悲しくなる前に
そうして課題を出してGW前最後の放課後も終わり、帰る前に夕日の射す多目的資料室を掃除する俺たち。
明日から連休だからか佐倉はいつも以上に元気だが、柊の方はどうにも静かだった。いや、静かというより――どこか沈んでいるように見える。そんな中、佐倉が突然口を開いた。
「そうそう、今日はママとご飯行くんだっ。いいでしょ~。それで、ママ迎えに来てくれるから、セレナは先帰っててね。あ、双葉、ちゃーんとセレナを送るんだよ?」
「なんで俺が送るんだよ……」
佐倉の急な提案に、俺は眉をしかめながらそう答える。
「だって日本って夕方暗くなるの早いじゃーん。イタリアだと夜の八時でも明るい日だってあるんだよ?」
「え、それは日が長いな」
「そー。それに、暗い中セレナみたいな可愛い子を一人にするなんて、よくないでしょ? 凛花ちゃんがいたらなんて言うかなー?」
うーん、確かに女王様が激昂して俺の胸倉をつかんでくる場面がありありと想像できるな……。
「あー、分かった、分かったよ……。柊、そんなワケで俺も一緒に帰っていいか?」
『もちろんだよ。ありがとう、双葉君』
コクリと頷いて、可愛らしく微笑む柊。
「……ま、双葉にはセレナはちょっともったいないかもだけど」
「送ってって言ったのはお前なのに理不尽すぎないか⁉」
「それはそれ、これはこれ。とにかく、じゃーねっ」
そんな流れで、鍵を返した後柊と二人で下校することになったんだが……。どうにか見つかんないようにしねぇとな。柊には悪いけど、裏門から出るとするか。職員室を出て、柊に声をかける。
「あー、わりぃ。裏門から出ても大丈夫か?」
『うん。問題ないけど……』
「あー、その、色々あるというか……」
ここで理由をごまかすのは簡単だが、なんとなく、そうしてはいけない気がした。真摯に向き合う……じゃねぇけど、こう、はぐらかすのは柊に向き合ってない態度なんじゃないかと思ったんだ。
「ま、要するに、柊と俺が釣り合ってないから、あんま人目につかないほうがいいんだよ」
『そ、そうだよね……。ごめん、こんなしゃべれない私じゃ双葉君とは釣り合ってないよね……』
「なんでそうなるんだよ! どう考えても俺がおまえに追いついていないだろ? 見た目とか、人柄とか……お前はもっと自信持てよ!」
大丈夫かこいつ。自分のスペックを一度ちゃんと理解しておいた方が良いと思うんだが。
『え? だって双葉君、ちゃんと親切に日本語教えてくれるし、優しいし、いい人だと思うんだけど……』
戸惑いながら、そう書いたホワイトボードを見せる柊。そ、そうストレートに褒められると、どうにも反応に困るんだが……。
「……あぁもう、さっさと帰るぞ!」
『……双葉君、耳赤いけど大丈夫?』
「だ、大丈夫だ! これは、その……花粉症だよ、花粉症」
『え、日本の花粉症ってそんな症状出るの⁉ ちょっと怖いかも……』
「というか何でお前そんな歩きながら書けるんだよ……」
周りとぶつからないように歩きながらも、ホワイトボードに綺麗な文字をさらさらと書くこいつはあまりにも器用すぎると思う。どこで拾ったんだその才能。
――
そして、なんとなくお互い無言のまま歩を進める帰り道。こいつは基本話さないから、佐倉がいないとこうなるのは必然と言えるんだが――なんかこの沈黙、そんなに嫌ではないんだよな。落ち着くというか……。そう思わせてくれるのは、柊の穏やかな雰囲気ゆえだろうか。
「……GWの課題、できそうか?」
「……ん……」
『たぶん……』
軽く返事をしたのち、ホワイトボードを見せる柊。その文字はいつも通り綺麗だったが、いまいち自信がないようにも見えた。
「多分柊なら、学校の課題はできるとは思うが……」
『ふふ。そっちはリリーが心配だよね。私も独り言……やってみるから、大丈夫だよ』
「そ、そうだな。それなら心配ないか」
『双葉君がちゃんと見てくれるって言ってくれたから……ね?』
期待に満ちた表情でそう書く柊に、思わず微笑んでしまう。そんな会話をしていたら、道なりの川沿いに差し掛かった。確か通りの曲がり角の先が柊の家だよな。
……ん? ふと隣から気配がなくなり不思議に思うと、彼女は俺の十歩後ろぐらいのところで、ぼーっとした表情をして立ち止まっていた。俺は後ろへ戻り、柊に話しかける。
「あれ? 柊、どうしたんだ?」
『ごめん、ぼーっとしてた……』
「別に問題ないが……ほら、行くぞ」
「うん……」
返事はするものの、彼女の足は動かない。
「おーい、柊?」
『ご、ごめん。今行くね』
「お、おう」
そしてちょこちょこと歩を進める彼女。だけど、その歩みはなんだかだんだんゆっくりになってきて――
「もしかして、お前……帰りたくないのか?」
ふと疑問に思いそう問うと、柊の肩がビクッと震える。そして彼女は目を伏せ、慌ててマーカーを走らせる。
『そんなことない……よ?』
「…………そうか」
その慌てた走り書きの字と、目を逸らしつつ伝えるその姿。流石に俺でも分かる。佐倉が解決したと思ったら、今度は柊か……。
『そ、そうだよ。それじゃ……』
「あー、今日はなんだか疲れたなー。明日から休日だし、たまには川辺で夕陽を眺めるのも楽しそうだー」
「ふ、双葉君……?」
「そういうことで、柊も暇なら付き合ってくれないか? 川辺で夕陽を眺める会」
「…………うん!」
そう柔らかな笑顔を見せる柊。うん、やっぱりそう笑っているとなんだか安心する。まあ、二人を見ることになった以上、勉強だけ見ていれば済む話でもないのだろう。
「ゆ、夕陽が綺麗で心が洗われるなー」
『そうだね』
「…………ふふっ」
柊はホワイトボードでそう伝えたのち、堪えきれなくなったように笑う。
「な、なんだよ」
『棒読みだなって思って……』
そう書きながらも笑い続ける柊。やっぱり俺はどこか残念なのだろうか……。笑いすぎてもはや涙目になっている彼女は、言葉を書き連ねる。
『気、使ってくれたんだよね。ありがとう』
「べ、別に本当に夕陽が綺麗で大好きなだけだよ。あの円形がしいたけに見えるし――」
『双葉君の手にかかれば、円形全部しいたけになっちゃうね』
「そんなの当たり前だ……って、まあ、そうだな」
このままいつも通り茶化しておくのが正解なのか分かりかねた俺は言葉を止める。
「…………聞いても、いいのか? その……」
『帰りたくない理由、だよね』
「ああ……」
『うーん、たぶん、帰ったらまた、悲しくなっちゃうかなって』
「悲しく……?」
『そう。おじいちゃんに日本に居てもいいよ、って認められないことが悲しくて、自分の存在を認めてもらえない感覚を覚えちゃって……』
ああ、近しい人に認めてもらえないのは確かに悲しくて、寂しいだろう。頷く俺を見て、彼女は言葉を書き連ねる。
『おじいちゃんの孫も、私一人だけだから家を継ぐのも……たぶん、私になると思うし。継がなくていいよってパパとママは言ってくれるんだけど』
『能力が高くないと、ふさわしくないってみなされる世界だから、いつも怖くて』
俺とは遠い世界だが、柊には身近な世界。きっと名家の伝統を受け継ぐことは、華々しさ以上の重圧があるのだろう。
『だから、本の世界に逃避しがちなんだ。現実で認めてもらえなくても、本の世界は私を受け入れてくれるから』
「ああ、それは分かるぞ」
『双葉君なら、そうだよね。おじいちゃんも本当は……思うことあるんだろうけど、とにかく色々と極端な人でね……』
「名家のじいさんってやっぱ厳しいんだな……柊に極端と言われるなんて」
『うん。本当に極端なの……』
「その……でも別に、嫌いなワケじゃないんだよな?」
『もちろんっ。大好きな家族ではあるよ』
「なるほどな……」
名家の重圧と、大好きな家族に認めてもらえない孤独に苦しむ柊。彼女の背負うものを俺が肩代わりすることはできない。けれど――
「うーん……柊、これは俺の意見なんだが……」
柊は言葉の続きを促すようにコクリと頷く。
「お前、そこまで悲しむ必要ないと思うんだよ」
「へ?」
「悲しい気持ちを否定するわけじゃない。だけど……名家だかなんだか知らねえが、お前はもう日本人以上に読み書きができるじゃねえか。まず、その結果が認められるべきだ」
口をぽかん、と開ける柊。
「それでも話せないからって認められないって厳しすぎじゃねえか。なにより、このままイタリアに帰っちまったら――お前のこれまでの努力がもったいないだろ」
「もったい、ない……」
「そうだ。だからじいさんを驚かせるぐらいの心意気で練習、やっていこうぜ」
『そっか……』
柊はそう書くと、柔らかく微笑んだ。その笑みは居場所を得て安心したかのようにも見えて――
『そうだね。悲しくなる前に、やるだけやってみるねっ』
「おう。少なくとも佐倉と俺は、お前のことを認めている。だからお前も自信を持ってくれ」
『うん! ありがとう。それと……』
「?」
『あの夕陽、しいたけに見えなくもないかもね?』
「だ、だろ?」
そういたずらっぽく笑ってみせる柊。そして彼女は胸元で片手を開くと
「……ばいばいっ」
小さく手を振り、自分の家の方向に駆けていった。あいつの帰り際のあの仕草、結構やばいと思うんだよな……。まあ、俺は俺の役目を果たせたなら……なによりだな。頑張れ、柊。




