第3章 第61話 街道で通行料!? 俺の平穏な暮らしを邪魔しないでくれ!
異世界生活四十九日目の朝、神城皇牙は城館の寝室で、今日という一日をどう過ごすべきか真剣に考えていた。
昨日はガルドたちが開発している浅型木箱の試験に付き合い、職人たちの工夫を見届けた。実際に木箱を作ったのはガルドとエドガーであり、自分はほとんど見学していただけなのだが、皇牙としては十分に働いたつもりだった。だからこそ、今日は何もせずにのんびり過ごす権利があるはずだ。
「……よし。今日は絶対に働かねえぞ」
そう決意して布団を頭まで引き上げたところで、寝室の扉が控えめに叩かれた。
「殿。お目覚めでしょうか」
「……寝てる。俺は今、夢の中で豪華な温泉に入ってるところだ」
扉の向こうから聞こえてきたのは、巴の小さなため息だった。しかし、彼女は無理に起こそうとはせず、少し間を置いてから穏やかな声で続けた。
「それは残念です。リーナ殿が、焼きたての菓子パンをご用意くださったのですが」
「起きた!」
皇牙は勢いよく身体を起こした。こんなにも簡単に決意が崩れるのは我ながら情けないが、美味しい朝食を逃す方がよほど重大な問題である。扉の向こうから楽しそうな笑い声が聞こえ、巴にはすっかり扱い方を覚えられてしまったらしい。
食堂には、果物を甘く煮詰めた具が入った菓子パンが並んでいた。焼きたての生地は香ばしく、口に入れると柔らかな甘さが広がる。皇牙は幸せそうに頬を緩め、こういう朝食が毎日食べられるなら国造りも悪くないと、実に単純な感想を抱いた。
ところが、二個目へ手を伸ばしたところでクラリスが食堂へ姿を現した。手にしている書類を見た瞬間、皇牙の表情が曇る。
「……なあ、クラリス。俺が朝飯を食ってる間だけ、仕事の話は禁止にしねえ?」
「お急ぎではありませんので、食後で結構ですよ。ただ、西の街道について、少し気になる話が届いております」
西の街道と聞き、皇牙は菓子パンを持つ手を止めた。アストレアにとって、西の定期市は数少ない外部の販路である。先日、商人グレンが運んだ蓋付き木箱二個もそこで売れたばかりだったし、今後は改良した浅型木箱や織物なども扱えるようになるかもしれない。
「……まさか、道が壊れたとか?」
「いえ。街道で通行料を要求する者たちが現れた、という噂です。ただし、アストレアが整備した道ではなく、西の定期市より先の話だそうです」
「通行料? 誰が取ってんだよ」
「近隣の領主に仕えていると名乗っているそうですが、詳しいことはまだ分かりません」
皇牙は眉を寄せた。知らない土地の知らない領主など、できれば一生関わりたくない相手である。しかし、商人が余計な金を払わされるようになれば、品物の値段にも影響が出るかもしれない。それは、自分の快適な生活にも関わってくる。
「……分かった。朝飯を食ったら話を聞く。けど、その前にガチャだけは引かせてくれ!」
皇牙がそう言うと、クラリスは慣れた様子で頷いた。
中庭へ出た皇牙は、さっそく《英霊召喚ガチャEX》を開いた。目の前に浮かんだ画面には、今日も三回分の無料召喚が表示されている。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:159人】
【SR以上排出率:5%】
「よーし! 今日こそ金色が来てもいいんだぞ! 超優秀な宰相でも軍師でも、遠慮せず出てこい!」
「殿。既に優秀な方々が大勢おられると思いますが」
「だからこそ、もっと増えてほしいんだよ! 俺の仕事を限りなくゼロにするためにな!」
巴の苦笑を気にせず、皇牙は三回の召喚を続けて行った。結果はN宿泊施設補助のアンリ、N製粉作業補助のミーナ、R文書照合補助のルシア。期待していた歴史上の偉人は現れなかったものの、どれも今のアストレアで役立ちそうな人材だった。
三人を歓迎した皇牙は、仕事の希望と得意分野を簡単に確認し、それぞれの担当者へ紹介してもらうようクラリスに頼んだ。新しく召喚した全員の仕事を自分が決める必要はない。必要な場所へ適切な人材を配置する仕組みが、少しずつ整ってきたのだから。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:162人】
【SR以上排出率:5%】
「百六十二人か。いやあ、最初は四人しかいなかったのに、ずいぶん賑やかになったよな」
皇牙は満足そうに画面を閉じた。もっとも、人口一万人まではまだ遠い。SR以上の排出率が上がる日を楽しみにしながらも、今は地道に街を発展させていくしかなかった。
西門近くの休憩所へ向かうと、一人の行商人が待っていた。荷馬車には日用品や乾物が積まれ、旅装には街道の土埃が付いている。商人は皇牙たちを見るなり立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
話によれば、男は西の定期市で別の行商人から、街道で通行料を要求されたという話を聞いたらしい。自分も今後その先の町へ向かう可能性があるため、道の安全について情報を集めていたという。アストレアが旅人の相談を受け付けていると知り、こちらにも伝えておこうと思ったそうだ。
「なるほどな。つまり、あんた自身が金を取られたわけじゃねえんだな?」
「はい。ただ、別の商人も似た話をしていたものですから、気になりまして」
皇牙は腕を組んだ。二人から聞いたというだけなら、多少は信用できそうにも思える。しかし、同じ噂が広まっているだけという可能性もあるだろう。
そこで話を引き継いだのが、旅人から街道の情報を集めていたイブン・バットゥータだった。
「その二人は、ご自身で通行料を要求されたのでしょうか。それとも、どなたかから聞いた話だったのでしょう?」
バットゥータは穏やかな口調で尋ねた。商人が考え込む間も急かさず、実際に見聞きしたことと、人から伝え聞いたことを丁寧に分けていく。やがて、一人は自分の荷車を止められたと話していたが、もう一人は知り合いから聞いた噂だったことが分かった。
「それでは、少なくとも一人は直接経験されたと話していたわけですね。その方は、どちらへ向かう途中だったのでしょう」
「西の定期市から北西の方へ向かったと聞きました。古い石碑のある分かれ道の近くだったそうです」
バットゥータはその言葉を書き留めると、以前聞き取った旅人の話を記した紙を取り出した。数日前、別の旅人が北西の道について話した際にも、同じような石碑の存在に触れていたという。
ただし、石碑が同じものなのかは確認できていない。どちらの情報も伝聞を含む以上、安易に場所を断定することはできなかった。
「……へえ。そんな話まで覚えてんのか」
皇牙が感心すると、バットゥータは微笑んだ。
「旅先では、何気ない目印が大切になるものです。ただ、今の段階では同じ場所を指しているとは言い切れません」
「なるほどな。じゃあ、その石碑の場所を調べれば、もう少しはっきりするってわけか」
「はい。まずは、その道を実際に通った方へ話を聞くのがよろしいでしょう」
商人は、直接通行料を要求されたと話していた人物の特徴と、普段利用している市場を教えてくれた。次に誰へ尋ねればよいかが分かっただけでも、大きな前進だった。
皇牙は情報を知らせてくれた礼を述べ、今後も何か分かったら伝えてほしいと頼んだ。商人は安心した様子で頷き、荷馬車のもとへ戻っていった。
その後、皇牙たちは城館の執務室へ移動した。机の上には、アストレア周辺を実際に測量した記録と、バットゥータが旅人から聞き取った街道情報が並べられている。どちらも同じ地図へ書き込んでしまうのではなく、確認済みの道筋と未確認の情報を区別していた。
山本勘助はその記録を見比べながら、問題の場所について考えを述べた。
「殿。石碑のある分かれ道という話が正しければ、我らが整備した街道より西の定期市のさらに先と考えられます。少なくとも、現時点でアストレアの領内に不審な者が現れたという報告はございません」
「じゃあ、今すぐ兵を出すような話じゃねえんだな?」
「はい。噂だけで動けば、こちらが余計な争いを招く恐れもあります。まずは門の見張りに情報を共有し、出入りする商人から話を集めるのがよろしいかと」
勘助の提案は、必要以上に警戒を強めるものではなかった。普段の見張りを続けながら、不審な出来事がないか確認する。実際に問題が起きた場合にはすぐ報告できるようにするが、噂だけを理由に商人の往来を妨げることはしないという。
皇牙はその方針に頷いた。相手が盗賊なのか、本当に領主の部下なのかさえ分からないのに、いきなり戦うつもりはない。自分が強いからといって、何でも魔法で解決しようとすれば、かえって面倒な問題が増えそうだった。
「よし。じゃあ、警戒は勘助に任せる。変な奴がいたら教えてくれればいいからな」
「承知いたしました」
続いてコルベールが、交易への影響について説明した。
通行料を要求されている場所がアストレアから離れていたとしても、その先から来る商人が余計な費用を負担するようになれば、商品価格が上がる可能性がある。逆に、商人が危険を避けて別の道を選べば、品物が届くまでの日数も変わるかもしれない。
「つまり、こっちの道で金を取られなくても、巡り巡って俺たちの買い物が高くなるかもしれねえってことか?」
「その可能性はあります。ただ、現時点では実際に費用が増えたという記録はありません。まずは商人の動きと市場の価格を確認するべきでしょう」
「……なるほどな。やっぱ商売って、面倒なことが多いんだなあ」
皇牙は椅子の背にもたれた。昨日は新しい木箱が完成に近づいたと喜んでいたのに、今度はそれを運ぶ道の心配までしなければならないらしい。
とはいえ、木箱の販売を急ぐ必要はない。グレンから浅型木箱の正式な注文が入ったわけでもなく、ガルドたちも耐久性の確認を続けているところだ。今のうちに街道の情報を集めておけば、今後の商売にも役立つだろう。
「分かった。バットゥータは石碑と噂の出所を調べて、勘助は道の安全を確認。コルベールは商人の動きと値段を見てくれ。俺は……」
皇牙がそこで言葉を止めると、三人の視線が集まった。
「……みんなの仕事がうまく進むよう、城で応援してる!」
「殿。それはお仕事なのでしょうか」
巴の冷静な指摘に、皇牙は胸を張った。
「立派な仕事だろ! 上に立つ人間には、部下を信じて任せる度量が必要なんだよ!」
もっともらしいことを言っているが、実際には面倒な仕事から逃げたいだけである。それでも、勘助たちは苦笑するばかりで、反対しなかった。
必要な判断さえしてもらえれば、あとの実務は自分たちで進められる。それがアストレアの強みでもあった。
話し合いを終えた皇牙は、ようやく自由の身になったとばかりに執務室を飛び出した。巴とともに城館の中庭へ出ると、夕方の風が頬を撫で、遠くから工房の木槌の音が聞こえてきた。
街の通りには荷車を押す人々の姿があり、農地から戻ってきた住民たちが楽しそうに言葉を交わしている。少し前までは何もなかった荒野に、今では百六十人を超える人々が暮らしているのだ。
皇牙はその景色を眺めながら、何となく満足した。
「……なあ、巴。もし本当に道で悪さしてる奴らがいるなら、そのときは何とかしねえとな」
「はい。ですが、まずは事実を確かめることが大切かと存じます」
「だよな。俺だって、知らねえ相手にいきなり喧嘩売るほど暇じゃねえし」
皇牙は笑ったあと、城下町の方へ視線を戻した。美味しい料理を食べて、面白いものを見て、好きなときに昼寝をする。そのために造り始めた国だったが、いつの間にか、この街で暮らす人々の賑やかな日常も、自分にとって大切なものになっていた。
「まあ、商人が来なくなったら困るしな。美味いもんも珍しい物も手に入らなくなるし!」
「ふふっ。殿らしい理由でございますね」
「だろ? 俺のスローライフを邪魔する奴は許さねえってことだ!」
得意げに笑う皇牙を見て、巴も柔らかく微笑んだ。目の前の主君は、誰かを守りたいと思っても、決して素直にそう言おうとはしない。それでも、必要なときには必ず動いてくれることを、巴はよく知っていた。
アストレアの人口は百六十二人。
西の街道で通行料を要求する者たちがいるという噂は、まだ真偽の分からない話にすぎない。しかし、情報の出所と手掛かりとなる場所が見つかったことで、調査は確かに一歩進んだ。
小さな開拓集落だったアストレアは、交易を通じて外の世界とのつながりを広げつつある。そして、そのつながりが増えるほど、これまで知らなかった問題も少しずつ姿を現していくのだろう。
もっとも、そんな未来の心配を長々と続けるほど、皇牙は真面目な人間ではなかった。
「よし! 難しい話はみんなに任せたし、俺は風呂入ってくる! 今日は絶対にのんびりするぞ!」
そう宣言して城館へ戻っていく皇牙の背中を、巴は楽しそうに見送った。結局、何だかんだと仕事に関わってしまう主君が、本当に一日中何もしないで過ごせる日は、まだしばらく先になりそうだった。
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