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東亰PRISON  作者: 天野地人
《東京中華街》・動乱編
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第58話 火矛威との再会②【紅神獄サイド】

 火矛威(かむい)の言葉に熱が籠った。何が何でも真澄を《中立地帯》へ連れて戻る。その決意が激しい気迫となって全身にみなぎっている。


 火矛威は本気だ。本気で自分をこの混沌と化した《東京中華街》から救い出そうとしているのだ。それが痛いほど伝わってきて、神獄(シェンユエ)は胸が締め付けられる思いだった。しかし、いくら誠意と優しさに満ちていたとしても、彼の言葉を受け入れるわけにはいかない。


「……。ごめんなさい、火矛威。それはできないわ」


「何故だ!? どうしてなんだ、真澄!」 


「私が紅神獄だからよ。自らの身から出た錆で、私がこの街の動乱を招いてしまったのだもの。私自身が決着をつけなければならないのよ」


「何を言うんだ! この屋敷の外を取り囲む群衆を見ろ! どいつもこいつもお前を責める声ばかり、お前を憎しみ罵り、死を願う声ばかりだ!! あんな奴らのために、何でお前が犠牲にならなければならないんだ!? 目を覚ませ、真澄! お前はこの街で必要とされていない! お前の居場所はもう、ここには無いんだ!!」


「……」


「……お前はよくやった、本当に良くやったよ! もうそれで十分だろ!!」


 火矛威はそう叫び、神獄へとにじり寄った。彼の言うことは全て事実だ。神獄はもう、この街に必要とされていない。神獄の居場所は、もうこの街のどこにもない。全てが否定しようのない事実。けれど神獄は怯むことなく、きっと顎を上げ、火矛威に告げた。


「そうね、そうかもしれないわ。でも、自分の過去の功績がどうだろうと、或いは他人の考えがどうであろうと、何一つ関係ない。紅神獄になると決めたのは私よ。私は自分でこの道を選んだの。だから私には、最後までそれを全うする責任がある」


「じゃあ、火澄(かすみ)はどうなるんだ!? あの子は今まで、一度も母親という存在に触れたことが無い! 俺もできるだけのことはしてきたつもりだけど……母親の代わりだけはどうにもしようがなかった! 火澄が自分を生んだ母親のことを知りたがるたび、嘘をついて誤魔化さなければならないことがどれだけ辛かったか……! 


 ……俺の事はいい。でも頼むから、火澄のことも考えてくれ! 頼むから最後に一度だけ、あの子の母親になってくれ!!」


 『最後に一度だけ』――その言葉に神獄は、はっと息を呑む。つまり火矛威は知っているのだ。神獄にはもう、それほど時間が残されているわけではないという事を。


「火矛威……知っているの? 私の寿命のこと……!」


「ああ。ここに来る道中に聞いたんだ。(ラン)光霧(クワンウ)という人から……」


「藍光霧……。そう、彼が……」


 藍光霧が神獄の寿命の件を知っているなら、藍家の当主である(ラン)光鶯(クワンオウ)もその情報を既に共有しているはずだ。何故なら、二人はいつも行動を共にしているのだから。


 藍家側は何をどこまで掴んでいるのか。慎重に視線を巡らせる神獄に、火矛威は慌てて付け加える。


「彼を責めないでくれ。俺が無理を言って、本当の事を教えてもらったんだ。……その話を聞いた時から決めていた。絶対にお前をこの街から助け出すんだって」


「火矛威……」


「もう一度言う。せめて最後に、火澄に母親らしいことをしてやってくれないか? 俺のためじゃない、あの子のために……式部真澄に戻ってやってくれないか? お願いだ、真澄……!!」


 自分が真澄の『母親』になる――その夢のような誘いに、さすがの神獄も激しく心が搔き乱された。


 紅神獄として六華主人として、《東京中華街》の頂点に君臨している間も、火澄のことは常に頭のどこかにあった。ちゃんと元気に暮らしているだろうか。火矛威と仲良くやっているだろうか。そして同時に強い罪悪感も覚えるのだ。火澄に何一つ、母親らしいことをしてやれていないことに。


 今ならまだ間に合うのだろうか。火澄と寝食を共にし、他愛もないお喋りをしたり櫛で髪を()いてあげたりする。そうすれば火澄は喜ぶだろうか。「お母さん」と呼んで慕ってくれるだろうか。今ならまだ、本当の『母娘(おやこ)』になれるのか。


 火澄と火矛威、そして真澄、三人で食卓を囲む――そんな光景を想像しただけで、目頭がぐっと熱を帯び、言葉が詰まった。


 いけない、このままでは泣いてしまう。神獄はそれを悟られぬよう、火矛威にくるりと背を向ける。気づけば、言葉が口から零れ落ちていた。


「……火矛威は優しいね。昔のまま……ずっと変わらない。誰よりも優しくて、私のことを一番に考えてくれて……そして、とても残酷だね」


 すると火矛威は、それが心外だったらしく、当惑を滲ませて反論する。


「俺が……残酷? 一体どこが!」


「むかし……東京が《監獄都市》になったばかりの頃ね。私、火矛威に言った事があったの。『神獄のようになりたい。私も神獄みたいに、強くなりたい』って。その時、火矛威は何て答えたか……覚えてる? 火矛威は『無理するな』って言ったの。『神獄は神獄、真澄は真澄なんだから』って」


「ああ、よく覚えてるよ。でも、それの何が問題なんだ? 神獄は神獄、真澄は真澄……それぞれにそれぞれのいいところがある。お前はお前なんだから、無理して神獄の真似をすることなんかないって……俺はそう思って!」


「分かってるよ。火矛威が言いたいことも、私のことを真剣に考えてくれていたのだということも、痛いくらいよく分かってた。でも、私は悔しかったの。『いいんじゃないか、頑張ってみろよ』って……火矛威にそう言わせられない自分が、悔しくてたまらなかった!」


「だから……だから腹いせに俺を捨てたのか? 俺を捨てて、火澄を捨てて! 自分自身をも捨て去って!! そうまでして何が手に入れたかったんだ!? それほどまでに、富と名誉が欲しかったのか!!」


「違う、そうじゃない! 私が欲しかったのは……!!」


 声を荒げた神獄はしかし、その続きを言葉にすることができなかった。


 ただ、一心に理想を追いかけてきた。脇目もふらず走り続け、望む未来を追い求めてきた。誰かの添え物のような人生ではなく、胸を張って自分の生を全うしたかった。無力な『名もなき少女』ではなく、『名のある登場人物』になりたかったのだ。


 それが偽りの幻に過ぎないことは分かっていたが、それでも追い求めずにはいられなかった。分不相応であるとさえ知りながら、一心に太陽に向かって羽ばたき続けた。


 だが、それでいったい何を得られたというのか。多くの人を傷つけ、裏切り、失望させ――果たして自分の選択が本当に正しかったのか。今となっては分からない。分かっているのはただ一つ、もはや立ち止まることも引き返すことも、神獄には許されていないという事だけだ。


 《東京中華街》を捨て、六華主人であったことも全て都合よく捨て去って、自分一人だけ幸せになる事など、神獄にはできない。


 神獄は唇を噛みしめる。そして全ての言葉を呑み込むと、再び火矛威の方を振り返った。『式部真澄』としてではなく、あくまで『紅神獄』として。 


「……ここまで来てくれてありがとう、火矛威。火澄を育ててくれて……本当にありがとう。あなたの気持ちには応えられない。でも……あなたにこれほどまでに愛されて、私はきっと幸せだった。あなたと火澄の未来を守るためにも、私は最後まで『紅神獄』の役を全うします」


「真澄!!」


「深雪にも……よろしくね。《ウロボロス》での思い出は、今でも私の宝物だよ。辛い時や苦しい時、どれほどあの頃の思い出に励まされたか分からない。……最後にもう一度、会えて良かった。火矛威が昔の名前を呼んでくれて……本当に嬉しかった。火澄は必ず私たちが取り戻してくる。だから……火澄(あの子)のこと、どうかよろしくお願いします」


 神獄は火矛威に向かって深々と頭を下げ、そして再び頭を上げると、そっと微笑んだ。絶対に泣くまい。自分には火矛威の前で泣く資格などない。そう固く誓っていたのに、一筋の涙が頬を滴り落ちる。


 《東京中華街》の全てから拒絶され、憎悪と憤りを向けられている神獄にとって、火矛威の混じりけのない優しさは本当に救いだった。その優しさがあるからこそ、神獄はまだ戦える。火澄や火矛威を含めた自分の大切なもの全てを守るために、自らの命を懸けることも怖くはないと、そう思えるのだ。


 火矛威はただ、そんな火澄を呆然と見つめていた。彼もまた今にも泣きだしそうな顔をしていた。


 視線が交差したのは一瞬。それから神獄は踵を返すと、振り返ることなく豪奢な客間を後にする。後に残されたのはただ、突き放されたかのような冷たい静寂のみだ。だだっ広い部屋の中に一人残された火矛威は、苦しさと悔しさに顔を歪め、静かに嗚咽を漏らす。


「真澄……! どうして……何でなんだ! 何でお前は、いつも俺の願う未来を共に選んでくれないんだ! 最後は……最後だけは一緒にいたいと……そう望むくらい、許してくれたっていいじゃないか……!!」


 火矛威は幼少期、家族に恵まれなかった。父親は酒に酔っては暴力を振るい、母親は外を遊び歩いて家にほとんど帰って来ない。そんな状況だったから、火矛威がゴーストとなり家を出てからは、両親とも全く連絡を取らなくなった。


 そのせいだろうか、火矛威の中には家族を持つことに対する憧れが強くあった。その伴侶が真澄だったらいいのにと願った事もある。しかし、真澄がそういった火矛威の想いに応えることはなかった。何が悪かったのかは分からない。ただ、真澄が選ぶのはいつも深雪や轟鶴治で、決して火矛威ではなかったのだ。


 今回もまた、そうなるであろうことは想像していた。それでも危険を冒してまで黄龍太楼へ来たのは、どうしても真澄のことを放っておけなかったからだ。


 かつては異性として好意を寄せていたこともある。しかしそれ以上に、真澄は火矛威にとって『家族』みたいなものだった。『家族』が困っているなら、手を差し伸べたいと思う。『家族』が追い詰められているなら、救い出してやりたいと思う。


 かつて深雪が、追い詰められていた火矛威と火澄を助けてくれたのと同じように。


 しかし、真澄の答えは、やはり『拒絶』だった。どれだけ求めても、どれだけ手を差し伸べても、真澄は必ずそれを拒絶する。


 決して嫌がっている風でもないし、迷惑がっている様子もない。それでも、必ず拒絶するのだ。


 彼女はもう戻ってこない。閉じられた部屋の扉が開くことは、もう二度とない。それをまざまざと思い知らされ、火矛威はただ一人、力なくうな垂れるのだった。




✜✜✜




 雨杏(ユイシン)の打ってくれた《アニムス抑制剤》はかなり高価で強い薬なだけあり、神獄の弱った体にもよく効いた。おかげで、先ほどまで体が鉛のように重かったのが嘘のようだ。


 ただ、この効果も長くは続かない。雨杏も言っていた通り、所詮は一時しのぎに過ぎず、根本的に治療できるわけではないからだ。


 この良好な状態も、もって二、三時間だろう。それまでに紅龍芸術劇院へ向かった鋼炎を連れ戻さなければ。


 そう決意を固めた神獄が客間から廊下へ出ると、そこへ天若(ティエンルオ)が駆け寄ってきた。看護師の雨杏も一緒だが、彼女は悲しげな瞳をし、廊下の離れたところで神獄と天若を見つめている。

雨杏はこれがおそらく神獄と天若の最後の会話になると知っている。だから気を利かせてくれたのだろう。


 天若は神獄の表情からその考えを敏感に読み取ったのか、血相を変えて詰め寄った。


「神獄さま! どこへ向かわれるのですか! まさか、鋼炎さんの後を追って……!?」


「……ごめんなさい、天若。鋼炎(コウエン)さんは全面抗争もやむなしというお考えのようですが、私はどうしてもそれだけは避けたいのです。このまま戦争状態に突入すれば、この街はきっと想像を絶する犠牲を払うことになる……六華主人として、もうこれ以上、罪もない人々の血が流れるようなことはしたくありません。他に方法はないのです」


「けれど、それでは神獄さまが……!」


「私なら、とうに覚悟はできています。ただ……一つ心配なのは、紅家のみなの行く末です。たとえ私が死のうとも、鋼炎さんさえ無事に戻ってくれば、まだこちらに勝機はある。けれど彼にもしものことがあれば、我々の敗北は濃厚になってしまうでしょう。そういった、もしものことが起こった時のことも想定して動かねばなりません」


 淡々とそう告げると、天若の顔からさっと血の気が引いた。


「そんな……! けれど、どうしたら……? 紅家は《レッド=ドラゴン》において黄家に次ぐ規模を誇りますが、そのうち戦闘員はおよそ三割で、残る七割は非戦闘員です。アニムスを持たず、あってもさしたる攻撃能力はない……そういった者たちが七割を占めるのです! それなのに……どうやって皆を守ればよいのでしょう?」


「おそらく……非戦闘員のことは、それほど心配いらないのではないかと思います。(ヘイ)蛇水(シャシュイ)の目的は、あくまでこの街を手中に収める事……そのために、必ずしも虐殺や殺戮が必要だとは限りません。むしろそんな事をしてしまえば、『暴君』として後々まで後ろ指を指されることとなる。ですから、黒蛇水といえども、さすがに非戦闘員にまで手出しはしないでしょう。問題はむしろ、戦闘能力がある者の方だわ。


 ……冷酷非情な蛇水のことです。あの男が仕掛けてきた策略の数々を考えると、自らの勝利を確信した瞬間に、抵抗勢力の『徹底排除』を目論んだとしても何ら不思議はない」 


「ま……負けるもんですか! あちらがその気なら、こちらも徹底抗戦あるのみです!」


「それはいけません、天若! 一度、衝突してしまったら、もう誰にも止められない。紅家と黒家どちらかが滅ぶまで殺し合わなければならなくなってしまうのです! それでは、たとえこちらが勝利を収めることができたとしても、何の意味もない……みなが等しく傷つき、敗者となってしまうだけです!」


「それは……そうかもしれませんが……それなら私たちはどうすれば良いのです? 黒家の連中に虐げられるのを、黙って耐えるしかないのでしょうか!?」

 

 天若はひどく憤慨し、興奮した様子だった。彼女にもまた鋼炎と同じで、神獄を支えこの《東京中華街》を築き上げてきたのだという自負がある。それを横から掠め取られるかもしれないと知り、とても納得がいかないのだろう。


 怒りを露わにする天若を落ち着かせるため、神獄は彼女の両手を左右一つずつ手に取って、それを握りしめた。


「……私にひとつ、考えがあります。もし蛇水が危険な素振りを見せたら、その時は紅家の戦闘員をみな《中立地帯》へ逃がしなさい。そして、東雲探偵事務所の所長である東雲六道を頼るように伝えなさい。《中立地帯の死神》である彼なら、きっと力を貸してくれるはず。何せ彼は、《監獄都市》の安定と秩序の維持に心血を注いでいるのですから」


「しかし、《中立地帯》は《死刑執行人(リーパー)》の巣窟です! 東雲探偵事務所以外の《死刑執行人(リーパー)》もひしめいている危険地帯で、私たちにとってはまさに敵地も同然……そんな過酷な環境に、身内を追いやるだなんて……!!」


「危険は百も承知です。けれど今は、この紅家を残すことを第一に考えなければ。家さえ残ればまた戻ってくることができます。例え追われる身となり、ばらばらに離散したとしても、帰る場所さえあれば再び一族が結集することができるのです。そして、そういう場所があってこそ、苦境に身を置かれても耐え忍ぶことができる。そのためにも、まずは家を……そしてみなが生き残ることを最優先に考えなければ」

 

 神獄の説得が功を奏したのか、天若の瞳にも徐々に冷静さや思慮深さが戻ってくる。


「みなが……生き残ることを最優先に……」


「……ええ。ただ、これは万が一の時……万策尽きた時の最後の手段だと思っていてください。そのようなことにはならぬよう、私も全力を尽くします」


「神獄さま……」


 それから神獄は瞳を伏せ、うな垂れた。


「……ごめんなさい、天若。私が至らないばかりに、あなた達に大変な苦労をさせることになってしまうかもしれない……! 紅家の当主であり、六華主人でありながら、不甲斐ないこの私を許してください……!!」


 神獄の声が震えていることに気づいたのだろう。天若は一瞬、言葉を呑む。けれど暫くして、静かに口を開いた。


「……。決意は固いのですね? もう、私たちにはあなたを……そしてこの流れを止めることはできないのですね?」 


 そう告げる天若の瞳も、どこか覚悟を固めたように見えた。共に紅家を、そして《東京中華街》を守って来たのだ。口にせずとも、彼女は神獄がこれからどうするつもりであるかを理解しているのだろう。


 天若は神獄が六華主人となってからというものの、一貫してそばで支え続けてくれた。時に相談に乗り、アドバイスをくれ、また時には神獄の手足となって根回しに奔走してくれた。天若の存在なくしては、『六華主人・紅神獄』は存在し得なかったと言っていい。


 だが、彼女との日々に思いを馳せれば馳せるほど、一つの重々しい事実が胸に圧し掛かって来る。


 天若には神獄の正体を明かしていない。彼女は本物の紅神獄が既に故人であり、式部真澄がその身代わりとなっていることを知らないのだ。天若は何も知らず、今も本物の『紅神獄』に仕えていると思い込んでいる。


 だがそれは、天若を騙している事と何が違うのか。


「天若……最後にもう一つ、あなたに謝らなければならないことがあります。私は今までずっと、あなたを欺いてきました。私は……私の本当の名は、紅神獄では……」 


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