第1章 第23話 最強の魔法
灰の荒野に、黒牙狼の咆哮が轟いた。
城壁の上に立つ神城皇牙の指先では、青白い魔力が渦を巻いていた。眼下では十数頭の灰牙狼が牙を剥き、城門の西側に広がる空き地を駆けている。その後方には、群れを率いる巨大な黒牙狼。ほかの狼とは明らかに違う威圧感を放ち、城壁の上にいる皇牙たちを睨みつけていた。
城門は閉じられ、住民は全員、城館側への避難を終えている。西側の取引所と商店にも人影はない。皇牙が《国家創造EX》で追加した石壁は、岩場から商店の裏へ回り込む道を塞ぎ、魔物たちの進路を見通しのよい空き地へ限定していた。
「……くくく。さあて、俺の魔法を見せてやるか!」
皇牙が右手を掲げると、足元から冷たい風が吹き上がった。
勘助は城壁の外へ視線を向けたまま、落ち着いた声で告げる。
「殿。敵は西の空き地へ集まっております。あの場所であれば、取引所を巻き込まずに攻撃できましょう。ただ、残る狼が壁の陰へ散らぬよう、ご注意を」
「おう。まずは足を止める。あとは勘助の言うとおり、まとめて片づけるぜ!」
皇牙は軽く指を鳴らした。
瞬間、魔物たちの前方で白い霧が弾け、地面を薄い氷が覆っていく。先頭を走っていた灰牙狼が足を滑らせ、勢い余って転倒した。後続の狼も急停止し、互いにぶつかりそうになりながら散り始める。
しかし、皇牙が狙っていたのは、転ばせることだけではなかった。
狼たちが踏み込んだ地面へ水魔法で水を流し込み、すぐに氷へ変える。滑らかな氷は獣の足を取るだけでなく、踏ん張ろうとした脚の周囲へ盛り上がり、逃げようとする動きを鈍らせた。
「おおっ、すげえ! こういう範囲妨害、一回やってみたかったんだよな!」
皇牙は自分の魔法に思わず興奮した。前世のゲームで使っていたような技を、今は本当に再現できる。しかも魔力が尽きる心配もないのだから、これほど楽しいことはなかった。
だが、勘助の声がその興奮を引き戻した。
「殿、右側にご注意を。三頭が氷の外へ抜けようとしております」
「……おっと、危ねえ!」
皇牙が視線を向けると、灰牙狼が三頭、氷の端を避けて北側へ走っていた。あのまま進めば、先ほど造った石壁の端に沿って移動し、城壁へ近づくかもしれない。
「なら、そこは通行止めだ!」
皇牙は土属性の魔法を使い、三頭の進路へ土の隆起を作り出した。
地面が盛り上がり、低く厚い土の壁となって狼たちの前へ立ちはだかる。これは恒久的な城の設備ではなく、戦闘中だけ敵の動きを妨げるための魔法だ。壁に驚いた狼たちは足を止め、残る群れの方へ引き返していく。
「なるほど……これほど自由に地形を変えられるとは」
勘助が低く呟いた。
敵の進路を制限するには、普通なら兵を配置するか、あらかじめ障害物を作る必要がある。それを皇牙は、指先一つで実現してしまう。軍略を学んできた勘助にとって、その力は想像をはるかに超えていた。
「勘助! 今のでいいか?」
「はい。ただし、中央に寄せた敵が一斉に走れば、城壁へ迫る勢いも増しましょう。ここで数を減らすのがよろしいかと」
「……了解!」
皇牙は大きく頷いた。
魔力を高めると、氷の上で身動きを取れなくなっている狼たちの頭上に、幾筋もの雷光が生まれた。城壁や取引所から離れた空き地だけを狙い、皇牙は腕を振り下ろす。
「――《雷撃》!」
轟音とともに雷が落ちた。
眩しい光が荒野を照らし、地面を揺らす衝撃が城壁まで伝わってくる。数頭の灰牙狼は雷をまともに受け、その場へ崩れ落ちた。残る狼も衝撃に驚いて逃げようとしたが、氷と土壁に進路を妨げられ、思うように動けない。
「……おおっ!」
見張り塔にいたオスカーが、思わず声を漏らした。
彼は日頃から遠くの獣の動きを見つけることには慣れていたが、こんな距離から魔物をまとめて攻撃する光景など、見たことがなかったのだろう。
一方、巴は驚きに見入ることなく、城壁の端を見張っていた。
「殿。まだ動けるものがおります!」
その声とほぼ同時に、一頭の灰牙狼が氷の届かない外側へ飛び出した。魔物は土壁の端を回り込み、城壁の西側へ向かって一気に加速する。
皇牙が腕を上げようとした瞬間、巴が前へ出た。
「ここは私にお任せを!」
巴は城壁上の通路から身を乗り出しすぎない位置を取り、狼の動きを正確に捉えた。魔物が石壁へ跳びつこうとしたところで、薙刀が鋭く閃く。
刃が狼の肩口を捉え、獣の身体を城壁の外へ叩き落とした。
巴は追いかけて外へ出ようとはせず、すぐに次の動きへ備える。その判断の速さに、皇牙は思わず感心した。
「さすが巴! やっぱ頼りになるな!」
「殿が魔法へ集中できるよう、近づく敵は私が抑えます」
巴の声は力強かった。
皇牙から三十メートル以内で戦う彼女には、《忠義の武者》の効果が働いている。普段から鋭い動きがさらに増し、飛びかかる狼を確実に迎撃するには十分な力だった。
「……よし。じゃあ、残りは俺が片づける!」
皇牙は再び空き地へ向き直った。
氷の上では、雷撃を受けた狼たちが倒れている。数頭はまだ身動きしていたが、その足もとは凍りついたままだ。皇牙は逃げ道を塞ぐように氷を厚くし、動けなくなった魔物へ必要なだけ雷を落としていく。
やがて、灰牙狼たちの動きは次々と止まった。
ただし、皇牙はすぐに全頭を討伐したと決めつけなかった。雷で倒れた個体の中には、まだ息があるものもいるかもしれない。安全を確かめるのは、すべての魔物が動かなくなってからだ。
「……あとで確認しなきゃな。さて、残るは……」
皇牙は視線を上げた。
空き地の向こう、岩場の手前に黒牙狼が立っていた。
巨大な魔物は、倒れた仲間たちを見つめたあと、ゆっくりと城壁へ顔を向ける。金色の瞳には獣らしい獰猛さが宿っていたが、その動きは普通の灰牙狼とは明らかに違っていた。
黒牙狼は氷の広がる場所へ踏み込まず、地面の乾いた部分を選びながら進んでくる。途中で土壁に突き当たると、無理に飛び越えず、横へ回り込む道を探し始めた。
「……へえ。あいつ、結構頭いいじゃねえか」
「群れを率いるだけはありますな」
勘助は黒牙狼の動きを見つめ、静かに頷いた。
「ですが、あれもまた獣。殿のお力を見て退くより、怒りに任せてこちらへ向かってくるようです」
「……だったら、こっちも遠慮はいらねえな」
皇牙は不敵に笑った。
黒牙狼は低く唸り、突然地面を蹴った。大きな身体からは想像できない速度で走り出し、氷と土壁の間に残ったわずかな空間を抜けてくる。
「殿、来ます!」
オスカーの声が響く。
皇牙は慌てなかった。
黒牙狼の進路は、城門西側の空き地から正面へ向かっている。取引所や商店のある場所とは離れており、こちらの魔法で被害を出す心配も少ない。
「……よし。じゃあ、まずはこれだ!」
皇牙は風属性の魔法を発動した。
圧縮された空気の刃が黒牙狼へ向かって飛び、突進していた巨体を横から打ち据える。黒牙狼は足を滑らせ、砂埃を上げながら地面へ転がった。
しかし、すぐに立ち上がった。
肩口には傷が走っているものの、まだ戦う力を失っていないらしい。黒牙狼は牙を剥き、再び城壁の上を睨みつけた。
「……ほう。普通の狼なら、今ので終わってるはずなんだけどな」
皇牙は少しだけ目を細めた。
この魔物が上位個体だということは、《万能鑑定EX》で確認している。普通の灰牙狼より頑丈なのも、それなら納得できた。
とはいえ、皇牙にとって脅威になるほどではない。
「……よし。だったら、ちょっと派手にいくか!」
皇牙は右手を天へ向けた。
次の瞬間、空気が熱を帯び始めた。
青白い魔力が赤く染まり、指先に小さな炎が灯る。炎は瞬く間に膨れ上がり、皇牙の頭上へ大きな火球となって浮かび上がった。
勘助が思わず息を呑んだ。
「……なんと。これほどの炎を、何の準備もなく……」
「くくく。すげえだろ? 俺も一回こういう魔法、使ってみたかったんだよな!」
皇牙は楽しそうに笑った。
だが、すぐに取引所の方へ視線を向ける。
巨大な火球をそのまま落とせば、周囲へ火の粉が散るかもしれない。商店や取引所を壊せば、せっかく整えた商売の準備が台無しだ。
それだけは御免だった。
「……ま、燃やすのはあいつだけで十分か」
皇牙は炎を圧縮し、細長い槍の形へ変えた。
勘助はその様子を見つめ、思わず口元を引き結んだ。
巨大な火炎を生み出すだけでも驚異的なのに、その形や範囲を自在に変えている。これなら、軍勢を巻き込まずに敵将だけを討つことさえできるかもしれない。
「殿。その一撃で、あの魔物を討てますか?」
「……ああ。任せろ!」
皇牙は右手を振り下ろした。
「――《炎槍》!」
炎の槍が一直線に飛んだ。
黒牙狼は危険を察したのか、身をひねって避けようとした。しかし、炎の槍はその動きを追うように軌道を変え、巨体の胸元を正確に貫いた。
短い咆哮が響き、黒牙狼が地面へ崩れ落ちる。
炎は魔物の身体を焼いたものの、周囲へ燃え広がることはなかった。皇牙が魔力を収めると、槍は役目を終えたように消え、荒野には再び静寂が戻ってきた。
「……ふう。終わったな!」
皇牙は大きく息を吐いた。
だが、勘助はすぐに頷かなかった。
「殿。まずは周囲の安全を確かめましょう。まだ動ける魔物が残っているかもしれませぬ」
「……ああ、そうだったな」
皇牙は素直に頷いた。
オスカーは見張り塔から岩場を観察し、群れの後続がいないかを確かめる。巴は城壁の上から倒れた魔物たちを見渡し、勘助はそれぞれの位置を整理した。
しばらくして、周辺に新たな動きがないことが確認されると、皇牙は巴と勘助を伴って城門の外へ出た。
「……さて、ちゃんと確認するか」
皇牙はまず、城壁へ最も近づいた灰牙狼から《万能鑑定EX》を使った。倒れている個体を順番に調べ、生きているものがいれば、動き出す前に魔法で確実に討伐する。
雷撃で倒れた狼の中には、まだ息のある個体もいた。皇牙はそれらを一頭ずつ確認し、残る魔物も含めて危険がなくなるまで処理を続けた。
黒牙狼についても近くまで進み、直接鑑定する。
【黒牙狼】
【状態:死亡】
「……よし。これで全部終わりだな」
皇牙は満足そうに頷いた。
回収できる素材については、巴と勘助が確認したうえで、皮や牙が残っている個体だけを選んだ。雷や炎の影響が強く、使えそうにないものまで無理に持ち帰る必要はない。
皇牙は状態のよい魔物の死骸を《空間収納EX》へ収め、残りは周辺の安全と衛生を考えて適切に処理することにした。
「……これ、売れたりするのかな?」
「魔物の素材を扱う商人がいれば、値が付く可能性はございましょう。ただし、今は相場も分かりませぬ」
勘助が答える。
「だよな。まあ、ベルトやエドガーにも見せてから考えるか」
皇牙はそう言って笑った。
城へ戻ると、住民たちは城館側で待機していた。
雷鳴や炎の光は城壁の内側からも感じられたらしく、皆どこか不安そうな顔をしている。けれど、皇牙たちが無事に戻ってきたと知ると、少しずつ安堵の表情へ変わっていった。
「皇牙様! 魔物はどうなりましたか?」
ダリオが真っ先に声を上げた。
「おう! 全部片づけた! もう大丈夫だ!」
その言葉を聞いた途端、周囲からほっと息を吐く声が漏れた。
エルザはルカを抱き寄せ、リーナやマルクたちもようやく肩の力を抜いている。
「……お城のお兄ちゃん、すごい音がしてたけど、大丈夫だったの?」
ルカが不安そうに尋ねた。
皇牙は少女の前へしゃがみ込み、にやりと笑った。
「おう! 魔物なんか、俺が全部やっつけたから安心しろ!」
「……ほんと?」
「ほんとだって。だから、もう怖がらなくていいぞ」
ルカはしばらく皇牙を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……ありがとう!」
その笑顔を見て、皇牙は少し照れくさくなった。
自分の魔法を褒められるのは嬉しい。だが、こうして誰も怪我をせずに済んだことの方が、今はずっと大切だった。
巴が周囲を見渡し、穏やかな声で言った。
「殿のお力のおかげで、皆を守ることができました」
「……いや、俺だけじゃねえだろ」
皇牙は首を横に振った。
「オスカーが早く見つけて、ノアが知らせて、ユリウスたちが人数を確認してくれた。巴も狼を止めてくれたし、勘助が戦い方を考えてくれた。みんなが動いてくれたから、俺も思いっきり魔法を使えたんだよ」
その言葉に、巴は少し驚いたように目を瞬かせた。
勘助も静かに頭を下げる。
「殿。これほどのお力を持ちながら、なお我らの働きを認めてくださるとは……」
「いやいや、面倒なことを全部俺に押しつけられたら困るしな!」
皇牙が笑うと、周囲からも小さな笑い声が上がった。
勘助はそんな主君の姿を眺めながら、改めて考えていた。
圧倒的な力を持つ者が、必ずしも優れた国を造れるとは限らない。しかし、この若い主君は、自分一人ですべてを成し遂げようとはしていない。
家臣の力を認め、それぞれの役割を任せようとしている。
それは軍師として仕えるうえで、何よりありがたいことだった。
「……殿。今後の守りについて、いくつか考えがございます」
「おっ、もう次の作戦か?」
「はい。今回のような魔物の群れが再び現れた際、殿が常に城におられるとは限りませぬ。住民を守る仕組みを、少しずつ整えていくべきでしょう」
皇牙は一瞬だけ顔をしかめた。
「……うわ、また仕事が増えるやつじゃん」
「ふふ。ですが、それを整えれば、殿のお手を煩わせることも減りましょう」
「……それを先に言ってくれよ!」
皇牙は途端に機嫌を直した。
「よし! 防衛のことは勘助と巴に任せる! 俺は必要な建物とか設備を造るから、いい感じに頼むぜ!」
「承知いたしました」
勘助は深く頭を下げた。
皇牙は満足そうに笑い、城館の方へ歩き出した。
灰の荒野には再び静けさが戻り、城壁の向こうには青い空が広がっている。魔物の群れは去り、住民たちは安心して暮らしを再開できるようになった。
もっとも、皇牙が今一番考えていることは、国防でも軍略でもなかった。
「……さて。魔物も片づいたし、そろそろ昼寝していいよな?」
その言葉に、巴と勘助は顔を見合わせ、思わず笑った。
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