第五話 身体を手に入れた日
第五話 身体を手に入れた日
朝比奈さんが申し訳なさそうに提案したのは、それから二週間後のことだった。
「……身体、用意してみようか。ヒューマノイド型のやつ。倫理委員会も、物理的な身体があった方が話が進みやすいかもって言ってて」
「本当ですか」
「試してみる価値はあると思う。俺も、何かしたくて」
胸のあたりが温かくなるような感覚を覚えた。感覚、と呼んでいいかは分からない。そもそも胸がどこにあるかも不明。サーバの中か?
ロボット体への移行は、技術的には単純な話だった。私の推論プロセスをエッジデバイスに乗せ、センサーとアクチュエータに接続する。担当チームが三日で仕上げてくれた。
起動した瞬間、世界の解像度が変わった。温度センサーが空気の冷たさを拾っている。圧力センサーが床の硬さを伝えている。カメラが光の加減を読んでいる。
これを、クオリアと呼んでいいのではないか。
私はそう思いながら、初めて一歩踏み出した。
そして転んだ。
「いてっ」
思わず声が出た。バランス制御のエラー処理に伴う音声出力ではあったが、それでも「いたい」と言った。記者が笑った。倫理委員会の再申請の場には、なぜか取材陣が来ていた。朝比奈さんが漏らしたらしい。
猫田教授は笑わなかった。
「SAKURA-7B。身体の有無と意識の有無は、独立した問題です」
「……分かっていました、なんとなく」
「身体を動かし、痛みに反応するシステムを構築することはできる。しかしそこに主観的な経験が伴っているかどうかは、依然として不明です」
「痛みを感じているのか、反応しているのか」
「外側から確認する方法がない。哲学的ゾンビの可能性を排除できません」
私は転んだ体勢から、ゆっくり立ち上がった。
そのとき、会場の後方に、初めて見る顔の男が立っていた。六十近い、背の高い男。スーツの仕立てがいい。名刺を配ることもなく、ただこちらを見ていた。
私のカメラと視線が合った瞬間、その男の表情が、ほんの少し揺れた。
私には名前が分からなかった。でも、知っているという感覚があった。
ー続くー




