観測日誌、始めました
※本編4〜5話の頃のお話です。
輿入れから半月。私は公爵邸の使用人食堂の隅で、クロードさんに「恋愛の"なんたるか"」講義をしていました。
聞けば今年で二七歳。長年仕事に没頭し、そういうお相手と出会えていないというじゃありませんか。
この不器用極まりない主たちを導くために、私たちは情報の共有し対策をしなければなりません。
そのためには、クロードさんにある程度の知識を付けていただきます。
「いいですかクロードさん。うちの主たちは今、恋愛小説で言うところの『序盤三章』にいます」
「じょばんさんしょう」
「これから起こることを予言します。一つ、〈帳簿越しに見つめ合う〉。二つ、〈どちらかの初めての笑顔〉。三つ、〈不器用な贈り物〉。四つ、〈誤解によるすれ違い〉。この順です。三百冊以上恋愛小説を読み漁った私のデータがそう言っています!」
「でーた??ソフィ殿。お気持ちは分かりますが、その展開は皆無かと。うちの閣下ですよ? 先日など、奥様への挨拶が『本日付で着任された』でしたよ? 婚礼の挨拶で、着任…はぁ、奥様に愛想をつかれていないことが奇跡ですよ」
「ご安心ください!その着任姿勢がお嬢様には逆に効くんです! まぁ、かなり独特ではあるなと思いましたが…三百冊中、無愛想系の旦那様は百二十冊! で成功を収めています。打率にして四割です!」
「打率…四割」
クロードさんは、半信半疑という顔で紅茶を飲みました。分かってません。この方はまだ、恋愛の”何たるか”を分かっていません。しかし良いのです。始めはそんなものでしょう。年上とは言え、恋愛に触れてこなかった方なのです。
このソフィが教え導いて差し上げますわ!!
◇
三日後の朝。いつも冷静なクロードさんが、血相を変え食堂に現れました。
「……ソフィ殿!。昨夜、書斎のランプが朝まで消えませんでした」
「まさか」
「帳簿です。お二人で、帳簿を挟んで、夜通し。……途中で覗いた私が見たのは、閣下が身を乗り出して、奥様の説明を、その、少年のような目で聞いている姿でした。今朝など『ふくしきぼきは美しい』と仰って登城されました」
「〈帳簿越しに見つめ合う〉!! 予言的中一つ目!!」
「ソフィ殿、あなたは一体……」
さらに半月後。今度は廊下の角で、クロードさんに袖を引かれました。声が震えていました。
「わ、笑われました」
「誰がですか」
「閣下がです!」
思わず二人でハイタッチをしてしまいました。
「月次報告の席で、声を、立てて。私はお茶のワゴンごと固まりました。先代の葬儀以来、閣下の笑い声を聞いた者は当家におりません」
「〈初めての笑顔〉!!! 予言的中二つ目!!! 早い!! 展開が早いです!! これは短編のペースです!!」
「たんぺん?」
「こっちの話です!」
しかもです。その夜、お嬢様は私に「動悸がするから医者を呼んで」と仰いました。お医者様はニコニコして帰られました。分かります? これ、三百冊中二百九十冊で見た、恋の初期症状です。
これを機に、クロードさんの信用を勝ち得て、私たちは、より主たちの傾向を研究し、共有するようになった。
◇
「――というわけで、クロードさん。記録を取りましょう」
私は食堂の机に、買ったばかりの帳面を置きました。
「名付けて、”主たちの観測日誌”。お二人の観測記録をつけて、展開を予測し、私たちの業務に備えるんです。これは遊びではありません。危機管理です」
「危機管理…ですか」
「考えてもみてください。あのお二人が、この先〈すれ違い期〉に入ったら? 屋敷の空気は氷河期です。私たちは事前に備蓄が要るんです、心の」
「……一理ありますね」
「ここで、私たちも目的もすり合わせておきましょう。私の最終目標はただ一つ。”結婚の継続”です。失礼ですが、正直縁談の印象では三年で離縁も悪くないと考えておりました。しかし、ここ数日の展開で、”お嬢様には閣下しかいない”そう思いました」
「結婚の継続…いいですね。正直あの閣下が三年だけでも結婚してくれるのならと、それ以上のことを考えておりませんでした。確かに閣下にはメリア夫人しかおられません」
「残念ながら、三百冊のうち六冊…つまり二%…お互いに思い合っているのに、お別れするケースがありました。この最悪の展開を回避するべく我々は動くのです」
「その目的、賛同します」
クロードさんは帳面に定規で線を引き、「日付・観測事象・所見・対応」の欄を作り始めました。几帳面!
「様式はこれでよろしいか」
「完璧です! さすが補佐官!」
「いえ。……実は、その、私も記録癖がありまして。閣下の『……不要だ』の間の長さを、十年分」
「まぁ、素晴らしいです!それ絶対あとで役に立つやつです!」
こうして、侍女と補佐官の極秘業務「主の観測日誌」が始まりました。
記入一号は私の筆で。
『観測事象:閣下、初笑い。奥様、原因不明の動悸(医師診断:健康)。所見:両者、恋の初期症状。ただし双方に自覚なし。対応:見守る・全力で』
「……ときにソフィ殿。予言の三つ目は、何でしたか」
「〈不器用な贈り物〉です」
その翌週でした。閣下が突然、王都の花市場の相場表をお取り寄せになったのは。
私とクロードさんは、日誌の前で、無言で固い握手を交わしました。
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本作品は、婚約破棄されたので、慰謝料と経費精算願います ~大手会計事務所内定だった転生令嬢は、簿記のわかる公爵さまと複式簿記で恋に落ちる~のスピンオフ作品です。
本編の裏側をお楽しみいただければ幸いです。




