?」
「まあ。神月さんったら、折角自由になった壱沙ちゃんなのに、そんなこと言っちゃって」
お店の奥さんがコロコロ笑いながら、今日のケーキとコーヒーを出してくれた。コーヒーの際立つ香りが優しく鼻腔をくすぐる。
「お世話になったお爺様のお役に立ちたいですが、さすがに拒否されたら辛いことこの上無いので、ご遠慮させていただきたいです」
「拒否?誰が拒否させるものか」
「ただえさえ行き遅れているのに、拒否までされたら敵いませんからね…」
結婚に願望はないのだけれど、行き遅れだと後ろ指を指されているのが現状で、婚約を拒否されたとなれば後ろ指を指されているだけではすまないだろう。社交界やお茶会に出るわけでもないけど、流石に私が嫌だ。傷つく。
「そんなことはさせん。アイツもお前の良さを知ったら変わると思うがなあ」
「お爺様、どうか」
「うんうん、そこまで言うならなかったことにしよう。すまんな、老いぼれの寝言だった」
少し残念そうに目を伏せたお爺様がコーヒーを一口飲んだところで、この話は終わったーーかのように見えた。
「爺さん、昼間っから若い娘を捕まえて何をしてるんだ?」
コーヒー豆変えたのかなとか、ケーキが美味しいなとか。思っていたことが、私の背後から発せられた低い声のせいで全部吹っ飛んだ。
「おぉ、大和か」
「お爺さん、こんにちは。葵も一緒ですよー」
「葵もか。お前たち、いつも一緒だの」
噂をすればなんとやら。会うことはないだろうと思っていた人たちが、やって来た。やばくね?お爺様、この人にあの話しないよね?考えすぎ?
「ーーそうそう大和よ。お前、婚約ひいては結婚をする気はないか?」
「「は?」」
「お爺様、その話は終わったでしょう?」
「当の本人が来てしまったからなあ」
好好爺ごときの笑みを浮かべたお爺様。まるで謀っていたかのような。え?マジ?町で会ったのも、此処に来たのもお爺様が謀ったの?
「爺さん、何の話だ。俺は常々結婚する気はないって言ってるけど。大地に結婚させろって言ってるだろ」
「そうはいかんよ。お前の父親が妙なご令嬢をお前を勧める前に決めとかねば」
「妙なご令嬢かあ。おじさん、大和の嫁探ししてるって言ってたってうちの父も言ってたけ」
「そんな話聞いてねぇぞ、葵」
「だって、今思い出したんだし。お爺さんの言うとおり変なご令嬢と結婚するより、零士の妹で素性の知れた子が良くない?」
「だーかーら。結婚するのは俺じゃねえ。大地だ」
「だーかーらはこっちの台詞!大地じゃなくて、お前が結婚するんだってば!なんで、お爺さんがお前に結婚を勧めるかまだ分からないの?!」
なんか、神城さんと喧嘩を始めたけど痴話喧嘩っぽく見えるのはなんでだろ?諦めの境地に近い私は、コーヒーとケーキを味わうことにした。婚約しようがしまいがどうでも良い。神月に嫁ぐか他所に嫁ぐかだ。それか独身を貫くか。
「壱沙、一人は寂しかろう?」
「寂しいですか?」
「聞き返すな。ワシは嫁に先立たれた時は、寂しかったなあ。息子や孫が居ても、寂しかったぞ」
「ーーさあ、どうなんでしょう。寂しいと言われれば寂しいかもしれませんが、私には兄妹が居ますからねぇ」
「兄妹か」
「はい。友人もいますし。私はお爺様のお役に立てるなら何だってお受けしたいと思っています。でも、彼が納得もしないのに婚約は出来ません。夢を見ていると笑われてもかまいませんが、私は結婚するなら幸せになりたいのです」
「…壱沙、」
「かといって、彼にそれを押し付けないでくださいな。彼が婚約すると言うなら婚約を。しないと言うなら、別の形でお役に立ちたいです」
「なら、後妻にでもなるか?」
「それは止めときましょう。お爺様の為です」
「即答か」
幸せを描く友人たちへの羨望と妬み。それらを感じて、私は会うのを止めた。今しばらく忙しいからと。友人たちも頷いてくれたし、時折差し支えない程度の手紙が届く。友人たちが幸せなのは良いことだ。それを妬むのは間違っているのも分かっている。分かっているけど、妬ましい気持ちになってしまう。私は、馬鹿だから。
「零士の妹、壱沙って言ったな?」
「ーーはい」
「飾りでも婚約者になるか。俺は結婚なんざどうだって良いのが本音だが、爺さんや他の奴等を納得させるには婚約しか道はない。素知らぬご令嬢は嫌だが、零士の妹のお前ならまあ良いだろう」
その言葉に私だけならず、聞き耳を立てていた全員が動きを止めた。なんだ、これ。めっちゃ上から目線。私だけかと思ったけど、満場一致の思いだったらしい。そして、お爺様と神城さんが大和さんの頭を力一杯殴り付けた。
「こっの大馬鹿モンが!!」
「馬鹿!!馬鹿だと思ってたけど、本当に馬鹿だったんだね!!一体、何処の誰がそんな口上で婚約を申し込む奴が居るの?!失礼極まりないよ、大和!!」
「ってぇな、殴ることねぇだろ?!俺は嫌だっつってんの!お前等だって失礼極まりないだろうが」
「ーーすまん、壱沙。本当に申し訳ない。仕事しか出来ん大馬鹿モンに、壱沙はもったいない。婚約の話は老いぼれの寝言だったことにしてくれ」
「あ、お、お爺様、頭を上げてください。お爺様のお孫さんは皆さん個性的だということは存じ上げておりますから」
いよいよ怒鳴り始めた神城さんと大和さんの横で、お爺様は頭を下げた。お爺様に頭を下げさせる方が、申し訳ないし。私も、何言われたのか理解し難かったから、聞いていないことにする。
「それより、お爺様。私、これから役所に手続きに行かなければならないので、この辺りで失礼させていただきます」
「あ、あぁ。わかった。すまん、本当にすまなかった」
「いえいえ。お爺様、またお茶に誘ってくださいね」
時計を見たら役所の閉館まであと15分。走ったら間に合うかな。手続きがあるのは本当の事で、税金の免除を申請に行かなければならないのだ。さあ、頑張って走ろう。




