第四話 約束
「そんな奴はここにはおらん!」
騎士の問いかけに、トルガが間髪入れずに言い放った。
入口を塞ぐように立ったまま、一歩も退こうとはしない。
もちろん、嘘だ。
カイルはすぐ後ろにいるし、ルカだって孤児院の中にいる。
それでもトルガがそう答えた理由くらい、カイルにも分かった。
――僕達を、庇ってくれてるんだ。
胸の奥がざわつく。
だが、ここで自分から名乗り出ていいのかも分からず、カイルは何も言えないままトルガの背中を見つめていた。
先頭に立つ騎士は、その視線をゆっくりと下へ向け、トルガをしばらく無言で見つめていた。
「……あなたはドワーフでしたね」
「だったらなんだ」
トルガが睨み返す。
しかし騎士は表情一つ変えなかった。
「これは我が国の問題です。部外者は口を挟まないでいただきたい」
「っ……」
トルガの顔が険しくなる。
カイル達にとって、トルガは決して部外者などではない。
六年前から同じ加工場で働き、孤児院にも何度も足を運び、子供達のことまで気にかけてくれている。
けれど、王国にとっては違う。
橙色を持つドワーフであるトルガは、ハクレインの民ではない。
トルガは何かを言い返そうと口を開きかけた。
だが、結局その言葉が出ることはなかった。
ただ悔しそうに歯を食いしばり、拳を強く握り締める。
そんなトルガから視線を外すと、騎士は再び孤児院の中へ目を向けた。
「さあ。カイル・レヴナードとルカ・フロイゲルはどこにいる?」
カイルは、トルガの背中を見つめた。これ以上、庇わせるわけにはいかない。
そう思い、恐る恐る一歩前へ出る。
「ぼ、僕がカイル・レヴナードですけど……何か御用ですか?」
カイルの声がわずかに震え、騎士の視線がまっすぐカイルへ向けられる。
「お前がカイル・レヴナードか」
「は、はい……」
「もう一人、ルカ・フロイゲルもここにいるはずだな」
その名前が出た瞬間、カイルの肩が僅かに強張った。
だが、騎士はそれ以上ルカを探そうとはせず、孤児院の中を一度見回しただけだった。
「……まあいい。伝達が届けば同じことだ」
そう言うと、騎士は懐へ手を入れ、一枚の書状を取り出した。
折り畳まれていた紙を開き、そこに記された内容へ目を落とす。
「ヨルンド・ハクレイン陛下より、王命が下った」
「――っ」
王命。
その二文字を耳にした瞬間、アリアとトルガそしてカイルの表情が変わった。
騎士はそのまま、淡々と書状を読み上げた。
「ハクレイン王国内に住む十歳以上の男子は全員、北に出現した宝物殿の攻略へ参加せよとの仰せだ」
「……え?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
北に現れた宝物殿。
そこへ多くの冒険者が集まり、隣国フレイ・ガルドまで動いていることは、すでに聞いている。
けれど、それはあくまで冒険者や騎士達の話だと思っていた。
七色の力すら持たない自分達まで、その攻略へ参加させられるなど、考えたこともない。
それなのに――十歳以上。
騎士が口にしたその条件が、遅れてカイルの中へ引っかかった。
嫌な予感に導かれるように、ゆっくりと視線を動かす。
そこにいたのは、今日十歳になったばかりのルカだった。
その瞬間、トルガが再び前へ出た。
「待て!」
カイル達を庇うように両手を広げ、騎士達の前に立ちはだかる。
「こいつらはまだ若い! それに工業区で働いてる連中まで一度に連れていったら、こっちは人手が足りなくなる!」
だが、騎士は少しも表情を変えなかった。
「先ほども申し上げましたが、これは我が国の問題です」
「だからって――」
「そして、ヨルンド・ハクレイン陛下の決定事項でもあります。異議がおありなら、後日正式な手続きを取ってください」
取りつく島もなかった。
トルガが何を言おうと、この場で王命が覆ることはない。
それが分かっていても、カイルも黙っていることはできなかった。
「待ってください!」
思わず張った声に、騎士の視線が再びカイルへ向いた。
「ルカは今日、十歳になったばかりなんです!もし、この王命が前から決まっていたなら、その時はまだ九歳だったはずです!」
ほんの僅かでも、そこに逃げ道があるのではないか。
そんな期待に縋るように訴える。だが、騎士は一瞬たりとも迷わなかった。
「王命が施行された時点で十歳なら対象だ。いつ誕生日を迎えたかなど関係ない」
「……そんな」
カイルの口から、力の抜けた声が漏れた。
今日、十歳になった。ただそれだけで。
昨日までなら対象ではなかったはずのルカまで、今夜には宝物殿へ連れていかれる。
あまりにも理不尽だった。
昨日まで九歳だったルカが、たった一日違うだけで命の危険がある場所へ連れていかれる。
だったら――ルカを行かせなければいい。
そんな考えが、一瞬カイルの頭をよぎった。自分だけが行けばいい。
ルカは孤児院に残して、どこかへ隠しておけばいい。そうすれば、少なくともルカまで宝物殿へ行かずに済む。
だが、その考えを打ち消すように騎士が告げた。
「拒否する者は、王命に背いた反逆者として処罰する」
反逆者。その言葉が、ずしりとカイルの頭にのしかかった。
ルカを行かせなければいい。
ほんの一瞬前まで浮かんでいた考えが、どれだけ浅はかだったのかを思い知らされる。
隠したところで、王命から逃れたことに変わりはない。
そうなればルカだけではなく、この孤児院にいるアリアや子供達まで巻き込むことになるかもしれない。
逃げることすら、許されていないのだ。カイルの両手から力が抜けた。
自分だけなら、まだいい。
けれど、ルカは違う。今日、十歳になったばかりだ。
明日からようやく加工場で働き始めるはずだった子供なのだ。
しかも、自分達には七色の力さえない。騎士でもなければ、冒険者でもない。
それなのに――どうして。
どうして、こんな幼い子供まで宝物殿へ連れていく必要があるんだ。
命を懸けて宝物殿へ挑む冒険者達だって、フレイ・ガルドの遠征隊だってすでにこの国へ集まっている。
それなのに、どうして何の力も持たない自分達まで必要なんだよ……。
いくら考えても、答えは出なかった。
騎士はそんなカイルの疑問に答えることもなく、書状を折り畳んで懐へ戻した。
「カイル・レヴナード、ルカ・フロイゲル。両名は今夜、北の宝物殿前へ集合せよ。今夜だ、遅れるな」
それだけ告げると、騎士は踵を返した。
後ろに控えていた騎士達もそれに続き、次々と孤児院を出ていく。
開け放たれた扉から冷たい風が吹き込み、やがて雪を踏みしめる足音が遠ざかっていった。
つい先ほどまで、子供達の笑い声で満ちていた部屋。
ルカの誕生日を祝うために並べられた料理も、皆で囲むはずだった食卓も、そのまま残されている。
なのに今は、まるで別の場所になってしまったかのように静まり返っていた。
その時――カイルの後ろで、何かが床へ崩れ落ちる音がした。
「……え?」
振り返る。そこには、両膝をついたアリアの姿があった。
「アリアさん!」
カイルとトルガが同時に駆け寄る。
「おい、アリア!」
トルガが身体を支えようと肩へ手を伸ばす。
だが、アリアは顔を伏せたまま何も答えなかった。
やがて――ぽたり、と一滴の涙が床へ落ちた。
それを皮切りに、堪えていたものが溢れ出したように、次から次へと涙がこぼれていく。
「……どうして……どうしてなの……」
震える声で、アリアは両手を強く握り締めた。
「私達は……人並みの幸せを感じてはいけないのかしら……」
カイルは、何も言えなかった。
貧しくても、十歳になれば働かなければならなくても、それでも皆で助け合いながら、ここまで生きてきた。
今日だって、ただルカの誕生日を祝いたかっただけだ。
美味しいものを少し食べて、皆で笑って、明日から始まる新しい日々を、当たり前のように迎えるはずだった。
そんな小さな幸せさえ――王命は、あまりにも簡単に踏みにじっていった。
カイルは、すぐに返す言葉を見つけることができなかった。
何を言ったところで、アリアの悲しみを消せるわけではない。
それでも、このまま床に膝をつかせておくわけにはいかなかった。
「アリアさんは、一度座って休んでいてください」
カイルはそう言って、アリアの肩へそっと手を添えた。
「ルカには、僕が話しますから」
その言葉に、アリアがゆっくりと顔を上げ、涙で濡れた目でまっすぐカイルを見た。
「ごめんね、カイル……」
掠れた声だった。
「いつも苦労をかけているのに、こんな役目まで……」
「謝らないでください……」
カイルは静かに首を振った。
アリアに謝ってほしいわけでも、誰かが悪いわけでもない。
カイルは隣にいるトルガへ顔を向ける。
「トルガさん、後のことはお願いしてもいいですか? 僕はルカと話さなければならないことがありますので」
トルガは一瞬だけカイルを見つめ、それから低く頷いた。
「ああ。こっちは任せろ」
「ありがとうございます」
カイルはアリアの肩からそっと手を離した。
そして、少し離れた場所にいるルカへ視線を向ける。
これから何を伝えなければならないのか。
考えるだけで、胸の奥が重くなる。それでも、話さないわけにはいかなかった。
「ルカ」
呼びかけると、ルカが不安そうにこちらを見る。
「……なに?カイル兄ちゃん」
「少し、話があるんだ。こっちに来て」
ルカは小さく頷いた。
カイルはそのまま、ルカを連れて隣の部屋へ向かった。
隣の部屋へ入ると、ルカは寝台の端に腰を下ろした。
床には届かない両足が、落ち着かなさそうに何度も揺れている。
カイルもすぐには口を開けなかった。
何から話せばいいのか。どう伝えれば、十歳になったばかりのルカを必要以上に怖がらせずに済むのか。
そんなことを考えているうちに、先にルカが口を開いた。
「ねえ、カイル兄ちゃん」
「うん?」
「さっきの話って……僕も行くってこと?」
揺れていた足を見つめたまま、ルカが尋ねる。だが、カイルはすぐに答えることができなかった。
できることなら、行かなくていいと言ってやりたい。
けれど、ここで嘘をついたところで、今夜になれば全て分かることだ。
曖昧な言葉で安心させても、何の意味もない。
「……そうだ。ルカも、宝物殿へ行くことになった」
そう告げると、ルカはゆっくりと顔を上げた。
だが、そこに浮かんでいたのは恐怖ではなかった。
「それじゃあさ、宝具も見られるの?」
「……え?」
思いがけない言葉に、カイルは一瞬返事を失った。
ルカの目には、僅かな期待すら浮かんでいる。考えてみれば、無理もない。
これまでルカが聞いてきた宝物殿や宝具の話は、その多くが本の中の物語だった。
危険を乗り越え、宝具を手に入れた者が英雄となる。
幼いルカにとって宝物殿とは、命を落とすかもしれない場所ではなく、まだ物語の中にある特別な場所でしかないのだ。
カイルはその表情を見て、決めた。
怖がらせたくないからと、都合のいいことだけを話すわけにはいかない。
「ルカ、聞いてくれ……」
カイルはルカの正面へ腰を下ろした。
先ほどまでとは違う真剣な表情に、ルカも何かを感じ取ったのか、僅かに背筋を伸ばす。
カイルはそう言ってルカの正面に腰を下ろした。その顔は今までになく真剣で、ルカも少し構える。
「宝物殿は、宝具を見に行くような場所じゃない。
あそこは、天使か悪魔の力が眠っている場所なんだ。
だから、宝具まで辿り着けずに、命を落とす人なんて大勢いる。
遊びに行くんじゃない!僕達が今夜向かうのは――平然と人が死ぬ場所なんだ」
その瞬間。
それまで落ち着きなく揺れていたルカの両足が、ぴたりと止まった。
先ほどまで瞳に浮かんでいた期待も消えている。
ルカは俯くと、膝の上に置いていた革手袋をぎゅっと握り締めた。
つい少し前、トルガからもらって嬉しそうにしていたものだ。
「……僕達、そんなところに行くの?」
声が、先ほどよりも小さくなっていた。
「……ああ」
カイルには、そう答えるしかなかった。
ルカの指にさらに力が入り、厚い革が小さな手の中で歪む。
「僕……何もできないよ……」
その身体が、僅かに震え始めていた。
「分かってる。だから、ルカが何かをする必要はない! 宝物殿に入ったら、必ず僕の後ろにいるんだ。何があっても、絶対に守る。いいな?」
「……うん」
ルカは小さく頷いた。
だが、一度知ってしまった恐怖は、それだけでは消えてくれなかった。
革手袋を握る小さな手に、さらに力がこもる。
俯いたまま唇を噛み、必死に何かを堪えていたルカだったが――やがて、震える声で呟いた。
「カイル兄ちゃん……」
「どうした?」
「僕……まだ死にたくないよぉ……」
「――っ」
カイルの胸は締めつけられる。
ついさっきまで、その手袋をつけて笑っていたのだ。
『これで明日からカイル兄ちゃんのお手伝いできるね!』
そう言って、明日から一緒に働くことを楽しみにしていた。
なのに今は、その明日を迎えられるかどうかさえ分からない。
気づけば、カイルはルカの小さな身体を強く抱き締めていた。
「大丈夫だ! 俺が絶対に守ってやるからな! 俺の命に代えても!」
腕の中で、ルカの身体はまだ震えている。
それでもカイルは、抱き締める腕を緩めなかった。
今口にした言葉は、ただルカを安心させるためだけのものではない。
この先、宝物殿で何が待っていようと、どれほど危険な目に遭おうと、何があってもルカだけは守る。
その言葉はこの瞬間、カイル自身の中で決して破ることのできない誓いへと変わっていた。
だが、この時のカイルはまだ知らなかった。
その約束を守るために、自分が何を失うことになるのかを。




