第3章 第124話 俺の理想の朝食! ふわふわパン開発計画!
異世界生活百四十六日目。
「……違う。美味いんだけど、これじゃないんだよなあ」
城館の食堂で、神城皇牙は焼きたてのパンをちぎりながら唸っていた。表面は香ばしく、噛めば小麦の甘みが広がる。野菜のスープに浸せば十分に美味しいのだが、今朝の皇牙が求めているものとは違っていた。
欲しいのは、指で押すとふんわり沈み、口へ運べば柔らかくほどけるパン。前世の日本で何気なく食べていた、あの食感である。
「殿。お口に合いませんでしたか?」
向かいに座る巴御前が、少し心配そうに尋ねた。
「いや、これはこれで美味い! 作ってくれた人には感謝してる。でもさ、もう一種類くらい、柔らかいパンがあってもよくねえ?」
「柔らかいパン、でございますか」
「そう! 朝からふわふわのパンを食って、温かい飲み物を飲んで、昼までのんびりする。これぞ俺が求める究極の生活!」
皇牙は両手を広げ、理想の朝食を熱弁した。
巴は少し考えてから、皿のパンに目を落とした。
「ですが、柔らかくするだけなら、スープに浸して召し上がればよいのでは?」
「……それはそうなんだけど! 違うんだって!」
あまりに真っ当な答えに、皇牙は椅子の背へ沈み込んだ。
立派な城を造り、歴史上の偉人を召喚し、魔法まで自由に使えるというのに、食べたいパン一つ思いどおりにならない。何とも腹立たしい話である。
「……よし。今日はパン工房へ行く!」
「殿。お休みになるご予定では?」
「美味いもんを食うための研究は休暇に含まれる!」
自信満々に言い切り、皇牙は日課のガチャ画面を開いた。
【国家人口:658人】
【無料召喚:3/3回】
【SR以上排出率:5%】
「ついでに伝説の料理人でも引けたら最高だな! 頼むぜ!」
一回目はNの籠編み職人補助ルッツ。二回目はNの井戸管理補助マルタ。そして三回目はNの厨房補助フィーナだった。
「……またN三連続か! でも厨房補助は今日にぴったりだな!」
皇牙は三人を歓迎し、経験や得意なことを簡単に聞いた。フィーナは生地作りを手伝った経験もあるらしい。ただし、召喚されたばかりの彼女をいきなり工房へ連れていくつもりはない。
「まずはゆっくり街に慣れてくれ。仕事は希望を聞いてから決めるからさ」
三人を生活案内の担当者へ引き継ぐと、人口表示が更新された。
【国家人口:661人】
【無料召喚:0/3回】
「六百六十一人! よし、これで朝の大事な仕事は終わり!」
皇牙は残っていたパンを頬張り、勢いよく立ち上がった。
「行くぞ、巴! 目指せ、異世界最高の朝食!」
その意気込みは、新しい城を建てるときと大して変わらなかった。
◇
城下町のパン工房には、朝の焼き上げを終えた香りが満ちていた。石窯の周囲には熱気が残り、作業台では職人たちが次に使う器や布を整えている。
「おおっ、いい匂い! ……ここに住みてえな」
「殿には立派なお城がございますよ」
「城にもパン工房を造ったら、毎朝この匂いで目が覚めるんじゃね?」
皇牙が本気で考え始めると、工房の責任者が慌てて駆け寄ってきた。
「皇牙様! 本日はどのようなご用件でしょうか?」
「相談なんだけどさ、もっと中がふわっとしたパンって作れないか?」
責任者はすぐには答えず、作業台に残っていた生地を一つ持ってきた。
「今のパンも発酵させておりますが、窯の熱や粉の状態によって、焼き上がりが硬くなることはございます」
「……発酵?」
「種生地を残して次の生地へ加えております。膨らませるためのものですが、その日の温かさや待つ時間でも仕上がりが変わりますので」
皇牙は目を丸くした。
「おお! ちゃんと発酵させてたのか! じゃあ、柔らかくする方法もありそうじゃん!」
「ございます。ただし、どんな柔らかさをお望みなのか、実際に試さなければ分かりません」
そこへ、粉の袋を運んでいたクララが顔を出した。
数日前に召喚され、本人の希望でこの工房の手伝いを始めたパン製造補助である。
「皇牙様。よろしければ、少しだけ生地を作り分けてみませんか?」
「おっ、クララ! 何か考えがあるのか?」
「粉の細かさだけでなく、水の量や生地を休ませる時間も変えてみたいんです。でも、一度に全部変えると、何がよかったのか分からなくなってしまいますから」
「……なるほど。研究っぽい!」
皇牙の目が輝いた。
クララは作業台に小さな器を並べた。一つは普段の作り方を使う比較用。もう一つは水の量を少し増やすもの。最後の一つは、粉の状態を変えて試す予定だという。
「粉を変えるなら、製粉所にも聞いてみたいな」
責任者の言葉に、皇牙は即座に反応した。
「よし! 俺が行ってくる!」
「殿。まだ何も召し上がっておられないわけではございませんよね?」
「研究ってのは思いついたときが勝負なんだよ!」
皇牙は笑って工房を飛び出した。巴はその背中を追いながら、小さく首を振った。
国の政務となれば逃げ腰になるのに、食べ物のこととなると誰よりも行動が早い。
実に皇牙らしい一日が始まっていた。
◇
製粉所では、石臼が低い音を立てて回っていた。小麦の粒が粉へ変わり、職人たちがふるいにかけて粗い部分を取り分けている。
「うおお……。ずっと見てられるな、これ」
皇牙が石臼に見入っていると、製粉補助のヨハンが声をかけてきた。
「皇牙様。何かお探しでしょうか?」
「おう! 柔らかいパンを作りたいんだ。粉を細かくしたら、何か変わるかな?」
ヨハンは二つの木皿を用意した。片方には普段の粉、もう片方には丁寧にふるい分けた細かな粉が入っている。
「こちらの方が細かいですが、同じ量の小麦から取れる分は少なくなります。粗い方をどう使うかも考えなければなりません」
皇牙は指先で粉をつまみ、感触の違いを確かめた。
「……ほんとだ。さらさらしてる。でも、これを全部のパンに使うのは無理そうだな」
「はい。手間も増えますので、まず少量でお試しになるのがよろしいかと」
そのとき、製粉所の仕事を見に来ていた二宮尊徳が声をかけた。
「皇牙様。新しいパンをお考えでございますか?」
「おう! 朝飯をもっと幸せにする計画だ!」
尊徳は事情を聞くと、ふるい分けた粉を見て頷いた。
「試すのはよいことです。ただ、柔らかいパンができたとしても、それを皆が毎日食べられるとは限りませんな」
「……まあ、手間が増えるもんな」
「ええ。ですが、普段のパンをなくす必要もございません。作れる量に合わせて種類を増やせば、食べる人が選べるようになります」
皇牙はしばらく考えたあと、顔を上げた。
「……なるほど! 全部置き換えるんじゃなくて、新しい種類を一つ増やせばいいのか!」
「その方が、職人たちの負担も確かめながら進められましょう」
「よし! それなら最高だ!」
皇牙はヨハンに少量の細かな粉を用意してもらい、工房へ戻ることにした。試作に使った分や作業時間は、工房の責任者に記録してもらうつもりだ。
せっかく職人たちが協力してくれるのだから、自分のわがままだけで余計な負担をかけたくはなかった。
◇
工房へ戻ると、クララたちは三種類の生地を準備していた。
皇牙が持ち帰った粉も加え、同じ大きさに分けた生地を作業台へ並べる。発酵に使う種生地は同じものを使い、焼く時間や窯の状態もできるだけ揃えることにした。
「……うわ。思ったより本格的だな」
「違いを確かめたいので、少しずつ条件を変えております」
クララは木札にそれぞれの作り方を書き留めた。
皇牙はその手つきを眺めながら、興味深そうに頷いた。
「……こういうの、レオナルドにも見せたら喜びそうだな」
「殿。あの方でしたら、窯の中まで調べ始められるかもしれませんね」
「絶対やる! 下手したらパンを焼く機械まで考え始めるぞ!」
二人が笑っていると、責任者が皇牙へ声をかけた。
「皇牙様。生地を少し触ってみられますか?」
「おっ、いいのか?」
皇牙は迷わず袖をまくった。
ところが、水を多めにした生地へ手を入れた途端、指先へべったり張り付いた。
「……うおっ!? ちょっと待て! こいつ、全然離れねえ!」
「無理に引っ張らず、折りたたむように扱ってください」
クララが手本を見せる。
皇牙も真似をしたが、生地は思うようにまとまらない。指から剥がそうとすれば反対の手へ移り、余計にひどいことになってしまった。
「……くそっ! 魔物より手強いぞ、こいつ!」
「殿。魔法で吹き飛ばしてはいけませんよ」
「考えてたこと読まれた!?」
巴の鋭い指摘に、職人たちから笑いが起こった。
結局、皇牙はクララに手伝ってもらいながら生地をまとめた。わずかな作業でも、慣れている人間との違いは歴然としている。
「……建物なら一瞬で造れるのに、パン一つ満足にこねられねえとは」
「それぞれ得意なことが違うのでございますね」
巴の言葉に、皇牙は苦笑した。
やがて生地を休ませる時間になり、職人たちは別の作業へ戻っていった。皇牙は椅子へ座り、木札に記された違いを見比べる。
試作だからといって、職人たちが一日中つきっきりになるわけではない。普段の注文をこなしながら、手の空いた時間に確かめているのだ。
そのことに気づいた皇牙は、作業を急かす代わりに工房の隅で待つことにした。
しばらくして生地が膨らみ始めると、皇牙は子どものように身を乗り出した。
「……おおっ! さっきよりでかくなってる!」
「こちらはよく膨らんでいますね。ただ、焼いたあとも柔らかいとは限りません」
「……そっか。まだ分かんねえのか」
期待と不安が入り交じるなか、最初の生地が窯へ入れられた。
◇
焼き上がった三種類のパンが、作業台へ並べられた。
最初の一つは、普段とほとんど変わらない仕上がりだった。水を増やした二つ目は、中心がやや詰まり、冷めると重たい食感になってしまった。
「……うーん。水を増やせば柔らかくなるってわけじゃねえんだな」
「はい。生地が扱いにくくなった分、うまく膨らまなかったのかもしれません」
クララは木札へ結果を書き加えた。
そして最後に、細かな粉を使い、こね方と休ませる時間を調整したパンが切り分けられる。
「……おっ?」
断面には小さな気泡が並び、指で押すと少しだけ弾力が返ってきた。
皇牙はひと切れを口へ運んだ。
「……うまっ!」
思わず声が漏れた。
前世の柔らかい食パンそのものではない。けれど、普段のパンより口当たりが軽く、焼きたての香りもよかった。
「これだよ、これ! 俺が食いたかったの、こういうやつ!」
皇牙が目を輝かせると、クララはほっと息をついた。
「よかった……。でも、今日は一度上手くいっただけですから」
「分かってる! 同じように焼けるか、また試さなきゃいけねえんだろ?」
「はい。それと、粉を細かくする手間も考えないと……」
皇牙は頷いた。
「じゃあ、今日は成功した作り方を残しておこうぜ。次も同じように焼けたら、少しずつ店に出せるか考えよう!」
責任者も賛成し、試作に使った粉の量や作業時間を記録することになった。
皇牙は残りのパンへ手を伸ばしかけたが、ふと動きを止めた。
「……そうだ。ヨハンと尊徳にも食ってもらおうぜ!」
「よろしいのですか?」
「当たり前だろ! 粉を用意してくれた奴も、助言してくれた奴も、みんな今日の研究の仲間だからな!」
クララと職人たちは嬉しそうに顔を見合わせた。
工房の責任者が試食用に取り分けていると、巴がそっと皇牙へ声をかけた。
「殿。せっかくですから、皆さんが召し上がった感想も聞いてみてはいかがでしょう」
「……おっ! それいいな! 俺が美味いと思っても、ほかの人には違うかもしれねえし!」
皇牙は勢いよく頷いた。
自分の理想を押しつけるより、食べる人や作る人の意見を聞いた方が、きっとよいものになる。
何より、美味しいものを大勢で楽しめるようになれば、それだけアストレアでの暮らしが豊かになるはずだ。
◇
城館へ戻る頃には、西の空が夕焼けに染まっていた。
皇牙は持ち帰った小さなパンを二つに分け、一方を巴へ差し出した。
「ほら。今日付き合ってくれた礼だ」
「よろしいのですか?」
「おう。試食用はちゃんと別に取ってあるしな!」
巴は礼を言って受け取り、そっと一口かじった。
「……美味しゅうございますね」
「だろ! でも、これからもっと美味くなるかもしれねえぞ!」
皇牙は窓の外を見た。
城下町では、仕事を終えた人々が家路を急いでいる。パン工房では、明日も職人たちが普段の仕事を続けながら、試作を重ねるのだろう。
自分がやったのは、食べたいものを言い出して、少しだけ生地をこねたことくらいだ。
それでも、専門家たちの手で形になった新しいパンは、城や道路を造ったときとは違う嬉しさを感じさせた。
「……なあ、巴。俺、国づくりってもっとでっかいことばっかりだと思ってたわ」
「と申しますと?」
「城とか、街道とか、戦争とかさ。でも、朝飯がちょっと美味くなるのも、悪くねえよな」
巴は手の中のパンを見つめ、静かに頷いた。
「はい。暮らしが豊かになるとは、そういうことでもあるのでしょうね」
「……へへっ。なら、俺のスローライフ計画は順調だな!」
皇牙は満足そうに笑い、残ったパンを頬張った。
アストレアの人口は六百六十一人。
新しいパンは、まだ試作が一度成功しただけにすぎない。販売できるかどうかも、これから職人たちが確かめていくことになる。
だが、国主の小さなわがままから、街に一つ新しい楽しみが生まれようとしていた。
「……よし! 次は甘いパンも作りてえな!」
「殿。まずは今日のパンを、上手に作れるようになってからでは?」
「……くっ! お前、最近ますます手厳しくなってねえ?」
巴は答える代わりに、楽しそうに笑った。
皇牙もつられて笑いながら、明日の朝食には何を食べようかと考え始めた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




