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第十二話 灰色

「おい! そこのお前! 何を言ってるんだ、列を乱すな!」


騎士の怒声がカイルに向かって飛んだ。

けれど、カイルにはその声が遠くから聞こえているようにしか感じられなかった。


「ルカが……!」


カイルは騎士へ向き直り、縋るように叫んだ。


「僕と一緒にいた子どもが攫われたんです!」


「お前は何を言っている。試練で頭でもおかしくなったんじゃ――」


「本当なんです! 急に消えて……!」


宝具のことも、守護者《ガーディアン》がいないことも、カイルにはどうでもよかった。


カイルはただ、今すぐにルカを探してほしいと願った。

それなのに、騎士は全く聞く耳を持とうとしない。


「お願いします! 今すぐルカを――」


カイルの訴えが途中で止まった。

目の前にいる騎士が、カイルを見ていなかったのだ。


その視線は、カイルの肩越しに背後へ向けられている。


先ほどまで苛立っていた顔から血の気が引き、目が大きく見開かれていた。


「おい……なんだ、あれは」


掠れた声が、騎士の口から漏れた。

今は、そんなことを気にしている場合じゃない。ルカを探さないと。


そう思っているのに、騎士の顔に浮かんだ恐怖が、カイルの視線を背後へ向けさせた。


そこには、先ほどまでと変わらず八枚翼の像が立っている。

胸の前で両手を組み、静かに祈りを捧げている白い像。


だが、その胸元に一本の深い亀裂が走っていた。


ピシッ、と乾いた音が広間へ響く。

胸元に生まれた亀裂は首へ伸び、そこから両肩へ枝分かれした。


さらに組まれていた両腕を伝い、白い衣の上を這うように広がっていく。


「なんだ……?」


新たな亀裂が、像の顔へ走った。頬から閉じられた瞼を裂き、額へ到達する。


 ピシッ!ピシッ、ピシッ!


一つ音が鳴るたびに亀裂は増え、八枚の翼にまで達していった。


像の表面から、細かな石の欠片が剥がれ落ちる。


「全員、像から離れろ!」


中隊長の号令が広間を貫いた。

騎士達が一斉に剣を抜き、白の民を像から遠ざけようとする。


その直後、祈りの像が内側から弾け飛んだ。

轟音とともに白い破片が四方へ飛び散り、広間を濃い粉塵が覆い尽くす。


燭台に灯された炎が、巻き起こった風を受けて激しく揺れた。


「うわああっ!」

「伏せろ!」


カイルは反射的に腕で顔を庇い、その場へ身を低くした。


石の破片が床を叩く音。白の民達の悲鳴。騎士達が武器を抜く金属音。


幾つもの音が、粉塵の向こうで重なった。

飛んできた小さな破片がカイルの腕へ当たり、乾いた痛みが走る。


それでも、カイルの頭からルカのことが消えることはなかった。


ルカはどこにいる? 無事でいるよな?


「ルカ! どこにいる!」


粉塵の中へ向かって名前を呼ぶ。

だが、返ってくるのは人々の悲鳴だけだった。


やがて破裂音が収まり、飛び散っていた破片も床へ落ちていく。


広間にいる全員の視線が、像のあった場所へ集まった。


舞い上がった粉塵の向こうに、一つの影が立っている。


その輪郭は、遠目には人間にも見えた。

頭があり、胴体があり、二本の腕と二本の脚がある。


だが、人間ではなかった。

粉塵がゆっくりと晴れ、その背中から広がるものが姿を現す。


翼だった。一枚、二枚どころではない。


幾重にも重なった巨大な翼が、粉塵を押し退けるように広がっている。

その形だけなら、先ほどまで祈りを捧げていた天使像と変わらない。


けれど、白い光に満たされた広間の中で、その翼だけは光を帯びていなかった。


カイルの目には、暗いものは灰色に映る。

目の前に立つものも、灰色だった。翼だけではない。身体も、腕も、顔も。


白い天使像の内側から現れた、灰色の天使。


顔には何の表情もなく、カイル達を見ているのかさえ分からない。

ただ、粉々になった像の中心に立ち、八枚の翼を静かに広げていた。


カイルは息を呑んだ。


守護者がいなかったわけではない。


最初から、あの祈りの像の中に隠れていたのだ。

カイル達が試練を越え、宝具へ辿り着く時を待ちながら。


灰色の天使は、ずっとそこにいた。


 




※





ハクレイン側の第一陣が宝物殿へ入ってから、すでにかなりの時間が経っていた。


リセリアは白い息を吐きながら、固く閉ざされた入口を見つめていた。


中から物音は聞こえない。

騎士や白の民が戻ってくる気配もなかった。


遅い。


試練に時間がかかっているだけならいい。

けれど、二枚翼の天使型にしては、いくらなんでも時間がかかりすぎている。


天使型の宝物殿では、内部に設けられた試練によって攻略時間が大きく変わる。


それでも、第一陣がこれほど長く戻らないのは不自然だった。


攻略を続けているのか。

途中で動けなくなっているのか。


あるいは、リセリア達が想定していなかった何かが内部で起きているのか。


「このまま、ただ待っていていいの?」


胸の奥に生まれた違和感は、時間が経つほど大きくなっていた。


その時だった。


足元から、微かな振動が伝わってきた。


「……?」


リセリアが宝物殿を見上げる。

直後、入口の上部から雪が崩れ落ちた。


白い石を覆っていた雪が次々と滑り落ち、それまで隠されていたレリーフの全貌が露わになっていく。


中央に刻まれた天使の顔は、長い年月によって大きく抉れている。


表情までは判別できない。

だが、その背から伸びる翼を目にした瞬間、リセリアの目が鋭く細められた。


「……違う」


最初に見えていた二枚の翼。

その奥に、雪で覆われていた別の翼が重なっている。


「この宝物殿……二枚翼じゃない」


リセリアは入口へ近づき、露出したレリーフを下から見上げた。

四枚、六枚、八枚。それでも、まだ翼は途切れていない。


左右へ重なる翼を、根元から一枚ずつ数え直す。


――十二枚。


数え間違いではなかった。


リセリアの表情から、僅かに残っていた迷いが消える。


十二枚翼の天使型なんて、聞いたことがない。


二枚翼だと思っていたこと自体が、間違いだった。


だったら、中で行われている試練もリセリア達が知っているものとは違うかもしれない。


第一陣が戻らない理由を、単なる攻略の遅れとして片づけることはできなくなった。


リセリアはすぐに後方を振り返る。


「全員、今すぐ立って! 急いで突入の準備をしなさい!」


焚き火を囲んでいた冒険者達と遠征隊の兵士達が、その声を聞き一斉に顔を上げる。


「この宝物殿は異常よ! 入口に刻まれているのは二枚翼じゃない。十二枚翼の天使型よ!」


その言葉を聞いた途端、雪原にざわめきが広がった。


「今、十二枚って言ったか?」

「天使型で十二枚翼だと?」

「そんな宝物殿《ダンジョン》、聞いたことねぇぞ……」


冒険者達が立ち上がり、露出したレリーフへ目を向ける。


多くの者の顔に浮かんでいたのは、未知の宝物殿に対する警戒ではなかった。


「十二枚翼の宝物殿に眠る宝具か……売ったら、一体いくらになるんだろうな!」



欲に濁った声だった。

周囲の何人かの冒険者達も、その言葉に反応する。


未知の危険より、未知の宝具が持つ価値へ。


リセリアは声のした方を睨みつけた。

なぜ、冒険者はこんな時まで宝具のことしか考えられないのか。


中には、武器すら持たされていない人達がいるのに、なぜこんなに悠長にしていられるのか。



「勘違いしないで! 私達が今から中へ入る目的は、宝具を奪うことではないわ。ハクレインの民を救助することよ!」


雪原を揺らすほどの声に、冒険者達のざわめきが止まった。


そして、リセリアはその場にいる冒険者達を一人ずつ見渡した。


「宝具に目が眩んで、中にいる人達を見捨てる者がいるのなら――フレイ・ガルド第一王女、リセリア・フレイの名において許さない!」


リセリアは背負った大剣の留め具を確かめ、遠征隊と冒険者達へ告げた。


その声は普段の少女らしさを消し、冷たい声だった。


遠征の統括者としてではない。

第一王女として発せられた命令に、冒険者達は口を閉ざすしかなかった。


宝具への欲を隠しきれていなかった者達も、リセリアの視線から逃れるように顔を背けた。


リセリアは入口へ向き直った。


十二枚翼の宝物殿。


その内部で何が起きているのかは全く分からない。

第二陣を率いて踏み込めば、自分達まで戻れなくなる可能性もあった。


それでも、リセリアは見捨てることができなかった。


「生きている者を必ず連れ戻す!」


その言葉とともに、一団が宝物殿の入口へ向かって動き始めた。


リセリアが先頭に立ち、閉ざされた門の前へ進み扉を開ける。


その時だった。入口の奥から、何かが飛び出した。


「――っ!」

 

入口の奥から飛び出した何かが、リセリアの視界の端を横切った。


あまりにも速い。


その影はリセリア達の間を擦り抜けると、そのまま雪原を駆け抜けていった。


「……今、何か通ったよな?」


冒険者の一人が足を止めた。


ほかの冒険者達も武器へ手をかけ、影が消えた方角へ顔を向ける。


「人か?」

「いや、今の速さは……」

「灰獣じゃないのか?」


誰も正体を捉えられていなかった。


人間だったのか。灰獣だったのか。

あるいは、宝物殿の内部から現れた別の何かなのか。


吹き抜ける雪の向こうに、影はすでに見当たらない。


リセリアは一瞬だけ迷った。


追わせる?でも、正体もその先の行き先も分からない。

ここで人員を分ければ、中にいる人達の救助が遅れる。


リセリアはすぐに判断を下した。


「影は追わなくていい!」


冒険者達が驚いたように振り返る。


「今は中にいる人達の救助が最優先よ! 全員、立ち止まらないで!」


影を逃がしたことが、後に何を招くのかは分からない。


それでも、正体不明の何かを追って雪原へ散るより、内部に取り残された人々を救う方が先だった。


リセリアは大剣を握り直し、開かれた宝物殿の入口を見据えた。


――間に合って。


胸の内でそれだけを願い、迷うことなく門の内側へ踏み込んだ。


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