第11話 疑念
「こっちの……吉村が二発、威嚇で発砲したら、立花もヤバいと思ったのか、ダッて逃げ出して。俺らはその後を追ったんです。
そしたら、立花の悲鳴がして……変な音がして……慌てて駆け寄ったら、すでに立花はぶっ倒れて死んでました」
「変な音……?」
「何か、耳鳴りみたいな……ウワーンって感じの音だったと思います。それで、立花の体が、ぶわって膨れ上がって破裂したのも見えました。
ただ……あの場所は暗かったし、ビルの瓦礫とか多くて……実際に何が起ったかまでは分かりません」
「………」
どうやら、男たちは「相手が勝手に破裂して死んだ」という荒唐無稽な主張を引き下げるつもりはさらさらないようだった。二度目の説明も、一度目と内容は全く同じだ。
しかしそれにしても、嘘をついているにしては妙に証言が細かい。判断を下しかねた流星は、立花蓮二の亡骸に近づいていく。若者たちの突飛な話を証明するようなものが、何か残ってはいないだろうかと思ったのだ。
しかし流星が近寄った途端、立花蓮二の遺体はボロボロと風化し始めた。そしてあっという間に砂と化し、さらさらと砕けて消失していく。
「くそ、またか……!」
流星は思わず唇を噛み締めた。もう少しで手掛かりを掴むことが出来たのに、するりと手の中から滑り落ちてしまったのだ。おまけにそれは一度や二度の事ではない。
「……《ブラン・フォルミ》との抗争で死んだ片桐泰造――『ピアス男』と、全く同じですね」
オリヴィエも厳しい表情で、呻くように言った。流星は無言で立花蓮二の残した血痕を睨んでいたが、不意に男たちの方を振り返って尋ねた。
「……もう一度聞くぞ。何でお前ら、《メラン・プシュケー》と睨み合ってた?」
「決まってるじゃないスか! 奴らが俺らのテリトリーを荒らすからだよ!」
よほど腹に据えかねていたのか、若者は怒りを含んだ声で吐き捨てる。流星はあくまで冷徹な声で質問を続けた。
「だが、《メラン・プシュケー》は比較的大人しいチームだったと聞くぞ。今までは対立する事もなく、うまくやってたんじゃないのか」
「そういや、三か月くらい前から……かな。なあ?」
「《メラン・プシュケー》の奴ら、ちょっとヘンっていうか……何か妙に攻撃的になったんスよね。まるで別のグループみたいに性格変わっちまったっていうか」
「理由もなく絡んで来たり、仕掛けてきたり……スゲぇ俺らにちょっかい出すようになってきたんですよ。止めろって言っても聞かねえし、こっちが手を出せば、倍にして返して来るし。
でも、負けるわけにはいかないから……わざわざ銃で武装したのも、奴らに対抗する為です。俺達だって、迷惑してたんですよ」
「それで、勝手に目の前で死なれて《リスト入り》なんかされちゃ、たまったもんじゃないですよ、ホントに!」
自らの置かれた理不尽な状況に、じわじわと怒りがこみあげてきたのか、苛々とした口調で男はそう愚痴を吐き出す。
「嘘だと思うなら、他のチームにも聞いてみたらどうっすか? 《メラン・プシュケー》と衝突した連中は他にもいるはずですよ。……《メラン・プシュケー》が最近ヤバいって俺らン中じゃ有名な話だったんだ」
「もしかして、目が虚ろで表情には生気がなく、動きも緩慢でまるでゾンビみたいだった?」
オリヴィエが問い質すと、男たちは弾かれたように一斉に顔を上げる。
「あ……ああ、そうだよ。もっとも、俺たちはヤバいヤクでもキメてんじゃないかって言い合ってたけど」
「ともかく被害者は、俺達の方ですよ!」
若者たちは声に不満を込めながらも、その表情はみな青ざめ、覇気がない。それは《死刑執行人》に囲まれているからとか、奈落の脅しが功を奏したからという理由ではなく、どうやら自分たちの目にした光景の異様さを思い出しての事であるようだった。
その様子は、どうも嘘を言っているようには見えない。流星は眉をひそめる。
「どういうことだ……?」
「分かりませんが……とりあえず、ゾンビ化と死体が崩れる現象には関連性があるとみて間違いないようですね」
オリヴィエの返した言葉に、流星は「そうだな」と相槌を打つ。
《メラン・プシュケー》のメンバー・立花蓮二は、本当に一方的に破裂し、命を絶ったのだろうか。それが本当だとして、一体何が原因なのか。
事件なのか、事故なのか――一連のゾンビ事件と関連はあるのか。
新たな情報は得られたものの、内容があまりにも奇妙に過ぎる。手掛かりになるどころか、むしろ余計に分からなくなったといっていい。
流星は難しい表情で、赤い頭髪をガシガシと掻いたのだった。
「むー……見つからないねー?」
シロはため息交じりにそう呟いた。
深雪とシロは、まばらな人通りを疲れた足取りでゆっくりと歩いていた。
依然、《メラン・プシュケー》のメンバーの捜索は続いていた。しかし、何故だかなかなか行方がつかめない。そうこうしているうちに、昨晩新たな事件が起こってしまった。
《メラン・プシュケー》のメンバー・立花蓮二が変異したいとなって見つかったという話は、深雪とシロもマリアによって教えられていた。しかしその内容は、何だか信じられないような奇妙な話で、おまけに事務所のメンバーが直にそれを目にしたわけではないのだという。
ただ、それが最近唯一手に入った新しい情報なのだった。
深雪の反応がないことに気付いたシロは、立ち止まって振り返る。すると、深雪はぼんやりとした表情で、自分の右手に視線を落としていた。
「ユキ、どうしたの? ……大丈夫?」
心配そうな視線を送るシロに気付いた深雪は、「ああ……うん」と曖昧に笑う。
実のところ、最近眠れない日々が続いていた。夜中に右手が痛むのだ。
ベッドに横になり、暗闇の中で自分はこれからどうしたらいいのだろうか、このまま《死刑執行人》になってもいいのか、などと考えていると、突然右手に激痛が走る。
外傷は何一つないし、捻ったわけでもどこかに打ち付けたわけでもない。
それなのに、右の手の平がカッと熱を帯び、じくじくと痛み出すのだ。
しかもその痛みは日を追うごとに増していた。あまりに痛いので、眠ることができないほどだ。痛みの長さも長引いている気がする。最初の頃は数分で痛みが治まっていたが、最近は一度痛み始めるとそれが三十分ほど持続することもある。
(いくら何でも、おかしいよな……)
痛みはあくまで右の手のひら限定で、左には決して現れない。おまけに普段はそれらの痛みも全くなく、何ともないのだ。現に今でも、異変はない。しかし、一度痛み始めるとその程度たるや、まるで手の平を金づちで打ち付けているかのようだった。
さすがの深雪も、手の平の筋や神経、或いは筋肉だかを傷めているのではないかと、不安になってくる。
(アニムスの使い過ぎ、とか……いや、まさかな)
そもそも、使い過ぎというほど使っていない。東雲探偵事務所でも、深雪はまだ見習い扱いで、能力を使うような危険な仕事には、今のところ殆ど関わっていない。
それに深雪の《ランドマイン》は確かに物質に触れることでそれを爆破させる能力だが、必ずしも右手でないと発動しないというわけでもない。左手でも《ランドマイン》の使用は可能で、深雪がたまたま右利きであるがために、右手を用いることが多いというだけだ。
一体、この激痛は何なのか。気のせいで済ますには、あまりにも痛みが悪化しすぎていた。
「……ユキ?」
シロがふと顔を覗き込んできて、深雪は今度こそ我に返る。
「どうしたの、ぼうっとして? 具合、悪いの?」
「あ、ごめん。最近ちょっと寝不足で……何の話してたんだっけ?」
「黒い蝶の人たちが、見つからないねって言ったの。……大丈夫? 事務所に戻ってお休みする?」
「いや、ホント大丈夫」そう答えながら、深雪は自分の行動を反省した。
(そうだ、今は他にやる事がある)
手の平の痛みは、気にはなるが、今は何ともない。深雪はその件を後回しにすることに決めた。今は難しい事件が起きている最中なのだ。個人的な要件で、それを中断させたくなかった。
気持ちを切り替えるためにふと上を見上げると、真っ青な空が目に入る。それを何とはなしに見上げながら、深雪はぽつりとつぶやいた。
「《メラン・プシュケー》か。もしかしたら……生き残っているメンバー自体があまりいないのかもな……」
シロはこちらを見て、「どういう事?」と首をひねっている。深雪は僅かに躊躇したが、結局口を開いた。
「……シロはこの事件どう思う? 本当にゾンビなんているのかな?」
「え? いるんじゃないの?」
「いや……なんか不自然な点が多いからさ」
「不自然? ……例えば?」
シロはきょとんと眼を瞬かせる。深雪は胸の中にある違和感を探りながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「例えば……そう、今のところゾンビ化しているのが見つかったのは《メラン・プシュケー》のメンバーばかりだ。おかしくないか? あまりにも限定的すぎる。まるで……誰かが《メラン・プシュケー》を狙い撃ちしてるみたいだ」
もしゾンビ化がウイルス感染によるものなら、もっと広範囲の人間に広がっている筈だ。だが、今のところゾンビとなって見つかったのは《メラン・プシュケー》に属していたゴーストだけだった。
どう考えても、不自然と言わざるを得ない。
「うん……そういわれてみたら、変だね……」
シロは神妙な顔で、こくこくと頷く。
「それに、どうして死体が崩れるのかも謎だし……」
今朝のミーティングでは新しい情報がいくつか手に入った。
新しいゾンビ化死体は、内側から自ら破裂したこと、その死の直前、奇妙な耳鳴りのような音がしたこと。
だが、いずれもゾンビ化と関係があるのかどうかは分からない。
「ゾンビ化はあくまで表面的な現象の一つであって、原因はもっと違うところにあるんじゃないかって……そんな気がするんだ」
深雪はそこまで言って、ふと気づいた。シロがじっと深雪を見つめている。おまけに眉間にしわを寄せ、睨むようにしてこちらににじり寄ってくる。
「……ユキ」
「な、何?」
名前を呼ばれ、内心でたじろぎながら深雪は答える。しかし、シロは次の瞬間、パッと破顔したのだった。
「ユキってすごいねえ! いっぱい考えてるんだもん。何だか探偵みたい!」
「そ……そう?」
「シロも頑張らなきゃ……でも、考えるのは苦手だから、いっぱい戦うね!」
「え、うん……」
シロは両目を輝かせて深雪を見ている。素直に感嘆しているようだ。あまりに率直な感情をぶつけられ、深雪は却って面食らってしまった。
(いっぱい戦う……か。シロらしいというか、何というか……)
我知らず、苦笑が漏れる。だがいずれにせよ、好意を寄せられるのは悪い気分ではなかった。
地面に落ちる建物の影が、先ほどより短くなった。気づけば、いつの間にか太陽が真上に来ている。深雪は腕に嵌めた携帯端末で時間を確認することにした。
最近、ようやくこのハイテク機器にも慣れてきた。時間の確認くらいなら操作できる。見ると、既に三時間、朝から歩き通しだった。さすがに疲労感が押し寄せて来る。
シロと相談し、一度事務所に戻ることに決めた。
ちょうどその時、路上に何か小さな布切れが落ちているのが目に入る。
「あれ? 何か落ちてる」
シロも布切れに気づいた。
「落とし物かな?」
深雪は近寄ってそれを拾い上げてみる。すると、それは薄汚れた布製の巾着だった。手に取ると、思ったよりずしりとくる。
「何か、妙に重いぞ……?」
シロと二人で首をかしげていると、通りの向こうから小柄な人影が走ってくるのが見えた。
「ユキ、あの子……この間の子だ」
シロが嬉しそうに声を上げる。深雪もすぐに思い出した。先日、《ディアブロ》に暴行を受けていた、鉄屑拾いの少年だ。背中の巨大な背負い籠と手に持った火箸を鑑みても、間違いないだろう。
少年は全速力で、深雪のところまでやってくると、ぜえはあと息を切らせながら巾着を指さす。
「あっ……ああ! それ、それ僕のです! 僕の‼」
「へ……? ああ、そうなんだ。はい」
深雪は差し出された少年の手の平に、ぽすんと巾着を置いた。シロが隣でにこにこと、「ここに落ちてたんだよ」と微笑む。すると、命は万歳をして大喜びで歓声を上げ、涙まで流し始めた。
「ぅあ……あああああああああ、ありがとうございます! これが無いと、ホント生活できない……あなたは正真正銘、僕の命の恩人ですぅ‼ ……良かった、中身も無事だ」
巾着に入っていたのは、たくさんの硬貨だった。どうやら、それが彼の財布であり全財産であるらしい。よほど嬉しかったのだろう、いちいち大きなリアクションを返す命に、深雪もつい笑みが零れる。
「そんな大げさな……。まあ、ともかく気をつけて」
「はい!」
喜びをにじませる少年に、更に声をかけようとして、不意に深雪は言葉に詰まった。
「えっと……ごめん、名前何だったっけ?」
「命、ですよ。鵜久森命です。すみません、ややこしい名前で」
嫌な顔一つもせず、命はにこりと笑ってそう答える。
「命……? じゃあ、あだ名はミコっちゃんだね!」
シロの言葉に、命はいたく感激したようだった。
「ミコっちゃん……何だか新鮮だなあ。僕の事、あだ名で呼んでくれる人なんていないから。あなた達は確か、シロちゃんに深雪さん、ですよね?」
「うん、そうだよ!」
隣で深雪も頷く。命は何事か思いついたようで、「そうだ!」と、男にしては甲高い声を張り上げると、目を輝かせてこちらに前のめりになった。
「今度こそ、お礼をしなきゃ。僕の家に来ませんか? あそこなんです。ほら、あそこのやたら緑な場所」
命は背後の廃墟群のさらに向こうに見える、崩れかけた商業施設を指差す。よく見ると、そこの屋上の壁は透明になっていた。
ガラス張りになっているのだろうか。その中に、確かにうっすらと緑が茂っているのが窺える。その建物が命の名義であるとはとても思えないから、放置された施設に勝手に住みついているのだろう。
「シロ、どうしよっか?」
深雪はシロに尋ねた。ここから命の指す場所までさほど距離はないが、朝から歩き詰めでシロも疲れているだろうと思ったのだ。
すると、シロは好奇心を隠し切れない様子で答えた。
「行こうよ。ミコっちゃんのおうち、見てみたい!」
「ええ、是非! 深雪さんもどうですか?」
命もにこにこと笑顔を深雪に向ける。
「……分かった。シロが行くなら、俺も行くよ」
深雪自身も、命の住居に興味があったし、何より命のキャラクターに好意を抱いていた。せっかく誘われたのだから、行ってみようかという気になったのだ。
「わあ、ありがとうございます! 楽しみだなあ。僕の家、人が来ることなんて滅多になくて………」
命はワクワクと声を弾ませる。そんなに喜ばれるとは思わなかった。深雪は何だかむずがゆい心地がしてくる。
おまけに、命はシロともすっかり意気投合した様子だった。並んで歩きながら、互いに笑顔で会話を交わしている。二人が声を立てて笑いあっている様を見ていると、まるで二人の男女というよりは、女の子が二人歩いているように見えてくる。
深雪は二人の後ろ姿を見つめながら、そっと心の中で付け足す。
(シロが行きたいって言ってるのもあるけど……何だか命って、危なっかしいっていうか……。多分、俺達が家まで送っていた方がいい気がする。)
ごろつきゴーストに目をつけられたり、財布を落としたりと、命はどうもトラブルが多い。この監獄都市でやっていけるのかと心配になるほどだ。本人がぽやんとした雰囲気だから、余計にそう感じるのだろう。このまま別れたら、また何か災難に巻き込まれてしまうのではないか――そう考えるのは、さすがに心配しすぎだろうか。
「ユキ! 早く、早く!」
先を歩くシロと命が、ぶんぶんと手を振っている。深雪は片手を上げてそれに答え、二人の後を追った。倒壊しかけた雑居ビルの間を、潜り抜けるようにして歩き続ける。
すると、やがて命の指さした商業施設が間近に見えてきた。
それは、様々な太さの鉄筋が複雑に交差し、組み合わさって、ひとつの城のようになっている建物だった。命の家がある商業施設はずいぶん昔に廃業し、それ以降ずっと放置されてきたもののようだった。
間近で見ると、妙に貫禄のある荒廃ぶりで、薄気味悪ささえ漂っている。
十階建ての建物で、外側も内側も風雨に晒されボロボロだ。いたる場所で鉄の骨組みが剝き出しになっている。もちろんエレベーターなど動いていない。深雪たちは、これまた崩壊寸前の鉄階段を、延々と徒歩で上っていくしかなかった。
「すみません、不便な場所で……」
命はしきりにそう謝ったが、これを毎日上り下りしている命も、ずいぶん根性があるなと、深雪は思った。何かよほど強い思い入れがないと、住める場所ではない。
しかしその労苦も、屋上に辿り着いた瞬間に吹っ飛んだ。
「これは……すごいな」
「森ができてる!」
深雪とシロは揃って感嘆の声を上げる。
外から見えた通り、施設の屋上は透明なガラス張りの温室になっていた。
建物の土台部分と比べると、かなり状態がいい。ガラスもところどころ割れたりひびが入っているが、大部分の形を保っている。
程よく風が入り、暑くもなく、寒くもない。天井がドーム状になっており、日当たりも良好だった。その下で、さまざまな種類の鉢植えされた植物がのびのびと葉を茂らせ、或いは色とりどりの花を咲かせている。
それらが無数に並べられた様は、まるで小さな植物園のようだった。




