第7話 《ブラン・フォルミ》
違和感を抱いたのは深雪だけではないようで、オリヴィエも怪訝な表情をしている。
「ゾンビって……あのゾンビですか? 腐った……動く死体の?」
「そー。加害者の動きがそれだけ不自然ってことみたいだけど……如何せん、肝心の死体がなくなっちゃってるから、詳しいことが分からないのよ」
肩を竦めるマリア。シロは不安そうな表情を浮かべる。
「ねえマリア、ゾンビに咬まれちゃったら、その人もゾンビになるんでしょ? シロたちもゾンビになっちゃうの?」
「どうかなぁ……ま、ゾンビってのはあくまで噂だからね~」
どうやらマリアも噂そのものは信用していないらしい。やはり半信半疑のオリヴィエが、それに続く。
「そうですね……そもそもゾンビというはヴードゥー教などの宗教的儀式によって作り出された、仮死状態の人間の事なのですよ」
「……例えばふぐ毒のテトロドキシンは、摂取後数時間で全身に強いしびれや麻痺症状を起こすから、そういう自然界にある毒物を使うのよね~。つまり、ゾンビ=ウイルス感染とは限らないってわけ」
「そうなの?」
マリアの説明が分かったような分からないような、微妙な面持ちでシロは頷く。しかし、逆に奈落は不愉快そうな色を浮かべた。そして、そんな説明で言い包められてたまるかとばかりに反論を始める。
「……だったら何だ? ウイルスじゃなけりゃ安心なのか。ゾンビ化を促し、意のままに操る……そんなアニムスが仮に存在するとしたら、ウイルスなどより余程厄介だぞ」
「分ぁってるわよ、うっさいわねー。確かに楽観視はできないわ。こんなことは今までに無かった……という事は当然、未確認のアニムスが存在する可能性があるという事よ」
アニムスは人の数だけあるとはいえ、その殆どはいくつかに分類分けできる。中には非常に珍しいアニムスを持ったゴーストも存在するが、人をゾンビ化させた挙句、その遺体を砂のようにしてしまうアニムスなど、この《東京》内でも未だ確認されたことはない。
「……それだけじゃないわ。《ブラン・フォルミ》でも加害者でもない、第三のゴーストが現場にいた可能性もあるし、今把握している七件以外にも過去に同じ事件が多数起こっている可能性もある。そしたら、当然ウイルス感染の方も疑わなきゃいけなくなるし……ただ、いずれにせよ情報が少なすぎて、何か判断できる段階じゃないのよね~」
つまり、ゾンビの話も情報が少なすぎるが故、結果として都市伝説のように面白おかしく脚色されている可能性があった。現実の話が噂と化す際に、尾ひれ背びれが付いて誇張されていくのは、人の世もゴーストも同じだ。
的確な判断を下すには、一片の間違いもない確実性を伴った情報が必要不可欠となる。
「つまり、だ。まずは一にも二にも情報収集ってことだな」
流星がそう締めくくると、その場の全員が頷いた。質問や反論がないことを確認し、流星はそれぞれに指示を出し始める。
「奈落とオリヴィエは、過去六件の詳細を調べてくれ。俺は深雪と《ブラン・フォルミ》を当たってくる。マリアと神狼は他にも《東京》内で似たような事件がないか探ってくれ」
「……了解」
すると、ただ一人、何の指示も受けていないシロが、ピッと手を上げた。
「はいはーい! シロは? 何したらいいの?」
「そうだなあ……俺たちと一緒に行くか?」
「うん!」
シロは嬉しそうに頷いた。何だか、遊園地に行くのを楽しみに待つ子供のようだ。
「いい子にしてろよ」
流星はあどけないシロの仕草に苦笑を浮かべる。
「新しい情報が出たら、ぜーんぶマリアちゃんに報告してね! 待ってるわ~ん」
ウサギのマスコットは、わざとらしく体をくねらせそう言い残すと、くるりと回転しそのまま消えていった。それを合図に、他の者も一斉に動き出す。
オリヴィエは奈落と一緒に、神狼は一人で、それぞれ部屋を出て行く。
それを見送り、流星は深雪とシロに近づいて来た。
「さてと。行くか」
「どこに行くの?」
「《ブラン・フォルミ》の溜まり場だ。奴らは《死刑執行人》に対して警戒心が強い。すぐには何もかもぶちまけたりしないだろう。つまり、まだ何か情報を握っている可能性があるってことだ」
「……分かった」
深雪とシロは了解、と頷く。そういった情報収集なら、上手くすれば暴力沙汰が起きることもないだろう。危険は少ないはず、と深雪は内心で胸を撫で下ろした。
ところが、流星はまるでそれを見透かしたかのように、「ああ、それと」と付け加えた。
「連中は東京のゴーストの中じゃ大人しい方だが、決して無害ってわけじゃない。慎重にな」
「………。それって、戦う可能性もあるって事……?」
「いや、その手のゴタゴタは全部俺が対処する。経験のない新人に危険な事させられねーし。まあ、万一そうなったら、お前ら二人は全力退避な。俺のことは、ほっといていいから」
流星はそう言って、ひらひらと片手を振る。
「え……」
深雪は思わず言葉に詰まった。
(い、いいのかな……?)
荒事が好きなわけでは決してないが、自分一人だけ逃げるというのも、それはそれで罪悪感がある。シロに至っては、はっきりと不満を顔に浮かべた。
「えー、シロ、そんなのつまんない!」
「こらー、言う事聞けない子は置いてくぞー?」
「むう……りゅーせいのバカぁ!」
流星は、ははは、と笑ってシロの頭をくしゃりと撫でる。二人を見ていると、まるで年の離れた兄妹のようだった。
深雪は何となく、先ほど流星がシロにだけ指示を出さなかった理由が分かったような気がした。
流星はあまりシロを事務所の仕事に関わらせたくないのではないか。彼女の無邪気な笑顔を見ていると、それも無理のない事のように思えて来る。
シロはよく言えば天真爛漫で、悪く言えば幼すぎる。善悪がまだよく分かってないのではないか――そう思う事があるのだ。
善悪の判断がつかないという事は、ストッパーの役割をするものがないという事だ。そんな状態で戦闘になれば、取り返しのつかない深刻な事態にもなり兼ねない。
深雪はシロをそんなことに巻き込みたくはなかったし、おそらく流星も同じように考えているだろう。
もっとも、当のシロはそれを良しとはしていないようだったが。
深雪は流星とシロの三人で、《ブラン・フォルミ》へのアジトへと向かう為、歩みを進めていた。
周囲は微妙に倒壊しかけた建物が廃墟となって残っており、視界が悪い。ここで襲われたらかなり不利だ――そう思うと、自然と緊張感が湧いてくる。
人の気配はなかったが、自然と足取りは慎重になる。深雪の前を歩く流星も、何気ない様子で進んではいるが、辺りに気を配っているのが分かった。
その更に先を、シロが慣れた足取りで歩いている。腰にはいつもの日本刀だ。彼女は耳がいい。深雪たちより広範囲の情報を得ることが出来る。その為か、ずいぶん身軽に動いていた。
やはり人けがないのだろう。時折、立ち止まって耳をピクピク動かしているが、すぐに軽快に瓦礫を避けながら歩き出す。
シロが前方を駆けって行ったのを見計らったように、流星が声をかけて来る。
「……東京はどうよ? 慣れない場所で大変だろ」
「うん、まあ……最初はびっくりしたけど」
「《壁》の中は外とは別の国だからな。そーいやお前、どこの出身だよ?」
「えっ……と」
深雪はつい、口籠ってしまう。
(二十年前の東京から……とか、言えねー……)
自分の過去を流星に話して良いものかどうか、深雪は判断がつきかねた。シロは深雪が二十年前から来たという事をすぐに信じてくれたが、あれは例外だろう。流星はおそらく簡単には信じないだろうし、それがまっとうな反応だ。
ただ、怪訝な反応が返ってくると分かっていてわざわざ口にするのも馬鹿らしいし、だからと言って変に誤魔化したり嘘をついたりするのも抵抗がある。ぐちゃぐちゃとあれこれ考え込んでいると、流星は苦笑した。
「……そこ、黙っちゃうか?」
これ以上、この話を続けたくなかった。そこで深雪は早々に話題を変えることにした。
「あの、さ。聞いてもいい?ここの事務所って、どういう集まりなの? 何か、みんなバラバラだよね。カテゴリーっていうか、種類が」
「まあ、確かにな」と、流星は笑う。
「どういう人たちなの? 何か、未だによく分からないっていうか」
「さあなぁ……ウチのメンバーはみな、所長が直々にスカウトしてきた。互いの事情とかはあんま知らねーから、本人に聞いた方が早いかもな」
流星はどこかおかしそうにそう答えた。質問をはぐらかされているような気もしたが、互いの事情を知らないというのは事実であるような気がした。
事務所の面々の間には、そういう慣れ合った部分をあまり感じないのだ。あくまでそれぞれの目的や事情によって集っているのであって、それ以上プライベートに踏み込むことは誰一人、望んでない。
そういう、ある種ドライな空気がある。
(どういう人なんだ、東雲六道って………? 本当に、《ウロボロス》の元メンバーなのか……?)
《ウロボロス》とは、二十年前――まだ深雪が冷凍睡眠に入る前、壊滅させたゴーストのチームの名前だ。東雲六道がその《ウロボロス》の生き残りであるという事を、深雪は最近知った。
六道の半身は義手・義足だ。失われた手足は、深雪の《ランドマイン》が原因であるのに違いなかった。
六道の眼差しは鋭く、落ち窪んだ眼窩は死神を思い起こさせる。深雪は胃の辺りに感じる重い違和感を振り払うように、流星へと質問を続けた。
「流星は? ……東京の人?」
「俺は出身、長崎だよ」
「警察にいたって聞いたけど」
「ああ、人間だった頃な。福岡県警に配属希望だったんだけど、何故だか回されたのは東京の警視庁だった」
「そ……そうなんだ」
「……多いんだよ、そういうの。今じゃ、わざわざ東京行きを希望する奴なんて、まずいない。かと言って誰も配置しないわけにはいかないから、どうしても上も強制になる。俺が警視庁に配属されたばかりの頃、同期のみなで島流しだって嘆き合ったもんだよ。生きては帰れないんじゃねえかってな。……事実、死んだ奴もいる」
「………」
深雪は何も言えなかった。そういう流星も、ゴーストになってしまったがために警察の職を追われ、おまけに故郷の地を踏むことすらもう二度とないのだろう。
昔は、東京は出世の象徴だった。全てのヒトとモノがみな、先を争うようにして東京進出を図ったものだ。
だが、今は東京に行くという事は、未来を閉ざされることを意味している。
(俺……《東京》に帰ってきて良かったのかな……?)
家族や友人、仲間。探して求めていたものは一つとして存在せず、かと言って自分にできることを見つけられたわけでもない。
あるのは厳しい現実と、過去から蘇ってきた亡霊ばかりだ。
現実と向き合うのが嫌だというわけではない。だが、ここまで自分の愚かさや無力さを突き付けられると、何かしようという気力すら削がれてしまう。
急に黙り込んだ深雪を気遣って、流星がこちらを振り返った。
「あー……悪かったな、変な話して」
「いや、そういう意味じゃないよ。こっちこそゴメン。……っていうか、気になったんだけど、警察官だった時から髪は赤かったの?」
「んなわけねーだろ、ぶっ殺される」
「だったら《死刑執行人》になって染めたんだ。もしかしてアレ? ほとばしる魂が具現化したとかってヤツ?」
深雪は《ニーズヘッグ》のピンクのモヒカン・銀賀のセリフを引用し、そう尋ねた。まじめな話をしていたつもりだったが、流星はぶっと吹き出し、大笑いを始めてしまった。
「お前、案外おもしれ―こと言うなあ!」
流星は腹を抱えて爆笑していたが、やがて自分の髪を引っ張って言った。
「これは単に目立つし、覚えられやすいからだよ」
確かに、ごろつきゴーストたちは、流星の姿を見ただけで大人しくなる。流星はその効果を狙って、敢えて奇抜な格好をしているのだろう。
ただ、目立つという事はいいことばかりではない。余計な戦闘は回避できるかもしれないが、狙われる危険性も増す筈だ。
長所と短所の両方を天秤にかけ、今のスタイルを選択したという事なのだろう。
「ユキ! りゅーせい! 早く、早く!」
「はは、そう慌てんなって。コケるぞ、シロ」
不安定な瓦礫の上でぶんぶんと両手を振るシロに、流星はそう声をかける。深雪は立ち止まり、ぼんやりと二人の背中を見つめていた。
東京に戻ってきたことが正しかったのかどうか、今はまだ分からない。だが、とりあえずおかしな死体が出てきたことは気になった。
本当にゾンビなどいるのだろうか。
そしてそれは、ゴーストの仕業なのだろうか。
(戦闘は嫌だけど……できるだけの事はしよう)
そう考えると、少しだけ前向きになれるような気がしてくる。
シロが深雪にも手を振っているのが見えた。そこで深雪は、ようやく歩き出したのだった。
流星が向かった先は、今にも倒壊しそうな古びた倉庫だった。
どうやら、以前はどこかの企業が保有していたものらしいが、ずいぶん昔に放棄されてそのままになっているらしい。
そして、東京が監獄都市に指定されてからは、ゴーストのねぐらとして再利用されてきた。
大きさはちょうど学校の体育館ほどで、周囲は伸び放題の雑草で埋め尽くされている。
その雑草地帯の中には、人ひとりがかろうじて通れるほどの小道が一本できており、倉庫の方までまっすぐに伸びていた。
誰かが作ったというよりは、みなが草を踏みしめているうちに自然と出来た――そんな感じの獣道だった。
深雪は流星の後に続き、その小道を進む。深雪の後ろを、更にシロが大人しくついてくる。
やがて、倉庫の前を体格のいい若者が二人ほどうろついているのが目に入った。昨日、秋葉原で起こった事件の被害者、《ブラン・フォルミ》のメンバーだ。
《ブラン・フォルミ》の若者たちもこちらに気づいたのか、強張った表情でじっとこちらを凝視している。彼らは見張りなのだろう。
若者たちは更に流星を認め、ぎょっとする。
「あ……赤神……!」
「何しに来たんだよ⁉」
そう言って威勢よくこちらを睨んでくるが、声には怯えがありありと浮かんでいた。
「お前らの頭に用がある。そこを通してもらおうか」
流星は低い声音で挑むようにそう言った。普段の流星はノリが軽く、親しみやすい雰囲気をしているが、こういう時になるとそれは一変する。
今の流星は近寄りがたい威圧感を放っていた。傍にいる深雪も、思わずぎょっとするほどだ。
《ブラン・フォルミ》の見張り達も、揃って血の気を失った。忌々しそうに流星を睨みつけるものの、それ以上抵抗するつもりは無いようで、最後には渋々倉庫の扉を開けたのだった。
深雪は東京に収監された初日、初めて流星と出会った時の事を思い出していた。《ディアブロ》という攻撃的なチームに絡まれていた深雪を助けてくれたのは、流星とシロだった。
あの時も《ディアブロ》たちは流星の姿を目にし、明らかに大人しくなっていた。流星は《死刑執行人》として知られた存在であると同時に、秩序の番人として相当に恐れられている。
いつも近くにいる深雪からしてみると、何だか不思議な感覚でもある。
見張り達が重々しい扉を開き、倉庫の内部が明らかとなっていく。
屋内は薄暗く、奥の方は真っ暗だ。乾燥した空気の中には、古びた金属の臭いが仄かに混じっている。
見張りが睨みを利かせる中、深雪は流星やシロと共に倉庫内へと足を踏み入れた。外見通り、内部は広々としている。
だが、お世辞にも住環境は良いとはいえなさそうだ。
窓ガラスは何度も修理した跡があるし、柱はコンクリにひびが入っている。天井板もところどころに穴が開き、そこから太陽光が筋となって屋内に差し込んでいる。
広さはそれなりだが、床はコンクリがところどころ剥がれかけており、防暖・防寒設備もあまりしっかりとはしていなさそうだ。
一方、内装は割と整っていて、絨毯が敷いてある区画にはテーブルやソファといった家具や、テレビや冷蔵庫、レンジなどの家電も見受けられる。
その奥にはいくつかベッドがあるのも見えた。
また、部屋の隅には大量の瓶や缶類と共に、ゴミ袋がいくつかまとめてあったりして、妙な生活感を醸し出している。
そんな雑多な空間に、三十人ほどが集っているようだった。男女の割合は七対三ほどで、どれも年齢が若い。二十歳を超えている者はほんの一握りだろう。どの顔にもまだ幼さが微かに残っている。
それらがみな、警戒と緊張を浮かべ、深雪たち三人の様子をじっと窺っている。
やがて、一人の若者が深雪たちに向かって歩み寄ってきた。中でも一際体格のいい男で、他に幹部らしき数人の若者を引き連れている。
彼がこの《ブラン・フォルミ》というチームの頭なのは一目瞭然だった。《ブラン・フォルミ》の他のメンバーは、みな遠巻きにしてこちらを見つめている。その中には女の子や子供も複数混じっていた。
《ブラン・フォルミ》の頭は流星に名指しで呼び出されて明らかに不満そうだった。しかし、だからと言って無視するわけにもいかず、渋々出てきたという様子だ。
頭は松永と名乗ると、苦々しげに頭を掻いた。
「何ですか、話って」
「昨日の晩のことだ。決まってるだろ」
流星は素っ気なく答える。松永は顔を歪めて続けた。




