三百冊に載っていない恋(前編)
※本編完結後のお話です。
主たちは、晴れて本物の夫婦になりました。
めでたしめでたし。観測日誌は完結。私たちの極秘業務も終了……のはず、だったんです。
「ソフィ殿。定例会のお時間です」
「はい! ただいま!」
……なぜか、続いています。
名目は「業務連絡」です。提案者はクロードさん。旦那様と奥様が王立会計院の設立で残業続きで、ギルモアさんまで王宮へ複式簿記を教えに行く準備で大忙し。裏方の連携が必要になったのです。嘘ではありません。ないんですけど、議題が少々変わっていて…「小説の中で好きなシチュエーションの再現」「行ってみたい場所」とか。この間の議題は「私の推しキャラ、ヴォルフガング様の名前を厨房で飼ってる猫の名前に変更しよう」でした。全力で阻止しましたけどね。イメージってもんがあります。
なんだか毎日気の抜けた定例会ですけど…ええ、これも立派な業務。
使用人食堂の隅の、あの席。クロードさんとの定例会。それが私の一日の、一番好きな時間になっていることには――気づかない、ふりをしていました。
(三百冊の知識が、私に警鐘を鳴らすのです。確定すれば、私、絶対に今まで通りじゃいられなくなるって)
どんな風になるか自分でも想像できないし、クロードさんに変なとこ絶対見られたくありません!仮に…仮に何らかの展開があったとしてよ?商家とはいえ田舎の平民の私と男爵家のクロード様。つり合いが取れないじゃない。きっと悲しいお話になる。
(神様…どうか現状維持でお願いします)
◇
信仰が不足していたのでしょうか…神様はお願いを聞き逃していたようで…。
その後、何日目かの夜の定例会に、クロードさんは、業務日誌と一通の便せんを私の前に静かに置きました。ほんのり亜麻色に落ち着いた緑の装飾が施された、とても美しい便せん。
「業務日誌に書いても、また、スルーされると思いまして」
「…?」
「準備が整いましたので、行動に移したいと思います」
「…何の準備でしょうか…?」
ただならぬ雰囲気のクロードさん。どうしたのでしょうか?
「まず、前提をそろえましょう。ソフィ殿。この封筒は誰を表していると思いますか?」
これはよくある、自分の色のものを渡すというヤツ。
「……亜麻色に、緑…クロード…さん?」
「よくできました。では次です、殿方が御淑女に自分の色を贈る意味は?」
「わ…私のものになってほしい…の意…」
クロードさんはにっこり微笑み、続ける。
「はい、その通りですね。では、前提を忘れず、その手紙を読んでください」
「…ふぇ…?!」
いつもは向かいに座るクロードさんが私の横に…ち、近い
「さぁ、どうぞ」
頬杖をつき、灰緑色の瞳が私を放さない。…え、うそ、うそうそうそ!つまりこれは…いわゆる恋文で…
「あ、あの、これは…その…自室でこっそり読むものなのでは…?」
「そんな規約はありません。さぁ、どうぞ」
え?なんか…怒ってます?恋文では…ない?
どうぞと言われ、おずおずと便せんを開け手紙を開く綺麗な字で綴られる私への想いが…
「ああ、声に出して読んでください」
「うえぇっ!?」
「齟齬があってはいけませんから、補足します」
そう言うと、悪戯っぽく微笑み、私が読み上げるのを待った。
敬愛するソフィ様
あなたは三百の恋の物語をご存じだ。ですから、この手紙の意図や内容も、読まずしてお分かりになることでしょう。
ですが、どうか最後まで読んでいただきたい。
まず始めに、このヴァルテンベルクへ来てくれてありがとう。
奥様の侍女として遠く離れた土地に来ることは不安だったことでしょう。
年若い貴女にはきっと勇気のいることだったと思います。
時折、貴女が寂しげな表情を浮かべる時、抱きしめてあげられたらどんなに良いかと考える日々に歯がゆさを感じ、何もできない無力感を覚えました。
「そんなこと…クロードさんはたくさん助けてくださいました…!」
「頑張り過ぎる君を、もっと近くで支えたいと思ったんです…」
それでも、気丈に振る舞い主達の為に懸命に自分を差し出す姿は私にとって眩しく映り、年甲斐もなく日ごとに惹かれていく自分の気持ちを押さえきれなくなりました。
貴女を愛しています。
「……っ」
(クロードさんが…私を…)
どうか貴女の隣で涙を拭い、抱き締め、笑顔にする特権を頂けないだろうか?
そして、貴女の知る三百冊のどれでもない、まだ題名のない物語を、私と共に綴ってください。
善きお返事、お待ちしております。
あなたの忠実な僕 クロードより
涙が溢れ、止まらない。
私への労いと感謝。そして、想い。
「すみません、泣かすつもりはなかったのです。ソフィ、涙を拭いても?」
頷く私を、クロードさんがハンカチで涙を優しく拭う
「…抱き締めても宜しいですか?」
…コクンと頷く。そっと私を抱き寄せ、包み込まれる。小さい子をなだめるように、私が落ち着くまでずっと、背中をトン、トン、としてくれた。そのリズムが心地良くて……暫くして、落ち着いたのだけど…。
代わりに私の心臓がとくとくと、いや、どくどくと脈を打ち始めた。
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本作品は、婚約破棄されたので、慰謝料と経費精算願います ~大手会計事務所内定だった転生令嬢は、簿記のわかる公爵さまと複式簿記で恋に落ちる~のスピンオフ作品です。
本編の裏側をお楽しみいただければ幸いです。




