第2章 第33話 宿屋は建物だけじゃ始まらない
「決めた! 次は超豪華な宿屋を造る!」
異世界へ来て十九日目の朝。神城皇牙は城館の食堂でパンを頬張りながら、高らかに宣言した。
向かいに座っていたエドガーが手を止め、隣の巴は何かを察したように小さく息をつく。そんな反応など気にも留めず、皇牙は頭の中に浮かんだ理想の宿屋を語り始めた。
「客室は二十部屋くらいで、広い食堂に大浴場! 屋上には展望台も欲しいな。で、最上階には俺専用の特別室だ!」
「殿。ご自身のお部屋でしたら、お城に十分ございますが」
「分かってねえな、巴。城に住むのと宿屋に泊まるのは別の楽しみなんだよ!」
皇牙は得意げに笑った。
昨日、西門の外に初めて三人の旅人が訪れた。縄が一本売れただけでも嬉しかったが、それ以上に印象に残っているのは、休憩所で疲れた足を休めていた三人の表情だった。屋根と長椅子があるだけであれほど喜んでもらえるなら、宿屋まで造ればもっと楽しいことになるに違いない。
それに、昨夜の無料ガチャではR宿泊施設管理人のヘレナが召喚されている。人材まで揃ったのだから、建築好きの皇牙としては黙っていられなかった。
「皇牙様。建物の構想は素晴らしいのですが、その前にヘレナさんのお話を聞いていただけますか」
エドガーが穏やかに告げる。
「……なんだよ。また面倒な話か?」
「いえ。せっかく造っていただくのですから、実際に使える宿屋にしたいのです」
そう言われては反論しにくい。皇牙が渋々椅子へ座り直すと、ちょうど食堂へ入ってきたヘレナが一礼した。
彼女は落ち着いた雰囲気の壮年の女性で、昨夜召喚されたばかりだというのに、すでにエドガーから商店と休憩所の事情を聞いていたらしい。
「皇牙様。まずは今ある休憩所を拝見しながら、お話しさせていただけませんか」
「お、おう。まあ、建物を見るのは好きだからな!」
宿屋の建築計画は、なぜか現地調査から始まることになった。
西門を出ると、城壁沿いの商店と、少し離れた場所に建つ石造りの休憩所が見えた。どちらも城門の外側にあり、旅人は居住区へ入らず利用できる。休憩所には四本の柱と屋根、固定式の長椅子があり、柱に刻んだ植物の装飾は皇牙のお気に入りだった。
「どうだ、ヘレナ! 我ながら最高傑作だと思うんだけど!」
「見事でございます。日差しを避けて腰掛けるには、とてもよい場所です」
「だろ!」
「ただ、こちらは昼間の休憩所であって、宿泊施設ではございません」
続いた言葉に、皇牙の笑顔が止まった。
ヘレナは長椅子へ手を添え、宿泊する人に何が必要かを説明した。寝台そのものなら皇牙の能力で固定式のものを造れる。しかし、身体を休めるための寝具や毛布は別だ。夜間の明かり、洗面に使う水、汚れた寝具の洗濯、清掃も必要になる。
「さらに、泊まる方を迎える者が必要です。食事を提供するなら厨房の負担も増えますし、夜間に何かあった場合の対応も考えなければなりません」
「……うわ。思ったより面倒くせえ」
皇牙は顔をしかめた。
部屋を二十造ったところで、二十人分の寝具が生まれるわけではない。城の中には空いている部屋もあるが、だからといって旅人を住民の生活区域へ自由に入れるわけにもいかなかった。
「毛布なら、共同住居の分を借りて……いや、駄目か」
口にしかけた案を、皇牙は自分で引っ込めた。
少し前、共同住居で毛布の行き先が分からなくなったことがあった。結局は洗濯中だったと分かったものの、必要な物を必要な場所へ届けるだけでも、今の拠点では手間がかかる。
せっかく落ち着いてきた住民の暮らしを、宿屋のために不便にするつもりはなかった。
「……分かった。宿屋はまだ造らねえ。使えねえ建物だけ増やしてもしょうがないしな」
ヘレナが少し驚いた顔をした。
「よろしいのですか? 随分楽しみにされていたようですが」
「楽しみだからこそ、ちゃんと使えるものにしたいんだよ。あと、造ったあとで面倒な仕事を全部俺に持ってこられるのは勘弁な!」
皇牙の本音に、巴が声を立てて笑った。
ヘレナも微笑むと、まずは宿屋の準備に必要な品と人手を調べ、自分が管理できる範囲を整理すると約束した。
資金については、エドガーも現状を説明した。商店に残る現金は銀貨九枚。次の商品に使う材料の仕入れにも備える必要があり、宿泊客向けの物資をまとめて購入できる余裕はない。
「じゃあ、宿屋で儲けるためには宿屋の準備が必要で、その準備には金がいるってことか……」
「そのとおりでございます」
「くそっ! 金貨百枚への道がまた遠くなった!」
皇牙が大げさに頭を抱えると、ヘレナは困ったように笑った。
「ですが、今すぐできることもございます。まずは、こちらの休憩所を無理なく使い続ける方法を考えませんか」
その提案を聞き、皇牙は顔を上げた。造った建物が役立つのは嬉しい。しかも、運営は専門家が考えてくれるという。
「それなら大賛成だ! 細かいことは任せた!」
午前中、ヘレナは休憩所と商店を見て回り、実際に働く人たちから話を聞いた。
エドガーは売買と来客への対応を受け持ち、ヘレナは休憩所の清潔さや利用時の準備を確かめる。城門の見張りをしているオスカーは、来訪者の人数と目的を確認し、不審な様子があれば巴へ知らせる。宿泊は受け入れず、休憩所を案内するのは商店が対応できる時間帯に限る方針だった。
ティナとマレーナは清掃の仕事について意見を求められた。
「誰も使わなかった日まで、何度も掃除する必要はないと思います」
ティナがそう話すと、ヘレナは頷いた。
「では、朝に状態を確かめ、利用があった日は片付けることにしましょう。手が足りないときは私も手伝います」
水については井戸番のポールと水運び補助のイアンに相談し、運搬管理人ヴァルターがほかの仕事と重ならないよう手配することになった。常に大量の水を運んで置いておくのではなく、来客があったときに用意する形だ。
皇牙は一連の相談を少し離れたところで眺めていた。
「……すげえな。俺、一言も指示してねえのに決まってくぞ」
「殿のお望みどおりではございませぬか」
「そうだった! 俺はこういう国を作りたかったんだよ!」
巴に言われ、皇牙は嬉しそうに笑った。
ところが昼近くになると、空の様子が変わり始めた。西から灰色の雲が流れ込み、荒野を吹き抜ける風が急に冷たくなる。乾いた砂が石畳を走り、商店の軒先で吊るしていた小さな札が揺れた。
「……おっ、雨か?」
皇牙が空を仰いだ直後、大粒の雨が落ちてきた。
最初はまばらだった雨脚が、あっという間に強くなる。巴は商店の前にいた者たちを軒下へ下がらせ、オスカーとともに城門付近に人が残っていないか確かめた。外を歩いていた住民も早めに屋内へ戻り、幸い休憩所には客がいなかった。
皇牙は商店の軒下から、雨に煙る石畳を見つめた。
「おお、すげえ降り方だな! でも休憩所には屋根があるし、これなら――」
「皇牙様。あちらをご覧ください」
ヘレナが指さした先で、休憩所の長椅子の片側が濡れ始めていた。
風に煽られた雨が横から吹き込み、屋根の端から落ちた水は石畳を伝って通路の脇へ集まっている。床の中央まで水浸しになってはいないが、あの長椅子では服を濡らさず休むのは難しそうだ。
「……あれ? ちゃんと屋根を付けたのに」
「日差しを遮るのと、横殴りの雨を防ぐのでは、必要な造りが違うのでしょう」
ヘレナの指摘に、皇牙は腕を組んだ。
「だったら、壁を付ければ解決じゃねえか!」
すぐに《国家創造EX》を使おうとした皇牙を、巴がそっと制した。
「殿。今は風が強うございます。周囲に人がおらぬことは確認できましたが、まずは雨が弱まるのを待たれてはいかがでしょう」
「……そうだな。今急いで直す必要もねえか」
皇牙は素直に引き下がった。
雨が小降りになると、ヘレナは長椅子と床の濡れ方を確かめた。商店の棚は無事で、残っていた縄一本と改良済みの木箱一つにも水はかかっていない。今日の来客はなく、売上も増えていなかった。
間もなく測量士のリヒトが呼ばれ、屋根から落ちる水の流れを調べ始めた。雨水は石畳の外へ向かって流れていたものの、一部が休憩所の出入口側へ回り込んでいる。
「屋根を風上へ少し張り出し、落ちる水を通路から離せばよさそうです。排水溝はこの先の低い地面へつなげれば、商店にも城門にも水を寄せずに済みます」
リヒトは石畳の端から、草の少ない低地までを指で示した。そこは人や荷車が通る道から外れており、雨が降った今なら水の流れも確かめやすい。
「よし、決まり! ついでに左右全部を壁で囲ってやる!」
「それでは、晴れた日の風通しが悪くなってしまいます」
ヘレナが苦笑した。
「雨が入りやすい側を庇で守り、ほかは開けておくのがよいかと。雨が止んだあとにも乾きやすくなります」
「なるほどな。じゃあ、格好いい庇を付けよう!」
皇牙はようやく得意分野の出番が来たとばかりに、笑みを浮かべた。
《国家創造EX》を発動すると、石造りの柱と屋根の一部が形を変えた。風上側には装飾付きの固定式の庇が伸び、床の端には浅い排水溝が通る。溝は人の通り道を横切らず、休憩所の外側にある低い地面へ続いていた。
庇の先端には、皇牙の趣味で翼を広げた鳥の彫刻まで追加されている。
「ふはは! これぞ『旅人の憩いの殿堂・改』!」
「殿。改というのは、何でございましょう?」
「強化版って意味だ! 前より格好よくなっただろ?」
巴は鳥の彫刻を見上げ、苦笑しながらも頷いた。
もっとも、皇牙が勝利宣言をするより先に、ヘレナが改修後の状態を確認し始めた。長椅子へ残っていた雨粒を拭き、出入口の足元に水が溜まっていないことを確かめる。リヒトも排水溝の傾きと出口を見て、通路を妨げていないと判断した。
「これなら、先ほどの雨への対策にはなりそうです。ただし、風向きが変わった場合もありますので、次の雨でまた確かめましょう」
「……おう。そういう確認は任せた!」
皇牙は素直に頷いた。
建築費はかからないのだから、必要ならまた直せばいい。ただし、何をどう直すべきかまで自分で考えるのは面倒だし、専門家に任せた方がずっと確実だった。
その日の夕方、ヘレナは仮の事務室でクラリスとエドガーへ、宿屋に必要な物資について簡単に報告した。寝具、洗濯用品、夜間の明かり、食事の手配、管理する人員。現状では不足しているものが多く、宿泊客を迎えるのはまだ先になる。
ただし、今日は休憩所の利用方法が決まり、雨への対策も一つ進んだ。ヘレナが休憩所の管理を取りまとめ、エドガーは商店の売買を続ける。清掃や水運びは、必要なときに既存の担当者へ相談する方針で一致した。
報告を聞いた皇牙は、満足そうに椅子へもたれた。
「よし。宿屋の準備はヘレナに任せる! 必要な物が揃ったら教えてくれ。そしたら、俺が最高の宿屋を造ってやる!」
「承知いたしました。まずは無理のない計画を立ててまいります」
ヘレナの落ち着いた返事に、皇牙は大きく頷いた。
その後、巴とともに中庭へ出る。雨上がりの空は薄い夕焼けに染まり、濡れた石畳が柔らかな光を反射していた。
「……なんだかんだ、今日は結構働いたな」
「殿がお造りになったのは、休憩所の庇と排水溝でございますが」
「それが大事なんだよ! 俺の建築センスがまた一段階進化しただろ!」
皇牙は笑い、ふと思い出したように手を打った。
「そうだ、無料ガチャも引いとくか!」
《英霊召喚ガチャEX》を開くと、見慣れた文字が浮かび上がった。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:58人】
【SR以上排出率:5%】
「今日は雨まで降ったんだ。そろそろすげえ偉人が来てもいい頃だろ!」
期待を込めて一回目を引くと、現れたのはN炭焼き補助のジルだった。木材から燃料を作る作業を手伝える人材で、オルフやブラムと相談すれば役立ちそうだ。
二回目には、N農作業補助のリュカが召喚された。マルクたちの畑仕事を手伝うことができるという。
そして最後の召喚陣が淡い青色に輝き、一人の女性が姿を現した。
【R:薬草加工人 エレナ】
「おっ、薬草加工人! いいじゃねえか!」
《万能鑑定EX》で確かめると、彼女は採取した薬草の選別や乾燥、保存に適した状態へ整える仕事を得意としていた。薬草師のセヴランや採集担当のロイたちと協力できそうだ。
「セヴランに紹介してやるよ。せっかく集めた薬草を無駄にしないよう、頼んだぜ!」
「承知いたしました。まずは扱っている薬草の種類を確かめさせていただきます」
エレナは丁寧に頭を下げた。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:61人】
「おおっ、六十一人! もう六十人超えたのか!」
皇牙は人口表示を眺め、嬉しそうに笑った。
最初は自分を含めて四人しかいなかった。それが今では、宿泊施設の準備を考える者がいて、薬草を加工できる者までいる。まだ小さな拠点だが、できることは確実に増えていた。
三人の住まいと仕事の案内をクラリスへ任せ、皇牙は巴と城館へ戻った。
宿屋は今日も完成しなかった。商売用の銀貨も九枚のままだ。それでも、今ある休憩所は少し使いやすくなり、ヘレナたちは次に必要なものを考え始めている。
「……くくく。よし、あとは任せた! 俺は美味い飯を食って寝る!」
「殿。明日は宿屋のことをお尋ねにならないので?」
「必要な物が揃ったら教えてくれって言っただろ。それまでは俺の仕事じゃねえ!」
胸を張って答える皇牙を見て、巴は呆れたように笑った。
西門の外では、雨上がりの休憩所が夕日に照らされていた。柱の上に刻まれた鳥の翼は、まだ濡れたまま光っている。次の雨が降れば、ヘレナたちがまた様子を確かめるだろう。
皇牙が夢見る豪華な宿屋は、もう少し先の話だ。
けれど、今度こそ建物だけ立派で中身が空っぽという失敗はしない。そう決めた皇牙は、厨房から漂ってきた夕食の匂いに顔をほころばせ、足取り軽く城館へ入っていった。
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