第9話 鵜久森 命
「お前な……そんなこと言ってる場合か」
「分かってるわよ、冗談、じょーだん!
つ・ま・り~、《メラン・プシュケー》はもともと穏健なチームだったけど、最近じゃ性格が変わってすっかり攻撃的になっていた。他チームとの衝突も増えて、身内すら逃げ出す有様だった。……そーいう事ね? ウフフ、事件ね……事件の匂いがするわね!」
そう言うマリアの声は、何故だかやたらと弾んでいて、嬉しそうだった。まるで、この事件そのものを楽しんでいるかのようだ。深雪は何だか不謹慎な気もしたが、他のメンバーは慣れているのか眉一つ動かさない。
「……よし、俺たちは消えた《メラン・プシュケー》のメンバーの行方を追うぞ。マリアと神狼は引き続き情報収集を続けてくれ」
「了解~」
流星の号令で解散する一同。他の者みな、部屋を退出していく。しかし深雪は、ミーティングルームに残って事件の画像が浮かんだ液晶画面を見つめていた。
これからまた、人探しだ。消えた《メラン・プシュケー》のメンバーと、ゾンビの噂とは何か関係があるのだろうか。
(まさか、《メラン・プシュケー》とかいうチームの奴ら全員がゾンビになってる、とか言うんじゃあ……?)
確証はない。でもそれなら、集団でごっそりいなくなった事にも説明がつく。
だが、何故、《メラン・プシュケー》のメンバーはゾンビ化してしまったのか。その現象は他のチームの者たちにも広がっているのか、いないのか。まだ分からない事は山積みだ。
情報収集担当であるマリアを始め、あっという間に《メラン・プシュケー》というチーム名や加賀谷という頭の名前を割り出してしまった事を鑑みると、案外それもすぐに分かるかもしれないが。
考え込んでいると、シロが深雪の方に駆け寄ってくる。
「今度は蝶の模様の人たちを探すんだよね?」
「うん……」
「ユキ、どうかした?」
「いや……なんかすごいなって思って。こんな短時間で、あっという間にチームや頭の名まで辿り着くなんてさ」
すると、今度は流星が笑いながら近づいてくる。
「それを言うなら一番の功労者はお前だろー。っていうか、意外と度胸あるよな、お前。《ブラン・フォルミ》相手でも全く怯まなかったじゃねーか」
「そういうわけじゃないけど……何かあいつらの事、全くの他人とも思えないっていうか……」
深雪は人差し指で自分の頬を掻きつつ、そう答えた。
(雰囲気が初期の《ウロボロス》に似てたから、かな……)
流星が《ブラン・フォルミ》に《リスト》という言葉を突き付けた時、頭の松永はこちらに向かって啖呵を切った。深雪はそれが強く印象に残っていた。
おそらく、《死刑執行人》と本気でやり合おうなどとは考えていなかっただろう。ただ、松永は頭として自分のチームを守ろうとしたのだ。
無責任な頭の中には、窮地に陥った際に平気で自分のチームを売ったり、さっさと捨てて逃げだしたりする者もいる。しかし、松永はそういった卑怯な選択をしなかった。
深雪はそれに好感を抱いていたのだった。
ところが、流星はふと真顔になる。
「……。気持ちは分からなくもないが、あんま感情移入すんなよ。ただでさえ、東京は他の街とは違う。《壁》の外ではあり得ない事が起こる――それがこの街だ。相手は人間じゃない。過度の情を寄せると身を滅ぼすぞ。《死刑執行人》なら尚更だ」
「でも……それじゃ、誰も信用できなくなっちゃうんじゃ………」
深雪は躊躇いがちにそう反論する。
ここはゴーストの街だ。住人の半分以上が人間ではない。確かに深雪の中にも、それを警戒する気持ちはある。
しかし、だからと言ってあまり疑ってばかりいると、友達ひとりも作れなくなってしまうのではないか。
ところが、流星は表情を変えず、静かな声音で言った。
「深雪。……東京の中には本物の化け物がいる。人間でもゴーストでもない、人の皮を被ったおぞましい化け物が、な」
「………!」
「……それを忘れるな」
こちらを射るような流星の眼光の鋭さに、深雪は思わず息を呑む。
それは、いつもの親しみやすい兄貴分のものではなかった。冷徹な《死刑執行人》としての目だった。
深雪は分からなくなる。
普段の気さくで飄々とした流星と、《死刑執行人》の時の流星と。
どちらが本当の赤神流星なのだろう。
チーム名や頭の名はとんとん拍子に掴めたものの、それ以上の事もすんなり分かるほど甘くはなかった。
《メラン・プシュケー》に関し、他愛のない情報はいくつか集まるが、肝心の居場所は全く分からない。それは深雪以外のメンバーも同様のようで、情報収集はすぐに暗礁に乗り上げてしまった。
そんな状態も、今日で三日目だ。
深雪はシロと共に朝から歩き回っていたが、目ぼしい手掛かりは得られなかった。どうやら《メラン・プシュケー》はさほど目立つチームではなかったようで、存在を知っている者も詳しいことまでは承知していないようだった。
太陽が頭上に昇るにつれ、人の往来もぐっと増えていく。
深雪はシロとはぐれないように気を付けながら、人波を避けつつ歩いていた。
ところがその時、右手に痺れるような痛みが走る。
「いって……⁉」
思わず右手の手首を抑えた。捻挫や骨折をした時のような、ひどい痛みだ。慌てて右の手の平を目の前にかざしてみるが、傷のようなものは一切ない。
(また、だ)
先日、海と会話していた時に感じた、手の平の奥からくるあの痛みだ。あれから時おり、こうやって痛むようになった。
それはいつも突然やって生きて、手の平から甲に突き抜けるような激しい痛みを伴う。決して外傷はなく、痣や変色、腫れといったものもないが、左手で触れると強い熱をもっているのが分かる。
ただ幸いなことに、痛みはいつも一過性で、数分もたてばすぐに消えてしまうので、誰に相談することもなくそのままにしていた。深刻な怪我や病気の類ではないような気もするが、長引くなら医者に診てもらったほうがいいかもしれない。
(……でも、この監獄都市に、医者なんているのかな?)
『監獄』という名はついているが、この街には何でも一通り揃っている。喫茶店や本屋、クリーニング店などもあったりするので、不便さはほとんど感じない。だから、探せば医者もいるだろう。
ただ、どれもいつぞやの駄菓子屋のように、普通の店ではないかもしれないが。
とにかく今は、手の平の痛みの事は後にしよう――そして物思いにふけっていた深雪は我に返り、シロの方を振り返る。つい考え事をしてしまったが、この間のようにはぐれてしまったら大変だ。
すると、シロは腹を押さえながら悲しげな表情をしていた。
「……シロ? 何かあった?」
シロもどこか具合が悪いのか。深雪が驚いて声をかけると、シロは涙目で俯く。
「シロ、疲れた……お腹空いた」
何だそんな事か、と深雪は思わず微笑みそうになるが、慌ててそれを引っ込めた。シロにとっては笑い事ではないのだろう。
それに、単純にお腹が空いたという事ではないらしい。
「りゅーせいのお仕事、大変なんだね……」
シロはぽつりとそう呟いた。そういえば、シロは今まであまり事務所の仕事にタッチしてこなかったようだ。連日、街の中をぐるぐると歩き回って、シロも少々、疲れ気味なのかもしれない。
「何か食べよっか」
深雪がそう声をかけると、シロはぱっと顔を輝かせる。
「何にするの?」
「シロの好きなものでいいよ」
すると、シロは迷わず「シロ、牛丼がいい!」と答えた。
「結構、ガッツリ系が好きなんだ?」
深雪は意外に思ってそう尋ねる。てっきり、パスタとかサンドイッチといった返事が返ってくるものと思っていたのだ。この間もラーメンが好きだと言っていたし、腹にたまるものに抵抗がないらしい。
すると、シロは無邪気に言った。
「今日は、そういう気分なの!」
深雪は未だ事務所界隈の地理に疎いが、シロによれば少し行った先に牛丼屋があるらしい。目の前の通りは人が溢れ返っているので、人通りの少ない路地を選んで近道することにした。少し元気が出てきたのか、シロの表情にも明るさが戻っている。
「次の曲がり角を右だよ」
シロの言う通り、細い路地を右に曲がると、太い怒号が響き渡った。ぎょっとして視線を通りの先にやると、若者が五、六人で固まって何かをしている。
更によく見てみると、その中に一人だけ背の低い少年がいた。
どうやら他の者はそのチビを取り囲んでいる。
「お、らァッ!」
「汚ねえんだよ、このガキ!」
ガラの悪い若者が、背の低い少年の頭を掴んで激しく揺さぶり、そのまま腹を蹴り飛ばした。やせ細った少年の体は、その場に踏みとどまることが出来ず、あっけなく吹っ飛んでしまう。
「ごっ……ごめ……な、さ……!」
少年は派手にその場に倒れ込みながらも、必死の様相で頭を下げた。しかし、男たちの手は止まらない。すぐに少年体を引っ張り上げると、こんどは横っ面を張り飛ばした。
「ああん? よく聞こえねーなあ!」
「ぎゃはは、もう一度言ってみろよ、ゴミ野郎‼」
そう言って、殴る蹴るの暴行を加え続ける。
彼らの攻撃にはあまり手加減をしている様子がない。おまけに男たちの顔は笑っていて、どう見ても面白半分だった。
一方の少年は、苦痛に顔を歪め、痛々しいほど繰り返し謝っている。
「あれ……」
深雪が顔をしかめると、シロも「ひどい……!」と怒りを顕わにする。
多勢に無勢であるのも問題だが、暴行を働く方と受ける方の体格にもかなり差がある。ガラの悪い若者たちは大人同然のがっしりした体格であるあるのに比べ、少年の方は背も小さく、ヒョロヒョロしている。
ひょっとしたら、まだ中学生くらいかもしれない。
やがて深雪は、暴行を加えている男たちの体に、溶けかかった髑髏の入れ墨が刻まれているのに気づく。
(あいつらは確か……)
すぐに思い出した。
東京に入った初日に、深雪に絡んできたチーム、《ディアブロ》だ。
あの後、マリアに聞いたのだが、《ディアブロ》は数あるゴーストのチームの中でも凶暴な部類に入るらしい。確かに《ディアブロ》の頭は、平気で深雪の同行者を手にかけた。ああいった暴力沙汰に慣れているのだ。
おそらく《リスト》に引っ掛からないぎりぎりの範囲内で悪事を働いているのだろう。
《ディアブロ》の暴行には容赦がなかった。このままでは、少年の方は下手をすると死んでしまうかもしれない。
深雪とシロの他には通りに人影はなく、目の前の暴行を止める者はいない。
(……俺が行くしかないか)
深雪は溜め息をついた。
「シロ、ちょっと待ってて」
「え……うん」
深雪は驚くシロをその場に残すと、ゆっくりと歩き始めた。両手を上に羽織ったパーカーのポケットに入れ、その中に潜ませておいたビー玉を握りしめる。そして、その格好で若者たちに近づいていった。
「お前ら、何やってんの」
深雪がそう声をかけると、ガラの悪い男たちが一斉にこちらを振り返った。
「……あ?」
「何だ、てめェ⁉」
男たちは深雪に気づくと、少年に向けて振り上げていた拳を止め、一斉にこちらを睨みつけてきた。
どの目も娯楽に水を差された怒りと、深雪に対する敵対心に溢れ返っている。
深雪はそれを容赦なく真正面から受け、内心でたじろいだ。こういうシチュエーションは《ウロボロス》にいた時に何度も経験したはずだが、そんな深雪でもぎょっとするほどの迫力だった。
だが、それを相手に悟られるわけにはいかない。隙を見せれば、余計に攻撃されるだけだ。
「やめろよ。そういう事して、何か意味あんのかよ?」
威嚇するような低い声で、そう牽制する。すると男たちは表情を歪めた後、ゲラゲラと下卑た笑い声を上げ始めた。
「はあ? 意味だあ⁉ バカか、こいつ」
「てめえにゃ、カンケーねーだろ。……それとも、やろうってのか?」
中腰になって挑発してくる《ディアブロ》たち。深雪は無言で睨み返す。ここで手を出すわけにはいかないが、だからと言って逃げ腰だと思われるわけにもいかない。
深雪と《ディアブロ》はそのまま数分、睨みあった。膠着状態は永遠に続くと思われたが、若者の一人が深雪の顔を見て、突然「あ!」と声を上げる。そして仲間に耳打ちをした。
「…おい、よせ。やべぇぞ、こいつ……」
「ああ⁉」
他の《ディアブロ》たちは、なに弱気なこと言ってんだとばかりに非難の声を上げる。しかし、声を上げた若者は、更にひそひそと耳打ちを続けた。
何を話しているのか細部は聞き取れない。だが、彼の口から《赤神》とか《東雲》という単語が僅かに漏れ聞こえてきた。
すると、それを耳にした他の若者たちは俄かに動揺を見せた。どうやら、深雪が東雲探偵事務所と繋がりがあるという事に気づいたらしい。
さすがの彼らも《死刑執行人》を敵に回したくはないのだろう。
深雪は油断せず、男たちを睨み続ける。やがて男たちは根負けしたのか、次々に表情を歪め、悔しそうに吐き捨てた。
「ちっ……」
「くそ……!」
「おい、行くぞ」
忌々しげに深雪を睨みながら、退散していく若者たち。深雪はそれを見送りつつ、内心でほっとする。暫くして男たちの姿が見えなくなると、シロが深雪に近づいてきた。
「ユキ、大丈夫?」
「あ、うん。俺は大丈夫」
「ユキがああいう事するって思わなかった。びっくりしちゃった」
そう言ってシロは嬉しそうに笑った。確かに東京初日の深雪だったら、いくら理不尽なリンチだったとしても見てみぬふりをし、関わらない事を選んだかもしれない。
だが今は、先日、猟奇殺人事件に巻き込まれたせいか、こういったリンチが許せないと思うようになっていた。暴力を振るう方は、適度なところで満足するということがない。相手が弱り切り、身動きが取れなくなっても、執拗に虐げ続けるのだ。
この少年が死んでから後悔しても、手遅れなのだ――そのことを、痛烈に思い知らされていた。
それに加え、ゴーストに対峙することにどこか慣れを覚えていたという事もあるかもしれない。
(昔のカンが戻ってきたっていうか……多分、あんま、いい事じゃないんだろうけど……)
《ウロボロス》にいた頃は、この程度のイザコザは日常茶飯事だった。だから本当は、ゴーストと戦うこと自体はさほど怖くないのかもしれない。
ただ、《ウロボロス》の結末を思い返すと、自分のやっている事が正しい事なのかどうなのか自信がなくなってくるのだ。
「キミ、大丈夫?」
一方のシロは、《ディアブロ》にいびられていた少年のそばに寄り添う。
「あ……あああ、ありがとう! 助かりましたぁ!」
そう答える声は妙に甲高い。声変わりをしてほどなくといった調子だ。
少年はよろよろと顔を上げる。深雪はその顔を見て更に驚く。
ぱっちりとした眼。線が細く、中性的な面立ちに、くせのある猫っ毛がよく似合っている。
どこかぽやんとした、柔らかい雰囲気の少年だった。年齢はおそらく自分とさして変わらないだろう。だが、その少女のような外見のせいか、シロと同じくらいに見える。
少年の纏っている服は、あちこちボロボロで当て布をしている部分も見える。先程の《ディアブロ》の暴行でそうなったというよりは、もうずいぶんその状態なのだろう。年季を感じる。サイズもぶかぶかで、あまり本人の体型とは合っていない。やはり古びた革靴と、大きな斜め掛けの鞄が何となく様になっている。
「……怪我は?」
「ありません。こういう事は、慣れているので。任せてください、バッチリです!」
そう言って少年は、あはは、と声を上げて笑う。
そこには卑屈さは全く無かった。まるで初夏の晴れた青空のように透明な笑顔だった。
深雪は意外に思う。自分が同じ目にあったら、悔しいか怖いかのどちらかだったろうと思うからだ。だが、少年からはそう言ったネガティブな感情は皆無だった。
不思議な子だと深雪は思った。東京の中にいるという事は、彼もゴーストなのだろうか。
「あなたたちはゴーストですね?」
少年が尋ねてきたので、シロが「うん、そうだよ」と頷く。
「僕は鵜久森 命といいます」
「シロはねえ、東雲シロだよ!」
「……。俺は雨宮深雪」
それぞれ自己紹介をする。すると、命と名乗った少年は、深雪をまっすぐ見据えて微笑んだ。
「――君、東京に来たばかりでしょう?」
「えっ……そうだけど。何で分かるの?」
「東京に長いと、そういうの、ぱっと見ただけで分かるようになるんです。……大変でしょう? ここは、ちょっと……独特のルールみたいなものがあるところだから」
深雪は「まあね」と曖昧に返事を返した。思わず自分の格好を見下ろしてしまう。
東京に来てまだ間もないという事がそんなに分かりやすく表に出ているだろうか。自分ではよく分からない。
それとも、それほどこの命という少年の観察眼が優れているという事だろうか。
深雪は首を傾げるが、命はさらに感動したようにこちらへと身を乗り出してくる。
「助けてくれて、ありがとうございます! 僕、こんなに親切にしてもらったの初めてです。そうだ! 二人とも、良かったら僕の家に来ませんか? ここから歩いてすぐなんです。助けてもらったお礼がしたくて……あっ、安心してください。僕の格好はこんなだけど、家は結構きれいだから」
シロと深雪は互いに顔を見合わせる。シロはどっちでもいいよ、という風に笑った。深雪はどうしようかと軽く悩む。だが、結局その申し出を断る事にした。あまり害はなさそうだが、命の氏素性が分からない。人間かゴーストかどうかも不明なのだ。
それに、別に見返りを期待して割って入ったわけでもない。




