第3章 第59話 機織り職人の実力を見せてもらったら、新しい産業が始まりそうな件
異世界生活四十七日目の朝、神城皇牙は城館の食堂で、焼きたてのパンを頬張りながら幸せを噛み締めていた。
昨日はルドルフ一家が無事に移住し、アストレアの人口は百五十三人になった。新しい家も喜んでもらえたし、農業の仕事については尊徳とマルクが面倒を見てくれる。つまり、皇牙が今日しなければならない仕事は特にない。
「……よし。今日は昼まで寝るぞ」
「皇牙様、少しよろしいでしょうか」
「うわっ! その言葉、最近一番怖いんだけど!」
背後から現れたクラリスに、皇牙は思わず身構えた。
彼女が持っていたのは、リューデン谷から届いた連絡書だった。昨日、移住してきたルドルフ一家を送り出したエリサが、ヘレナという機織り職人から相談を受けたらしい。
「ヘレナさんは、以前アストレアを見学された方です。織物の仕事を続けられるなら移住したいそうですが、今使っている織機をどうするか悩んでおられます」
「……ああ、あの人か! ガルドが織機のことを相談されてたよな?」
「はい。ただ、まだ実物を見ていないので、修理できるのか、新しく作る必要があるのか判断できないそうです」
皇牙はパンを置き、少し考えた。
ヘレナは夫のヨーゼフと幼い娘の三人家族だ。移住に興味はあるものの、村で続けてきた仕事を捨てるつもりはない。家を建てても、そこで暮らしていけなければ意味がないだろう。
「だったら、見に行けばいいじゃねえか。織機って、俺も実物をちゃんと見たことねえし!」
「皇牙様がご興味をお持ちになるとは、珍しいですね」
「いやいや、機械って面白えだろ! 糸から布を作るんだぜ? どうなってるか見たいじゃねえか!」
皇牙が目を輝かせると、向かいで朝食を取っていた巴が微笑んだ。
「では、今日は谷へお出かけですか?」
「おう! ガルドとエレナにも声をかけようぜ!」
クラリスは、ヘレナから織機を見せてもよいとの返事が届いていることを伝えた。案内についてもエリサが引き受けてくれるという。
話がまとまると、皇牙はさっそく中庭へ向かった。ただし、出発前に忘れてはいけない日課がある。
「よーし! まずは今日のガチャだ!」
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:153人】
【SR以上排出率:5%】
一回目はN工房雑務補助のマルセル。材料の整理や作業場の片づけを得意とする青年だった。
「おっ、ガルドの工房にぴったりだな!」
二回目はR繊維加工補助のリディア。糸の扱いや布の加工について知識を持つ、落ち着いた雰囲気の女性だった。
「……おおっ! 今から織機を見に行こうってときに、こりゃ大当たりじゃねえか!」
三回目にはN荷車整備補助のトビアスが現れた。車輪や車軸の点検を手伝える人材で、街道を行き交う荷車が増えている今は心強い。
「よし! 三人ともよろしくな!」
皇牙はマルセルとトビアスをそれぞれの担当者へ紹介してもらい、リディアには事情を説明したうえで、谷への同行を頼んだ。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:156人】
【SR以上排出率:5%】
午前中、ガルド、エレナ、リディアが城館へ集まった。
ガルドは最初に召喚された職人で、今では工房の仕事をまとめている。Rのエレナは衣服や布製品の加工に詳しく、リディアは糸や繊維の扱いを補助できる。三人とも得意分野は異なるが、織物の仕事を考えるなら頼もしい顔ぶれだった。
「実物を見せてもらえるならありがたいですね。前に聞いた説明だけでは、織機の大きさも細かな仕組みも分かりませんから」
ガルドが言うと、エレナも頷いた。
「私は、どんな糸でどんな布を織っているのか知りたいです。材料が手に入らなければ、道具だけあっても仕事は続けられませんし」
「糸の状態も確認させていただきたいです」
リディアが控えめに付け加えた。
「よっしゃ! じゃあ、さっそく行こうぜ!」
皇牙は四人を連れ、以前訪れたことのあるリューデン谷のミルデ村へ《空間転移EX》で移動した。転移したのは皇牙を含めて五人だけで、能力の人数制限には十分余裕がある。
村の近くへ着くと、朝の畑から土の匂いが漂ってきた。小麦畑の向こうには小さな家々が並び、村人たちが荷車を押したり、農具を運んだりしている。
「……おお、やっぱり谷っていい景色だな!」
皇牙が伸びをすると、巴が周囲を見渡した。
「殿。まずはエリサ殿にお会いしましょう」
「おう!」
村の集会所で一行を迎えたエリサは、ヘレナの家まで案内してくれた。
木造の家は村の外れにあり、窓辺には色の違う糸の束が掛けられている。扉の向こうから、カタン、カタンと規則正しい音が聞こえてきた。
「……おっ、何か動いてるぞ!」
皇牙が目を輝かせると、エリサは小さく笑った。
「ヘレナさん、いつもの仕事をしているみたいですね」
声をかけると、扉が開いた。
「皇牙様! 本当に来てくださったんですね!」
出迎えたヘレナは、前にアストレアを見学したときと同じ、穏やかな表情の女性だった。ただ、その指先には糸を扱う職人らしい細かな傷や硬くなった部分が見える。
「おう! 織機を見せてもらいに来たぜ!」
「もちろんです。どうぞ中へ」
家の奥には、大きな木製の織機が置かれていた。
縦に張られた糸の間を、横糸を巻いた道具が行き来する。足元の踏み木を動かすと糸の上下が入れ替わり、ヘレナが手元の道具を引くたびに、少しずつ布が織り上がっていく。
「……うおおっ! すげえ!」
皇牙は思わず身を乗り出した。
「こうなってんのか! 足で動かして、糸を通して……おおっ、布になってる!」
ヘレナは嬉しそうに笑った。
「慣れるまでは難しいですけど、覚えると手が勝手に動くようになるんですよ」
皇牙は感心しながら織機を眺めた。
城や工房なら魔法で造れる。しかし、目の前の布は、人間が時間をかけて糸を重ねなければ完成しない。自分の能力とはまったく違う仕組みで、一枚の布が生まれていくのだ。
ガルドは織機の木枠を慎重に確かめていた。
「なるほど……。思っていたより部材が多いですね。こちらの軸は、長く使っているのでしょうか?」
「ええ。父の代から使っているものです。何度か直しましたが、最近は動きが悪くなってきて……」
ヘレナは少し困った顔をした。
ガルドは傷んだ部分を指さし、どこに負担がかかっているのかを尋ねた。ヘレナが実際に動かしてみせると、木枠の一部がわずかにきしんだ。
「ここですね。今すぐ壊れるようには見えませんが、このまま運ぶとなると心配です」
「やっぱり、難しいでしょうか……」
ヘレナの表情が曇った。
すると、ガルドはゆっくり首を振った。
「いえ。分解できる部分を確かめれば、運べる可能性はあります。ただし、実際に外してよいかは、あなたと相談してからです」
その言葉に、ヘレナは少し安心したようだった。
一方、エレナは作業台に置かれた布の見本を手に取っていた。
「……綺麗ですね。糸の太さが揃っていて、織り目も細かい」
「ありがとうございます。丈夫な布を作るのが得意なんです。村では作業着や袋に使ってもらっています」
エレナは布を光へかざし、指先で織り目を確かめた。
「これなら、衣服の材料としても使えそうですね。ただ、柔らかい服を作るなら、糸の種類を変えた方がよいかもしれません」
リディアも横から見本を覗き込み、糸の状態について質問した。
「この糸は、村で紡いだものですか?」
「はい。近くの村から買うこともありますが、ほとんどはこの谷で作っています」
「なるほど。では、アストレアへ移る場合、糸をどこから仕入れるかが大切になりますね」
リディアは頷いた。
話を聞いていた皇牙は、布の見本を手に取った。
「……おお、結構しっかりしてるな!」
指先に伝わる生地の感触は、想像していたより丈夫だった。普段着ている服とは違うが、袋や作業着にすれば長く使えそうだ。
「これ、アストレアでも売れるんじゃねえか?」
「需要はあると思います。ただ、今すぐ大量に売れるとは限りません」
エレナが答えた。
「まずは住民の皆さんに、どんな布が必要なのか聞いてみるのがよいでしょう」
「なるほどな! じゃあ、試しに少し作ってもらえばいいじゃねえか!」
皇牙が笑うと、ヘレナは驚いたように顔を上げた。
「……私の布を、アストレアで?」
「おう! もちろん、ちゃんと代金は払うぞ。売れるかどうかを確かめるためにも、まずは少量からでいいだろ!」
ヘレナはしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んだ。
「……ありがとうございます。実は、仕事を続けられるかが一番心配だったんです」
彼女は織機へ目を向けた。
「父から教わった仕事なので、簡単にはやめたくありません。でも、娘が大きくなることを考えると、もっと暮らしやすい場所へ移るのもいいのかなって……」
その言葉を聞き、皇牙は頷いた。
「だったら、急いで決めなくていいさ。まずは布を作ってもらって、どんな仕事ができそうか確かめようぜ!」
ヘレナはほっとしたように息をついた。
そこへ、家の奥から夫のヨーゼフが顔を出した。幼い娘も父親の後ろに隠れ、興味深そうに一行を見つめている。
「皇牙様。妻の仕事のために、ここまで来ていただいてありがとうございます」
「気にすんなって! 俺も織機を見るの、面白かったしな!」
皇牙は笑った。
話し合いの結果、ヘレナは少量の布を見本として用意し、後日アストレアへ届けてもらうことになった。織機についてはガルドが構造を記録し、運搬や修理の方法を検討する。
移住を決めるのは、その結果を見てからでも遅くない。
「じゃあ、まずはこの布を何に使えるか考えようぜ!」
皇牙が言うと、エレナが頷いた。
「作業着や袋のほかにも、試してみたいものがあります。工房の方々にも意見を聞いてみますね」
「私も糸の加工について考えてみます」
リディアも笑顔で答えた。
ガルドは織機の構造を描いた簡単な図を見せ、傷んだ部分をどう直せるか説明した。まだ修理を約束できる段階ではないが、少なくとも何を調べるべきかははっきりした。
「……いいねえ! 何か新しい産業が始まりそうじゃねえか!」
皇牙は満足そうに笑った。
帰り際、ヘレナが小さな布の切れ端を差し出した。
「よろしければ、これをお持ちください。私が織ったものです」
「おっ、いいのか?」
「はい。今日来ていただいたお礼です」
皇牙は受け取った布を眺め、にやりと笑った。
「ありがとな! 大事にするぜ!」
午後、アストレアへ戻った皇牙たちは、コルベールとクラリスへ調査結果を伝えた。
織機は移設や修理を検討できるものの、実際に運ぶ方法はまだ決まっていないこと。糸の仕入れ先は谷にあるが、継続して調達できるか確認が必要なこと。そして、ヘレナの布は丈夫で、作業着や袋などへの利用が期待できること。
コルベールは話を聞き、静かに頷いた。
「まずは少量の商品で需要を確かめるのがよいでしょう。大きな工房を建てるのは、そのあとでも遅くありません」
「おう! 俺もそう思う!」
皇牙は即答した。
もっとも、本音では立派な織物工房を造ってみたかった。巨大な機械が並ぶ建物を想像すると、建築好きとしては胸が躍る。
「……でも、いつか造るなら格好いい工房にしたいよな。大きな窓があって、布がずらっと並んでてさ!」
「殿。まだ移住も決まっておりませんよ」
巴が笑う。
「分かってるって! 想像するくらいいいだろ!」
皇牙は肩をすくめた。
夕方、工房ではガルドが織機の図を見直し、エレナとリディアが布の使い道について話し合っていた。マルセルは材料の整理を手伝い、エドガーはガルドの描いた図を興味深そうに覗き込んでいる。
皇牙はその様子を眺め、満足そうに頷いた。
今日、ヘレナ一家の移住が決まったわけではない。織機が修理されたわけでも、商品が売れたわけでもなかった。
それでも、実物を見て、本人の希望を聞き、これから何をすればよいのかが分かった。
「……へへっ。こういうの、いいよな」
帰り道、巴が隣で微笑んだ。
「殿。今日は随分とお楽しそうでしたね」
「おう! ああいう機械って面白えんだよ。しかも、ちゃんと仕事につながるかもしれねえんだろ?」
「はい。皆様の力が合わされば、よいものが生まれるかもしれません」
「だよな!」
皇牙は嬉しそうに笑った。
「そのうち俺の格好いい外套も作ってもらおうかな。黒くて、風になびいて、魔王みてえなやつ!」
「……殿は、やはりご自分のお召し物が一番気になるのですね」
「そりゃそうだろ! 俺の国なんだから、俺だって楽しみたいじゃねえか!」
巴の笑い声が、夕暮れの街道に響いた。
アストレアの人口は百五十六人。
小さな開拓集落では、新しい産業の種がまた一つ芽生えようとしていた。
建物を造るだけでは生まれない仕事も、人と技術が結びつけば、少しずつ形になっていく。
皇牙はそんな街の変化を楽しみながら、まだ見ぬ織物工房の姿を頭の中で思い描いていた。
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