第2章 第26話 増えた住民と新しい問題
「……最高だ。俺が寝てる間も、ちゃんと街が動いてる」
異世界に来て十二日目の朝。神城皇牙は城館の庭で、昨日と同じ長椅子に身体を預けていた。城壁の向こうには乾いた荒野が広がり、内側では槌の音や荷車を引く音が聞こえている。誰かが作業する気配を感じながら、自分だけがのんびり過ごす。これこそ彼が思い描いていた理想の生活だった。
目の前の小卓には、リーナが用意してくれた温かい飲み物がある。もう一口飲んでから寝直そうとしたところで、庭の入口にエドガーとユリウスの姿が見えた。
「……見なかったことにしよう」
「皇牙様。ご安心ください。すでに対応を始めておりますので、少しご報告するだけです」
エドガーの言葉に、皇牙は片目を開けた。
「対応済み? それなら聞いてやろうじゃねえか」
なんとも偉そうな返事だったが、エドガーは慣れた様子で笑った。隣のユリウスが差し出したのは、四枚の毛布について書かれた記録だった。
昨日、新しい共同住居へ毛布を運ぶ際、倉庫から四枚出したはずなのに、入居者の手元には三枚しか届かなかったという。朝になってミアたちが確認したところ、残る一枚は洗濯場にあった。
「汚れが見つかったので、ミアさんがサラさんへ洗濯を頼んでいたそうです。毛布はなくなっていません」
「……よかったじゃねえか。うちの毛布、まだ貴重なんだからな」
皇牙は胸を撫で下ろした。建物なら《国家創造EX》でいくらでも造れるが、毛布はそうはいかない。ガルドたちが手に入れた材料を使い、人の手で用意した生活用品なのだ。
しかし、ユリウスは紙の一行を指さした。
「問題はこちらです。倉庫の記録には『共同住居へ四枚』とあります。実際には『倉庫から四枚持ち出した』だけで、途中で一枚を洗濯場へ回したことは残っていませんでした」
「……つまり、嘘を書いたわけじゃねえのに、読んだ奴が勘違いするってことか」
「はい。受け取る場所まで確認できるようにしなければ、同じことが起こります」
皇牙は長椅子から身を起こした。毛布一枚の行方なら人に尋ねて回れば済むが、同じことが十件も重なれば、それだけで半日潰れそうだ。
「で、俺に何をしてほしいんだ? まさか倉庫番をやれってんじゃねえだろうな」
「それは私も望んでおりません」
「おい、即答かよ!」
エドガーは笑いをこらえながら、まず倉庫を見てほしいと頼んだ。
生活用倉庫では、ヘルダが棚の前で待っていた。壁際には布や食器、使い込まれた道具が種類ごとに収められている。最初は空っぽだった建物も、いまでは物を探すだけで少し時間がかかるようになっていた。
その一角でガルドが、鍛冶仕事用の砥石を探している。
「昨日、ブラムに渡したのは覚えてるんだが、工房のどこに置いたのか分からなくてな。今朝の作業で使いたいんだ」
「ブラム本人には聞いたのか?」
「別の仕事場へ行っとる。探しに行けば済むが、その間にこっちの仕事が止まる」
皇牙は棚とガルドを見比べた。小さな拠点なのだから、道具の一つくらい簡単に見つかると思っていた。しかし、誰かが借り、別の誰かが使い、元の持ち場へ戻す。それだけでも、人数が増えれば行き違いが生まれる。
「……ゲームなら持ち物一覧を開いて終わりなんだけどなあ」
試しに《国家管理EX》を呼び出しても、見えるのは人口や産業などの大まかな情報だけだった。砥石がどこの棚にあるかまでは表示されない。
ユリウスは、棚の上へ数枚の木札を並べた。
「まずは数の少ない道具と、毛布のような不足しがちな品だけを対象にします。倉庫から出すとき、ヘルダさんが品物と数、持ち出した相手を残す。受け取った側も確認して印を付ける。途中で洗濯や修理へ回した場合は、次の行き先を記す形です」
札には品物を表す簡単な印と、持ち出す先を示す記号が刻まれていた。文字が苦手な者でも見分けやすいよう、ヘルダと相談して考えたらしい。すべての食材や細かな材料まで管理するのではなく、なくなれば仕事が止まるものから始めるという。
「……おお。最初から全部記録しようとしねえのか」
「そこまでやれば、記録だけで一日が終わってしまいますから」
ユリウスは真顔で答えた。
皇牙は思わず笑った。仕事を減らすための仕組みで仕事が増えては、何の意味もない。
「よし、そのやり方で試そうぜ。札は必要な数だけガルドたちに作ってもらえ。俺が巨大な帳簿保管庫を造る必要は……」
「今のところ、ございません」
「……ちぇっ。ちょっと格好いいのを考えてたのに」
皇牙が残念そうにする横で、ガルドは木札を手に取り、実際に使えるか確かめ始めた。
ちょうどそこへブラムが戻ってきた。砥石は工房の鍛冶台の脇に置いてあり、午後にも使う予定だという。ユリウスが試しに貸し出し先を札へ書き込み、ガルドが受け取り側の印を確かめると、ヘルダも納得したように頷いた。
「これなら、次に探すときは工房へ聞けばよいのですね」
「おう。俺に砥石探しを頼まなくて済むなら、もう大成功だろ」
「皇牙様へ頼んだことはございませんが」
「そこは気持ちの問題だよ!」
倉庫に笑い声が広がった。
その頃、厨房では別の小さな困り事が起きていた。
リーナが昼食を器へ取り分けていると、調理補助のルイスが農地から戻ったハンスを連れてきた。いつもより作業が長引き、今から食事を取りたいという。しかし、リーナが数えていた遅番の人数には、ハンスが入っていなかった。
「食べる分はあるけど、先に知らせてもらえると助かるわ。オスカーさんの見張り交代もあるし、温かいものを出す順番を考えたいの」
「悪い。畑で水の具合を見てたら、戻るのが遅くなっちまった」
ハンスは申し訳なさそうに頭をかいた。仕事をさぼっていたわけではない。むしろ、作物の世話をしていたから遅れたのだ。
ちょうど倉庫から戻ってきたユリウスは、そのやり取りを聞いて足を止めた。
「リーナさん。食事の予定も、各仕事場から一人が知らせる形にしてみませんか。朝の時点で遅くなる人だけ伝えてもらい、途中で変われば近くの者が連絡するんです」
「それなら、人数を数えるために皆を呼び戻さなくて済むわね」
「はい。倉庫と同じで、全部を私が調べる必要はありません」
皇牙は二人の会話を聞いて、思わずにやりとした。
「……なるほどな。毛布の話が、飯の準備にも使えるわけか」
食事の予定まで木札にする必要はない。今の人数なら、農地はマルク、工房はガルド、見張りはオスカーという具合に、担当者が口頭で知らせれば十分だった。リーナもそれなら負担が少ないと納得し、翌朝から試してみることになった。
「よし。じゃあ、もう俺の出番は終わりだよな?」
皇牙が期待を込めて尋ねると、エドガーは一瞬考えたあと、城館の空き部屋を使わせてほしいと答えた。
「倉庫と厨房の連絡をまとめる場所があれば、ユリウスも確認しやすくなります。ただ、立派な役所はまだ必要ありません」
「……分かってるって。俺だって、四十人もいねえのに巨大な官庁造ろうとは……」
皇牙は途中で口を閉じた。
実は少し考えていた。正面に大階段があって、左右に高い塔が立つ、とびきり威厳のある建物だ。だが、エドガーの顔を見る限り、今それを提案しても却下される未来しか見えない。
結局、城館の空いていた一室に固定式の机と棚を整え、仮の事務室とした。木札を保管する場所を決め、各仕事場から届く連絡をユリウスが確認する。紙や筆記具は限られているので、必要以上の書類を増やすこともしない。
部屋が使えるようになると、エドガーは皇牙を庭へ戻した。
「この先の運用は、私たちで進めます。何か判断をお願いする必要が出ましたら、お声がけいたします」
「……おお。俺、もう帰っていいのか?」
「はい」
「最高だな、お前ら!」
皇牙は上機嫌で庭へ戻った。
午後の日差しは柔らかく、石畳の向こうからは荷車の音が聞こえてくる。彼が長椅子でうとうとしている間も、倉庫では札の試用が続き、厨房では遅番の食事が取り分けられた。仮の事務室ではユリウスが各担当者から話を聞き、エドガーは必要な連絡だけを整理している。
しばらくして目を覚ました皇牙のもとへ届いたのは、問題が解決したという短い報告だった。
洗濯場にあった毛布は乾かされ、ミアと入居者が受け取りを確認したうえで共同住居へ運ばれた。砥石の貸し出し先も工房の札に残されたという。
「……おお。ちゃんと使えてるじゃねえか」
皇牙は報告を読み終え、満足そうに頷いた。
仕組みを作ると言われたときは、面倒な仕事が増えるだけだと思っていた。ところが実際には、誰かに尋ねて回る時間が減り、必要な物を探しやすくなっている。
自分が何度も呼び出される必要もない。
「くくく……これぞ、俺の理想の内政だな」
もっとも、今日の成功は小さな一歩にすぎなかった。
夕食前、皇牙は中庭で十二日目の無料ガチャを引くことにした。左手首に紐を巻いた分身が、どこからともなく現れて隣へ並ぶ。
「今日は書類仕事を全部やってくれる偉人を頼むぜ」
「お前も結局、そればっかりだな」
「お前も同じだろ!」
二人が言い争う横で、巴は呆れたように笑っていた。
皇牙が《英霊召喚ガチャEX》を開くと、見慣れた表示が現れる。
【無料召喚:3/3回】
【国家人口:37人】
【SR以上排出率:5%】
「……よし。頼むぞ!」
一回目に現れたのは、N記録補助のセリオだった。文字の読み書きと簡単な集計が得意だと分かると、皇牙は思わず拳を握った。
「おっ! いきなりいいじゃねえか! ユリウスの手伝いが増えたぞ!」
二回目はN倉庫運搬係のボルク。荷物の仕分けと運搬に慣れた、がっしりした男だった。ヘルダやドランの負担を減らせそうだと聞き、皇牙はさらに機嫌をよくする。
そして三回目。
淡い青色の光の中から、きちんと髪をまとめた女性が姿を現した。
【R:事務管理人 クラリス】
「……おおおっ! 事務管理人!」
皇牙は目を輝かせた。
早速《万能鑑定EX》で確認すると、クラリスは帳簿の整理や仕事の割り振りに優れ、内政と財務の評価も一般的な記録係より高かった。
「いいねえ! 今日ちょうど事務室を作ったところなんだ。お前、運命って信じるか?」
「運命については存じませんが、お役に立てる仕事があるのなら嬉しゅうございます」
「あるある! むしろ山ほどある!」
勢いよく答えた皇牙だったが、クラリスをそのまま事務室へ放り込むことはしなかった。召喚されたばかりの彼女は、ここで誰が何をしているのかさえ知らないからだ。
「まずはエドガーとユリウスから話を聞いてくれ。仕事の分け方とか、任せられることがあったら相談して決めていいからな」
「承知いたしました。現状を確かめてから、ご提案いたします」
クラリスは丁寧に頭を下げた。
【無料召喚:0/3回】
【国家人口:40人】
「……ついに四十人か。最初の十倍だな!」
皇牙は嬉しそうに笑った。
マルク、ガルド、巴と四人で荒野に立っていた頃には、想像もしなかった人数だった。もっとも、四十人になったからといって、明日から急に大きな国になるわけではない。食料も道具も、商売の品も、まだ十分とはいえなかった。
その夜、仮の事務室では新しい三人の名前と仕事を記録する作業が行われた。
エドガーから説明を受けたクラリスは、ユリウスが整理していた木札と住民の名前を書いた紙を見比べ、しばらく考え込んだ。
「ユリウスさん。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何でしょう?」
「こちらは、お仕事ごとの担当者が分かる記録ですね。では、住民の皆さんがどこにお住まいなのかは、何を見れば分かりますか?」
ユリウスは答えかけて、口を閉じた。
共同住居へ移った者の名前はエドガーが把握している。城館の部屋割りはミアが覚えており、倉庫の記録はヘルダが持っている。どれも間違いではない。けれど、一か所で確かめられるものは、まだなかった。
クラリスは紙を置き、穏やかな声で続けた。
「今は皆さんがお互いをご存じなのでしょう。ですが、今後さらに住民が増えるのでしたら、名前だけでなく、住まいと仕事を一緒に確認できる記録が必要になるかもしれません」
ユリウスは少し驚いたあと、ゆっくり頷いた。
「……確かに。今日、品物の行き先を調べていたばかりなのに、人の住む場所は担当者の記憶に頼っていました」
窓の外では、城館と共同住居の間を、夕食を終えた人々が行き交っていた。
誰も困っていないように見える、いつもの夜だった。だが、小さな拠点が街へ育つにつれて、今まで当たり前に分かっていたことも、少しずつ分からなくなり始めている。
クラリスは住民の名前が並んだ紙をもう一度眺めた。
「まずは、今いる四十人のことから確かめましょうか」
その頃、そんな相談が始まっているとも知らず、皇牙は自室の寝台で満足そうに寝転がっていた。今日は倉庫の管理が少し楽になり、新しい人材も三人増えた。自分で書類を一枚も作らずに済んだのだから、上出来だ。
「……くくく。やっぱり、人に任せるのが一番だな」
そう呟いて目を閉じた皇牙は、初めての本格的な住民管理が、すぐそこまで来ていることをまだ知らなかった。
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