第五話 家族
宝物殿へ向かう時間が、少しずつ近づいていた。
カイルとルカはすでに支度を終え、孤児院の入口近くに立っている。
部屋の中には、先ほどまでの誕生日会の名残がまだ残っていた。
けれど、誰もその続きを始めようとはしない。
アリアもまた、不安を隠しきれない様子で二人を見つめていた。
それでも、これから危険な場所へ向かうカイル達を余計に不安にさせまいとしているのか、なるべくいつも通りの表情を作ろうとしている。
「カイル」
「はい?」
呼ばれて振り向くと、アリアが何かを両手で差し出した。
「これを持っていって」
「包帯……?」
何枚かまとめられた、真新しい包帯だった。
カイルが不思議そうに見つめていると、アリアは僅かに目を伏せる。
「怪我をした時に使いなさい。何もないのが一番だけど……念のためにね」
「……ありがとうございます」
カイルは素直に頷き、包帯を大事にしまい込んだ。
本当なら、使うことなどない方がいい。けれど、これから向かうのは宝物殿だ。
アリアが少しでも自分達のためにできることを考えて、用意してくれたのだろう。
そう思うと、胸の奥が僅かに温かくなった。
カイルは少し離れたところに立つトルガへ目を向けた。
自分とルカが宝物殿へ向かえば、ここに残るのはアリアと子供達だけになる。
今まで家計を支えるために働いてきた自分もいない。そう考えると、やはり心配は残った。
「トルガさん」
「……なんだ?」
カイルはトルガへ向き直る。
「僕達が戻るまで、アリアさんや皆のこと……お願いしてもいいですか?」
トルガは一瞬だけカイルを見つめた。
だが、すぐにいつものように鼻を鳴らす。
「そんなこと、お前に言われんでも分かっとるわい。こっちのことは気にせんでええ」
「……ありがとうございます」
その言葉を聞いて、カイルは少しだけ肩の力を抜いた。
加工場へ働きに出た頃から、何かと世話を焼いてくれた人だ。
孤児院にも何度も足を運び、アリアや子供達のことまで気にかけてくれている。
だからこそ、任せられる。
自分達がいない間も、トルガがいてくれるのなら――少なくとも、この場所のことまで心配し続ける必要はない。
そう思うだけで、胸にのしかかっていた不安がほんの少しだけ軽くなった。
そしてカイルは、重い空気の中でも気丈に振る舞おうと口を開く。
「そうだ、トルガさん! もし僕が宝具を手に入れて、化け物になっても僕のこと忘れないでくださいね!」
「……」
「ほら、白は歴史上一度も宝具を手にしたことがないって言われてるじゃないですか! もし僕が手に入れたら、何が起こるか分かりませんし!」
もちろん、本気で言っているわけではない。
宝具を手に入れられるなど、カイル自身思っていなかった。
ただ、このまま重苦しい顔で別れるのが嫌で、少しでも笑って送り出してほしいと思っただけだった。
だが――トルガは笑いも、怒ることも、呆れることもない。
ただ浮かない表情のまま、カイルと、その隣にいるルカを見つめている。
その顔を見て、カイルはすぐに察した。
――やっぱり、ルカのことが心配なんだ。
今日十歳になったばかりで、これから初めて仕事を始めるはずだった子供だ。
そんなルカまで宝物殿へ連れていかれるのだから、トルガが心配するのも当然だった。
カイルは安心させるように笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ、トルガさん! 何があっても、ルカだけは助けますから!」
「……いや、ダメだ」
「え?」
カイルは思わず目を瞬かせる。
てっきり、ルカのことを心配しているから黙っているのだと思っていた。
だが、トルガはいつになく真剣な顔でカイルを見上げていた。
「ルカだけじゃない、お前も五体満足で帰ってこい!」
「……トルガさん」
「勝手に自分だけ勘定から外すんじゃない。二人で行くんじゃったら、二人で帰ってこい」
カイルが気丈に振る舞っていたことが見抜かれていたのか、トルガはただ、まっすぐカイルを見ていた。
「ルカの誕生日パーティーの続きをするんじゃからな……」
「――っ」
カイルは何も言えなくなった。
トルガは昔から、何かと自分達のことを気にかけてくれていた。
けれど、それを素直に言葉へ出すような人ではない。
そんなトルガが今は、何一つ誤魔化さずに「お前も帰ってこい」と言ってくれている。
その言葉が、思っていた以上に強くカイルの胸へ響いた。
目の奥が、じわりと熱くなる。
思えば、物心ついた頃から孤児院にはアリアがいた。
血の繋がりこそなくても、自分達を育て、叱り、笑い、いつだって心配してくれた。
カイルにとって、アリアは母親のような存在だった。
けれど――父親のように頼れる大人はいなかった。
十歳になれば働き、自分も少しでも孤児院の家計を支えなければならない。
いつ頃からか、自分がしっかりしなければならないと思うことが当たり前になっていた。
そんなカイルを、支えてくれていたのがトルガだった。
だからなのだろうか。
これまで胸の奥にしかなかった言葉が、気づけば自然と口から零れていた。
「大丈夫です、お父さん! 絶対帰ってきますから!」
「……え?」
言った直後、カイル自身も一瞬だけ目を丸くした。
けれど、不思議と言い直そうとは思わなかった。
むしろ、ずっと前からそう呼びたかったのかもしれない。
カイルは滲んだ涙を拭おうともせず、そのまま笑い、そしてトルガへ向かってまっすぐ拳を差し出した。
差し出された拳を前に、トルガはしばらく何も言えなかった。
「……お父さん、か」
ぽつりと零れた声に、カイルは少しだけ気恥ずかしくなった。
けれど、トルガはからかうことも、「誰がお父さんじゃ」と否定することもしなかった。
ただ、何かを噛み締めるようにカイルを見つめている。
そして、差し出された拳へ力強く自分の拳を合わせた。
「……おう! 行ってこい!」
「はい!」
カイルは涙を浮かべたまま笑い、大きく頷いた。
ルカもトルガとアリアへ振り返りながら、カイルと共に孤児院を出ていく。
雪の積もった道を、二人並んで歩き始める。
その背中を、アリアとトルガは見えなくなるまでずっと見送っていた。




