第2章 第40話 八十二人の食事を用意するのは大変らしい
異世界へ来て二十六日目の昼、神城皇牙は城館の食堂で、目の前に並んだ料理を満足そうに眺めていた。焼きたてのパンに野菜のスープ、香草を利かせた豆の煮込み。豪華な食材を使っているわけではないが、料理人リーナの腕は確かで、毎日の食事は皇牙にとって欠かせない楽しみになっていた。
「くくく……。やっぱり、美味い飯を食ってるときが一番幸せだな。これで昼寝までできたら完璧なんだけど」
「殿は朝食のときにも、同じようなことを仰っておられましたよ」
向かいに座る巴が微笑む。皇牙は気にした様子もなくパンをちぎり、温かなスープへ浸した。自分で料理を作る必要もなければ、食材の仕入れを考える必要もない。城を建てた当初の苦労を思えば、これだけでも十分に理想の生活へ近づいていた。
ところが、最初の一口を食べようとしたところで、食堂の入口から困ったような声が聞こえてきた。
「すみません。昼食はこちらでいただけると聞いたのですが……」
振り向くと、昨日召喚された住民が二人、配膳を担当するメイラと話していた。二人とも午前中の仕事を終えたところらしく、少し疲れた表情をしている。メイラは手元の記録と残っている料理を見比べ、申し訳なさそうに頭を下げた。
「お二人がこちらで召し上がるとは聞いていなくて……。少々お待ちいただけますか?」
待っている二人は文句を言わなかったが、配膳台には料理がほとんど残っていなかった。皇牙はパンを皿へ戻し、腰を上げた。
「……おいおい。まさか、飯が足りねえのか?」
厨房を覗くと、リーナが大きな鍋の中身を確かめ、助手たちへ追加の料理を指示していた。食材の置かれた作業台は普段より慌ただしく、野菜を刻む音が途切れずに響いている。
「リーナ、どうした? 食材がなくなったなら、何とかするぞ」
「皇牙様。食材はまだございます。ただ、今日のお昼に何人いらっしゃるのか、私たちが聞いていた人数と違っておりまして」
リーナは手を止め、事情を説明した。
現在、アストレアには皇牙を含めて八十二人が暮らしている。しかし、全員が城館の共同食堂を利用しているわけではない。家族で暮らす住民の中には自宅で料理を作る者もおり、仕事場へ食事を持っていく者もいる。以前は人数が少なく、誰が食堂に来るか大体分かっていたが、住民が増えたことで、その方法も通用しなくなってきたらしい。
「なるほどな。八十二人全員の飯を作ってるわけじゃなくて、何人分必要なのか分かんなくなってきたってことか」
「はい。多めに作ればよい日もありますが、毎回それでは食材を無駄にしてしまいます。かといって、足りなければ今日のようにお待たせすることになりますから」
皇牙は腕を組んだ。食堂なら《国家創造EX》でいくらでも増やせる。しかし、建物を広くしたところで料理が勝手に完成するわけではないし、畑の作物が一瞬で育つわけでもない。
「……よし。まずは待ってる二人の飯を頼む。慌てて怪我するようなことはすんなよ」
「ありがとうございます。もう少しでご用意できますので」
皇牙は待っている住民へ事情を伝え、空いている席で休んでもらうことにした。自分の食事へ戻ってからも、厨房の様子が気になって仕方がなかった。住民が増えること自体は嬉しいが、そのせいでリーナたちが疲れ果ててしまっては困る。何より、美味しい料理を作れなくなるのは、皇牙自身にとっても大問題だった。
午後、皇牙はリーナとクラリス、倉庫を預かるヘルダを集め、食事の準備について相談することにした。
「先に言っとくけど、全員に毎日書類を書かせるとかはなしな。俺が住民だったら、飯を食う前にそんな面倒なことしたくねえ」
「そのつもりはございません。仕事場ごとに、食堂を利用する人数を知らせてもらうだけで十分かと」
クラリスは簡単な案を説明した。農地や工房などでは、それぞれの担当者が食堂を利用する人数をまとめて伝える。城館で働く者についてはユリウスが確認し、自宅で食事を作る家族には、共同食堂を利用したい日に知らせてもらう。予定が変わった場合も、分かった段階で連絡すればよいという。
「それなら、料理を始める前に必要な量を決められます。急な変更があっても、少し余裕を持たせておけば対応しやすくなりますから」
リーナが安心したように頷いた。続いてヘルダが、倉庫から厨房へ渡した食材と実際に使った量を確かめておけば、残りを把握しやすくなると説明する。細かな記録は倉庫側で引き受け、リーナたちには調理へ集中してもらう方針だった。
「なるほど。人数はクラリス、食材はヘルダ、料理はリーナってことか。いいじゃねえか! それぞれ得意なことをやればいいんだよ!」
「はい。ただ、今ある食材を上手に使うことと、将来の食料を増やすことは別の問題です」
クラリスの指摘に、皇牙は窓の外を眺めた。城館の向こうには、マルクたちが耕した畑が広がっている。土地を整えることは簡単でも、種や道具、人手が必要になるうえ、収穫までには時間がかかる。住民が増え続けるなら、いずれ食料生産そのものを見直す必要があるだろう。
「……農業って、思ってたより面倒なんだな」
「殿がお気づきになられただけでも、大きな進歩かと」
巴が微笑むと、皇牙は不満そうに顔をしかめた。
「俺だって、それくらい分かるっての! ただ、詳しいことは専門家に任せたいだけだ!」
結局、まずは食堂の人数確認から試すことになった。食材を新たに購入する必要が出た場合には、セドリックが支出を確認する。商店に残っている銀貨十三枚は商品の仕入れにも使うため、拠点全体の資金と混同しないようにする方針も確認された。
夕食の準備が始まる頃には、早速新しい方法が試されていた。クラリスが各仕事場から予定人数を集め、リーナが料理の量を決める。ヘルダは必要な食材を用意し、厨房へ渡した分を記録する。まだ試行錯誤の段階だが、昼間のように食事の直前になって人数が分からなくなることはなかった。
皇牙は厨房の入口からその様子を眺め、満足そうに頷いた。少し離れたところでは、食材を運ぶ者たちが倉庫と厨房を行き来している。二つの建物を結ぶ通路の一部は屋外になっており、雨の日には荷物を濡らさないよう苦労しているらしい。
「……それなら、俺の出番じゃねえか!」
皇牙はリヒトに通路の位置を確かめてもらい、ヴァルターにも荷物の運搬を邪魔しない幅を確認したうえで、《国家創造EX》を発動した。石畳の脇から柱が伸び、緩やかな傾斜の屋根が形作られる。ほんの一瞬で、倉庫と厨房を結ぶ短い屋根付き通路が完成した。
「ふっふっふ! 完成だ! 名付けて、我が城の食料輸送回廊!」
「殿。普通の屋根付き通路でよろしいのでは?」
「格好いい名前の方が気分が上がるだろ!」
皇牙が得意げに胸を張ると、巴は笑いをこらえきれなかった。もちろん、屋根を造ったからといって食材が増えるわけではない。それでも、毎日の運搬が少し楽になるなら、建てた意味は十分にある。
夕食の時間になると、共同食堂では落ち着いて配膳が進んでいた。途中で予定が変わった仕事場からも連絡が届き、リーナたちは慌てずに対応できている。昼間、食事を待つ住民が困っていた光景を思い出し、皇牙はほっと胸を撫で下ろした。
「……よし。これなら、明日も美味い飯が食えそうだな」
「殿は本当に、お食事のこととなると真剣でございますね」
「当たり前だろ! 美味い飯と昼寝は、俺の人生の最重要事項だからな!」
巴が楽しそうに笑う。皇牙も笑い返し、ようやく安心して夕食を平らげた。
そして日が沈み始めた頃、皇牙は待ちに待った無料ガチャのため、中庭へ向かった。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:82人】
【SR以上排出率:5%】
「さあて、今日こそ歴史の大物を頼むぜ! そろそろ巴や勘助みたいな偉人を、もう一人引きてえんだよなあ!」
最初の二回で現れたのは、N野菜選別補助のハルと、R食料管理補助のエドモンドだった。どちらも今の拠点で役立つ仕事を持つ人材であり、皇牙は歓迎の言葉をかけてから、担当する仕事場についてはクラリスたちと相談してもらうことにした。
「よし、あと一回! 頼むぜ、ガチャの神様!」
皇牙は期待を込めて画面に触れた。
その瞬間、召喚陣の輝きが変わった。
普段の淡い光とは違い、金色の輪が幾重にも重なり、その内側を白銀の粒子が駆け巡る。石畳へ広がった紋様は複雑で、まるで巨大な魔法陣が地面そのものへ刻み込まれたようだった。皇牙は息をのみ、思わず一歩前へ踏み出した。
「……おいおい。何だよ、この演出……!」
やがて、目の前に一つの表示が浮かび上がった。
【SSR】
「…………は?」
皇牙は数秒間、その文字を見つめた。見間違いかと思って目をこすっても、表示は消えない。初期排出率〇・八パーセント。何度も画面で確認し、いつか引き当てたいと夢見ていたレアリティが、今まさに現れている。
「SSRだあああああああっ!!」
突然の絶叫に、隣にいた巴が驚いて振り返った。
「と、殿!? いかがなされました!」
「巴! SSRだぞ! SRより上のSSR! とうとう俺にも大当たりが来たんだよ!」
皇牙は興奮のあまり、その場で何度も跳びはねた。巴を召喚したときも、勘助が現れたときも大喜びしたが、今回はそれ以上だった。
やがて光が静かに収まり、召喚陣の中央から一人の男性が姿を現した。質素な着物に身を包み、落ち着いた眼差しをした人物だった。派手な鎧も武器も持っていないが、その立ち姿には不思議な威厳がある。
【SSR:二宮尊徳】
【分類:歴史上の偉人】
【得意分野:農業・内政・地域振興】
「……二宮、尊徳?」
皇牙は名前を見返し、次の瞬間には目を見開いていた。
「って、あの二宮金次郎か!? 小学校に銅像があった、あの人!?」
目の前の男性は少し不思議そうな顔をした。
「銅像というものは存じませぬが、私の名は二宮尊徳。お召しにより、こちらへ参りました」
「本物だ……! 本物の二宮金次郎だあああ!」
皇牙は思わず拳を握りしめた。日本にいた頃、歴史の授業で名前を聞いたことがある。荒廃した農村の復興に尽くし、人々の暮らしを立て直した人物だ。薪を背負って本を読む少年の印象が強かったが、目の前にいるのは落ち着いた雰囲気の大人の男性だった。
「すげえ……! 巴御前に山本勘助、それで今度は二宮尊徳かよ! 俺の国、歴史の教科書みたいになってきたじゃねえか!」
皇牙は興奮を抑えきれないまま、《万能鑑定EX》を発動した。初めてのSSRがどれほどの能力を持っているのか、確かめずにはいられなかった。
【二宮尊徳】
【レアリティ:SSR】
【総合:S+】
【統率:A】
【武勇:E】
【知略:S】
【財務:S+】
【内政:SS】
【外交:B+】
【忠義:A+】
【農業:SS+】
【工芸:C】
【商業:A+】
「……は?」
皇牙は思わず画面へ顔を近づけた。
「農業SS+!? 内政SS!? 財務までS+って、何だこの化け物ステータス!」
巴が興味深そうに覗き込む。武勇こそ高くないものの、農業と内政の評価は群を抜いていた。財務や知略にも優れており、ただ畑仕事が得意というだけではないことが一目で分かる。
「殿。随分と優れたお方のようですね」
「優れてるなんてもんじゃねえぞ! 巴が戦闘の専門家なら、金次郎は農業と内政の専門家ってことだ! しかも、こんなに能力が高いなんて……!」
皇牙は興奮したまま画面を操作し、固有スキルの欄を開いた。
【固有スキル《報徳仕法》】
【効果:農業・内政・財務に関する情報を総合的に分析し、土地の復興や生産性向上に有効な施策を導き出す。計画の実行には必要な人員・物資・時間を要する】
「……おおおっ! 固有スキルまであるじゃねえか!」
皇牙は思わず声を上げた。
農業や内政の情報を分析し、土地の復興や生産性向上につながる方法を考えられる。作物を一瞬で成長させたり、食料を無から生み出したりする能力ではないが、今のアストレアにはむしろ必要な力だった。
畑を造ることなら、皇牙にもできる。しかし、何を育て、どれだけ種を残し、どのように住民の暮らしへ結びつけるのかは、専門家の知識がなければ難しい。尊徳の能力は、まさにその部分を補ってくれるものだった。
「これなら農業だけじゃなくて、国の運営も任せられそうじゃねえか! くくく……。とうとう俺の理想のスローライフが本格的に始まるな!」
皇牙が嬉しそうに笑うと、尊徳は穏やかな表情で口を開いた。
「まずは、この土地の様子と、人々の暮らしについてお聞かせいただけますかな。どのような作物を育て、何に困っているのかを知りとうございます」
「お、おう! もちろんだ! 明日、マルクたちを紹介するから、畑も見てくれ!」
皇牙は勢いよく答えた。尊徳がどれほど優秀でも、召喚されたばかりでアストレアの事情を知っているわけではない。まずは現場を見てもらい、今まで農業を支えてきた者たちと相談してもらう必要があるだろう。
尊徳は城館の方へ目を向けた。窓の向こうでは、夕食の片づけを終えた住民たちが忙しく行き来している。
「立派なお城でございますな。ですが、そこに暮らす方々の食事や仕事は、いかがでしょう。皆が無理なく暮らせておりますかな」
皇牙は思わず目を丸くした。
「……おいおい。いきなりそこを聞くのかよ」
今日、共同食堂で食事の数が合わず、リーナたちが困っていたばかりだ。尊徳はそのことを何も知らないはずなのに、建物の立派さよりも、そこで暮らす人々の生活を気にかけている。
「実は今日、ちょうど食堂のことで問題があってさ。今はひとまず改善したけど、これから人が増えたら、もっと食料が必要になると思うんだよ」
「左様でございましたか。ならば、なおのこと畑と倉を拝見せねばなりませぬな。土地を豊かにすることは、人々が安心して暮らせるようにすることでもございますから」
その言葉に、皇牙は感心したように頷いた。
建物を造ることばかり考えていた自分とは、見ている場所が違う。これが農業と内政でSS級の能力を持つ人物なのだろう。そんな偉人が、自分の仲間になったのだ。
「……なあ、巴。俺、もしかしてとんでもねえ人材を引いちまったんじゃねえか?」
「ふふ。殿がそれほど喜ばれるのですから、間違いないのでしょう」
巴が微笑むと、皇牙は満面の笑みを浮かべた。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:85人】
【SR以上排出率:5%】
今日の無料ガチャはこれで終了した。しかし、皇牙にとっては、いつもと同じ三回ではなかった。
初めてのSSR。それも、農業と内政に優れた歴史上の偉人だ。昨日までは遠い先のことだと思っていた農業改革が、急に現実味を帯びてきたように感じられた。
「よっしゃ! 明日から頼むぜ、金次郎! 俺は必要なときに魔法と建築で協力するから、面倒なことはよろしくな!」
尊徳は少し考えたあと、穏やかに微笑んだ。
「皆がそれぞれの力を尽くせば、きっとよい土地となりましょう。ただし、殿にも殿のお役目がございますぞ」
「……えっ?」
「何を大切にし、どのような国を目指すのか。それを決めるのは、この地を築かれた殿にございますからな」
皇牙は一瞬、返す言葉を失った。
仕事を全部任せるつもりだったのに、どうやら完全に何もしなくてよくなるわけではないらしい。けれど、尊徳の言葉には不思議な説得力があり、反論する気にもなれなかった。
「……まあ、それくらいなら考えてやるよ。俺が目指すのは、皆が美味い飯を食えて、安心して昼寝できる国だからな!」
尊徳はその答えを聞き、穏やかに頭を下げた。
「それは、よいお志にございます」
「……だろ?」
皇牙は少し照れくさそうに笑った。
最初は自分が楽をするためだけに造った小さな拠点だった。けれど、今では八十五人が暮らし、畑で働く者も、工房で物を作る者も、食事を用意する者もいる。
そして今日、そんな人々の暮らしを豊かにするための知恵を持った、新しい偉人が仲間になった。
皇牙は城館の方へ歩き出しながら、満足そうに笑った。
「くくく……。やっぱりガチャって最高だな! 明日は金次郎が何をするのか、ちょっと楽しみになってきたぜ!」
巴はその横顔を見て、穏やかに微笑んだ。
アストレアの農業と内政は、まだ始まったばかりだ。
しかし、SSR二宮尊徳の召喚によって、この小さな開拓拠点は、新たな発展への第一歩を踏み出そうとしていた。
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そして本日はここまで明日も10話投稿します。
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