羽根ペンは箱で発注
※本編7話の頃のお話です。
大変です。お嬢様が〈すれ違い期〉に入りました。
予言の四つ目、〈誤解によるすれ違い〉。当たってほしくない予言ほど当たるのが、三百冊の法則です。
「業務外接触の削減、ですか」
「そうなんです、クロードさん。朝食は書斎、報告は文書、廊下では目も合わせない……恋を自覚した直後に距離を取る。三百冊中百七十冊で見た、一番こじれる型の上位互換と申しましょうか…」
「閣下は閣下で、奥様の文書を何度も読み返しては、書斎の前で立ち止まってはノックせずに戻る、を繰り返しておられます。……予測しておいて良かったです。心の準備が出来ていなければ、私は慌てふためいたでしょう」
「はい……私もそう思います。氷河期、来ましたね……」
観測日誌の所見欄が、日に日に切なくなっていきます。
クロードさんも心なしか落ち込み気味なのが切なさを増してしまいます。
◇
そんな中、追い打ちの大事件が起きました。エドワード第二王子殿下の、ご来訪です。
王族の突然の訪問というのは、裏方には戦争です。応接室の格を整え、お茶菓子の等級を上げ、警備の配置を変え……私とクロードさんは、廊下を数えきれないほど往復しました。
そして応接室で、あの音がしたのです。
――ぱきん、と。
後で聞けば、殿下がお嬢様に「契約から自由になった暁には、私と」と、婚約をお申し込みをなさったとか。その瞬間、閣下の手の中で、羽根ペンが真っ二つになったそうです。
「ペンの、品質確認だそうです」
「どんな業務ですか」
クロードさんは追加発注のため、文具屋への発注書を書きました。品名、羽根ペン。数量――三ダース。
「三ダース!?」
「きっとまた折れますので」
「さすがに多過ぎじゃないですか?!」
しかし、クロードさんの予測は的確だった。実際その週、ペンは次々と折れました。お嬢様が中庭でエドワード殿下と談笑して一本、殿下がお嬢様の帳簿の腕を褒めて一本。殿下が…以下略。
三ダースで足りるかしら…?
◇
その夜のことです。バタバタと足音が聞こえたと思ったら、血相を変えたお風呂上がりのお嬢様が。私の部屋に飛び込むなり、こう仰いました。
「ソフィ、どうしよう。ジークハルト様が…誰かに恋をしているらしいの」
…………。
皆さん、聞きましたか。誰か、ですって。
〈すれ違い期〉もここまでくれば厄介ですね。聞けば執務室の前で立ち聞きして、断片的に聞いてきたとの事。この方、王宮の横領は小さな数字のズレから見抜くのに、自分に向いた好意は目の前でも気づきません。
「……お嬢様。それ、本気で言ってます?」
それから…何度違うと説明しても、話を全く聞こうとせず…。お嬢様は落ち着きのないクマのように歩き回り「私のせいでジークハルト様に迷惑が」「相手はどこの誰かしら」「引き継ぎ資料を作らなきゃ」と、悲壮な顔で羊皮紙に向かい始めました。まったく。いったい誰への引継ぎでしょうか。ペンと羊皮紙は没収です!
◇
翌日の定例会は、二人ともお通夜でした。
「閣下は奥様を思うあまり、『三年契約を破棄してくれとは言えない』と仰り」
「お嬢様は閣下を思うあまり『ジークハルト様には想い人がいるから三年未満で婚姻解消になる』と誤解し」
「両想いの当人同士が、互いを想い合った結果こんなことになるとは……」
「これが小説なら、ここが一番面白いところなんですけどね……〈すれ違い期〉…現実だと、ただただ胃が痛いです……」
私は日誌に『両片想い・確定。ただし互いに誤解中』と書き込んで、ペンを置きました。
「ねえ、クロードさん。不思議なんですけど……なんで両想いなのに、当人たちだけ分からないんでしょうね? 傍から見たら、こんなに分かりやすいのに」
「……本当に、不思議なものですね。傍からは、あんなに…」
クロードさんはそう言うと、私を見ました。
灰緑色の瞳に吸い込まれそうで――目が離せなくて…。
(あ、クロードさんの左目の下に小さなほくろ、あるんだ)
「…………あ。お茶、淹れ直しますね!」
「……ええ、お願いします」
次の日、日誌を開いたら、「両片想い・確定」の頁の余白に、「長期戦・確定?」と、クロードさんの字で文言が増えていました。
〈すれ違い期〉とはいえ、どちらかというと短編ペースで進んでいると思うのですが。クロードさんに聞いたんですけど、具体的に何の長期戦なのかは、教えてもらえませんでした。やっぱり推理は苦手です。
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本作品は、婚約破棄されたので、慰謝料と経費精算願います ~大手会計事務所内定だった転生令嬢は、簿記のわかる公爵さまと複式簿記で恋に落ちる~のスピンオフ作品です。
本編の裏側をお楽しみいただければ幸いです。




