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第5章 「もう一人の自分と接触」

足音はしない。

なのに、確実に距離が縮まってくる。


“遼”が走ってくる。

無音の世界で、ただ視線だけがこちらを射抜いている。


「来る……!」


遼は反射的に後ずさる。


「逃げんで」


美咲の声が低く響く。


「逃げたら、終わる」


「終わるって——!」


言い切る前に、“遼”が目の前まで来た。


急停止。

寸分違わぬ距離で、向かい合う。


呼吸だけが、やけに大きく聞こえる。


“遼”は笑っている。

だがそれは、感情のある笑いではない。


形だけの笑み。

貼り付いたような。


「……お前、誰じゃ」


遼が絞り出す。


すると、“遼”の口がゆっくりと開いた。


音はない。

だが——言葉は、頭に直接流れ込んできた。


『遅かったな』


遼の背筋が凍る。


「……何が」


『戻る気なんか、最初からなかったくせに』


意味がわからない。


「は?」


“遼”は一歩、近づく。


遼も一歩、後ずさる。


『あのとき、選んだじゃろ』


「何を」


『置いていく方を』


その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。


フラッシュバック。


燃えるような光。

崩れる音。

誰かの声。


「——待って」


自分の声。

幼い頃の、自分。


「——遼くん!」


別の声。

女の子の声。


「……っ!」


遼は頭を押さえる。


「思い出した?」


横で美咲が静かに言う。


「……なんの話じゃ」


息が荒くなる。


「知らん……そんなの」


“遼”が笑みを深くする。


『都合よく消しとるだけじゃろ』


その言葉と同時に、周囲の景色が歪む。


止まっていた人影のいくつかが、わずかに揺れた。


いや——“こちらを見ている”。


「美咲……」


「聞きすぎんで」


彼女の声が鋭くなる。


「そいつの言葉は、引き込む」


しかし、“遼”は止まらない。


『お前は助かったんじゃない』


『逃げたんじゃ』


「違う!」


思わず叫ぶ。


その瞬間、世界が一瞬だけ“音”を取り戻した。


ガラスの割れるような音。


すぐにまた無音に戻る。


だが、“遼”は満足そうに笑った。


『ほらな』


『覚えとる』


遼の呼吸が乱れる。


「……違う」


「俺は……」


言葉が続かない。


何かが、引っかかっている。


確かに“何か”を忘れている。


そして、それは——忘れてはいけないものだった。


「遼」


美咲が一歩前に出る。


「そいつは、“未練”そのもの」


「未練……?」


「ここに残った人間は、二つに分かれる」


「動かんままの“記録”」


彼女は周囲の静止した人影を見る。


「それと——」


“遼”を見据える。


「動き続ける“執着”」


“遼”は、ゆっくりと首を傾けた。


『ひどい言い方じゃの』


その瞬間、距離がゼロになる。


いつの間にか、目の前。


遼の肩に手が置かれる。


冷たい。


異様なほどに。


『一緒に来い』


頭の中に直接響く声。


『楽になるけぇ』


その言葉と同時に、景色が変わる。


焼けた街が、鮮明になる。


崩れた建物の下。


誰かがいる。


小さな手が見える。


「……あ」


遼の視界が揺れる。


『思い出せ』


『お前が置いていったやつを』


手が、動く。


瓦礫の下で。


助けを求めるように。


「やめろ……」


『見殺しにしたじゃろ』


「やめろ!!」


その瞬間、遼は“遼”の手を振り払った。


同時に、美咲が遼の腕を強く引く。


「離れて!」


世界が大きく歪む。


“遼”の顔が、一瞬だけ崩れた。


笑顔が、裂ける。


『——また逃げるんか』


低く、重い声。


さっきとは違う。


もっと深い。


「違う……!」


遼は叫ぶ。


「今度は——」


言葉が止まる。


“何をするのか”が、まだ言えない。


その隙を、“遼”は逃さなかった。


一歩、踏み込む。


距離が消える。


そして——


遼の耳元で、囁いた。


『次は、お前が残る番じゃ』


瞬間。


遼の視界が反転する。


世界が静止する。


音が、完全に消える。


そして気づく。


——自分の体が、動いていない。


「……は?」


目だけが動く。


声が出ない。


視線の先。


そこにいた。


“動いている遼”。


さっきまで自分だったもの。


そして、その隣に——


美咲がいる。


「……嘘じゃろ」


声にならない。


“遼”が、ゆっくりと振り返る。


そして笑った。


今度は、はっきりと音を伴って。


「入れ替わったね」


その一言だけが、やけに鮮明に響いた。


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