第6話 ミーティング
「よくこんな店、残ってたな……」
深雪は驚嘆半分、呆れ半分で眼前の木造家屋を見つめた。
それはいわゆる駄菓子屋だった。
木造に瓦屋根の背の低い建物は昭和の風情を色濃く残し、東京の発展も衰退も我が身には関係なしとばかりに居座っている。
鉄筋コンクリートばかりの通りの中で、それは嫌でも目立った。よくみると壁や柱の一部は崩れかかっていて、両脇にそびえる雑居ビルの支えが無ければ、すぐにでも倒壊してしまうのではないかと思えて来る。
不気味に静まり返った薄暗い店内に足を踏み入れてみると、陳列棚に昔懐かしの駄菓子が並べられているのが目に入った。色とりどりの商品は店内を所狭しと埋め尽くし、天井まで侵食している。
一つ一つは小さな駄菓子だが、こうまで数を揃えられると、圧倒されずにはいられない。
カウンターには干物寸前といった老婆が店番をしているが、起きているのかいないのか、目を閉じたままピクリとも動かない。まるで何かの置物のようだった。
「今まで潰れなかったのが奇跡的だな」
深雪は再び、呟く。すると隣にいたシロがこくこくと頷いた。
「ボロいお店だよね」
「いや、うん……それもあるけど、この街で駄菓子なんて買う奴いないだろ」
「シロは時々来るよ。それで、まあるいラムネ買うんだ。真ん中に穴が開いてて、吹いたらピーって、音が出るの」
「はは、そっか」
思わず笑みが零れた。笛ラムネの事だろう。深雪にも覚えがある。
シロはカラフルな飴玉をいくつか手に取って言った。
「このお店、意外と何でもあるよ。お菓子じゃないものもあるし。ね、おばーちゃん?」
「そうなのか?」
「うん、店頭に置いてないだけ。いろいろあるよ。ホウ酸団子とか、睡眠薬とか……盗聴器とかスタンガンとか、あと、しゅりゅー弾とかも売ってくれるよ」
「……へ⁉」
前半はともかく、後半は明らかに駄菓子屋で売ってはいけないものではあるまいか。にこにこと無邪気なシロを前に、深雪は思わず言葉に詰まる。
すると、それまですっかり置物と化していた老婆がうっすらと目を見開き、ちろりと深雪を睨んできた。駄菓子屋の店番にしては、妙な迫力だ。
「……うちは一見客はお断りだよ」
泣く子も黙る、強烈な一瞥だった。おまけに声音もすっかりしゃがれて、まるで妖怪のようだ。深雪は表情を引き攣らせたまま硬直する。さすが監獄都市は、駄菓子屋すらも一筋縄ではいかないのか。
シロは買った飴玉を口に含みながら、不思議そうに首を傾げた。
「そういえば、ユキはこのお店に何しに来たの?」
「ああ、うん。ここならこれがあるかと思ってさ」
深雪が手にしたのは、一掴みのビー玉だった。黄色いネットには色とりどりの羽が浮かんだビー玉が詰め込まれている。
深雪のアニムスは《ランドマイン》――地雷だ。個体なら大抵のものは爆破の対象とすることが出来るが、爆発させる媒体がないと発動しない。だからその媒体を調達しておいたかった。
ビー玉はその大きさや球体という形状が気に入っていた。持ち歩きもしやすいし、ポケットに忍ばせていても他者にはそれを悟られにくい。何より、相手を油断させることも出来る。ビー玉が足元に転がってきても、普通はそれが爆発するとは思うまい。
駄菓子屋の老婆は相変わらず愛想も素っ気も無かったが、深雪がビー玉をレジに持っていくと、黙ってレジの引き出しを開いた。どうやら、客を無下にするほど荒んではいないらしい。
深雪とシロは駄菓子屋でそれぞれ買い物を済ませ、外を一通り歩いた後、事務所に戻ることにした。
客間からキッチンへと移動しようとすると、書庫の扉が慌ただしく開いた。急に人の気配を感じ、ぎょっとして立ち止まると、中から出てきたのは琴原海だった。
両手には分厚い本やらファイル、書類の束を山のように抱え込んでいる。忙しいのか、こちらにも全く気付いていない。
「あ、海ちゃん!」シロが海に声をかけた。
「シロちゃん、それに……深雪さんも」
海は深雪とシロに気づくと、パッと顔を綻ばせる。
「大変そうだね、琴原さん。手伝おうか?」
深雪はそう言いながら、海の書類をいくつか手に取った。海は「あ、ありがとうございます!」と、手に持つファイルが傾くのにも構わず、ぺこりと頭を下げる。
琴原海は深雪と同じ、およそ一週間前、この東京に収監されたゴーストだ。しかしその際、凶悪なゴーストのグループと鉢合わせ、殺戮事件に巻き込まれてしまったのだ。深雪の手引きで海はこの東雲探偵事務所に保護され、結局そのままここで働くことになったのだった。
仕事内容はまだ書類整理などが大半であるようだが、服装も私服や制服ではなく、黒のスーツ姿になっている。
自分の身の振り方を未だはっきりと決めていない深雪にとって、彼女の存在は何だか眩しく映る。
「何だかすごく、忙しそうだな」
「はい。覚えなきゃいけないことがたくさんあって……でも、忙しいくらいが丁度いいんです。私は二人みたいに外を出歩けないから……」
海は少し淋しげに笑った。襲われた時の影響か、海は今でも外を出歩くことに恐怖を覚えるらしい。無理もない、と深雪は思う。それほど酷い事件だった。今思い出しても、背筋が寒くなる。
シロは海を気遣って言った。
「きっと……すぐにまた外出できるようになるよ」
「……うん、そうだよね。そしたら、いろいろなところに連れて行ってね」
「モチロンだよ。シロね、お店とかいっぱい知ってるから!」
ようやく笑顔を見せた海に、シロは力強く頷く。しかし深雪は二人の会話を聞きながら、
(お店……ね。どれもさっきの駄菓子屋みたいに曰くつきなんじゃ……?)
と、ひっそり思ったのだった。
「私、早く皆さんのお役に立てるようになりたくって……。深雪さんとシロちゃんも、頑張ってくださいね」
「あ……うん」
深雪は海に向かって頷いたが、何だか居心地が悪かった。
海と比べ、深雪のやっている事は事務所の周辺の散策だけだ。《死刑執行人》の仕事は殆どしていないし、他に何か働いているわけでもない。そう考えると、激しい後ろめたさを感じるのだった。
( 俺、このままでいいのかな……)
自己嫌悪と訳の分からない焦燥感に襲われ、どんよりと気が滅入る。
気ばかり急くが、自分が何をすべきかも分からない。己のあまりの不甲斐なさに、苛立たしささえ覚える。
するとその時、深雪の右の手の平が、突然ずきりと痛んだ。
「いっ……?」
表面の筋肉や皮膚の痛みではない。もっと内側の、じくじくとした腱鞘炎のような痛みだった。不意打ちのようなそれに、深雪は思わず顔をしかめる。
(何だ……?)
右手を確認してみるが、表にも裏にも傷らしきものはない。そうこうしている内に、痛みは嘘のように引いていった。
(何だったんだ、今の……?)
右手を痛めるようなことは何一つしていない。深雪は訳が分からず、首をひねる。気にはなったが、痛みが取れた以上、気に病む必要もないだろうと右手を収める。そして顔を上げると、シロと海が心配そうにこちらを見つめていた。
「ユキ、大丈夫?」
そういってこちらの顔を覗き込んでくるシロに、深雪は慌てて「大丈夫、何でもない」と答えたのだった。
海は六道の書斎に隣接した部屋へと、書類を運び込んでいく。深雪とシロはそれを手伝った後、海とそこで別れた。
そして、当初の予定通りキッチンに向かおうとすると、ちょうど流星が六道の部屋から出てくるところに出くわした。
「……ああ、お前らか」
流星はすぐにこちらに気づいたものの、その表情にはいつもの軽さや余裕が無く、どことなく硬い。
深雪は嫌な予感を覚えた。何かあったのだろうか。
その心配は決して気のせいではなく、それが証拠に、シロも敏感に異変を察したようだった。
「りゅーせい、何かあったの?」
「いや、ちょっとな」
流星はそのまま二階へと足を向けたが、ふと、深雪と視線が合った。
(あ、ヤバい……)
深雪は警戒し、すぐさまその場を逃げ出そうとしたが、その時にはすでに手遅れだった。流星は立ち止まり、考え込むように腕組みをして上空を見上げた。
「あ~、どうすっかな……うーん……。いや、むしろ丁度いいか。お前らも一緒に来い。これからミーティングだから」
流星はそう言って、二階のミーティングルームの方を親指で指差す。
深雪はあまり気が進まなかった。ミーティングだという事は、他のメンバーもみな揃い踏みなのだろう。何故、集まっているのか。おそらく、事件が起こったからだ。
その事件の内容次第では、いよいよ深雪が《死刑執行人》として駆り出されることとなる。それを考えると、憂鬱でならなかった。いっその事、仮病でも使ってしまおうかと真剣に考えてしまう。
しかし次の瞬間、先ほど出くわした海の姿を思い出した。
トラウマを乗り越え、自分の仕事に一生懸命打ち込もうとしている海。
とても嫌だとは言えなかった。
結局、深雪はシロと共に指し示された部屋へと行くことにした。
ミーティングルームは、二階の中央部を占める一番大きな部屋だ。と言っても、事件でもない限り滅多に使われることはない。実際、深雪も入るのは初めてだ。
一歩、室内に足を踏み入れると、真っ先にその薄暗さが目についた。窓は大きくとってあるが、どれもブラインドによって日光が遮られている。その理由は、部屋の中央を占める巨大な会議用デスクにあるようだ。
会議用デスクは特徴的なデザインで、マヤ文明の遺跡、チチェン・イッツァをそのままくるりとひっくり返したような形をしている。
そのピラミッドの底部――会議用デスクの卓上は一面、液晶のタッチパネルとなっており、おまけに空中に3Dホログラムが浮き上がっていた。
内容はよくは分からないが、東京の地図や何らかのグラフが連なっている。更に部屋の一番奥の壁には、映画館の画面のような巨大なディスプレイまであった。
事務所の外観は随分と歴史を感じさせる外観であるため、客室やキッチン、廊下などのデザインも殆どがそれに合わせてあるが、この部屋だけは近未来相応のつくりとなっていた。あまりにも他の部屋と違うので、異世界に足を踏み入れたような錯覚さえ覚える。
部屋の中には他のメンバーも揃っていた。
奈落は部屋の壁にもたれかかり、神狼は会議用デスクの端に腰を掛けている。まだ打ち合わせが始まっていないこともあって、各々好きな格好をしているようだ。
入り口に背を向ける形でデスクの脇に立っていたオリヴィエは、こちらを振り返って少し驚いたような顔をした。
流星に促され、深雪とシロはテーブルのそばに進む。どうやらスタンドアップ・ミーティングのスタイルをとっているらしく、机の周りに椅子はない。
やがて部屋の中央のホログラムに、二頭身のウサギのマスコットが浮かび上がった。乙葉マリアの操るアバターだ。ウサギはふわふわ浮いて、時折くるりと回転したりしていたが、すぐに流星とその後ろにいる深雪とシロに気づく。
「あらぁ、深雪っちとシロじゃない。……ちょっと、どういう風の吹き回し?」
「どうもこうも、こいつらも《死刑執行人》なんだ。問題はないだろ」
「ふうん? ま、あたしはいいけど」
流星の返事に、肩を竦めるウサギ。
マリアは深雪とシロがいようがいまいが、どちらでもいいと思っているようだったが、奈落と神狼のリアクションはそれより手厳しいものだった。
「――おい。そんな不発弾が、一体何の役に立つんだ」
「能無し、足引っ張る。没有必要(必要ない)」
まるで指し示したかのように口を揃える二人に、「……ほうらね、反対すると思った」と、マリアはぼやく。
二人が言っているのは主に深雪の事だろうが、こちらとしても進んで《死刑執行人》の仕事に参加しているわけではない。そんなこと言われても、という白けた気持ちであるのが正直なところだった。
流星は呆れ半分といった様子で、顔をしかめる。
「あのなあ、こいつらもそろそろ、経験を積んでいく時期だ。このまま新人扱いを続けてたら、いつまでたっても使いものになんねーだろうが」
「しかし、流星……」
オリヴィエも表情を曇らせる。心優しい神父は、奈落や神狼とはまた別の理由で、深雪が会議に加わることに反対しているようだった。
「分かってるって……《狩り》にはまだ参加させない。それでいいだろ?」
流星は宥めるようにそう言うが、奈落はふんと鼻を鳴らし、神狼は大きなあくびをしてそっぽを向いてしまったのだった。オリヴィエも特にそれ以上反対はしなかったが、不承不承なのは明らかだ。
「お前らなあ。もうちっとこう、関心持とうぜ……」
オリヴィエはともかく、奈落と神狼の態度に、流星は頭を抱えている。
深雪は深雪で、この期に及んでも《死刑執行人》になる覚悟が固まっていなかった。
「あの……俺、ホントに……?」
「お前もそろそろ、腹決めろよ。《死刑執行人》には『力』が求められるのは事実だが、だからと言って何でも力押しで解決できるほど、甘い仕事でもねえ。覚えることは山ほどあるんだからな」
「う……うん」
流星は励ますように深雪の背中を軽く叩く。
先ほどの彼の台詞から判断すると、最も危険な仕事は未だしなくてもいいようだ。それで、深雪は少しだけほっとした。他のゴーストと戦ったり、命のやり取りをしなくてもいい――誰かが対処しなければならないのだと分かっていても、それだけで気持ちが少し楽になる。
「はいはい! シロも頑張るよ!」
深雪の隣でシロが勢いよく手を挙げながら言った。ところが、流星はシロに対しては、何だか孫の様子を眺める好々爺のような顔になって答えたのだった。
「あーうん。シロはまあ……ほどほどにな」
「えー、何で?」
シロは深雪とは全く違う流星の態度に、ぷうと頬を膨らませる。
しかし一方の流星は、それ以上シロに構うつもりは無いようだった。会議用デスクの上座に回り込みながら、卓上をひらひらと踊っているウサギのマスコットに声をかけた。
「そういうわけで、だ。マリア、そろそろ始めるぞ」
「はいはい、分かってますよ~ん。それじゃみなさん、今日も元気に行ってみましょー!」
マリアはぴたりと踊るのやめ、液晶画面の中心へと滑るように移動していく。
「何が始まるんだ……?」
深雪がどういう事だか分からず一人キョロキョロしていると、ウサギが得意そうにくるりと回ってこちらを振り返り、ポーズを決めながらピッと人差し指を立てた。
「どうもこうも、決まっているじゃない。事件なのだよ、ワトソン君!」
「……!」
深の背中に、緊張が走った。同時に部屋の空気が一変する。キンキンに氷で冷やした冷水をぶっかけられた時のような、ぴりりと張り詰めたものが肌を突き刺した。
やはり、事件――何か良くない出来事が起こっていたのだ。この間は大量殺戮事件だった。今度は一体、何が起こっているのだろう。それを考えると、一気に現実に引き戻されたような心地だった。
流星は会議室の中央を占める液晶タッチパネルを操作し、何枚かの3D画像を空間上に浮かび上がらせた。
夜間に撮影したものなのか、モノトーンの画像には、激しく破壊された建物や、折り重なるようにして倒れている人々の姿が映り込んでいた。
一見しただけでも、かなり酷い惨劇が起こったことが窺える。
「本日未明、変死体が出た。場所は秋葉原の、廃ビル群の中だ。死亡したのは、年齢二十歳前後の男で、氏名不詳、どこのチームに属していたのかも分かっていない。不明なことだらけだ。なんせそいつが死んだあと、死体が砂のように崩れて塵となったからな」
「死体が……?」
深雪は思わず耳を疑う。すると、流星の言葉を裏付けるように、新たに画像が複数浮かんだ。
それは数十枚の連続写真で、一繋ぎにしてみると、人の死体が四肢の方から崩れて砂の塊と化していく様子が克明に見て取れた。
「被害に遭ったゴーストのチームは《ブラン・フォルミ》っていう連中なんだが、そいつらの証言によると、突然この男が襲撃をかけてきたらしい。《ブラン・フォルミ》は交戦し、男を殺害。相手の男とは面識が全くなかったそうだ」
「アニムスの効果……じゃないのか?」
男の襲撃はともかく、死体の方は誰かが人体を砂のように風化させるアニムスを使ったのではないか。深雪は流星にそう尋ねた。
「勿論、その可能性は十分ある。……ただ、仮に何者かがアニムスを使ったのだとしても、おそらく《ブラン・フォルミ》は無関係だろう」
「……どうして?」
断言する流星に、今度はシロが首を傾げる。するとそれには、マリアが答えた。難しい表情をし、腕組みのポーズをしている。
「実はねぇ、こういう死体がボロボロになっちゃったっていう事件、これが初めてじゃないのよ。目撃証言のみを含めると、今回が七件目なのよね~。どれも加害者が一方的に暴れまくった挙句、死体は砂状に崩壊。まあ、異様っちゃ異様よね~。巷でも噂が広まっていて、ゾンビの仕業だなんて騒いでる奴もいるみたい」
「……!」
深雪はぎょっとする。
このタイミングでゾンビ。《ニーズヘッグ》の情報とも合致する。
まさか本当に、ゾンビがこの東京に現れたのだろうか。




