第七話 第一陣
「そこまでにしておきなさい」
静かで透き通った声が、雪原に響いた。
次の瞬間、ロウの拳はカイルの頬を捉える寸前で止まっていた。
ロウの喉元には、いつの間にか大剣の刃が添えられている。刃先が皮膚をわずかに裂き、細い血の筋が首を伝っていた。
その光景を前に、周囲の冒険者達が響動めく。
実力のあるパーティーの一人が、何もできずに動きを止めるしかなかったのだ。
カイルは、ロウの喉元へ添えられた大剣の刃を辿るように、ゆっくりと視線を向けた。
その先に立っていたのは、一人の少女だった。
歳は、カイルとそう変わらないように見える。
長い髪は後頭部の高い位置で一つに結われ、雪原を吹き抜ける風に長い尾を描いて靡いていた。
雪の中でも目を引くほど白く透き通った肌に、すっと整った目鼻立ち。
長い睫毛に縁取られた瞳と、小さな唇には、まだ年相応の可憐さが残っている。
その華奢な身体には、戦いに備えた鎧がしっかりと身につけられていた。
胸元を守る金属製の胸当てに、腕を覆う籠手。腰から脚にかけても防具が施され、その上からハクレインでは見慣れない外套を羽織っている。
外套の肩には、獅子を象った大きな留め具が輝いていた。
可憐な顔立ちとは対照的に、その装いは紛れもなく戦士のものだった。
けれど――それでもなお、少女の細い身体に対して、その武器だけはあまりにも大きい。
その手には、自身の背丈にも迫るほど巨大な大剣が握られていた。
長い刃はロウの背後からほとんど水平に伸び、その喉元を捉えている。
あれほど巨大な剣だというのに、その腕には僅かな震えすらなかった。
何より目を引いたのは、その眼差しだった。
真っ直ぐロウへ向けられた視線には、一切の怯えも迷いもない。
可憐な容姿とは似つかわしくないほど鋭く、あと一歩でも動けば本当に斬り伏せる――そう思わせるほどの凄みがあった。
綺麗な少女だと、カイルは思った。
「赤の品位を下げないでくれる? あんたみたいなゴミがいると、遠征で来ている私達まで同類に見られるでしょ?」
少女はロウの喉元に刃を添えたまま、可憐な容姿とは裏腹に、冷然と言い放った。
喉元へ刃を向けられたロウの顔から、先ほどまでの余裕が消えていた。
ゆっくりと拳を開き、両手を顔の近くまで上げる。
「ちっ……悪かったよ。だから、その剣を下ろしてくれ」
少女は大剣を背負い直すと、何事もなかったかのように身を翻し、宝物殿の前に積まれた木箱へ向かった。
解放されたロウは、傷ついた喉元を押さえながら、その背中を睨みつける。
「あの女……俺より色の階位が上なのかよ。つか、どこかで見た顔だな……」
「ロウ、今のは本当に死にかけていましたね」
セイルは眼鏡の位置を直しながら、どこか面白がるように言った。
「笑い事じゃねぇだろ!」
四重の檻の間では軽口が交わされていた。
そんな彼らをよそに、少女は宝物殿の前に積まれた木箱へ辿り着くと、一段高くなったその上へ立った。
そして、その場に集まった者達を静かに見渡す。
「私はフレイ・ガルドより遠征の任を受けた、リセリア・フレイよ! 今回の宝物殿攻略では冒険者ギルドより、ここに集まった冒険者達の統括を任されている!」
先ほどまでの静かな声とは打って変わり、その声は雪原の隅々まで響き渡った。
――リセリア・フレイ。
その名が告げられた瞬間、至る所からざわめきが起こった。
「あれが、フレイ・ガルドの第一王女……?」
「あのカルロフ・フレイの娘の?」
ロウもようやく少女の正体に気づいたのか、顔を引きつらせながら声を潜めた。
「マ、マジかよ……あれが、噂のリセリア様かよ。宝具もなしに朱色まで到達した天才王女――紅蓮のリセリア……」
隣にいたセイルが呆れたように肩を竦めて、ロウの肩に手を置いた。
「ロウ、君はフレイ・ガルドへ戻った時、本当に殺されるかもしれませんね」
「じょ、冗談でもそれはきついって……」
リセリアは木箱の上から、その場に集まった者達を真っ直ぐ見渡した。
「ハクレインの地に宝物殿が現れたのは、今回が初めてよ! その噂を聞きつけ、自分の意思でここまで来た者もいれば、フレイ・ガルドの遠征に参加した冒険者もいるでしょう」
リセリアは一度言葉を切り、冒険者達へ視線を巡らせた。
「けれど、宝物殿に入った後の決まりは一つ。宝具へ最初に辿り着いた者が、それを手にする。王国の兵士であろうと、冒険者であろうと、その原則は変わらない。だからこそ、忠告しておくわ」
リセリアの視線が、ロウと、その言葉に笑っていた者達を冷たく射抜いた。
「宝物殿へ入る前から他人を見下している余裕があるのなら、まずは自分が生きて帰る心配をしなさい! 私は今回の攻略を統括する立場だけれど、あなた達の油断まで面倒を見るつもりはないわ!」
その一言で、冒険者達は完全に口を閉ざした。リセリアは彼らから視線を外すと、門の近くで待機しているハクレインの騎士達へ顔を向けた。
「続いて、突入の順番を確認するわ。この宝物殿は、ハクレイン王国の領内に出現したものよ。したがって、最初に攻略へ挑む権利は、ハクレイン側にある! そして、フレイ・ガルド遠征隊と冒険者達は第二陣。ハクレイン側の攻略が失敗、または継続不能と判断された場合に限り、事前に交わされた契約に従って私達が攻略を開始する」
第一陣――ハクレイン側。
その言葉が意味していたのは、カイルが頼ろうとしていた者達が、誰一人として最初から傍にはいてくれないということだった。
冒険者達も、フレイ・ガルドの遠征隊も第二陣。
彼らが宝物殿へ入るのは、ハクレイン側の攻略が失敗した後のことである。
この人達の傍にいれば、ルカを守れるかもしれない。
つい先ほどまでカイルが抱いていたわずかな希望は、リセリアの説明によって打ち砕かれた。カイルは、自分の両手へ視線を落とした。
僕達には、剣も防具もない。それは、列に並ばされた皆も同じだった。
宝物殿が、人の命を奪う死地であることは分かっている。それにも関わらず、ハクレインは僕達に何も与えないのか。
カイルはその時理解した。
ロウが先ほど言っていたことが間違いではなかった。自分達がハクレインの騎士達のただの肉壁だということを。
リセリアの説明が終わると、門の近くで待機していたハクレインの騎士が一歩前へ出た。
「今、リセリア様が告げられた通りだ。我々ハクレイン側が、第一陣として突入する。これは、我々が最初に宝具を手にする機会でもある。ここから先、列を乱すことは許されない。王命である」
権利。そう呼べば、聞こえだけはよかった。
だが、白の民に与えられたのは宝具へ先に手を伸ばす機会ではない。誰よりも先に、死地へ踏み込む役目だった。
「前列、進め!」
騎士の号令とともに、閉ざされていた宝物殿の門が、重い音を立てて開き始めた。




