第3章 第92話 まさかのR三連発! 子爵家を揺るがすナポレオンの一手
異世界生活七十九日目。ヴァルデン子爵領の西部にあるエルム村の近くでは、朝から一人の穀物商が頭を抱えていた。
倉庫には売り先の決まっていない小麦袋が積まれ、その前で二人の農民が不安そうに立っている。
「ハインツさん。今週の買い取りは、どうなるんです?」
「……すまん。まだ決められん。アストレアへの納品について、軍務官庁から報告を求められているんだ」
商人ハインツは、机に置かれた通達を睨んだ。そこには軍務担当官ヴォルフラム・シュタールの部署の印が押され、アストレアとの取引内容を五日以内に管轄の徴税事務所へ届け出るよう記されていた。
報告対象は、品目、数量、取引価格、相手方の名前。未提出の場合は、軍の補給に関する調査の対象となる可能性があるという。
取引を禁止するとは書かれていない。それでも、軍の調査という言葉だけで十分な圧力になった。
「何も悪いことをしていないのに、どうして軍に商売の中身を教えなきゃならんのだ……」
ハインツがため息をつくと、農民の一人が倉庫を見回した。
「うちだって困りますよ。小麦を売れなきゃ、次の種も買えません」
それは、アストレアだけの問題ではなくなり始めていた。
同じころ、アストレアの城館では、神城皇牙がまったく別のことで悩んでいた。
「……巴。大浴場の入口に黒竜の像を二体置くのと、一体だけ巨大なのを置くの、どっちがいいと思う?」
朝食を終えた皇牙は、昨夜描いた設計図を食堂の机に広げていた。浴場の外観だけで何種類も案があり、肝心の湯船の大きさはまだ決まっていない。
「どちらも立派だと思いますが、先にお風呂の中を決められてはいかがでしょう?」
「……天才か、お前」
「ふふ。普通のことを申し上げただけですよ」
巴が楽しそうに笑う。皇牙もつられて笑ったが、城門の方角から荷車の音が聞こえると、少しだけ表情を変えた。
子爵軍が商隊の取引記録を集め始めてから、市場では不安そうな顔を見かけることが増えていた。昨日は東側からの食料輸送も無事に終わったものの、西側の商人たちが抱える問題は解決していない。
「……ま、その辺はナポレオンたちが考えてくれてるしな。俺は俺の仕事をするか!」
皇牙にとって、今朝の仕事とは当然ガチャだった。
広間へ移動した彼は、期待に胸を膨らませながら《英霊召喚ガチャEX》を呼び出す。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:435人】
【SR以上排出率:5%】
「今日は何か来そうな気がするんだよな! 頼むぜ、一回目!」
青い光が広がり、落ち着いた表情の男性が現れた。
【R コンラート】
【適性:商業調査・市場価格分析】
「おおっ、いきなりR! しかも商業調査か!」
コンラートは丁寧に一礼し、周辺の市場事情を学んでから力を尽くしたいと申し出た。
「よし、次だ!」
二回目の召喚陣も青く輝く。
【R イザベル】
【適性:行政文書・法令調査】
「……えっ、またR!?」
姿を現したのは、知的な雰囲気を持つ女性だった。イザベルは周囲を確認すると、皇牙へ落ち着いた口調で挨拶した。
「行政文書の整理と規則の調査を得意としております。必要な仕事がございましたら、お申し付けください」
「ある! めちゃくちゃありそう! 今ちょうど、面倒な書類で揉めてるんだよ!」
皇牙は興奮したまま三回目の召喚に手を伸ばした。
「ここまで来たら、三連続Rを見せてくれ!」
召喚陣が眩しい青色に染まる。
【R バルド】
【適性:街道輸送・商隊護送管理】
「うおおおおっ! 本当にR三連発じゃねえか!」
皇牙は両手を突き上げた。巴も珍しい結果に目を丸くしている。
「お見事です、殿。三人とも、今のアストレアに必要な方々ですね」
「だろ!? いやあ、俺のガチャ運、絶好調すぎるぜ!」
皇牙は三人を歓迎し、生活案内を担当する者へ引き継いだ。優秀な人材とはいえ、召喚直後から見知らぬ土地の行政や輸送を指揮できるわけではない。まずは各担当者の下で事情を把握してもらうことになる。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:438人】
【SR以上排出率:5%】
「四百三十八人! しかも三人ともR! 今日は記念日だな!」
皇牙が上機嫌で画面を閉じたところへ、クラリスが訪ねてきた。
「皇牙様。コルベール様から、商人たちの件でご相談がございます」
「おっ、ちょうどいい! 新しい人材も三人来たから、必要なら使ってくれ!」
珍しく自分から会議室へ向かった皇牙を見て、巴は嬉しそうに微笑んだ。
会議室には、コルベール、二宮尊徳、山本勘助、関羽、そしてナポレオンが集まっていた。
机に置かれているのは、子爵家が発した取引報告の通達と、商人たちから集めた記録だった。
「皇牙様。通達の詳しい内容が確認できました」
コルベールは書類を示した。
「子爵領内でアストレアと取引する商人は、受領から五日以内に管轄の徴税事務所へ取引内容を届け出ることになっています。報告しなかった場合の具体的な処分は書かれておりませんが、軍の補給に関する調査の対象となり得るそうです」
「……五日以内って、結構急じゃねえか?」
「ええ。しかも、仕入れ先の一部では、軍の調査を恐れてアストレア向けの販売を控える動きが出ております」
皇牙は眉をひそめた。
「でもさ、向こうの商人だって売れなくなったら困るだろ?」
その言葉に、ナポレオンが口元を緩めた。
「そこだ、皇牙。ようやく重要な点に気づいたな」
「……何か馬鹿にされてねえ?」
「褒めているのさ。相手の策には、見落としているかもしれない問題がある」
ナポレオンは机の上へ二枚の紙を並べた。一方にはアストレアが購入する食料、もう一方には子爵領の村々から運ばれてくる商品の記録が書かれている。
「アストレアが小麦を買えなくなれば困る。だが、売る予定だった農民と商人も収入を失う。とくに、すでに収穫した商品は、売り先がなくなったからといって畑へ戻せるわけではない」
勘助が頷いた。
「つまり、圧力を強めれば、子爵領の民にも不満が生まれる可能性があるということでござるな」
「そのとおり。しかも、こちらは東側の商人との取引を増やし始めている。相手が商売を止めれば、将来の取引先まで失うかもしれん」
皇牙は目を輝かせた。
「おお! じゃあ、向こうが勝手に困るってことか!」
「放っておけば必ずそうなる、という話ではない。だからこそ、今のうちに事実を集めるのだ」
ナポレオンはコルベールへ視線を向けた。
「西側で取引が減った商人が、どのくらいいるのか。村の農民には何が起きているのか。推測ではなく、確認できた数字や証言が必要だ」
「すでに商人たちへ聞き取りを始めております。今後は、取引を見合わせた理由も整理いたしましょう」
二宮尊徳も口を開いた。
「アストレア側では、契約済みの食料を確実に受け取り、別の仕入れ先も維持いたします。商人の方々に無理な注文をするつもりはございません」
「よし! じゃあ、その方針で頼む!」
皇牙が頷くと、関羽が静かに口を開いた。
「我ら警備担当者にも役目がある。商隊を軍事的な争いへ巻き込まぬよう、西門周辺の警備を整えよう。ただし、子爵軍の管轄へ勝手に兵を進めることはせぬ」
「それがよかろう。余計な挑発は避けたい」
ナポレオンは満足そうに頷いた。
会議が終わると、皇牙は新しく召喚した三人のことを紹介した。コンラートはコルベールたちの商業調査、イザベルは行政文書の整理、バルドは既存の輸送担当者と協力して街道の状況を学ぶことになった。
それぞれに教育役が決まり、皇牙はようやく安心した表情を浮かべる。
「いやあ、仕事を任せられる人材が増えるって最高だな!」
「殿は本当に、働く方を見つけるのがお好きですね」
「もちろん! これぞ俺の理想の建国だ!」
巴が笑う隣で、皇牙は満足そうに胸を張った。
午後、アストレアの市場では、コルベールが商人たちへ通達の確認状況を説明していた。
報告義務の権限については、すでにオスカー・ベルナーを通じて正式な回答を求めている。しかし、回答が届くまでは、子爵領内の商人に対して命令を無視するよう勧めることはできない。
「報告が必要なら、きちんと提出するつもりです。ただ、そのあと軍から何を言われるのかが怖いんですよ」
ハンスが困った顔で言うと、コルベールは頷いた。
「その不安は理解しております。アストレアとしても、取引を続けるかどうかは皆様の判断を尊重いたします」
そこへ、別の商人が声を上げた。
「実は、知り合いの穀物商から手紙が来たんです。アストレアへの販売を控えたせいで、買い取る予定だった村の小麦が倉庫に残っているそうで」
「……えっ? それって、向こうも困ってるってこと?」
近くで話を聞いていた皇牙が思わず尋ねた。
「はい。農民は収穫した小麦を売って、次の種や道具を買いますからね。商人が買い取れなくなれば、農民も困るんですよ」
皇牙の表情が険しくなった。
「……何だよ、それ。うちを困らせるために、向こうの農民まで困らせてんのか?」
「まだ軍が直接そう命じたわけではありません。ただ、今回の通達を恐れて、取引が減っているのは確かです」
商人の説明に、皇牙は大きく息を吐いた。
「……だったら、あいつらの小麦、うちで買えねえの?」
コルベールが少し驚いた顔をした。
「可能性はございます。ただし、売り手の意思や輸送の条件を確認しなければなりません」
「そっか。じゃあ、買えるなら買ってやりたいって伝えてくれ!」
皇牙の言葉に、商人たちの表情が少し明るくなった。
もちろん、アストレアがすべての商品を買い取れるわけではない。しかし、取引を続ける意思があると示すことには意味があった。
その後、コルベールは商人たちの協力を得て、取引が減った村や穀物商の状況を整理することにした。
夕方になると、別の知らせが届いた。
子爵領内の土地管理を担当するエーベルハルト・クラインの下へ、西部の商人から相談が寄せられ始めたという。
それは、昨日までの取引が急に減り、村の農民たちが困り始めているという内容だった。
ただし、エーベルハルトが軍務官庁の通達を取り消せるわけではない。彼の担当は土地と領民の管理であり、軍の命令とは別の立場にある。
それでも、領民の生活に影響が出ている以上、無視することはできなかった。
ヴァルデン子爵領の領都にある執務室で、エーベルハルトは部下から報告を受けていた。
「……軍務官庁の通達によって、商人が取引を控えているのか?」
「はい。まだ数は多くありませんが、西部の村から相談が寄せられております」
エーベルハルトは眉をひそめた。
「軍の補給を守るための調査が、領民の収入を減らしてどうする。これでは本末転倒ではないか」
部下が困ったように頷く。
「軍務担当官シュタール殿へ、確認いたしますか?」
「当然だ。だが、その前に通達の正式な権限を調べろ。子爵閣下の裁可があるのか、軍務官庁の判断なのか、それすら明確ではない」
エーベルハルトは書類を机へ置き、厳しい表情で続けた。
「領民の生活が損なわれるなら、我々も黙っているわけにはいかん」
そのころ、軍務担当官ヴォルフラム・シュタールの執務室にも、新しい報告が届いていた。
アストレアへの取引を控える商人がいる一方、東側の商人を通じて食料が運び込まれているという。
「……ふん。思ったほど困っていないようだな」
シュタールは不満そうに呟いた。
さらに、領内の商人が取引を減らしたことで、一部の村から苦情が出始めていることも報告される。
「……何だと?」
男の表情が険しくなった。
「領民が困っている? たかが数件の取引が減っただけではないか」
「ですが、土地管理官エーベルハルト殿の部署にも相談が届いているようで……」
その言葉に、シュタールは舌打ちした。
「……余計なことを。こちらは軍の補給を守るために調査しているのだ」
男はしばらく考えたあと、机の上に置かれた通達の控えを睨んだ。
「……仕方あるまい。エーベルハルトに説明する必要がありそうだな」
こうして、アストレアへの経済的な圧力は、子爵家内部の問題へと変わり始めた。
一方、そんなことを知らない皇牙は、城館の庭園で大浴場の設計図を広げていた。
「……よし! やっぱり黒竜は二体にしよう! 入口の左右に置いたら絶対格好いいって!」
「殿。お風呂の中は、もうお決まりになったのですか?」
巴の問いに、皇牙はぴたりと動きを止めた。
「……あっ」
その反応に、巴は堪えきれず笑い出した。
「ふふ。殿は本当に、格好いいものがお好きなのですね」
「うるせえ! これも立派な建国計画なんだよ!」
皇牙は照れ隠しに胸を張った。
子爵領では、商人と農民の不満が政治問題へ発展し始めている。それでもアストレアの街には、今日も穏やかな夕暮れが訪れていた。
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