逆恨み①
雨の降る夜だった。
窓を打つ雨粒の音が、静まり返った屋敷の中まで響いている。
アレクシスは書斎の机に座ったまま、何時間も同じ帳簿を睨んでいた。
数字を追っているはずなのに、頭に入ってこない。
「……また、赤字か」
指先で頁をめくると先月より支出が増えている。
「旦那様、商会から奥様がお求めになった品について確認がございます」
扉の向こうから使用人の声がした。
「……明日にしてくれ」
「ですが、支払い期限が――」
「明日にしろと言っているだろう!」
「……失礼いたしました」
足音が遠ざかっていき、アレクシスは額を押さえた。
何を見ても苛立たしい。
机の上に山ほど置かれた請求書も、届いたばかりの招待状も、エリシアが注文した家具の見積書も、全てアレクシスが「いい」と言った結果だった。
だが、その言葉はいつからか、自分の首を締める紐になっていた。
*
「アレクシス様。今度の舞踏会、何を着ていけばいいと思います?」
「先月仕立てたドレスでいいだろう」
エリシアが手を止めた。
「嫌です。同じものを着てきたと思われますもの」
「そんなことを気にする必要があるのか?」
「ありますよ。わたくしはあなたの妻ですもの。あなたが恥ずかしくないように、いつも綺麗にしていたいのです」
エリシアは紅茶を一口飲んだ。
夫の隣に立つなら、美しくある。
それを維持するために必要なものがあるなら、手に入れる。
エリシアにとっては、それが当然なのだ。
「……好きなものを選べばいい」
「まあ。ありがとうございます」
エリシアは笑った。
アレクシスも笑おうとして、口元だけわずかに動かした。
*
アレクシスは新しい馬車の契約を済ませた帰り、王都の商業地区を歩いていた。
街は人で賑わい、店先には色鮮やかな布や宝石が並んでいる。
店の前を通るたび、金額が頭に浮かび面白くない。
ふと、一軒の宝飾店の前で足が止まった。
店内に並んでいたのは、淡い青色の宝石を使った耳飾りだった。
「ポンポコナー・ポンポコピー・アウレリウス・フォン・エルドヴァーン・ルナセリア・ヴァレンシュタイン・ド・セレナディア・クロノフェルム・アストラエル・ミレニア・ヴェルディア・グランツェリオ・ノクターナ・シルヴァレイン・エーデルグラン・フェルゼリオン・アルカディア・ロゼンヴァルト・エルシオネ・ヴァルグレイス・ソレイユ・ド・リュミエール・エヴァーレイン・クローディア・テンペリオン・アストレイア・ベルクレール・フォン・グランディール・オルフェリア・ミストラル・セレスティア・ヴァン・エルフェリア・ダスクレイン・アルヴェリア・ローデンフェルト・メルクシア・ヴェルノワール・フェアリス・エクリシア・シャルヴェール・エインズワース・モルディア・レイヴンハート・カーディナリア・グリモワール・ネクロシア・ヴァルキュリア・アウレリア・ルクシオン・ノーブルフェル・エターナ・クロノヴェール・フィオレンツァ・ラ・セレネ・アルジェント・ド・アンブロシア・ヴェルサリア・ルナティエール・シルフェリア・エストレリア・オブ・エルドラード・グレイスヴァルト・メルディアナ・ローゼンクロイツ・アストラル・ヴァニタス・エルヴァーン・フェルディナンド・セラフィエル・ルミナリア・グランセリオン・ノクティス・オルディネール・エヴァンジェリア・クロイツベルク・ミレニアム・アークライト・ヴェルデローザ・セント・アルカディウス・ルシエラ・ド・フェルナディア・アストラハイム・エルメリア・ヴァレンティア・シルヴァノクス・ロザリア・テンペスト・エルグランデ・セレスティーヌ・オルタリア・リヴェルタ・グランフェルト・アウストラリス・ルナヴェール・エーデルシュタイン・クロノリア・アルヴァレス・ミスティルテイン・エルシオン・フェルクレア・レグナント・ソレリア・ヴァルハラ・ルミエル・アストリア・ノーブルローズ・グランヴェル・エルドラ・セラフィナ・ヴェルクス・アマランス・クロノセレス・ルナグレイス・アウレリアン・フェルディア・ミラージュ・エヴァーノクス・アストレア・リュミエール・ド・ヴァレンシュタイン・エルフェンリート・シルヴァリア・ノクタリス・グランディオーサ・ロゼリア・アルカナム・ヴェルディアン・フェルゼリカ・セレスティア・ルナティック・エーデルヴァルト・アストラルド・エルメシア・クロノフェリア・ミレイユ・ヴァルセリオン・ソレイユ・ド・グランディール・ノクティア・アルヴェリオン・フェアリーヴェール・ルシフェリア・ローゼンリート・ヴェルサイユ・アストラディア・エルシェリア・ダークレイン・セレナーデ・アルジェンティーナ・クロノス・ルナリア・エヴァーレイン・グランアルカディア・シルフィード・ヴァレンティノ・フェルナンディア・リュシエール・エルドラディア・ノクス・アウレリオン・セレス・ヴァルディア・ルミナス・アストレリオン・フェルクシア・ミストラリア・グランローズ・エーデルリヒト・クロノヴァーン・ソレスタ・ルナエル・アルカディア・ヴェルフェリア・ジュゲム・ノーブルヴェイン・カイジャリスイギョ・ヴァレンティア・クウネルトコロ・ルミエール・ヤブラコウジ・シルヴァレイン・チョウキュウメイ・エヴァーレイン……」
アレクシスは眉をひそめた。
なぜ今、彼女を思い出す。
そのとき、後ろから声がした。
「アレクシス様?」
ドキリとして振り返ると、知り合いの貴族だった。
「お久しぶりですね。最近はヴァルグレン家のご令息のお話をよく耳にしますね」
アレクシスの眉が動く。
「ご存じでしょう? ジークフリート殿の婚約が正式に決まったとか」
「……そうなのか」
「しかも、あの王国一長い家名の家のお嬢様でしょう? 随分とお似合いだそうで。社交界でも評判ですよ。ジークフリート殿は以前とは見違えるようになったとか。ポンポコナー嬢も、ずいぶん楽しそうにしているそうです」
「そうか」
それだけ言うのが精一杯だった。
「では、私はこれで」
アレクシスはその場に立ち尽くした。
「……私が捨てた女だぞ」
誰に聞かせるでもなく呟いた。




