第2章 第32話 初めての旅人たち
「おい、巴。あの道標、今日こそ誰かに使ってもらえねえかな」
異世界へ来て十八日目の朝。神城皇牙は城館の庭に置かれた長椅子へ身体を沈め、城壁の向こうに続く街道へ思いを馳せていた。朝食を終えたばかりで腹は満たされ、そよ風も心地よい。本来なら、そのまま昼寝に突入したいところだったが、今日はどうにも落ち着かなかった。
昨日、西門へ続く枝道と街道が接する場所に、石造りの道標を設置した。矢印と商店の絵を刻んだ、皇牙自慢の作品である。遠くからでも立派な城は見えるが、どこで曲がれば商店へたどり着けるのかは、初めての旅人には分かりにくい。だからこそ造ったのだが、せっかくなら早く役立ったところを見てみたい。
「殿。道標は逃げませぬ。どうぞお心安らかにお休みください」
「いや、気になるんだって。あの柱、結構格好よくできただろ? 誰か『すげえ!』って言ってくれたら最高じゃん」
傍らの巴は困ったように笑った。そんな彼女の腰には、いつもどおり刀が差してある。皇牙が庭でだらけている間も、周囲への気配りを忘れないのだから大したものだ。
「お役に立てば、それが何よりの褒め言葉にございましょう」
「……それもそうか。じゃあ、役に立つまで寝て待つ!」
ようやく目を閉じた直後、西門の方角から鐘が短く鳴った。
警戒を知らせる連打ではなく、来訪者を伝える合図だった。皇牙が片目を開けると、ほどなくして伝令のノアが庭へ駆け込んできた。
「皇牙様! 街道から三人のお客様です。西門の外の商店へ立ち寄りたいそうです!」
皇牙は長椅子から跳ね起きた。
「マジか! で、道標は!? 俺の道標を見て来たのか!?」
「はい。商店の印があったので、こちらへ曲がったとおっしゃっていました!」
「よっしゃあ! いきなり大成功じゃねえか!」
昼寝は完全に吹き飛んだ。皇牙は巴を連れ、西門へ続く石畳を足早に進んだ。
西門の外には、城壁沿いに小さな商店が建っている。店へ向かう道は門の手前で分かれており、買い物客は城内へ入る必要がない。住民の住居や工房は閉じられた西門の向こう側だ。商店の前には荷物を下ろせる空き地があるものの、旅人をもてなす設備はまだなかった。
その店先で、エドガーと民間の見張り役であるオスカーが三人の旅人を迎えていた。男が二人に女が一人。全員が歩きやすそうな靴を履き、埃の付いた外套をまとっている。大きな荷物こそないが、肩へ食い込んだ鞄の紐からは、かなり歩いてきたことがうかがえた。
オスカーは三人の人数と来訪目的を確かめ、商店へ案内したところだという。巴もさりげなく皇牙の半歩前へ進み、相手の持ち物と周囲の様子に視線を配った。ただし、旅人を威圧するような態度は取らない。
「おう、いらっしゃい! 俺が神城皇牙だ!」
皇牙が声をかけると、先頭の茶髪の男が慌てて頭を下げた。
「こちらを治めている方ですか。失礼しました、私はアルノと申します。旅の途中で、少し買い物をしたくて」
「そんなに畏まらなくていいぜ。それより道標、分かりやすかったか?」
アルノは一瞬きょとんとしたものの、すぐに頷いた。
「ええ。城は見えていたんですが、商店があるとは知らなかったんです。あの石柱に店の印があったので、立ち寄ってみようかと」
「だろ! あれ、俺が造ったんだぜ!」
胸を張る皇牙の横で、巴が小さく息をついた。
もう一人の男、デリクは好奇心が強いらしく、会話の途中でも城壁や石畳をきょろきょろと眺めていた。一方、女性のセラは落ち着いた様子で、二人の話が終わるのを待っている。三人はラーデン方面から徒歩で移動しており、別の町へ向かう途中だった。
「いやあ、この辺りにこんな城があるなんて驚きましたよ。あの道もずいぶんきれいでしたし」
「もっとすげえ建物も造れるぜ。なんなら城門を三倍くらいにして――」
「皇牙様。まずはお探しの品を伺いましょう」
エドガーにやんわり止められ、皇牙は口を閉じた。自分が城の自慢を始めたら、買い物どころではなくなってしまいそうだ。
アルノが欲しかったのは、荷物をまとめるための丈夫な縄だった。鞄に巻き付けていた古い縄がほつれ、このまま使い続けるのは不安だという。
エドガーは棚からフェルの作った縄を一本取り出し、長さと太さを確かめてもらった。アルノは撚りを指でなぞり、慎重に引っ張ってから、ようやく満足したように頷いた。
「これなら使えそうですね。値段は?」
「銀貨二枚でございます」
「分かりました。一本いただきます」
支払われた銀貨をエドガーが数え、アルノへ縄を渡した。手早く紐を取り替える様子を見ながら、皇牙は口元を緩める。
「……売れた。うちの縄、また売れたぞ!」
皇牙が小声のつもりで漏らした言葉は、三人にもしっかり聞こえていたらしい。セラが微笑み、デリクは面白そうに笑った。
「城主さんが、そんなに商売を喜ぶんですね」
「当たり前だろ。俺たち、店を始めたばっかりなんだよ。作った物を買ってもらえると嬉しいじゃん」
皇牙が答えると、アルノも表情を和らげた。
その間に、デリクは棚に残っていた木箱へ興味を示した。昨日、ガルドとレオンたちが木製の回転留め具を取り付けた品だ。彼は蓋を何度か開け閉めし、金具を使わずに固定できることに感心していた。
「へえ、これは面白い。小物がこぼれにくそうですね」
「おっ、分かるか! 実際に荷車に載せて試したんだぜ」
「ただ、今日は徒歩なので荷物を増やしたくなくて。すみません」
「いいって。必要になったら、また見に来てくれよ!」
皇牙は笑って木箱を棚へ戻した。無理に売りつけるつもりはない。デリクが使い勝手を評価してくれただけでも、作ったガルドたちは喜ぶだろう。
買い物が終わったところで、セラが遠慮がちに声をかけた。
「あの、少しだけ腰を下ろせる場所はありますか? 朝から歩き通しで、足が疲れてしまって」
皇牙は店の周囲を見渡した。
石畳は整っているが、腰掛けられる場所がない。旅人が立ったまま商品を選ぶことはできても、長旅の疲れを癒やすには不向きだった。
「……あー、確かに何もねえな。じゃあ、造っちまうか!」
皇牙の表情が一気に明るくなった。
エドガーは驚かなかったが、三人の旅人は揃って目を瞬かせた。
「造るって……今からですか?」
「おう! ちょっと待ってろ。すげえ休憩所にしてやる!」
皇牙が勢いよく建築を始めようとすると、巴が静かに制した。
「殿。まずは場所をお決めください。西門の往来を塞ぐわけにはまいりませぬ」
「あっ、そうだった。オスカー、どこなら邪魔にならねえ?」
見張り役のオスカーは、店と西門の間を見渡してから、石畳の外側にある空き地を示した。そこなら荷物の積み下ろしを妨げず、門へ向かう通路も塞がない。商店から目が届き、旅人が城内へ入り込む必要もなかった。
巴も周囲の見通しを確かめ、休憩中の旅人へ対応できる場所だと頷いた。
「よし、決まりだな! 見てろよ、俺の建築センスを!」
皇牙が《国家創造EX》を発動すると、何もなかった地面へ石畳が広がり、四本の柱が立ち上がった。その上に緩やかな傾斜の屋根が形を成し、柱の間には固定式の長椅子が現れる。城館と同じ意匠を取り入れ、柱には植物を模した彫刻を刻んだ。風通しを確保するため壁は設けず、雨水が外へ流れるよう床にもわずかな勾配を付ける。
完成したのは小さな東屋だったが、皇牙は巨大な宮殿でも造り上げたかのように胸を張った。
「どうだ! 名付けて『旅人の憩いの殿堂』!」
「殿。休憩所にしては、少々大仰なお名前かと」
「いいんだよ。俺の国の建物は格好いい方がいいだろ!」
三人の旅人は呆気に取られ、しばらく声も出ない様子だった。やがてデリクが柱へ近づき、石の彫刻を確かめる。
「……本当に、何もないところから造ったんですか?」
「そういう魔法みたいなもんだ。細かいことは気にすんな!」
実際には魔法とは別のスキルだが、皇牙は得意げに笑って説明を切り上げた。
セラが長椅子へ腰掛けると、膝から力が抜けたように深い息が漏れた。背負っていた鞄を足元へ置き、少し赤くなった踵を確かめている。アルノも隣に座り、肩を何度か回した。
「助かりました。屋根があるだけで、ずいぶん違いますね」
心から安堵した声に、皇牙は満足そうに頷いた。ただ建物を自慢したかっただけではない。使ってもらって初めて、造った意味があるのだ。
「水も欲しいよな。エドガー、用意できるか?」
「はい。ただ、今後もお出しするなら運搬の担当を決めておいた方がよろしいでしょう」
エドガーは運搬管理人のヴァルターへ伝言を送り、今の仕事に支障がないか確認してもらった。ほどなくして、荷物運搬補助のタリオが井戸の水を入れた水差しと、洗って用意した器を運んでくる。
差し出された水を飲んだセラは、ようやくほっとした笑みを浮かべた。アルノも礼を述べ、デリクは屋根の下から見える城壁を興味深そうに眺めている。
「この辺り、店も休める場所も少ないんです。正直、ずいぶん助かりました」
「じゃあ、また通るときは寄ってくれ。飯とかも出せるようになったら面白そうだな!」
「殿。それには食材や調理する者が必要でございますよ」
巴の言葉に、皇牙は苦笑した。
「分かってるって。思いついたからって、全部すぐ始めるわけじゃねえよ」
建物ならいくらでも造れる。しかし、休憩所に水を運ぶだけでも誰かの仕事が増える。三人の旅人がくつろぐ姿を見ながら、皇牙は自分の能力だけでは施設を動かせないのだと改めて感じていた。
出発までの間、皇牙は三人が向かう町や街道の様子を聞いた。アルノは道順を慎重に確かめ、デリクは荒野で見つけた珍しい岩の話をし、セラは休める場所が少ないことを教えてくれた。三人の話を聞くうちに、皇牙の旅行熱はますます高まっていく。
「くそっ、俺も旅に出てえ! 知らねえ町の美味い飯とか、絶対食ってみてえんだよ!」
「殿。まずは、こちらの暮らしを落ち着かせるのが先にございましょう」
「だから優秀な奴らに任せてるんじゃねえか! いつか絶対、のんびり旅行してやる!」
巴は笑いながらも、それ以上は口を挟まなかった。
やがてアルノが立ち上がり、鞄の紐を締め直した。三人とも休む前より表情が明るく、足取りも軽くなっている。
「お世話になりました。またこちらを通ることがあれば、立ち寄らせてください」
「おう! いつでも歓迎するぜ!」
皇牙が手を振ると、三人は街道へ向かって歩き出した。デリクは途中でもう一度振り返り、道標と城壁を眺めてから仲間たちのあとを追った。
その背中が小さくなった頃、エドガーが売上と在庫を報告した。
「本日は縄が一本、銀貨二枚で売れました。商売用に残している現金は銀貨九枚、商品は縄一本と改良済みの木箱一つです」
「おお、九枚か! ちょっとずつ増えてきたな!」
「ただし、材料の補充などに備えるお金でもありますので、すべてを自由に使えるわけではございません」
「分かってるよ! ガチャ代にはまだ手を出さねえって!」
皇牙が大げさに肩を落とすと、エドガーは笑った。
デリクが木箱の留め具を褒めていたことも伝えると、エドガーは早速その感想をレオンとガルドへ知らせると言った。まだ売れてはいないが、客がどんなところに興味を持ったのかは、次の商品を考えるうえで役に立つ。
休憩所については、エドガーと巴、オスカーで当面の使い方を相談した。商店が対応できる間だけ利用を案内し、夜間の宿泊は受け入れない。水は無理のない範囲で提供し、物資や人手が足りなくなれば改めて考えることにする。
「宿屋にするわけじゃねえし、今はそれくらいでいいだろ。細かいことは任せた!」
皇牙は満足そうに頷き、城館へ戻った。
午後の庭には暖かな日差しが差し込み、長椅子は朝と変わらず皇牙を待っていた。今度こそ邪魔されずに眠れると思い、身体を横たえる。
道標が旅人を呼び、縄が売れ、休憩所も役に立った。自分が造ったものを使って誰かが喜ぶのは、なかなか悪くない気分だった。
気づけば、そのまま深く眠り込んでいた。
目を覚ましたのは、夕食の少し前だった。
巴に声をかけられた皇牙は大きく伸びをし、中庭へ向かう。今日はまだ、何より大切な無料ガチャを引いていない。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:55人】
【SR以上排出率:5%】
「さあて、今日も三人だ! 頼むぜ!」
一回目に現れたのはN水運び補助のイアン、二回目はN農作業補助のミラだった。イアンはポールや運搬担当者たちと相談しながら水を必要な場所へ届ける仕事を、ミラはマルクたちの畑仕事を手伝えるという。
そして最後の召喚陣が淡い青色に輝き、落ち着いた雰囲気の壮年の女性が現れた。
【R:宿泊施設管理人 ヘレナ】
「おっ、宿泊施設管理人か! いいじゃねえか!」
皇牙は《万能鑑定EX》で彼女の得意分野を確かめた。宿泊施設の利用者案内や備品管理、清掃の段取りに優れているらしい。
もっとも、今あるのは昼間に休むための東屋だけだ。宿屋を営業するための寝具も、専用の人員も、十分な食料も用意していない。
「まだ宿はねえんだけどさ。いつか旅人が泊まれる場所も造りたいんだ。エドガーと相談して、何が必要か考えといてくれ!」
「承知いたしました。まずは現在の設備と、用意できる物資を確かめさせていただきます」
ヘレナは落ち着いて一礼した。皇牙はその返事を気に入り、三人の住まいや仕事の案内をクラリスへ任せた。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:58人】
人口表示を見届けた皇牙は、西の城壁へ目を向けた。
今日訪れた三人は、ここへ移り住んだわけではない。だから人口は増えなかったが、街の外にも自分たちの存在を知る人ができた。あの旅人たちが別の町でこの城のことを話してくれれば、また誰かが立ち寄るかもしれない。
「……くくく。いいじゃねえか。俺の国、だんだん面白くなってきたな!」
皇牙はそう呟き、夕食の匂いが漂い始めた城館へ歩き出した。
西門の外では、真新しい休憩所が夕日に照らされていた。長椅子にはもう誰も座っていない。それでも、今日そこに残された旅人たちの笑顔は、皇牙にとって初めて手にした銀貨と同じくらい嬉しいものだった。
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