第10話 蜂
「悪いけど……俺達、これからメシなんだ」
そう言うと、命はしごく残念そうに「そうですか……」と答えた。
「そうですよね。ちょうどお昼時ですもんね。残念です。あ……じゃあ、もし今度会ったらいつでも声かけてください! 大抵、この辺をうろうろしてるので」
「この辺で? 何してるの?」
シロが不思議そうに尋ねると、命は離れたところで横倒しになっている背負い籠を指す。
「鉄屑広いです。リサイクル業者に持って行ったら、そこそこいい値段で売れるんですよ」
見ると、確かにそこかしこに鉄屑が落ちている。半壊状態のビルも数多くあるから、建築資材などを集めているのだろう。東京は閉鎖された街だ。おそらく普通ではゴミとして扱われるそういったものも、外部では考えられないほど貴重なのだろう。
「お仕事大変だね、気を付けてね」
「はい、ありがとうございます! それじゃ、またの機会に」
シロの言葉に命は頷き、大きな籠を拾い上げて、よいしょと背負った。そしてやはり転がっていた火箸を手に取ると、ぶんぶんと手を振ってその場を去っていく。
「何だか、面白い子だったねー?」
命を見送りながら、シロが言った。深雪は思わず苦笑する。
「面白いっていうか、ちょっと変っていうか……」
しかし、深雪も命に対して悪い印象は抱いていなかった。ちょっと天然だが、明るくて前向きな少年だ。シロは、ふわりとほほ笑む。
「また会えるといいね!」
「そうだな。……行こっか」
そして、深雪とシロも歩き出した。
目当ての牛丼屋はほどなくして見つかった。監獄都市の中でも牛丼はそれなりに人気であるらしく、客が多い。昼時だという事もあって、十五分ほど並んでようやく店に入れたのだった。
その日の夕方、流星に呼び出されてミーティングルームへ向かうと、他のメンバーはみな先に到着していた。
ただ、シロと奈落の姿が見えない。神狼の姿もなかった。
奈落や神狼はともかく、シロとは一時間ほど前まで一緒だった。どこに行ったのだろうと首をかしげていると、ミーティングが始まってしまった。
部屋の中央を占める会議用デスクの液晶ディスプレイ上に、見慣れたウサギのマスコットが音もなく現れ、くるりと可愛らしく回転する。
「は~い、みんなお揃いね? まずは新しい情報からいっちゃいま~す!
こっちで調べたところ、過去の六件以外に新た三件、ゾンビ化や死体が崩れる事件が目撃されていたことが分かったわ。
しかもそのうち五件の死体には、黒い蝶の入れ墨が彫ってあるのが確認できたそうよ。
つまり――《メラン・プシュケー》のメンバーだったってことね」
ウサギは得意満面でそう説明するが、流星の表情は芳しくない。
「……だが、肝心の《メラン・プシュケー》のメンバーがまだ見つかってないんだ。連中、一体どこに行きやがったんだか……」
「私たちも、探してはいるのですが……」
オリヴィエも困ったように首を振る。
「こっちも、ゾンビ現象の原因が何かまでは掴めてないのよねー。死体があれば、解剖ができるし、もうちょっと詳細も分かるんでしょうけど……今までのは全部崩れて無くなっているし。とりあえず、《メラン・プシュケー》のメンバーのうち、ヘッドと幹部クラスで行方不明になってる奴の情報上げといたから、確認しといて」
マリアがそう言うと、液晶の画面上に複数の人物の画像と情報が映し出される。
それは四人の男だった。どれも二十歳前後と、年齢層は若い。
加賀谷祐馬――《メラン・プシュケー》のヘッド。二十三歳。アニムス:《ディスチャージ(放電)》
九重竜吾――幹部で最年長。加賀谷祐馬の右腕。二十五歳。アニムス:《ロータリー・ブレード(回転刃)》
大森翔人――同じく幹部。十八歳。アニムス:《パイロキネシス(発火)》
八柳大樹――同じく幹部。二十一歳。アニムス:《ジフィ・ラン(俊足)》
「因みに、《ブラン・フォルミ》との抗争で殺された《メラン・プシュケー》のメンバー……例のピアス男は、片桐泰造って言うらしいわね。
いずれにせよ、《メラン・プシュケー》のメンバーのアニムス値はそう高くないわ。でもま、念のために単独で戦闘は避けるようにしてね。それから、死体が見つかったらソッコーでデータ収集だからね!」
ウサギはこちらに向かって、びしっと指を突き付ける。彼女にとっては情報が何より重要なのだろう。流星は耳にタコだと言わんばかりに肩を竦める。
「分かった、分かった。ところで……奈落とシロの姿が見えねえが、どこ行ったんだ?」
「《ブラン・フォルミ》の件の事件現場に行ってもらってるわ。ちょっと確認してほしい事があってね。どんな些細な事でも手掛かりが欲しい状況だもの。神狼は今、手が塞がってるし……」
「二人だけで大丈夫でしょうか?」
オリヴィエは不安げに眉をひそめる。深雪も思わずそれに頷いた。あの恐ろしげな外見の傭兵と、自由奔放なシロが並んで歩くさまは、どうも想像できない。
ところが流星は笑って答えた。
「心配ないんじゃねーか? 奈落の奴、シロの面倒見は妙にいいしな」
「野生の本能が共鳴し合ってんのよ、絶対」
マリアもうんうんと、半ば呆れたように相槌を打つ。
二人がそう言うなら、新参者の深雪は諦めるしかない。
深雪はシロの身を案じつつ、ミーティングルームを後にした。
《ブラン・フォルミ》が襲撃を受けた秋葉原の事件現場は、昼間でも人けが無く、閑散としていた。
世界が終末したかのような廃墟地帯には、無数の大小の瓦礫とビルの残骸がひっそりと佇んでいるのみだ。
抜けるような青い空を、数羽の鴉が呑気そうに羽ばたいていった。それを無言で見上げていた奈落は、つと視線を地上へと戻す。
事件当時は無数の死体と血溜まりで、地獄絵図だった。今は、さすがに死体は無いものの、どす黒い血痕はそのままになっている。
周囲は瓦礫や壊れかけた廃ビルの柱の物陰になり、視界が悪い。奈落は周辺を注意深く観察しながら歩を進めていく。
しかし、ふとシロがいない事に気づいた。先ほどまで後ろを大人しくついて来ていたのだが。
探すと、シロは巨大な瓦礫が折り重なり陰になっている、こじんまりとしたスペースで、しゃがみ込んでいた。まるで何かを探しているかのように、熱心に地面を見つめている。
「……どうした?」
奈落が近づいて行って後ろから声をかけると、シロは首だけでこちらを振り返った。
「ハチさんが死んでるの」
「蜂……?」
目をやると、シロの指差す方向に、確かに蜂の死骸が転がっている。
大きく、スズメバチくらいある蜂だ。しかし、種類はスズメバチではない。形状が違う。普通の蜂より尾が異常に長く、頭部や腹部のバランスも普通の蜂とは違っている。腰が妙にくびれていて、触覚も、妙に長い。
ぱっと見は黒いが、光を受けると毒々しいショッキングピンクの色を放つ。
それは、どう考えても自然界ではあり得ない、異様な色だった。
「すごく不思議な色だね。変なの」
シロが指先で蜂の死骸をつつこうとしたので、奈落は鋭い声でそれを止める。
「よせ!」
「え……」
すると、蜂はそのまま起き上がって幾度か羽ばたき、上空へと舞い上がった。死骸だと思っていたが、生きていたのだ。
蜂は上空でこちらを窺うようにしばらく滞空していたが、やがて危害を加えるつもりはないと分かると、どこへともなくブウンと飛んでいく。
「……行っちゃった」
「………」
奈落とシロの二人は無言でそれを見送った。遠目でも時おり蜂の体が日の光を受け、チカリとピンクの光を放つのが見える。
妙に禍々しい印象のハチだった。何をされたわけでもないが、存在そのものに言い現わしようのない不吉さを感じる。
奈落はすっと目を眇めた。それに気づいたシロが、不安げに尋ねてきた。
「どうして怖い顔してるの?」
「……何でもない。行くぞ」
蜂の事は気になったが、今はそれよりも事件の手掛かりを探す方が先だ――奈落はそう判断した。事務所の口うるさいウサギが、情報はまだかと待ち構えている。手ぶらで戻ったら、どんな罵詈雑言が飛び出すか分かったものではない。
ウサギが喚き散らしたところで無視すればいいだけだが、無能と罵られるのはそれなりに腹が立つ。
それに奈落自身、この事件に興味があった。
巷で騒がれているゾンビ事件――それらはアニムスによるものに違いないと、奈落は睨んでいた。確かにまだ確証はない。幾人ものゴーストを狩ってきた傭兵としての経験による、勘のようなものだ。
ただ、世界中でゴーストと対峙してきた奈落も、人間をゾンビにさせる能力というのは見たことがない。それがどういうものなのか、どんなゴーストのアニムスなのか。それなりに好奇心がくすぐられる。
愛用の煙草を取り出し、それに火をつけながら奈落は身を翻した。シロもすぐに立ち上がって後をついて来る。
奈落とシロはしばらく事件現場を散策するが、他に有力な手がかりはない。二、三時間ほど散策した後、仕方なく、撤収することにしたのだった。
第二の事件が起こったのは、それから間もなくのことだった。
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事件発生の一報を受け、流星が現場に向かったのは、深夜も零時を回ったころだった。
流星は事前に知らされた通り、御徒町の高架橋下に入っていく。すると、すでにそこには奈落とオリヴィエが到着していた。
「お、やってんなあ」
声をかけると、二人ともすぐにこちらに気づいて振り返る。
「よっ、ごくろーさん。……で? 連中の方はどこ行った?」
「上だ」
奈落が顎で高架橋の天井を指し示した。流星も釣られて見上げると、そこには三人の若者が吊り上げられていた。
手足を赤い糸のようなものでぐるぐる巻きに縛られ、操り人形のように手足をおかしな状態に曲げてぶら下がっている。
その赤い糸のようなものは、高架橋の天井に張り巡らされた鉄柱に絡みつき、そのまま降下して一点に集中していた。
オリヴィエの手の甲だ。オリヴィエの手の甲には、大きな十字架を象った傷があり、糸はそこから伸びているのだった。
オリヴィエのアニムスは《スティグマ》――自らの智を操る能力だ。男たちを拘束している赤い糸は、オリヴィエの操る血によって形成されたものだった。オリヴィエはそれを自らの意志のままに操ることが出来る。こうやって相手を縛ることもできるし、防御壁として使用したり、武器として操ったりすることも可能なのだった。
オリヴィエに捕獲された男たちは、生きてはいるようで目も空いているが、すっかり参った様子だった。ぐったりしている。
「おーお、いい眺めだな。……被害者は?」
奈落は口元に煙草を持っていき、空いた手の親指で奥を指し示す。すると、地面に派手な血だまりができているのが見えた。
一人の若者がその中心で俯せになって倒れている。
すでに息は無いようで、ピクリとも動かない。腕のところに、黒い蝶の入れ墨がある。《メラン・プシュケー》のメンバーだ。
一見すると、特に頭部の損傷がひどいようだった。頭蓋骨が破裂し、内部がぶちまけられている。
オリヴィエの捕らえた若者たちの下には、ハンドガンが複数転がっていた。おそらく、それで《メラン・プシュケー》の頭部を撃ったのだろう。
それを目にした瞬間、赤神の表情にすっと冷たさが混じる。
「流星、どうしますか?」
オリヴィエに尋ねられ、流星は「上の奴らを下ろしてくれ」と答える。
すると、上空にいる若者たちを縛っていた赤い糸――オリヴィエの《スティグマ》が、びゅるんと動き出し、上空で身をよじるとそのままするすると縮んでいく。それは吸い込まれるように、オリヴィエの手の甲にある十字模様の傷の中へと戻っていった。
不意に手足が自由になった若者たちは、どさりと地上に投げ出された。
「いっ……!」
「ってぇ……‼」
男たちは強かに体を打ち付け、口々にそう呻く。流星は冷ややかに男たちを見下ろした。
「お前らがあれをやったのか」
「うっ……てめえら、東雲探偵事務所の……?」
「《死刑執行人》の東雲か……⁉」
明らかに狼狽の色を浮かべ、若者たちは答える。おたおたと要領を得ない男たちに、流星はやや語調を強めて再び聞き質す。
「もう一度聞くぞ。あそこで死んでるのはお前らの知り合いか?」
「あ……ああ。知ってる奴だよ。《メラン・プシュケー》の立花蓮二だろ」
「そいつと何でもモメてたんだ?」
「し、知らねえよ! そんなのこっちが聞きてえよ!」
開き直る若者たち。すると奈落が突然、ハンドガンを取り出し、無言で若者の足元に向かって発砲した。高架橋下に轟音がこだまし、銃弾は若者の足元を激しく抉る。
「ひゃっ⁉」
男たちは驚き、体を縮めた。奈落はすっと目を細め、ドスの効いた声で更に凄む。
「質問しているのはこっちだ」
続けて二発、三発と発砲。闇の中、鮮やかな閃光が瞬く。
「ひっ……ひいいいいい!」
若者たちは慌てふためき、散り散りになって逃げ惑う。奈落の銃弾は明らかに男たちの体からは逸れているが、そんなことに構っている余裕もなどないのだろう。ただでさえ暗闇の中では、恐怖も倍増する。
「やれやれ……まるで、すっかりチンピラの所業ですね。嘆かわしい……」
まるで楽しんでいるかのような奈落に、オリビエは額を抑える。流星も呆れ顔で言った。
「おま、やめろって。これじゃ、話しどころじゃねーだろ」
「話? 何の為にだ。示談交渉でもする気か? ……奴らがやったに決まっているだろう」
「お、俺達じゃねーよ!」
流星たち三人の会話を聞いていたのか、コンクリートの柱の陰へと逃げ込んだ若者の一人が、顔だけこちらに出して声を上げた。
脅えきって弱弱しくはあるが、その声の中には抗議する色がはっきりと浮かんでいる。するとそれに続き、他の男たちも声を上げた。
「お、俺達が殺したんじゃねえ! 違うんだ! 信じてくれ‼」
「本当か? お前らがチーム同士で睨み合ってたってのは、知ってんだぞ」
流星が軽くにらむと、若者たちは顔を見合わせる。そして、恐るおそる物陰から出て来ると、そのうちの一人がぎこちない様子で説明を始めた。
「た、確かに、そいつら……《メラン・プシュケー》とは何度かやり合ってた。でも俺達、そいつは殺してない! 一方的に、そいつの方からアニムスを使って襲いかかって来て……仕方ないから、銃で応戦しようとした。そしたら……」
男は一度言葉を切り、ごくりと喉を上下させる。そして、肺から絞り出すようにして吐き出した。
「そいつ、勝手に……死んじまったんだ‼」
若者は必死の形相で、肩を上下させている。
沈黙がしばし、その場を支配した。
今度は、流星とオリヴィエ、奈落が顔を見合わせる番だった。勝手に死んだなどとは、言い訳をするにも程があるが、男たちの表情は真剣そのもので嘘を言っている様子はない。
大体あれほどさんざん奈落が脅しをかけた後で、のうのうとそんな嘘をつくほどの度胸が、この男たちにあるとも思えない。
奈落は訝しげに眉根を寄せる。
「勝手に、だと……?」
「拳銃自殺……でしょうか?」
オリヴィエも明らかに戸惑った様子で顎に手を当て、そう呟いた。成る程、それなら拳銃が転がっていたことにも説明がつくが、例えそうだとしても《メラン・プシュケー》の立花蓮二が自ら命を絶つ理由が分からない。
一方の男たちは、自分たちの話が信用されていない事をその場の雰囲気で悟ったのか、慌てて捲し立てた。
「ち、違う! そいつは丸腰だった! 本当だ!」
「く……暗くて良くは見えなかったけど、突然目ェ向いて、ガクガク痙攣し始めて……!」
「そ、そんで……」
「何か、こう……」
「う……内側から……破裂したみたいだった‼」
若者たちは両手を激しく広げ、破裂のジェスチャーを交えながらそう訴える。
「内側から……破裂……?」
オリヴィエは更に面食らったような声を上げた。
確かに、俄かには信じがたい話だ。
それに、今までの《メラン・プシュケー》の死に方とも違う。一方的に見ず知らずのゴーストを襲ったところまでは一緒だが、破裂したという話は初耳だ。
死体がボロボロと砂のように崩れた――というのもいい加減、異常事態だったが、風船のように破裂したというのも十分、異例だ。二つの事例の間に何か関係はあるのだろうか。そもそも、信憑性のある情報なのか。例えば、全く違う現象が、たまたま彼らには破裂しているように見えているだけかもしれない。
しかし、だからと言って偽りであると決めつけるわけにもいかない。ばかばかしい話のようにも思えるが、ひょっとしたら新たな手掛かりである可能性もある。とにかく、詳しく聞き出してみないと始まらない。
流星はため息をつき、
「……そこのところ、詳しく話せ」
と、促した。すると、若者の一人が隣にいた別の若者を指さし、先ほどよりは幾分落ち着いた様子で話し始めた。




