第2章 第37話 追加で欲しい? でも在庫がない!
異世界へ来て二十三日目の朝、神城皇牙は城館の寝室で、今日こそ何もしない一日を過ごそうと固く決意していた。
昨日は木材不足の相談に付き合い、材木の保管場所を増設したうえ、家具職人フリードが作った収納箱の出来栄えまで確かめた。実際に木を削ったわけでも、重い荷物を運んだわけでもないが、皇牙にしてみれば十分すぎるほど働いた一日である。今日は朝食をゆっくり味わい、庭で昼寝を楽しみ、夕方に無料ガチャを引くだけで終わらせるつもりだった。
「……完璧だ。これぞ俺が求めていたスローライフ!」
寝台の上で満足そうに頷いた皇牙が、もう一度毛布を引き寄せようとしたとき、扉の向こうから控えめな足音が聞こえた。
「殿。お目覚めでございますか?」
聞き慣れた巴の声だった。いつもなら喜んで迎えるところだが、今朝ばかりは嫌な予感がする。彼女がこんな時間に訪ねてきたということは、何か用事ができたに違いない。
「起きてるけど、今日は俺の休業日だからな。面倒な話なら明日にしてくれ」
「西門の商店に、ベルン殿がお見えになったそうです」
その名前を聞いた瞬間、皇牙は毛布を跳ね除けた。
「ベルン!? 最初にうちの商品を買ってくれた、あのおっさんか!」
「はい。エドガー殿がお相手をしておりますが、殿にもお知らせをと」
巴が言い終える頃には、皇牙は寝台から立ち上がっていた。以前、ベルンが縄三本と木箱二つを購入したときには、銀貨十四枚もの売上が出た。あとで食料の仕入れに使ったため、商店の現金は現在銀貨九枚しかないが、あの初めての商売の興奮は忘れていない。
「よし、行くぞ! また買ってくれるかもしれねえ!」
「ふふ。先ほどの休業日はどうなさるので?」
「金を稼ぐ機会は別だ! 昼寝は待ってくれるけど、客は帰っちまうだろ!」
何とも都合のよい理屈を並べながら、皇牙は慌ただしく身支度を整えた。
西門の外へ到着すると、商店の脇に見覚えのある荷車が止まっていた。馬は少し離れた場所で水を飲み、荷台には布袋や木箱がきっちりと積み上げられている。見張りのオスカーが周囲へ目を配るなか、ベルンは屋根付きの休憩所でエドガーと話していた。
「おう、ベルン! 久しぶりだな!」
「これは皇牙さん。お元気そうで何よりです。それにしても、前に来たときとは随分様子が変わりましたね」
立ち上がったベルンは、商店から城門へと視線を巡らせた。以前にはなかった石造りの休憩所が建ち、街道との分岐には道標も設けられている。休憩所の屋根には翼を広げた鳥の飾りがあり、長椅子には朝日が差し込んでいた。
「ふっふっふ! どっちも俺が造ったんだぜ。休憩所なんか、雨が吹き込みにくいように屋根まで改良したからな!」
「それはありがたい。荷車で街道を行き来していると、こうして腰を下ろせる場所があるだけでも助かります」
ベルンは感心した様子だった。ただ、休憩所が宿屋ではなく、夜を明かせる場所でもないと聞くと、なるほどと頷いた。皇牙としては立派な宿屋も早く造りたかったが、寝具や人手の問題が残っているため、まだ営業できる状態ではない。
「まあ、宿屋はそのうちだな。それより今日は何を見に来たんだ? 縄ならまだ一本あるぜ!」
「実は、以前買わせていただいた木箱のことが気になりまして。改良されたと聞いたので、ぜひ見せていただきたいのです」
ベルンの言葉に、エドガーが商店から木箱を運んできた。最後に残っていた一つで、以前販売したものと大きさは似ているが、蓋には新しい木製の留め具が付いている。ガルドとブラムが仕組みを考え、レオンも出来栄えを確認した改良品だった。
ベルンは箱を受け取ると、まず外側を眺め、それから留め具を慎重に動かした。小さな木製の部品が回転し、蓋の縁へ掛かる。反対に動かせば蓋が開く仕組みで、金属を使わずに固定できるのが特徴だった。
「ほう……これは考えましたね」
「だろ? 前に蓋が浮くことがあるって話を聞いて、職人たちが改良してくれたんだ」
「ええ。前の箱も重宝していますよ。布や小物を分けるのに便利なんですが、荷車が大きく揺れると蓋が浮くことがありましてね。毎回紐で縛るのは、少々手間だったんです」
ベルンは自分の荷車へ目を向けた。荷台には形も大きさも違う荷物が積まれており、道の悪い場所を進めば、箱同士がぶつかることもあるという。大切なのは、ただ蓋が閉まることではなく、運搬中に簡単に開かず、必要なときには手早く中身を取り出せることらしい。
「もっとも、留め具を乱暴に扱えば傷むでしょうから、そこは気をつける必要がありますね」
「はい。その点はお使いになる方へ必ずお伝えしております」
エドガーが説明すると、ベルンは納得したように頷き、もう一度開け閉めを繰り返した。皇牙はその様子を黙って眺めていたが、胸の内では期待が膨らんでいた。以前の客が商品を実際に使い、その不便さを直した品をわざわざ見に戻ってきてくれたのだ。
やがてベルンは留め具を閉じ、満足そうに顔を上げた。
「では、こちらを一ついただきましょう」
「よっしゃ! お買い上げ!」
思わず声を上げた皇牙の隣で、エドガーは落ち着いて価格を伝えた。木箱一つにつき銀貨四枚。ベルンは革袋から銀貨を取り出し、枚数を確かめてから差し出した。
代金を受け取ったエドガーは、その場で売上を記録する。商店にあった銀貨九枚に四枚が加わり、手元の現金は十三枚になった。もちろん、これがそのまま利益というわけではないが、皇牙には銀貨が増えたことだけでも十分嬉しかった。
「くくく……また一歩、夢の有料ガチャに近づいたぜ!」
「殿。金貨百枚までは、まだ遠うございますよ」
「分かってるって! 夢を見るくらい許せよ!」
巴に笑われながらも、皇牙の機嫌はよかった。ところが、木箱を荷車へ運ぼうとしたベルンが何気なく口にした言葉で、その笑顔がぴたりと止まった。
「もしできることなら、同じ箱をあと三つほど欲しいのですが」
「三つ!? いいじゃねえか! ぜひ買ってくれ!」
勢いよく答えた皇牙だったが、エドガーが静かに口を開いた。
「皇牙様。今お渡ししたものが、最後の一つでございます」
皇牙は商店の棚を振り返った。つい先ほどまで木箱が置かれていた場所は空になり、その隣に縄が一本残っているだけだった。銀貨が増えた喜びが、今度は売る物がない悔しさへ変わっていく。
「……くそっ。せっかく欲しいって言ってくれてんのに、在庫がねえじゃん!」
その様子を見たベルンは、怒るどころか穏やかに笑った。彼自身も商人である。欲しい品がすぐに揃わないことなど、珍しくはないのだろう。
「急ぎではありませんよ。またこの街道を通ることがあれば、そのときに買えればと思っただけです。三つ揃わなくても構いません」
皇牙は少し考え、今すぐ職人たちに作らせればよいのではないかと思った。しかし、昨日の木材不足の話が頭をよぎり、その考えを口にする前に踏みとどまった。
ガルドたちは修理用の材料を残しながら、住民向けの家具を少しずつ作っている。商売のために木材を回しすぎれば、生活に必要な道具まで後回しになってしまう。それは皇牙の望むところではなかった。
「……なあ、エドガー。これ、作れるか分かんねえのに注文受けたらまずいよな?」
「はい。今の段階では、次にお立ち寄りいただいた際、在庫があれば購入していただくという形がよろしいかと」
エドガーはベルンに次の訪問予定を尋ねたが、まだ正確な日は決まっていなかった。ラーデンへ戻ったあと別の町へ向かるため、再びこの道を通るのはその先になるという。
そこで今回は正式な注文とはせず、ベルンが改良済み木箱を三つほど希望していることだけ記録した。前金も受け取らず、完成日も約束しない。皇牙は少し残念だったが、守れない約束をするよりはずっとよいと納得した。
「分かった。次に来たとき、売れる箱が増えてるように頑張るぜ!」
「ええ、楽しみにしています。こちらの商品は作りが丁寧ですし、街道沿いで買えるなら私としても助かりますから」
ベルンの言葉に、皇牙は嬉しそうに笑った。
商談をエドガーに任せたあと、皇牙は巴とともに工房へ向かった。ガルドへ木箱が売れたことを伝えると、彼は手を止め、心から嬉しそうな顔をした。
「それは何よりでございます。改良した甲斐がありましたな」
「しかも、あと三つ欲しいんだってさ。ただ、次に来たとき在庫があればって話だ。正式な注文じゃねえから、無理して作らなくていいぞ」
ガルドは頷き、資材管理を担当するグレゴールと相談を始めた。以前から木箱の製作に関わっているフィンやセルも呼ばれ、蓋や側板に使う材料がどの程度必要になるか確かめていく。
フリードも短い板の使い道について意見を出したが、商品用の箱を無理に作れば、住宅で必要とされている家具の材料が減ってしまう。そこで、まず修理用の木材を確保し、家具と商品のどちらに使えるかを材料ごとに整理することになった。
「三つ欲しいって話を聞くと、全部作りたくなるんだけどなあ……」
皇牙は少し悔しそうに呟いた。
「殿。長く商売を続けるなら、皆の暮らしも大切にせねばなりませぬ」
「分かってるよ。目先の銀貨に飛びついて、住民が困るようじゃ意味ねえもんな」
巴へ答えた皇牙は、ガルドたちに向き直った。
「よし。急ぎの修理は優先してくれ。そのうえで、商品に回せる材料があるなら箱を作ってほしい。何個できるかは任せる!」
ガルドは笑顔で頷いた。数を約束しなくてよいと分かれば、職人たちも無理な作業をしなくて済む。皇牙は細かな段取りを彼らに任せ、今度こそ休みに戻ろうとした。
ところが、商店へ戻ったところでエドガーからもう一つ相談があった。
ベルンとのやり取りを記録する際、売上と今後の購入希望を分けて管理したいという。今までも売れた品と仕入れた品は記録していたが、希望だけ聞いてまだ作っていない品まで同じ欄へ書くと、何が売れたのか分かりにくくなる。
「そりゃそうだな。売れてねえ箱まで売れたことになったら、俺が勘違いして喜びそうだし」
「まさに、それを避けるためでございます」
「おい、そこは否定してくれよ!」
エドガーは笑いをこらえながら頭を下げた。
クラリスや帳簿係のセドリックにも相談し、商店では販売済みの商品と、客から希望を聞いた商品を別々に記録することになった。ベルンの希望は三つだが、次回の購入が確定しているわけではない。その区別さえ守れば、今の小さな商店でも十分に管理できる。
皇牙は説明を聞き終えると、満足そうに頷いた。
「よし、面倒な帳簿は任せた! 俺は商品が売れたことだけ覚えておく!」
「殿。何が何個売れたかも、お忘れなく」
「木箱が一つ、銀貨四枚! 現金は十三枚! ちゃんと覚えてるって!」
巴が楽しそうに笑い、皇牙もつられて笑った。
ベルンが荷車を出発させたのは、昼を少し過ぎた頃だった。皇牙は西門の外まで見送りに出たが、遠ざかる荷車を眺めながら、商売を始めたばかりの頃とは違う気持ちになっていた。
あのときは、商品が一つ売れるだけで大騒ぎだった。だが今日は、以前の客が戻ってきて、改良された商品を気に入り、さらに欲しいと言ってくれた。街道を通りかかった旅人アルノへ縄が売れたこともあったが、同じ商人がわざわざ立ち寄ってくれるのは、また別の嬉しさがある。
「……なんか、本当に商売になってきたな」
「はい。少しずつ、アストレアの商品を覚えてくださる方が増えているのでしょう」
巴の言葉に、皇牙は照れくさそうに鼻を鳴らした。
まだ立派な商業都市には程遠い。売り物は少なく、木材も足りず、次に箱をいつ作れるのかさえ分からない。それでも、この小さな拠点で作った物が外の世界に運ばれ、また買いたいと言ってもらえる。その事実が、皇牙には何より嬉しかった。
夕方、城館へ戻った皇牙は中庭に立ち、今日の無料ガチャを開いた。昼寝の予定はすっかり潰れてしまったが、商売の成果があったおかげで気分は悪くない。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:73人】
【SR以上排出率:5%】
「さあ、今日は何が来るかな。せっかく売上もあったんだし、景気よくSRでも出てくれよ!」
期待を込めて一回目を引くと、召喚陣から一人の女性が現れた。
【R:商業記録係 セシリア】
「おっ、Rだ! しかも商業記録係!?」
《万能鑑定EX》で確かめると、セシリアは取引先とのやり取りや商品ごとの販売記録を整理する仕事に優れていた。日々の収支を担当するセドリックとは仕事が重なる部分もあるが、販売履歴や客からの購入希望を整理してもらえば、役割を分けられそうだ。
「よし! ちょうど商店の記録を分けようって話になったところなんだ。エドガーたちと相談してくれ!」
「承知いたしました。まずは、現在どのように記録されているのか確認させていただきます」
セシリアが落ち着いた様子で一礼すると、皇牙は嬉しそうに頷いた。
二回目にはN農作業補助のベルク、三回目にはN荷車整備補助のリオが召喚された。ベルクはマルクたちの畑を手伝い、リオは荷車修理を担当するナディアの仕事を補助できるという。
歴史上の偉人は現れなかったが、三人とも役割のある人材だった。皇牙は全員を歓迎し、住まいと仕事の案内をクラリスたちへ任せた。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:76人】
「七十六人か! 百人まであと二十四人だな!」
皇牙は人口表示を見ながら満足そうに笑った。SR以上の排出率はまだ五パーセントだが、毎日無料で三回引けるのだから、楽しみは尽きない。
その夜、城館の食堂では温かな夕食が用意されていた。皇牙は皿に盛られた料理を眺めながら、今日の出来事を思い返していた。
商店に残っているのは縄一本だけ。改良済みの木箱は売り切れ、現金は銀貨十三枚になった。追加の購入希望も出たが、すぐに生産できるわけではない。
それでも、今日はいい一日だったと思う。
「なあ、巴。商売って結構面白いな。客が気に入ってくれると、また作りたくなるじゃん」
「殿がお造りになった商店でございますから、なおさら嬉しいのでしょう」
「まあな。でも、帳簿と在庫管理はエドガーたちに任せるぜ。俺がやったら絶対どっかで間違えるし」
皇牙が笑うと、巴も穏やかに微笑んだ。
「それでこそ殿にございますね」
窓の外では、工房の灯りが一つ、また一つと消えていく。ガルドたちは明日、木箱に使える材料を改めて確かめるという。職人たちが無理なく仕事を続けられるなら、商品が完成するまで少しくらい時間がかかっても構わない。
皇牙は料理を一口食べ、満足そうに目を細めた。
「よし! 次は箱をもっと売って、銀貨を山ほど貯めてやる! ……もちろん、俺は昼寝しながらな!」
巴の笑い声が食堂に響く。
商人が再び訪れ、一つの商品が売れ、次の商売につながる希望が生まれた。小さな商店にとって、それは確かな前進だった。
そして皇牙は、明日こそ本当に何もしない一日を過ごそうと、懲りずに心へ誓うのだった。
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