第2章 第42話 SSR二宮金次郎、商人相手に本領発揮
異世界へ来て二十八日目の朝、神城皇牙は城館の食堂で、焼きたてのパンにたっぷりと豆の煮込みを載せていた。窓の外では住民たちが仕事を始めているが、今日の皇牙には特別な予定などない。昨日は二宮尊徳のために試験農地を造ったのだから、そろそろ一日くらい好きなことだけをして過ごしても罰は当たらないはずだった。
「くくく……。やっぱりSSRはいいな。金次郎が来てから、農業のことを考えなくても何とかなりそうな気がしてきたぜ」
「殿。尊徳殿がいらしてから、まだ二日でございますよ」
向かいの席で巴が微笑んだ。皇牙は構わずパンを口へ運ぶ。
「二日で十分だろ。昨日なんか、畑を見ただけで次に残す種の問題まで見つけたんだぞ。農業SS+は伊達じゃねえってことだ!」
尊徳の固有スキル《報徳仕法》は、農業や内政、財務に関する情報を分析し、改善に役立つ方針を導く能力だった。昨日も、現場の話を聞いた尊徳が種子の管理方法を見直す必要性を指摘し、皇牙が《万能鑑定EX》で確認したところ、その判断を裏づける情報が表示された。
何もないところから食料を生み出せるわけではないが、何をすればいいのか分かるだけでも大違いだ。皇牙にとっては、面倒な計画を任せられる相手が増えたことこそ、何よりの大当たりだった。
そうして幸せな朝食を楽しんでいると、窓の外から荷車の軋む音が聞こえてきた。
「ん? あれって……ベルンじゃねえか?」
街道から集落へ続く道を、一台の幌付き荷車が進んでくる。御者台に座る男の顔には見覚えがあった。以前から何度かアストレアを訪れ、縄や木箱を買ってくれた行商人のベルンである。
「おおっ! ちょうどいいじゃねえか! 金次郎が商人から話を聞きたがってたんだよ!」
皇牙は勢いよく立ち上がったが、目の前にはまだ半分ほど残った朝食がある。巴がその皿へ視線を落とすと、皇牙は何事もなかったように座り直した。
「……まあ、飯を残すのはもったいねえからな。先に食ってから行くか」
「それがよろしいかと」
巴の楽しそうな声を聞きながら、皇牙はパンを頬張った。
朝食を終えて城門へ向かうと、ベルンは荷車置き場で馬に水を飲ませていた。見張りから来訪の目的を確認されたところらしく、皇牙の姿を見つけると帽子を取って頭を下げる。
「これは皇牙さん。お久しぶりです」
「おう! 元気そうじゃねえか。前に来たのは……五日くらい前だったか?」
「ええ。近くの村をいくつか回って、また街道を戻るところです。それにしても、随分と賑やかになりましたねえ」
ベルンは感心したように周囲を見渡した。城の近くには住宅や工房が並び、畑へ向かう人々の姿もある。街道から続く道には案内標識が立ち、荷車を止める場所も整っていた。
「最初に来た頃は、大きなお城ばかり目立っていましたが……。今では、ちゃんと人が暮らす集落になっていますね」
「だろ? しかも、まだまだ大きくなる予定だぜ!」
皇牙は得意げに胸を張った。
ベルンは笑いながら荷台へ目を向けた。
「そういえば、以前見せていただいた蓋付きの木箱ですが、追加でできましたか?」
「あー……悪い。まだなんだよ。木材は家具や家の補修にも使ってるからさ」
「それなら仕方ありません。急ぎの注文ではありませんし、余裕ができた頃に見せていただければ結構ですよ」
皇牙はほっとした。ベルンが以前、三つほどあれば買いたいと話していたことは覚えている。しかし、正式な注文を受けたわけではない。住民の暮らしに必要な木材を無理に回してまで、商品を作らせるつもりはなかった。
「それよりベルン、今日はちょっと会わせたい奴がいるんだ。農業のことなら、とんでもなく詳しい専門家だぜ!」
「ほう。それは楽しみですね」
皇牙がそう言ったところへ、畑へ続く道から二宮尊徳が歩いてきた。朝からマルクと農地を見ていたらしく、手には畑の様子を書き留めた紙を持っている。
「殿。こちらが、お話に伺っていた商人の方でございますかな」
「おう! こっちがベルンで、こっちは二宮尊徳。俺は金次郎って呼んでる!」
「二宮尊徳と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「ベルンと申します。こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は丁寧に挨拶を交わした。尊徳はベルンの荷車に目を向け、早速、一つ質問をした。
「ベルン殿。こちらでは、作物の種も扱っておられますかな?」
「ええ、少しならございます。布や日用品が中心ですが、農村を回るときには種も持っていくんですよ」
ベルンは荷台から小さな麻袋を三つ取り出し、中身を見せてくれた。豆類と根菜類の種で、いずれも近隣の村で使われているものだという。
尊徳は種を一粒つまみ、指先で確かめた。
「こちらは、どのような土地で育てられておりますかな」
「川沿いの畑が多いですね。ただ、村によって土も違いますし、同じように育つとは限りません」
「なるほど。では、収穫したものは村の中で食べられることが多いのでしょうか。それとも、町へ売りに出されるのでございますかな」
ベルンは少し考えてから答えた。
「豆は保存が利くので、余れば町へ運ぶこともあります。ただ、よく採れた年は値が下がるんです。運ぶ手間を考えると、売れば必ず儲かるというわけでもありませんね」
皇牙は二人の会話を聞きながら、思わず首を傾げた。
「……なあ、金次郎。今日は種を買う話じゃなかったのか?」
「それもございます。ただ、どの作物を育てるか考えるなら、収穫したあとのことも知っておきたいのです」
「収穫したら、食うか売るかじゃねえの?」
「そのとおりにございます。ですが、食べきれぬほど採れても、売り先がなければ困りましょう。逆に、よい値で売れる作物でも、住民の食事が不足してしまっては本末転倒でございます」
尊徳の返答に、皇牙は目を丸くした。
昨日まで畑の話をしていたはずなのに、もう売り先まで考えている。農業SS+に加え、財務S+、商業A+という能力を持っていた理由が、ようやく分かってきた気がした。
ベルンも感心した様子で頷いた。
「おっしゃるとおりです。作物は育てるだけでは商売になりません。保存できるか、運べるか、買う人がいるか。そこまで考えないと、かえって損をすることもありますから」
「左様でございましょう。まだこの土地では、住民が安心して食べられる量を確保するのが先決です。ですが、いずれ余裕が生まれたなら、商いのことも考えたいものですな」
専門家同士の話は、皇牙が思っていた以上に奥深かった。
そこで皇牙は、《万能鑑定EX》を発動して尊徳の状態を確かめてみた。すると、昨夜から見慣れた固有スキルの欄に、現在の分析対象が表示されている。
【固有スキル《報徳仕法》】
【分析対象:農業生産・保存性・交易条件】
【改善方針:住民の食料確保を優先し、余剰生産の見込みが立った段階で販売を検討】
【不足情報:収穫見込み・保存可能量・輸送費・販売価格】
「おおっ……! やっぱり今の話も、ちゃんと分析に使ってるんだな!」
皇牙は思わず笑った。
ただし、画面は何を育てれば必ず儲かるのかまでは教えてくれない。尊徳が集めた情報を整理し、判断に必要なものを示しているだけだ。実際に何をするかは、本人たちが決めなければならない。
「……なるほどな。SSRだからって何でも分かるわけじゃねえけど、考え方が全然違うんだな」
皇牙が呟くと、巴も小さく頷いた。尊徳が来たことで、これまで別々に考えていた畑と商売が、少しずつつながり始めているようだった。
その後、尊徳はベルンの持ってきた種について、さらに詳しく聞いた。
昨日造った試験農地では、今ある豆を使い、水の与え方による生育の違いを比べる予定になっている。そこへ別の種類の種まで混ぜてしまえば、何が原因で育ち方が変わったのか分かりにくくなる。
そこで尊徳は、新しく買う種については別の小さな区画を使い、まずアストレアの土地で育つかどうかを確かめることにした。
「へえ……。実験も一つずつ分けるわけか」
「はい。違いを確かめるには、比べる条件を整理することが大切でございます」
尊徳はマルクとも相談し、ベルンが持ってきた豆の種を一種類だけ試す方針を決めた。ところが、皇牙はそこで重要なことに気づいた。
「……あれ? そういや、種っていくらなんだ?」
ベルンが示した値段は、小袋一つで銀貨一枚だった。
皇牙は腕を組んだ。商店に残っている銀貨十三枚は、商品の仕入れにも使う資金である。農業の試験に使う種を、そこから勝手に買っていいわけではない。
「ちょっと待ってくれ。金のことはセドリックに確認してくる。銀貨一枚くらいなら大丈夫だと思うけど、勝手に決めるのもな」
「ええ、もちろんです。私はしばらく休憩させていただきますから、急がなくて結構ですよ」
ベルンは快く頷いた。
皇牙はクラリスを通じてセドリックへ確認を頼んだ。少しして戻ってきた返事では、拠点の共同運営費から試験栽培用の支出として銀貨一枚を出せるという。支払い後の記録もセドリックが管理することになり、商店の運転資金に手をつける必要はなかった。
「よし、決まりだ! じゃあ、それを一袋頼む!」
代金が支払われると、ベルンは種の入った小袋を尊徳へ手渡した。尊徳は中身を確かめて礼を述べ、マルクと相談して保管と試験栽培の準備を進めることにした。
「ありがとうございます。よい結果が出ましたら、またお話を伺いたく存じます」
「こちらこそ。どんなふうに育つのか、次に来たときの楽しみにしておきますよ」
ベルンは満足そうに笑った。
皇牙も胸を撫で下ろした。これで種は手に入ったが、すぐに作物が増えるわけではない。試験のための畑はすでにあり、育て方は尊徳とマルクが考える。自分が今やるべきことは、ひとまず何もなさそうだった。
「……よし。これで安心して昼寝できるな!」
「殿。まだベルン殿がお帰りになっておられませんよ」
「分かってるって! 冗談だよ、冗談!」
巴に指摘され、皇牙は慌てて笑った。
そんなやり取りを聞いていたベルンは、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば皇牙さん。こちらでは、新しい住民も受け入れておられるんでしたね?」
「おう。まだ小さな集落だけどな。住みたいって奴がいれば、事情を聞いてから考えてるぜ」
「なるほど。それなら、一つ耳に入れておいた方がよさそうな話があります」
ベルンによれば、街道沿いの村で、移住先を探している家族がいるらしい。畑に使える土地が限られ、これから先の暮らしを考えて、別の場所へ移ることを検討しているという。
「ただ、私も直接相談されたわけではありません。村で聞いた噂ですから、まだ決まった話ではないですよ」
「へえ……。そんな話があるのか」
皇牙は少し驚いた。
今までもアストレアへ移り住んだ者はいたが、外の村で移住先の候補として話題になるとは思っていなかった。
「その人たち、俺の城のことを知ってるのか?」
「ええ。最近は街道を通る人の間で、この辺りに立派な城と新しい集落ができたと話題になっていますからね。私以外にも、ここを見た商人はおりますし」
「くくく……。ついに俺の城の評判が広がり始めたか!」
皇牙は嬉しそうに笑った。
けれど、すぐに尊徳の顔を見て、少しだけ考え直した。
土地なら広いし、住宅は《国家創造EX》で造れる。しかし、住民が増えるなら、食料や仕事も必要になる。今のアストレアでは農業改革を始めたばかりで、何十人も一度に受け入れられるかどうかは分からない。
「……まあ、来たい奴がいるなら歓迎したいけど、まずは話を聞かねえとな」
「左様にございます。住むところだけでなく、その方々がどのように暮らしていくかも考える必要がございましょう」
「だよな。よし、もし誰か来たら、クラリスたちに相談してもらおうぜ!」
皇牙があっさり言うと、巴は楽しそうに微笑んだ。
ベルンはその後、休憩を取り、荷車の点検を済ませてから街道へ戻ることになった。皇牙は見送りながら、次に来たときには木箱を用意できているといいなと思ったが、無理に作業を増やすつもりはなかった。
「また来いよ、ベルン! 今日はいろいろ助かったぜ!」
「こちらこそ。次に伺う頃には、また新しい家が増えているかもしれませんね」
「ははっ! それはありそうだな!」
ベルンの荷車が街道へ向かっていくのを見送り、皇牙は尊徳とともに城館へ戻った。
歩きながら、皇牙はふと思いついたように尋ねた。
「なあ、金次郎。農業って、畑で作物を育てるだけじゃねえんだな」
「はい。作ることも、蓄えることも、必要な場所へ届けることも、皆の暮らしにつながっておりますからな」
「……なるほど。俺が思ってたより、ずっといろいろあるわけか」
皇牙は少しだけ真面目な顔になった。
種を買うだけでも、何を育てるか、どれだけ必要か、金をどこから出すかを考えなければならない。面倒なことばかりだが、それを一つずつ整理してくれる人物がいるのはありがたかった。
「よし! 農業のことは金次郎とマルクたちに任せる。必要な建物があれば俺が造るから、遠慮なく言ってくれ!」
「ありがたきことにございます。皆と相談しながら、少しずつ進めてまいります」
尊徳は穏やかに頭を下げた。
皇牙は満足そうに頷き、今度こそ念願の昼寝を楽しむため、自室へ戻った。
夕方になると、十分に休んだ皇牙は中庭へ向かい、いつもの無料ガチャの画面を開いた。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:88人】
【SR以上排出率:5%】
「さてと! 今日も三回、きっちり引かせてもらうぜ!」
皇牙は期待を込めて召喚を始めた。
三回の結果は、N薪割り補助のバラン、R薬草栽培係のエミル、N荷車整備補助のクルトだった。歴史上の偉人こそ現れなかったものの、それぞれの仕事を支えられる人材である。皇牙は三人を歓迎し、具体的な仕事の割り振りは担当者へ任せることにした。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:91人】
【SR以上排出率:5%】
「九十一人か……。あと九人で百人じゃねえか!」
皇牙は画面の数字を見て、嬉しそうに笑った。
最初は自分を含めて四人しかいなかったアストレアに、今では九十一人が暮らしている。住宅や工房も増え、畑では新しい作物を試す準備が始まっていた。
しかも、外の村には移住先を探している人々がいるという。まだ噂にすぎない話だったが、皇牙は不思議と胸が躍るのを感じた。
「……なあ、巴。俺の城、結構人気が出てきたんじゃねえか?」
「ふふ。これだけ立派なお城ですもの。興味を持たれる方は多いでしょうね」
「だろ? そのうち、もっと人が増えるかもしれねえな!」
皇牙は城下を見渡した。家々の窓には明かりが灯り、仕事を終えた住民たちが夕食の支度を始めている。今日買った小さな種の袋も、いずれ新しい作物を育てるきっかけになるかもしれない。
まだ大きな変化が起きたわけではない。それでも、アストレアは少しずつ、外の世界とつながり始めていた。
「くくく……。いいねえ。俺の悠々自適生活のためにも、もっと賑やかになってもらわねえとな!」
皇牙は満足そうに笑い、巴とともに城館へ向かった。
その頃、街道の向こうにある小さな村では、一組の夫婦が新しい暮らしの場所について話し合っていた。
灰の荒野にできたという、立派な城と新しい集落。
まだ見たこともないその場所へ、一度足を運んでみようかと。
アストレアへ続く道を、新たな人々が訪れる日は、そう遠くなさそうだった。
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