28 セレナの結果、教えてよ!
――パーティの翌日の昼休み。柊の試験の結果を聞くべく、昼休みの中庭で俺と佐倉と柊の三人は集まっていた。チャットでもよかったが、『直接伝えたい』という柊の意向を汲み取ってのことである。
『二人とも、集まってくれてありがとう』
「全然だよセレナ―! 教室でも全然いいんだけどね、どこかの双葉が『周りの目が~』とかうるさいから困っちゃうよねぇ」
「お、俺のせいかよ……。でも、お前のためでもあるんだぞ?」
「えー、そうなの~? ふーん……。ま、そんなことよりセレナの結果、教えてよ!」
「そうだな。佐倉の皮肉なんかより、そっちの方が大事だ」
なぜだか、佐倉がジト目で見てくる気がするがスルーしておくことにする。
『結果としてはね、最後までは話せなかったんだ。よろしくお願いしますも、最後まで言えなくて……』
「「あー……」」
やっぱりあの後の話せなかったのか……。いや、でも……。
「で、でもでも、セレナいっぱい頑張ったもん! その結果ならしょうがないし……イタリアには、帰らないよね?」
目を潤ませて、柊にそう問いかける佐倉。その問いに柊は――コクリと頷いた。
『うん。なんでか分かんないけどね、ノンノが「ワシが性急な結果を求めすぎた。まだ、時間をかけて話せるようになればよい」って言ってくれて……』
「本当⁉ やった~! きっとおじいさん、セレナが頑張ってたことを分かってくれたんだよ!」
まるで自分事かのように全力で喜んで、柊に思いっきりハグをする佐倉。
「ああ、多分佐倉の言う通り、努力はしてたことが通じたんだろう。よかったな、柊」
「あ、ありがとう。二人とも……」
「あ! 今しゃべれたね! やったねセレナ~」
そして佐倉は、抱き着いた柊越しに俺に向かってこっそりウインクしてくる。その仕草を見て、俺は昨日の顛末について思いを馳せる――
――
「ちょっといいですか」
俺はパーティ会場の扉から廊下に出てきた柊のじいさんに、ありったけの勇気を振り絞ってそう声をかけた。
「…………君は……」
そして、こちらへ振り返ったじいさんは凍てつくような視線で俺の目をじろりと睨んでくる。その視線に思わず震えあがりそうになるが、なんとか自分を律してその目をまっすぐ見つめ返す。……なんとか耐えられたのは、日頃から女王様からブリザードのようなまなざしを浴び慣れてる成果だろうか。不本意だが、心の奥底でこっそり萩谷に感謝しておく。
そんなじいさんと対峙する俺を、佐倉は不安そうに見つめている。
「セレナさんと同じクラスの初霜双葉と申します。最近まで学校で、セレナさんが日本語を学ぶお手伝いをさせていただいてました」
「……ほぅ。見覚えがあると思ったら、セレナの友人だったか」
「はい。……少しのお時間でいいので、セレナさんがなぜ発話できないのか、僕の意見を聞いていただけませんでしょうか」
「……まぁいい。聞いてやろう」
……よし、ひとまず、ステージには立てたようだ。
「ありがとうございます。ではさっそく……まず結論としては、セレナさんはじっくりと物事に取り組むタイプで、なおかつ口数が多い方ではない。だから、まだ話せなくても当然なんだと思います」
「そんなこと、ワシが一番分かっとるわ小僧」
数々の死線をくぐり抜けてきたであろうその厳しい声に、思わずまた身を縮めてしまいそうになる。けれど、ここで身を引いてはいけない。
「けれど、約束は約束じゃ」
「……そうですか。すみません。話が脱線しますが、あなたはカミンズの共有基底言語能力モデル、別名氷山説をご存じですか」
「ああ、確か……一方の言語で理解したことは他方の言語への転移が可能という説だろう? それがどうしたというのか」
流石名家の当主で柊の祖父。これぐらいのことは分かってるか。
「そうです。氷山が、海面上の目に見える部分は2つの別々の氷山でも海面下で繋がって一つの大きな塊になっていることからそう呼ばれています。続けていいですか?」
「うむ」
「そして彼は言語能力を、生活言語能力と学習言語能力の2つに分ける概念を提示しています。生活言語能力は名の通り、生活場面で必要とされる能力で高度な思考を伴う言語活動ではなく、一般的に二年で習得が可能とされています。それに対して学習言語能力は、学習に必要な抽象的で高度な思考が求められるとされており、習得するには五年から七年以上の時間が必要とされています」
「ふむ。それで?」
「氷山説で転移する言語能力は学習言語能力とされています。実際、セレナさんは今日本の文豪の小説を読めるレベルまでの能力を持っています。そしてその能力は、話すのに必要な生活言語能力よりレベルの高いものと言えます」
「話を聞いていても、なぜセレナが話せないのか疑問に思うな……」
「まったくもってその通りです。とにかく、今お伝えしたいことは……」
「?」
話を切った俺に、柊のおじいさんが怪訝な顔を見せる。
「おたくのお孫さん、極度の人見知りで話すのが苦手なだけだと思うんで、ゆっくり待ってあげたらどうですかって話です。多分話せるようになったら高度な会話もできるでしょうし」
「えぇっ⁉ 難しく話を広げたわりに、あけっぴろげすぎない双葉⁉」
俺の告げた結論に、驚きを見せる佐倉。けど、これぐらい適当な結論でもいいのではないだろうか?
柊には、きっとお金持ちゆえのしばりとかプレッシャーが色々あるだろう。そのうえ話すのが元から苦手なあいつに、新しい言語での会話を強いるなんていささか酷すぎるのではないかと思う。少なくとも、俺だったら泣いてる。それにそんな重圧の中では、どんなに力があっても話せるようになるわけがないのではないか?
「………………」
そして、ついにはじいさんが黙り込んでしまった。やべ。さすがに失礼な物言いすぎたか?
「まさか日本に来て、子供からこんな話をされるとはな」
「……出過ぎた真似でしたらすみません。でも、どうしても、柊のそばにいる貴方に聞いてほしかったんです」
「……それは何故だ?」
「そりゃあ、そばにいる人に理解されないなんて悲しいことだと思うんで……。ましてやあいつは知らない環境下で、辛いこともあるだろうし」
あの日、川辺で見た柊の表情を思い出しながら俺はそのように伝える。
「……よくしゃべる若者だな」
「す、すみません。こういうの柄じゃないんですけど……あ、あと一言だけいいですか」
「今更止めても遅かろう」
そしてこれは、単なる俺の思いつきだ。
「ありがとうございます。お孫さんが日本語を喋っている姿を見たいのなら――」
「?」
「猫でも飼ってみてはいかがですか?」
――
「あ、ありがとう……」
照れ笑いをする柊。お礼ぐらいなら声もちゃんと出るようになったし、この一ヶ月で、だいぶ成長したと言えるだろう。あれ、なんだかまた目頭が熱くなってきた気がするぜ……。
『今度は、リリーの番だね……』
「そうなの~。結果が怖いよ~。でもね、やるだけやったから、後悔はしてないんだ!」
爽やかな笑顔でそう言い切る佐倉。その笑顔は言葉通り、やりきったという思いを体現していて、見ているこちらまで清々しい思いになる。
「ああ。お前も、ちゃんと頑張ってたもんな」
俺がそう言った瞬間、佐倉がなぜか黙り込んだ。
「……どうした?」
「いや、なんか……」
そこまで言いかけて、佐倉は慌てたようにぶんぶんと首を振る。
「や、やっぱなんでもないっ!」
そして俺から目を逸らしたまま、柊の肩にぎゅっとしがみついた。どう見てもなんでもなくはないが……まあ、本人がそう言うなら深くは聞かないでおくか。
ともかく、柊は残ることができたし。共に頑張っていた佐倉も同じように日本に残れたら――これ以上の結果はないだろうな。
――
その日の放課後。
キキィ……!
黒くて長くて高級そうなロールスロイス……だっけか、とにかく高そうな車が俺の目の前に止まる。な、なんだなんだ?
そして後ろのドアが開けられたかと思うと、先日で嫌というほど顔を覚えてしまった柊のおじいさんが中から出てきた。
「お前…………」
「あっ、お、お世話になっております……?」
突然現れて睨みつけてくるじいさんとなぜかひらたくお辞儀をする俺。なんだこの状況。
「………………」
「あの……何か御用で……?」
しかも現れたかと思えばじっと無言で俺を睨むだけだ。やっぱり先日の立ち回りはまずかったか? でも、柊にはちゃんと日本に残っていいって言ったみたいだし、ちゃんと話の通じる人だと思ったんだが……。そう考えていると、後ろからパタパタと軽やかな足音が聞こえてきた。
「ノンノ……」
「柊、これはどういう状況なんだよ⁉」
でん、と構えて俺を見る柊のじいさんと、俺のところに柊が追いついてきた。彼女は一生懸命走ってきたみたいで、呼吸が若干荒く肩を上下させながらいつも通りマーカーをホワイトボードに走らせる。
『ノンノ、私を迎えに来てくれるところで入れ違いになっちゃったみたいで……それなら「双葉君の顔をまた見たい」ってことでここに来たらしいんだけど……
「お、おう。なるほど……?」
『でも双葉君、ノンノとお話したこと、あったっけ……?』
「あー……それはー、そのー……色々と、な」
「?」
俺の微妙な反応に不思議そうな顔を見せる柊。そこでようやく、柊のじいさんが口を開く。
「セレナよ。そんな不躾な男と話すでない」
「ノンノ!」
「ぶ、不躾……」
「本当のことだろう。だってこいつはいきなりパーティに……」
「あーっ! あんなところにUFOが!」
「「え?」」
俺がパーティに行っていたことを漏らしそうになるじいさんの話を慌てて遮る。やべ、柊にはなんとなくバレたくない。
『ふ、双葉君、なにもないよ……?』
「あ、あー……気のせいだったみたいだ、その、すまん……」
……変な奴扱いされたが、バレなかったからよし。ということにする。
「ふん。やっぱり不躾な小僧じゃな。この前だって、セレナのことを知っているみたいなツラをしおって、厚かましいにも程があるわ。ワシのセレナを、ワシが可愛がってるセレナを……」
……ん? ワシが可愛がってるセレナ? 普通のじいさんなら違和感が無いセリフだが、このコワモテじいさんが本当に言ったのか?
「ワシの愛しい愛しいプリティーセレナちゃんをそんなたぶらかしおって! 確かに言うことには一理あったが……それでも、お前だけは絶対に許さんぞ!」
「Nonno! Smettila!」
突然叫び出したじいさんに、顔を真っ赤にして怒る柊。
「……なぁ、柊。もしかして、お前のじいさんって……」
『…………厳しい人だよ? でも同じくらい、過激な人というか……』
「ワシだってセレナちゃんをイタリアに帰したくはなかったが、日本語のことで困るぐらいならイタリアに帰した方がいいに決まってるじゃろう!」
ああ、じいさんもじいさんなりの考えがあったんだな……。いささか極端すぎだと思うが。
「Nonno? Vuoi chiamare nonna?」
「ノ、ノー! ノーじゃセレナ!……ともかく、初霜双葉と言ったか。お前にセレナちゃんはやらないからな!」
イタリア語で何か言った柊に顔を真っ青にして怯えるじいさん。
「ご、ごめん。双葉君……ば、ばいばいっ」
「お、おう……じゃあな」
柊はそう俺に手を振ると、車のドアを開けじいさんをぐいぐいと中に押し寄せて共に乗り込もうとする。だがその直前、なぜかもう一度だけ小さくこちらを振り返った。目が合ったと思うと、ぱっと視線を逸らされる。
……なんだ? 俺、何か変なことでも言ったか?
そしてあっという間に去って行く高級車。
あれ、そういえば柊の語彙リストに「ばいばい」が追加されたな……って記録したいが、それは英語でもあるからノーカウントでいいのだろうか。分からん。
というか。結局恐れ慄いていたあのじいさんって――ただの孫バカだったのかよ! びっくりさせんなよ……。まったく、今回は柊のために俺から声をかけたが……、できればもう二度と関わりたくないもんだぜ。本当。
生活言語能力と学習言語能力、難しい……。猫飼いたい。
参考文献
ヒューマンアカデミー,「日本語教育教科書 日本語教育能力検定試験 完全攻略ガイド 第5版」,翔泳社,2021年
東照二,「バイリンガリズム 二言語併用はいかに可能か」,講談社,2000年
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