第八話 慈愛
門が開いても、白の民の列はすぐには動かなかった。
目の前に現れたのは、宝具へ続く道であると同時に、誰が生きて戻れるかも分からない死地への入口だ。
自分から足を踏み入れたい者などいるはずがない。
カイルの隣では、ルカが不安そうに服の裾を握っていた。
その指先は寒さだけではなく、恐怖によって小さく震えている。
できることなら、このまま孤児院へ連れて帰りたい。
けれど、後ろには武器を持ったハクレインの騎士達が並んでいる。
ここで王命に逆らえば、宝物殿へ入る前に捕らえられるだけだ。
「何をしている! 前へ進め!」
騎士達の怒声に追い立てられ、白の民は一人、また一人と門の内側へ足を踏み入れていった。
カイルもルカを傍から離さないようにしながら、その流れに続く。
僕が、ルカを守らないと。それだけは、何が起きても変わらない。
門をくぐると、外の雪原とはまるで異なる光景が広がっていた。
白い石で築かれた巨大な広間。
左右には遥か上の天井を支える柱が等間隔に並び、その中央を一本の広い通路が奥まで伸びている。
脇道も、身を隠せそうな場所も見当たらない。
足を踏み入れた者を、否応なく最奥へ導くために造られたような場所だった。
窓も、火を灯した松明もない。
それでも広間は、どこからともなく降り注ぐ柔らかな白い光に満たされている。
「……あったかい……?」
ルカが小さく呟いた。
確かに、外で身体を刺していた冷気はここまで入ってきていない。
火の傍で暖を取った時のような温かさが、冷え切った身体を包んでいた。
カイルが頭上を見上げると、宙に浮かぶ幾つもの光の奥に、二枚の翼を広げた天使のレリーフが刻まれていた。
まるで教会を何十倍にも広げ、椅子や祭壇をすべて取り除いたような空間だ。
けれど、祈るための場所には見えない。あるのは奥へ続く道と、頭上から降り注ぐ光だけ。
この場所は人を迎えるために造られたのか。
それとも、足を踏み入れた人間を選ぶために造られたのか。
カイルには判断できなかった。
「……思ったより、怖くないな」
「外よりずっと暖かい……」
「天使様の宝物殿なんだろ?」
張り詰めていた空気が、周囲から漏れた声によって僅かに緩んでいく。
「なら、いきなり殺されたりはしないんじゃ……」
誰も本気で安心したわけではないのだろう。
それでも、そう信じたくなる気持ちはカイルにも分かった。
明るく、暖かく、静かな場所だ。少なくとも、人を苦しめるためだけに造られたようには見えない。
だが、その期待を遮るように、広間の中央へ白い光が集まり始めた。
「なんだ……?」
幾つもの光が重なり、少しずつ輪郭を作っていく。
やがて光が消えると何もなかったはずの場所に、一基の石の台座が現れていた。
台座の上には、厚みのある石碑が置かれている。
「お前達は動くな。こちらで確認する」
隊長らしき騎士が白の民を制し、石碑の前へ進み出た。
表面へ淡い光が走る。それに照らされるように文字が浮かび上がり、隊長は刻まれた文面を読み上げた。
『己が隣人を、己より高く掲げよ。
癒しを求める者には、手を差し伸べよ。
悲しみに沈む者には、寄り添え。
強き者は弱き者を守り、
弱き者は強き者を支えよ。
落ちゆく者にも、最後まで手を伸ばせ。
その心なき者は、天より降る光の矢に射抜かれる。
また、己が過ちより目を逸らすな。
鏡に映る罪を見つめ、赦しを求める者を赦せ。
そして、己自身をも赦せ。
慈愛と赦し。
その二つの心を持つ者のみ、先へ進むことを許す』
隊長の視線が、石碑の端へ移る。そこには、短く文字が刻まれていた。
“慈愛と赦し”
「やはり、悪魔型ではないな。慈愛を掲げる試練なら、無秩序に人を殺すことはあるまい」
隊長は安堵したように息を吐いた。
周囲の騎士達も、その言葉を聞いて表情を緩めた。
けれど、カイルの胸には不安が残った。
慈愛を持つ者を先へ通す。それだけなら分かる。
だが、持たない者には、天から光の矢が降るという。
それは、本当に安心していい試練なのか?
そんなことを考えていたら、石碑の奥にある扉が開いた。
「進め。試練はこの先だ」
騎士の命令に従い、白の民は再び歩き始めた。
※
扉の先には、先ほどと同じような造りの空間が広がっていたが、見たところ広さは一回りほど狭く感じられた。
その時、最後の一人が中へ入った瞬間、背後の扉がひとりでに動き出す。
「なっ……!」
その場にいる全員が一斉に振り返った。
誰も触れていない。それなのに、扉は重い音を立てて閉ざされていく。
やがて隙間さえ見えなくなり、入ってきた場所はただの白い壁のようになった。
もう、戻れない。まるで、試練を受ける者が全員入ったことを、宝物殿そのものに見届けられていたようだった。
嫌な感覚を覚えながら、カイルはルカを自分の傍へ寄せた。
左右に並ぶ柱。白い石畳。天井から降る柔らかな光。造りは先ほどの広間によく似ている。
だが、天井に刻まれた天使の姿が違っていた。
二枚ではなく、光の奥には四枚の翼が広がっているように見える。
さっきの天使とは違う。いや、光に隠れて、そう見えているだけかもしれない。
カイルが目を凝らした、その時だった。宙に浮かんでいた光が揺れた。
「おい……なんだ、あれ」
光は天井へ吸い寄せられ、細く鋭い形へ変わっていく。
一本ではない。二本、十本、数百本。気づいた時には、広間の奥側にある天井が、無数の光の矢で埋め尽くされていた。




