幸せの陰
ヴァルグレン家の大広間には朝から花が並べられ、甘い香りが流れていく。
今日は、ポンポコナーとジークフリートの婚約を正式に披露する日だった。
両家の親族をはじめ親しい貴族たちが集まる中央で、ポンポコナーは淡い青のドレスを身につけて立っていた。
長い髪は後ろでまとめられ、耳元には控えめな真珠が揺れている。
以前ならこうして人前に立つだけで、家名を聞いた者が顔をしかめるのではないかと気が気ではなかった。
「ポンポコナー・ポンポコピー・アウレリウス・フォン・エルドヴァーン・ルナセリア・ヴァレンシュタイン・ド・セレナディア・クロノフェルム……」
侍従が息継ぎを数度はさみながら正式な名を読み上げる。
「最後までありがとうございます」
「い、いえ。こちらこそ、大変に由緒あるお名前で……」
侍従は額に浮いた汗を拭い、温かい笑い声が広がった。
「覚えるのは大変そうですが、素敵なお名前ですわ」
「聖女様のご家名にこれほど多くの歴史が詰まっているとは」
「私は途中で諦めてしまいそうですな」
冗談まで飛び出し、ポンポコナーは目を細めた。
ポンポコナーの名前を面白がりながらも、その存在ごと受け入れてくれている人がいる。
「次は私だな」
ジークフリートが一歩前へ出た。
服の胸元には小さな白い花を身につけている。
「この私、ジークフリート・ヴァルグレンとポンポコナー嬢の婚約を、正式にお認めいただきたい」
ヴァルグレン家当主が立ち上がった。
「この婚約を、心より祝福しよう」
大広間いっぱいに拍手が響き渡った。
ポンポコナーが少し驚いたように目を瞬かせる隣で、ジークフリートが彼女を見た。
「どうした?」
「……こんなふうに祝っていただけるとは思わなくて」
「嫌だったか?」
「まさか。嬉しいです」
ポンポコナーは首を横に振り、ほんの少しだけ照れたように笑う。
ジークフリートの表情がほどけた。
彼は何も言わずポンポコナーの手を取る。
指先が触れ合い、その温度が心地よかった。
*
祝宴が始まると、二人の周囲には次々と人が集まった。
「ポンポコナー様、おめでとうございます。本当にお幸せそうですわね」
「ありがとうございます」
一人、また一人祝福の言葉が重なっていく。
「これからはどちらで暮らされるのです?ジークフリート様が奥様の家へ婿入りされると伺いましたが」
「ええ。その予定です」
「まあ。では、お二人であの長いご家名を……」
相手が言葉を止めるとポンポコナーが笑った。
「ご安心ください。ジークフリート様はもう覚えてくださっています」
「本当ですか?」
「もちろんだ、ポンポコナー・ポンポコピー・アウレリウス・フォン・エルドヴァーン・ルナセリア・ヴァレンシュタイン・ド・セレナディア・クロノフェルム……」
淀みなく言い切り、広間からどよめきが起こる。
ポンポコナーは思わず吹き出した。
「そこまで完璧に言わなくてもいいのに」
「君の名前だからな、それに私が覚えたいと思ったから覚えたんだ」
ジークフリートは当然のように答えた。
ポンポコナーは繋がれた手に少しだけ力を込めた。
ジークフリートも、それに応えるように指を重ねる。
その光景を見ていたヴァルグレン家の夫人が、そっと目元を押さえた。
「本当に……よかった」
*
湖には橙色の光が落ちていた。
湖畔に腰掛けているポンポコナーの隣にジークフリートも座る。
ポンポコナーは自分から彼の手を取り、二人の指が重なる。
夕陽を受けたジークフリートの髪と湖面が金色に染まっていた。
*
「旦那様、こちらにも署名をお願いいたします」
アレクシスは書類を受け取った。
机の上には大量の請求書が積まれており、金額を見るたび胃が重くなる。
「それから奥様より伝言がございます。今夜の晩餐には、侯爵家の方々をお招きしたいとのことです」
アレクシスの手が止まった。
「今夜?料理人には伝えたのか?」
「まだです」
「……さっさと手配しろ」
「かしこまりました」
使用人が頭を下げる。
そこへ、エリシアが入ってきた。
「アレクシス様。今夜のお客様のこと、聞いてくださった?」
「ああ。これから手配する」
「まあ、よかった。それから明日のことなのですけれど、新しい馬車を見に行きたいの」
エリシアは嬉しそうに笑った。
「……今の馬車では駄目なのか?」
「駄目というわけではありませんけれど、でも新しいほうが素敵でしょう?」
「……そうだな」
答えたものの、声に以前ほどの張りはなかった。
エリシアは気づかないのか、気づいても気に留めなかったのか。
「それと、来月の舞踏会には新しいドレスを――」
「エリシア」
アレクシスが遮った。
「……何ですの?」
言葉が出かかった。
今月はもう余裕がないと言えばいいだけだった。
だが、この美しいエリシアに、自分のものにしたくてたまらなかった女に向かって、無理だと言うことができなかった。
「……いや、何でもない」
「そう?では、仕立屋には私から伝えておきますわ」
エリシアは微笑み、部屋を出ていった。
アレクシスは椅子の背にもたれた。
目がかすみ、机の上の数字がぼやけて見える。
ふと一つの考えが頭をよぎった。
もしポンポコナーがここにいたなら家の支出はもっと少なかっただろうか?
すぐに、その考えを振り払う。
「……関係ない」
自分でエリシアを選んだ。
何も間違っていないはず。
それなのになぜ今になって、あの少女の存在が頭に浮かぶのか。
アレクシスは机の引き出しを開け、以前の婚約に関する書類に手を伸ばしかけて、やめた。
引き出しは閉じたが、指先はしばらくその取っ手から離れなかった。
「君のせいなのか? ポンポコナー・ポンポコピー・アウレリウス・フォン・エルドヴァーン・ルナセリア・ヴァレンシュタイン・ド・セレナディア・クロノフェルム・アストラエル・ミレニア・ヴェルディア・グランツェリオ・ノクターナ・シルヴァレイン・エーデルグラン・フェルゼリオン・アルカディア・ロゼンヴァルト・エルシオネ・ヴァルグレイス・ソレイユ・ド・リュミエール・エヴァーレイン・クローディア・テンペリオン・アストレイア・ベルクレール・フォン・グランディール・オルフェリア・ミストラル・セレスティア・ヴァン・エルフェリア・ダスクレイン・アルヴェリア・ローデンフェルト・メルクシア・ヴェルノワール・フェアリス・エクリシア・シャルヴェール・エインズワース・モルディア・レイヴンハート・カーディナリア・グリモワール・ネクロシア・ヴァルキュリア・アウレリア・ルクシオン・ノーブルフェル・エターナ・クロノヴェール・フィオレンツァ・ラ・セレネ・アルジェント・ド・アンブロシア・ヴェルサリア・ルナティエール・シルフェリア・エストレリア・オブ・エルドラード・グレイスヴァルト・メルディアナ・ローゼンクロイツ・アストラル・ヴァニタス・エルヴァーン・フェルディナンド・セラフィエル・ルミナリア・グランセリオン・ノクティス・オルディネール・エヴァンジェリア・クロイツベルク・ミレニアム・アークライト・ヴェルデローザ・セント・アルカディウス・ルシエラ・ド・フェルナディア・アストラハイム・エルメリア・ヴァレンティア・シルヴァノクス・ロザリア・テンペスト・エルグランデ・セレスティーヌ・オルタリア・リヴェルタ・グランフェルト・アウストラリス・ルナヴェール・エーデルシュタイン・クロノリア・アルヴァレス・ミスティルテイン・エルシオン・フェルクレア・レグナント・ソレリア・ヴァルハラ・ルミエル・アストリア・ノーブルローズ・グランヴェル・エルドラ・セラフィナ・ヴェルクス・アマランス・クロノセレス・ルナグレイス・アウレリアン・フェルディア・ミラージュ・エヴァーノクス・アストレア・リュミエール・ド・ヴァレンシュタイン・エルフェンリート・シルヴァリア・ノクタリス・グランディオーサ・ロゼリア・アルカナム・ヴェルディアン・フェルゼリカ・セレスティア・ルナティック・エーデルヴァルト・アストラルド・エルメシア・クロノフェリア・ミレイユ・ヴァルセリオン・ソレイユ・ド・グランディール・ノクティア・アルヴェリオン・フェアリーヴェール・ルシフェリア・ローゼンリート・ヴェルサイユ・アストラディア・エルシェリア・ダークレイン・セレナーデ・アルジェンティーナ・クロノス・ルナリア・エヴァーレイン・グランアルカディア・シルフィード・ヴァレンティノ・フェルナンディア・リュシエール・エルドラディア・ノクス・アウレリオン・セレス・ヴァルディア・ルミナス・アストレリオン・フェルクシア・ミストラリア・グランローズ・エーデルリヒト・クロノヴァーン・ソレスタ・ルナエル・アルカディア・ヴェルフェリア・ジュゲム・ノーブルヴェイン・カイジャリスイギョ・ヴァレンティア・クウネルトコロ・ルミエール・ヤブラコウジ・シルヴァレイン・チョウキュウメイ・エヴァーレイン」




