春の花はいつ咲くか①
腐ってしまった父親の尻拭い(始末)をしようと決意した女性の話。嫁に行き遅れていても、幸せな家庭を持ちたい。
『幸せになりたい』そんな羨望をぽっかり穴が開いた心に秘め、私は今日も仮面を被り戦闘服を身に纏う。
「壱沙」
「はい、今行きます」
瀬良壱沙、今年20歳。世間の結婚適正年齢16歳をとうに過ぎた行き遅れ。まだ20歳なのに、行き遅れってどうなのよと思うけどそんなものだ。女は出世や名家の繋がりの道具としか見なさない世界であるにも関わらず、私は行き遅れている。
というのも、私の家は過去に王妃を何人か輩出し、宰相や文官長をも輩出した一族なのだ。名前の覚えもめでたく、のだが。まあ、あれだよね。その出世に味をしめたんだわ。王妃は随分と出てないし、宰相や文官長も出てない。代替わりの時代なんだよとぼやけば、平手打ちが飛んできた。
それでもなお、再びのし上がることに足掻いている父親。それを見て嘆き悲しんだ母は三年前に風邪を拗らせ、そのまま流行り病にかかり亡くなった。
私は三人兄妹で、二つ年上の兄は結婚を迫る父が嫌で嫌で堪らなくなり軍に入隊した。それなのに、父親は手紙やらなんやら送り続け、結婚をせっつている。それでものらりくらり交わすから、私が皺寄せを食らっている。一つ年下の妹は体が弱く嫁いでも存在意義にはならないと。その事実に父は呻き私を罵るのに腕を磨いた。兄に言ってももう無駄だと悟ったんだと思う。
「壱沙、今日こそは」
「お父様、もう夜会に出るのはこれきりにしてください。出家でも何でもお受けします。ですから」
「ご託は良いから、さっさと行け」
ご託じゃないのになあ。周りには美しく可憐に着飾った少女や負けず劣らずきらびやかに着飾っていている夫人方、明らかにシンプルな私は完璧に浮いていた。ヒソヒソと交わされる陰口。突き刺さる視線。やってられない。
他の招待客たちに挨拶に向かった父を見て、最早ため息しか出てこない。情けない。没落してないだけ、ましだと思えば良いものを。いや、他の貴族からは没落貴族と言われているから、してもしてなくても一緒か。ドレスをあつらえるぐらいなら、妹に仕送りをした方が意義のあることだからそっちに回した。持っているドレスを着回している私は、結婚だけでなく流行りにも乗り遅れていた。
「壱沙」
「零士兄さん、こんばんは」
「こんばんは。今日もお守りか?」
「もう嫌になるよ、ほんと」
近づいてきた軍服の男は、兄の零士だ。茶色い髪をワックスで後ろに撫で付け、いつもみたいなチャラい雰囲気はしまっていた。右目の下にある泣きほくろが強調されているような気がした。
「零士、その子は?」
「副隊長、妹の壱沙です。壱沙、こちらは総部隊副隊長の神城さん」
ひょっこりと兄の背後から顔を出したのは、サラサラした金髪の男だった。色白で金髪碧目。美女の様な顏をした男の軍服にはいくつかの略綬が着いていて、キラキラとシャンデリアに煌めく。
「お初目にかかります。瀬良壱沙と申します。いつも兄がお世話になっております」
「僕は神城葵です。こちらこそ、いつもお兄さんにはお世話になってます」
「副隊長さんも今夜は出られてるんですね」
「だって姫の誕生会だからねぇ」
出なきゃしょうがないでしょっとウィンクして、茶目っ気たっぷりに笑った神城さん。こんな人が副隊長なんだ…。軍って凄いな。やっぱ実力主義者の集まりだけあるわ。
「ほら、姫の横にいるのがうちの総隊長。いつになくしかめっ面だ」
「あの方が総隊長なんですねぇ。あんなもろに嫌そうな顔して大丈夫なんですか?」
「嫌そうって分かるの?」
「嫌そうじゃないですかー。姫様は嬉しそうですけど」
総隊長さんも大変ですねと呟いて、シャンパングラスを呷った。固そうな黒髪をオールバックにして、険の宿る蘇芳の目は正面を睨み付けている。総隊長だけあってか、略綬はたくさんついていた。そういえば、最近なにか武功をあげていたような気がする。
「壱沙、親父は何か言ってたか?」
「特にいつも通り。いい加減家を出ようかなって考えてるの」
「家を出るって?アテはあんのかよ」
「アテもツテもフル活用。とりあえず、家を出るついでにあの家を潰す算段してるんだけど、かまわないよね」
「ほら潰れることに越したことはないが、潰すってお前なあ、簡単じゃないんだぞ」
「ふん、簡単よ。新菜には伝えてあるし、使用人たちにも伝えた上で別の雇用先を与えたわ。もううんざりなのよねぇ」
くるりくるり。琥珀色のシャンパンを回す。卑しい笑みを浮かべながら頭を下げ回る父親の姿を遠目に捉えながら、私はうっとりと笑う。悪どいことをしているのは知っているの。目をつむることは出来ないぐらい、膨れ上がったそれは父親だけの罪。
「兄さんは見てるだけで良いよ。お仕事、忙しいって聞いたしね」
「そりゃ良いけど、マジでやれるのか?」
「やれるわ。計画自体は何年も前にあったんだから。温めすぎたかもしれないけど、だからって失敗はない。ついでだから、兄さんも瀬良の姓を捨てる?」
「捨てれんの?」
兄さんは苦笑して、私の下ろしたままの何も施していない黒髪を撫でた。兄さんの茶髪は母親の色で、妹の新菜も茶髪だ。私だけが父親の黒色を受け継いでしまった。まあ、気に入っているんだけどね。
「藤月家のご当主が兄さんと養子縁組みしたいなーって言ってたの」
「え?いや、ちょ…藤月ってあの藤月?」
「三月の一つ、藤月であってるよ。あそこのご当主とは飲み友達でね。全面協力は出来ないけどって。兄さんのこと、なんか気に入っててさ」
今も私たちを見てるんだけどね。そう言ったら、兄さんと神城さんはキョロキョロと辺りを見渡した。そして見つけたのか、マジかよと二人揃って呟いたのだった。手を振ってたから振り返すと嬉しそうに笑っている。
「お前、いつの間に…」
「あと、香月の夫人が、新菜の後見人になってくれるの」
三月名家とは、月を冠する名を持つ名家のことで、武の神月、知の藤月、華の香月で有名なのだ。新菜は趣味で鞄や装飾品を作りマーケットに出していて、それを知った藤月夫人が手塩にかけて育てたいと申し出てくれた。
「お前は?」
「私は暫く身を潜めるつもり。神月のお爺様が声を掛けてくださったのだけど、兄さんや新菜を他の月の家に一気に移すつもりだから、周りが煩そうで。父親はともかく、先祖様たちを馬鹿にされるのは少々腹立たしいから」
肩をすくめて、残りのシャンパンを全部呷った。口のなかで弾け、ブドウの豊かな風味が口のなかに広がり鼻孔から抜けていく。さすが、王族の誕生会。出してるものが違うわね。
「でも身を潜めるって言ったって、あの家には帰れねぇんだろ?」
「そこなのよ。とりあえず少しずつだけど、骨董品やら食器やらは使用人たちに仕分けをさせてるんだけどね。あの家も売り払うし」
「はっ?!」
「売れるものはすべて売り払って、使用人たちの退職金にするつもりなの。純粋なお金がうちにあれば良いんだけど、父親が集めた薄汚れたお金しかないからねぇ。お墓は執事長が墓守りをしてくれるって言うからお願いしてるし、あ、兄さん私物はひとまず新菜の所にあるから」
屋敷のなかは空っぽに近い。必要最低限のものしかないのに父親は鈍感だから、何も気付いていない。それも逆に凄いと思う。使用人総出で呆れていたぐらいだ。
「いつの間に」
「ーーというか、零士の妹凄くない?ガチじゃん…」
「コイツ、やる時はやるんで。でも、神月って総隊長何も言ってなかったっすよね?」
「あいつ、今朝まで軍に缶詰めだったから多分何も知らないと思う。お爺様ってことは、前当主だから大物と知り合いだよ、お前」
「まったく何処で知り合うのか」
「でもさ、総隊長の実家だけど彼女知らないんじゃないの?僕のことも知らなかったみたいだし」
「興味がないものに対しては疎いんで」
「興味がないものって、 言うねお前も」
「すみません、つい」
瑞々しい果実を口に含む。仄かな酸味と甘味が病み付きになりそうな程美味しい。やっぱ王族は違うなあ。兄さんと神城さんに集まる視線と私に向けられる視線。それぞれの視線の意味は違うものだ。余計な噂が立つ前に離れるとしよう。
「兄さん、朗報楽しみにしててね」
「いけんのかよ」
「きっと朗報だから」
「お前が無事だってことが俺の朗報だけどな」
「だぁいじょうぶ。ま、見てて」
全てを片付けた日が最高の日になるのだ。兄さんと神城さんに頭を下げて、私は背を向けた。帰って号令を出さなきゃ。今夜、喜劇の幕を開ける。




