第二話 夢
市場へ着くと、カイルはすぐにいつもとの違いに気がついた。
仕事を終えた人々が食材を求めて行き交う時間とはいえ、今日は妙に人が多い。
通りの両脇には食料や日用品を扱う店が並び、その間を白い髪と瞳を持つハクレインの民達が行き交っている。
そこまでは、いつもと変わらない市場の光景だった。
けれど今日は、その白の中に見慣れない者達の姿がいくつも混じっている。
カイルの目には、その者達が何色を宿しているのかまでは分からない。
それでも、普段は白の民ばかりが行き交うこの市場に、これほど多くの見慣れない者達がいること自体が珍しかった。
「……なんだろう、あの人達」
アリアから渡された買い物の紙を手にしたまま、カイルは思わず足を緩めた。
どうして今日は、こんなにも他国の人間がいるのだろう。
そう思いながら周囲を見ていると、不意に市場の喧騒に混じって、聞き慣れない男の声が耳へ届いた。
「おいおい、ここが白の国かよ。噂以上にひでえな」
声を上げたのは、市場の入口近くに立っていた一人の男だった。
赤い髪に、赤い瞳。腰には剣を提げ、使い込まれた防具の上から大きな荷袋を背負っている。
その隣には、黄色の髪と瞳を持つ女がいた。こちらも軽装ながら武器を携え、旅慣れた格好をしている。
もっとも、カイルの目に二人の色がそのまま映っているわけではない。
男の赤は灰色に。女の黄色は白に。
二人が本当はどんな色を宿しているのか、カイルには分からなかった。
「どこを見ても白、白、白か。人も、道も、飯まで色が死んでやがる」
男は市場を見渡しながら、隠す気もない声で吐き捨てる。
「仕方ないでしょ? だってここは“白”の国なんだから」
隣にいた女も、周囲に聞こえることなど気にした様子もなく答えた。
その言葉を聞いた瞬間、カイルの表情がわずかに曇った。
わざと周囲に聞こえるように口にされたとなれば、気分のいいものではなかった。
カイルは改めて、二人の周囲へ目を向けた。
同じような格好をした者達が、市場のあちこちにいる。
武器に、防具。それに旅の荷物。最初は、他国からやって来た商人かとも思った。
だが、それにしては武装が整いすぎている。
そこで、カイルはようやく彼らの正体に思い至った。
――冒険者だ。
国から国へと渡り歩き、魔物の討伐や人の護衛をはじめ、さまざまな依頼を引き受ける者達。
中には名を上げるため、各地に存在する宝物殿へ挑む者も多いという。
宝物殿の最奥には、時として常人では扱えないほどの力を秘めた武具――宝具が眠っている。
それを求めて世界を巡ることもまた、冒険者達にとって大きな目的の一つだった。
でも、どうしてそんな冒険者達がハクレインにいるのだろう。
カイルは小さく首を傾げた。この国には、彼らがわざわざ足を運ぶようなものなどほとんどない。
魔物も滅多に現れず、宝物殿が出現したという話も聞いたことがない。
まして、先ほどのように白を見下す者達が、好き好んで観光に来たとも思えなかった。
では、いったい何のために――。
「カイル! あんた、今日も買い出しかい?」
考え込んでいたところへ、不意に聞き覚えのある声が飛んできた。
カイルが振り向くと、市場の一角にある店から、丸々とした体つきのおばあさんがこちらへ大きく手を振っている。
店先には芋や玉ねぎの入った籠が並び、その奥には干し肉や乾物が所狭しと置かれていた。
孤児院でも昔から世話になっている、馴染みの食料品店だ。
「こんにちは。今日もお願いします」
カイルは軽く頭を下げると、手にしていた買い物の紙を確かめながら店へと近づいていった。
おばあさんはカイルから買い物の紙を受け取ると、そこに書かれた品を確かめながら店先の籠へ手を伸ばした。
「あんた、さっきからあの連中ばかり見てたろ。何か気になるのかい?」
「あ、バレましたか」
カイルは少し気まずそうに笑うと、周囲に聞かれないよう声を落とした。
「なんでハクレインに冒険者なんかがいるんだろうって思いまして」
そう言いながら、カイルは先ほどの冒険者達がいた方へちらりと目を向ける。
おばあさんは「ああ」と納得したように頷いた。
「この近くに、宝物殿が現れたらしいんだよ。それ目当てに、ここ数日冒険者がハクレインを出入りしてるって噂さ」
「ハクレインに宝物殿が!?」
カイルは思わず声を上げる。
それも無理はない。ハクレインでは、これまで宝物殿が現れたことなど一度もなかったからだ。
他国では宝物殿が発見されたという話を耳にすることはあっても、それはあくまで遠い土地の出来事だった。
少なくともカイルにとって、宝物殿とは本や噂の中でしか知らない存在だった。
それが今、自分達の暮らすハクレインのすぐ近くに現れたという。
「本当に、この近くなんですか?」
「ああ。だからあんな連中がぞろぞろ来てるんだよ。しかも、それだけじゃない。隣国のフレイ・ガルドまで動き出してるって話だよ」
「フレイ・ガルドまで?」
カイルは思わず眉を寄せた。
宝物殿が一つ現れただけで、国まで動くものなのだろうか。
もちろん、ハクレインではこれまで一度も宝物殿が現れたことがない。だからこそ珍しいのは分かる。
それでも、隣国がわざわざ動くとなれば、ただ珍しいというだけでは済まない気がした。
「そんなに大きな宝物殿なんですか?」
「さあね。あたしも詳しいことまでは知らないよ」
おばあさんはそう言って肩をすくめた。
結局、分かったのは宝物殿が現れたということと、それを目当てに冒険者達が集まっていること。そして、隣国のフレイ・ガルドまで動き出しているということだけだった。
肝心の宝物殿がどんなものなのかまでは、まだ何も分からない。
「僕達に、何も影響がなければいいんですけど……」
カイルがそう呟くと、おばあさんは呆れたように笑った。
「あんたは心配しすぎだよ。起きてもいないことまで気にしてたら、身がもたないよ」
そう言いながら、おばあさんは店先の籠から芋を取り出し、慣れた手つきで紙袋へ詰めていく。
最後にいくつか余分に芋を放り込むと、その袋をカイルの前へ差し出した。
「ほら。いつもより少し多く入れといたよ」
「いいんですか?」
「これくらいどうってことないさ」
「ありがとうございます。いつも助かります」
カイルは頭を下げながら袋を受け取った。だが、今日の買い物はそれだけではない。
「それと、今日は干し肉もお願いします」
「……干し肉?」
おばあさんの手がぴたりと止まった。
ぽかんとした顔で見つめられ、カイルは不思議そうに首を傾げる。
「はい。少しだけですけど」
「珍しいじゃないか。あんた達が肉を買うなんて」
カイルはそこでようやく、おばあさんが驚いた理由に気づいた。
「今日はルカの誕生日なんです。十歳になるので、孤児院で誕生日会をやるんですよ」
「なんだい、そういうことかい。それなら――」
おばあさんはカイルが頼んだ分の干し肉を袋へ入れると、さらに数枚をその上へ重ねた。
「少しくらいサービスしてやるよ」
「え、いいんですか?」
「十歳の誕生日なんだろ? これくらい食わせてやりな」
「……ありがとうございます!」
カイルは嬉しそうに頭を下げた。芋に、少し多めの干し肉。
これは決して豪華な食事ではない。それでも、カイルは何も不満を感じなかった。
カイルは芋と干し肉の入った紙袋を抱えると、店主にもう一度頭を下げて店を離れた。
歩き出してから、ふと思い出したように懐へ手を入れる。
取り出したのは、先ほど仕事を終えたばかりの加工場で受け取った硬貨だった。
掌の上に残ったそれを、一枚ずつ数えていく。
「……やっぱり、ほとんど残らないな」
一日働いて得た賃金も、食料を買えばあっという間になくなってしまう。
今日はおばあさんが芋を多めに入れ、干し肉までサービスしてくれた。それでも、残った硬貨はほんのわずかだった。
カイルは小さく息を吐き、硬貨を再び懐へしまう。その時、先ほど耳にした言葉がふと頭をよぎった。
――宝物殿。
そして、その最奥に眠るという武具、宝具。
――もし、自分にも宝具があったら。
宝具を手に入れることができれば、今よりもっと稼げるようになるかもしれない。
そうなれば、孤児院の子供達に腹いっぱい食べさせてやれる。アリアさんにも、食べ物や金のことで「我慢しましょう」なんて言わせずに済むのかもしれない。
それだけではない。宝具があれば、自分だって冒険者になれるのだろうか。
ハクレインを出て、この世界のあちこちを自分の足で歩いてみる。
本でしか知らない国へ行き、まだ見たことのない景色を見る。
カイルには、そこにある七色を見ることはできない。
赤色も、橙色も、黄色も、緑色も、青色も、藍色も、紫色も。どれだけ美しい景色が広がっていたとしても、その色を本当の姿で見ることはできないだろう。
それでも――見てみたかった。
色が分からなくてもいい。
生まれてからずっと暮らしてきた、この雪に覆われたハクレインの外に、どんな世界が広がっているのかを、いつか自分の目で確かめてみたかった。
そこまで考えたところで、カイルはふっと小さく笑った。
「……って、どれも夢物語か」
そんな未来は永遠に来ない。だって白には、七色の力がないのだから。
それだけではなく、これまで白の民が宝具を手にしたという記録も、一度として存在しなかった。
宝具は、カイル達にとって最初から手の届かないものなのだ。
だから、自分だけが例外になれる理由などどこにもない。
自分が宝具を手にすることなんて、できるはずがない。
ほんの少し膨らみかけた未来を、カイルはそうして自分の中で押し戻した。




