第3章 第91話 ナポレオンの逆転策! 商人たちとの新たな契約
異世界生活七十八日目。アストレアの市場では、朝から二人の商人が言い争っていた。
「だから、取引をやめるわけじゃないと言ってるでしょう! ただ、今までどおり西の村から仕入れられるか分からないんですよ!」
「こっちだって困ってるんだ! 来週届けるはずだった小麦を、どうやって用意しろっていうんですか!」
荷車のそばで声を荒らげているのは、以前からアストレアへ穀物を運んでいるハンスと、その取引仲間だった。周囲の商人たちも心配そうに二人を見つめている。
石橋の西側に設けられた子爵軍の監視所では、商人の氏名や積み荷だけでなく、取引相手まで記録されている。軍務担当官ヴォルフラム・シュタールの部署へ、その情報が送られていることも分かっていた。
そして今朝、ハンスが普段利用している村の穀物商から、しばらく取引を控えたいという知らせが届いたのである。
「……くそっ。あの監視所さえなければ」
ハンスは荷車の車輪を軽く蹴り、苛立ちを飲み込んだ。
その様子を、市場の一角にある集会所から眺めている男がいた。
「ふむ。相手の狙いが、ようやく形になってきたようだな」
ナポレオン・ボナパルトである。
彼の隣には山本勘助とコルベールが立っていた。机の上には、すでに二宮尊徳が整理した食料の必要量と、商人たちから提出された納入予定が並んでいる。
「ハンス殿が仕入れを断られたのは痛手でござるな」
「だが、商人本人がアストレアとの取引を嫌っているわけではない。そこが重要だ」
ナポレオンは窓の外へ目を向けた。
「相手が商人を不安にさせようとしているなら、こちらは安心して取引できる条件を整える。すでに準備は進めているのだろう?」
「はい。予算と備蓄量の確認は済んでおります。本日は条件に同意いただける商人との契約を進める予定です」
コルベールの答えに、ナポレオンは満足そうに頷いた。
「ならば、今日こそ成果を出そう。敵の思惑を知るだけでは、街の腹は膨れんからな」
そのころ神城皇牙は、城館の広間で一日の楽しみに目を輝かせていた。
「さあ、今日も無料ガチャだ! 昨日は商業事務のルーカスだったし、今度こそ偉人が来るかもしれねえ!」
隣にいる巴が、くすりと笑う。
「殿。ナポレオン殿が召喚されて、まだ数日しか経っておりませんよ?」
「だからこそだよ! 奇跡ってのは、続くかもしれねえだろ!」
皇牙は《英霊召喚ガチャEX》を呼び出した。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:432人】
【SR以上排出率:5%】
「いくぜ、一回目!」
白い光の中から現れたのは、N荷役補助のオットーだった。続く二回目も白い光となり、N食料保存補助のフリーダが召喚される。
「おお、荷物運びと保存食の人材か! ちょうど忙しくなってるところだし、助かるな!」
三回目の召喚陣は青く輝いた。
【R セバスティアン】
【適性:商人交渉補助・取引調整】
「うおおっ! 商人との交渉が得意なのか!? お前、最高のタイミングで来たな!」
突然両手を握られた青年は少し驚いたものの、すぐに穏やかな笑顔を見せた。
「お役に立てるよう努めます。まずは、こちらの商業制度を学ばせていただければ」
「もちろん! 詳しいことはコルベールたちに聞いてくれ。俺より百倍詳しいから!」
「……皇牙様は?」
「俺は人材を見つける専門家だ!」
胸を張る皇牙を見て、巴が口元を押さえた。三人を案内担当者へ引き継ぐと、画面の人口表示が変わる。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:435人】
【SR以上排出率:5%】
「よし、四百三十五人! 今日もいい一日になりそうだな!」
そう言って広間を出た皇牙を、ちょうどクラリスが待っていた。
「皇牙様。市場で商人の方々との話し合いが始まります。コルベール様から、最後の承認をお願いしたいとのことです」
「……もう?」
「必要な予算と取引条件は、昨日から確認を進めておりますので」
「なるほど。じゃあ、俺は判子を押すだけでいいんだな!」
「内容をご確認いただく必要はございます」
「……世の中、そんなに甘くねえか」
皇牙は肩を落としたが、すぐに気を取り直した。面倒な書類仕事は嫌いでも、住民の食料がかかっているなら話は別だ。
市場の集会所へ着くと、十数人の商人が集まっていた。
机には契約書の草案が置かれ、二宮尊徳が穀物や干し豆などの購入予定を説明している。コルベールが交渉を担当し、クラリスとルーカスが記録を整理していた。
「皆様にお願いするのは、通常の商取引でございます。アストレアが必要な商品を、決められた数量と価格で購入する。その約束を文書に残したいと考えております」
コルベールが話し終えると、ハンスが手を挙げた。
「一つ確認させてください。私のように、仕入れ先から突然断られた場合はどうなりますか?」
「納入できる見込みが変わったときは、速やかにご連絡ください。事情を確認し、数量や日程の変更を協議いたします。ただし、納入されていない商品の代金まで無条件にお支払いするものではありません」
「……なるほど。それなら、こちらも無理な約束をせずに済みますね」
ハンスは少しだけ表情を和らげた。
別の商人からは、子爵軍の検査で遅れた場合について質問が出た。コルベールは、通行記録と事情を確認し、双方が納得できるよう調整すると答える。軍の検査そのものをなくすと約束するようなことはしなかった。
皇牙はそのやり取りを聞きながら、隣の巴へ小声で囁いた。
「……なあ、ああいう細かい話、俺には絶対無理だわ」
「ふふ。ですが、殿が皆さんを信頼してお任せしているからこそ、こうして話し合いが進んでいるのですよ」
「そう言われると、ちょっと格好いいな!」
やがて二宮尊徳が、商人ごとの納入可能量を確認し始めた。
ハンスが本来届ける予定だった小麦のすべてを用意するのは難しい。しかし、手元にある分だけなら、これまでどおり運べるという。
さらに、東側の交易路を利用する別の商人が、干し豆と保存の利く穀物を届けられると申し出た。輸送費は少し高くなるものの、二宮尊徳が用意した予算の範囲に収まる見込みだった。
「では、まずハンス殿からは確実に納入できる分を購入し、不足する分を別の取引先で補う形にいたしましょう」
「……それなら、うちも続けられます!」
ハンスが勢いよく頷いた。
ほかの商人たちも、それぞれの事情を話し始めた。全員がその場で契約できたわけではないが、継続取引を希望する数名については、数量、価格、納入予定日、支払い条件がまとまった。
コルベールは契約内容を読み上げ、二宮尊徳が数量と予算を再確認する。最後に皇牙が承認すると、双方が書類へ署名した。
「……よし! これで正式に決まりだな!」
「はい。最初の契約が成立いたしました」
皇牙は嬉しそうに拳を握った。
だが、ナポレオンはここで満足しなかった。
「これで終わりではない。約束した商品が、実際に届くことが重要だ」
「まあ、そりゃそうだよな」
「幸い、ハンス殿は手元の小麦を積んでいるのだろう? その分については、今日のうちに納入できるはずだ」
ナポレオンがそう言うと、ハンスは笑顔で頷いた。
「ええ! すでに荷車に積んであります。数量を確認していただければ、すぐにお渡しできますよ!」
こうして、集会所での話し合いが終わるころには、最初の契約分の小麦がアストレアの倉庫へ運び込まれることになった。
倉庫ではトビアスたちが荷下ろしを手伝い、クラリスの指示を受けた担当者が袋の数と品質を確認する。二宮尊徳が受領を認めると、商人へ控えが渡された。
皇牙はその様子を眺め、大きく頷いた。
「おおっ! 本当に届いたじゃねえか! ナポレオンの作戦、大成功だな!」
「すべてが解決したわけではないが、成果は出たな」
ナポレオンは満足そうに笑った。
「相手が不安を広げようとしているなら、こちらは信頼を積み上げる。それが今日の目的だ」
皇牙は感心したように腕を組んだ。
「いやあ、さすがURだわ。剣も魔法も使ってねえのに、ちゃんと結果を出すんだからな!」
「軍略とは、戦場で敵を倒すことだけではない。必要なものを確保し、人を動かし、勝てる状況を作ることも含まれる」
「……お前、ほんと格好いいこと言うよな」
「当然だ。私はナポレオン・ボナパルトだからな」
自信満々に言い切る姿に、皇牙は思わず吹き出した。
午後、皇牙は市場の空き地を見回っていた。
商人たちとの契約が増えれば、これまで以上に荷車が出入りするようになる。そこで皇牙はアレクシスとガルドに相談し、既存の市場へ隣接する空き地を荷下ろし専用の広場として整備することにした。
「よし! ここなら荷車を何台も止められるだろ!」
《国家創造EX》を発動すると、地面に光が走り、舗装された広場が一瞬で現れた。荷車がすれ違えるように入口を広く取り、歩行者用の通路とも分けてある。
商人たちから歓声が上がった。
「おおっ! これは助かります!」
「今までは道路に荷車を止めるしかありませんでしたからね!」
「へへっ! 建物とか道路を造るのは、俺に任せとけ!」
皇牙は得意げに胸を張った。
その後、二宮尊徳から、今日の食料受け入れが問題なく終わったと報告があった。新しい取引先からの納入はまだ先だが、少なくとも今ある食料が突然なくなる心配はない。
「よし! じゃあ、今日はもう仕事終わりでいいよな?」
「殿。これから夕食のお時間ですよ」
巴が微笑むと、皇牙は嬉しそうに頷いた。
「最高じゃねえか! じゃあ、今日はちょっと豪華な飯にしてもらおうぜ!」
夕暮れの市場には、いつもの活気が戻り始めていた。商人たちは荷車を片づけ、明日の取引について話し合っている。子供たちの笑い声も聞こえ、住宅街には夕食の香りが漂っていた。
皇牙はその景色を眺め、少しだけ表情を和らげた。
自分が望んでいるのは、ただ楽しく暮らせる場所だ。
それでも、この街で暮らす人々が安心して笑っていられるなら、多少の面倒は引き受けてもいい。
「……まあ、俺が全部やるわけじゃねえけどな」
そう呟いた皇牙の隣で、巴が楽しそうに笑った。
その夜、ヴァルデン子爵領の領都では、軍務担当官ヴォルフラム・シュタールが新しい報告書を受け取っていた。
そこには、アストレアとの取引を見合わせた商人がいる一方、正式な契約を結んで取引を続ける商人も現れたことが記されている。
「……ふん。随分と商人を大切にしているようだな」
シュタールは報告書を机へ置いた。
「ならば、次は商人たち自身に考えてもらうことにしよう」
男は側近を呼び、静かに命じた。
「領内でアストレアと取引する商人たちへ、取引内容の報告を求める通達を出せ。軍の補給に支障が出ないか確認するためだ、としておけばよい」
「取引そのものは禁止なさらないのですか?」
「禁止する必要はない。報告の手間を嫌い、自分から取引を控える者もいるだろう」
側近が頷き、通達の準備に取りかかった。
シュタールは椅子にもたれ、地図に記されたアストレアの名を見つめた。
「……こちらの領内で商売する以上、こちらの決まりに従ってもらわねばな」
そのころアストレアの城館では、皇牙が大きな湯船の設計を考えていた。
「……よし! 黒竜の口からお湯が出る大浴場にしよう! 絶対格好いいぞ!」
子爵家の新たな通達が、商人たちへ届こうとしていることなど、皇牙はまだ知る由もなかった。
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