第3章 第116話 もう一人の俺も働きたくない! 信長、分身に呆れる
異世界生活百三十八日目。
「なあ、お前。俺の代わりに今日の仕事をやってくれない?」
「嫌だね。俺だって寝たい」
「……そこは少しくらい協力してくれてもよくね?」
「だったらお前も協力しろよ」
朝の執務室で、神城皇牙は自分とまったく同じ顔をした男と向かい合っていた。
相手は《分身EX》によって生み出した、もう一人の皇牙である。外見も声も、記憶も性格も本体と同じ。ただし、国家創造や魔法、ガチャといった特殊能力は一切使えず、身体能力も普通の成人男性と変わらない。
そして最大の欠点は、本体と同じくらい仕事が嫌いなことだった。
「おかしくねえか? 普通、分身って本体の命令に従ってくれるもんだろ!」
「誰が決めたんだよ。俺だって俺なんだから、面倒なことはしたくねえよ」
「くそっ! こういうところだけ俺に似やがって!」
「全部お前に似てるんだよ!」
二人が同時に顔をしかめると、少し離れた場所に立っていた巴がとうとう吹き出した。
「ふふっ……申し訳ございません。お二人とも、あまりにもそっくりで」
「笑い事じゃねえんだよ、巴! せっかく仕事を減らせると思ったのに!」
机には朝から届けられた報告書が何枚か置かれていた。西門の警備訓練の結果、市場の出店案内の改善案、さらに子どもたちの学習場所についての調査報告まである。
どれも担当者が内容を整理してくれているため、皇牙が最初から調べる必要はない。それでも確認する書類が重なると、どうしても気が滅入るのだった。
「……よし。こうなったら先にガチャだ!」
皇牙は椅子を回し、《英霊召喚ガチャEX》を開いた。分身が羨ましそうに身を乗り出したが、こちらに召喚能力はない。
【国家人口:634人】
【無料召喚:3/3回】
【SR以上排出率:5%】
「そろそろまた偉人が来てもいいと思うんだよなあ」
「二日前に信長を引いたばっかりだろ」
「関係ねえだろ! 毎日大当たりしたっていいじゃねえか!」
期待を込めて回した一回目は、Nの製粉補助マルク。二回目はNの洗濯補助エッダ。そして三回目も白い光が広がり、Nの園芸補助テオが姿を現した。
「……NNNかあ。まあ、こういう日もあるよな!」
皇牙は三人を歓迎し、生活に必要な案内と希望する仕事について担当者へ引き継いだ。製粉場も洗濯場も、利用する人が増えて忙しくなっている。園芸補助のテオも、街の庭園を管理する人々にとって心強い存在になるだろう。
【国家人口:637人】
【無料召喚:0/3回】
「よし! これで今日も三人増えた!」
皇牙は満足そうに画面を閉じた。
すると分身が、待ってましたとばかりに口を開いた。
「じゃあ、今日の仕事は終わりだな!」
「いや、終わってねえよ。お前が書類を読んでくれれば終わるんだよ!」
「だから嫌だって!」
再び始まった言い争いに、巴は困ったように微笑んだ。
◇
「……朝から何を騒いでおる?」
扉の方から聞こえた低い声に、皇牙は振り返った。
そこには織田信長が立っていた。昨日の西門での訓練について、警備担当者たちと話をする前に顔を出したらしい。
しかし、室内へ足を踏み入れた信長は、ぴたりと動きを止めた。
「……ほう?」
視線が皇牙から分身へ、分身から皇牙へと移る。
「そなたら、双子か?」
「違う違う! こっちは俺の分身!」
皇牙は得意げに説明した。
「俺のスキルで作った、もう一人の俺だ。記憶も性格も同じなんだけど、特殊な能力は使えねえんだよ!」
信長は二人をしばらく見比べていたが、やがて口元を吊り上げた。
「では、どちらが本物よ?」
「俺!」
「俺だ!」
まったく同時に声が上がる。
「……はっはっは! なるほど、これは傑作よ!」
信長は腹を抱えて笑い始めた。
「まさか、怠け者の王が二人に増えるとはな!」
「失礼だな! 俺は必要なときには働くだろ!」
「俺もそうだぞ!」
分身まで胸を張った。
信長は笑いを収めると、机の書類へ目を向けた。
「なるほど。どうやら、どちらが働くかで揉めておったようだな」
「そうなんだよ! せっかく分身できるんだから、俺の代わりに書類くらい読んでほしいじゃん!」
「……ふむ」
信長は椅子へ腰掛け、二人を交互に見た。
「ならば、仕事を任せる代わりに、何か褒美を与えてみてはどうだ?」
「……褒美?」
「そなたは褒美もなしに働きたいと思うか?」
「思わねえな!」
「俺も思わねえ!」
また同時だった。
信長は愉快そうに笑った。
「ならば話は早い。褒美があれば、働く気になるかもしれぬぞ」
皇牙は少し考え込んだ。
確かに分身は自分と同じ性格だ。面倒な仕事は嫌いだが、好きなことには積極的になる。
「……よし! お前、書類を読んでくれたら、昼飯は好きなものを食わせてやる!」
「……何が食えるんだ?」
「今日の厨房には、肉料理があるはずだ!」
分身の目が輝いた。
「……おおっ! それなら考えてもいい!」
「よっしゃ!」
皇牙が拳を握る。
ところが、分身はすぐに首を傾げた。
「……待てよ。俺、お前と同じ記憶があるんだから、厨房へ行けば普通に飯を頼めるんじゃね?」
「……あっ」
皇牙は固まった。
信長はとうとう机を叩いて笑い始めた。
「はっはっは! そなた、自分の分身に言い負かされてどうする!」
「……くそっ! 俺って、こんなに面倒くさい奴だったのか!」
「今さらでございますか、殿?」
巴の穏やかな一言が、何より深く突き刺さった。
◇
しばらく笑っていた信長だったが、やがて一枚の報告書を手に取った。
「ところで皇牙。これは、すべてそなたが読む必要のあるものか?」
「……え?」
「そなたの国には、張良やコルベールがおる。ほかにも、それぞれの仕事を任された者がいるのであろう?」
「まあ、そうだけど……」
皇牙は机を見つめた。
西門の警備訓練については、信長やナポレオン、山本勘助たちが現場を確認している。市場についてもコルベールたちが改善案を考えているし、学習場所の準備は二宮尊徳とエレナたちに任せていた。
自分が一から判断しなければならないことは、実はそれほど多くない。
「……あれ? そういや、なんで俺のところにこんなに書類が来てるんだ?」
「殿が、重要なことを見落としたくないので、報告はすべて届けてほしいとおっしゃったからです」
巴が答えた。
「……俺が?」
「はい」
皇牙はゆっくりと分身を見た。
「……お前、覚えてる?」
「覚えてる。お前が言った」
「……うわっ! 俺が自分で仕事増やしてるじゃねえか!」
分身が腹を抱えて笑った。
「ははは! 馬鹿だな、お前!」
「お前も同じ記憶だろうが!」
信長は呆れたように息を吐いたが、すぐに口元を緩めた。
「そなたは、何でも自分の目で確かめたいわけではあるまい。大事なことを知らぬままにしておきたくないだけであろう?」
「……まあ、そうだな」
「ならば、必要な報告だけを届けてもらえばよい。どれが重要かは、今の仕事を知る者たちに選ばせよ」
信長はそこで言葉を切った。
「もっとも、すべてを人任せにして、知らぬ顔をするのとは違うがな」
皇牙はしばらく考え、それから頷いた。
「……なるほど。大事な判断だけ俺がして、細かい報告は担当者に任せればいいわけか」
「そういうことよ」
信長は笑った。
「そなたは人に仕事を任せるのが好きなのであろう? ならば、任せ方も考えねばな」
皇牙は思わず笑みを浮かべた。
「……なんか、お前って意外と面倒見いいな!」
「誰が面倒を見ておる。わしは、そなたの国がどうなるのか見たいだけよ」
信長は不敵に笑った。
◇
昼過ぎ、皇牙は城館の庭園で長椅子に寝転がっていた。
結局、報告書は必要なものだけを確認し、残りは担当者に任せることにした。分身にも簡単な記録の整理を手伝わせたが、途中から二人でどちらが多く働いたか言い争いになり、巴に呆れられてしまった。
「……はあ。やっぱ昼寝って最高だな」
「まったくだな」
隣の長椅子では、分身も同じ格好で寝転がっている。
「……なあ、お前。こうしてると、俺が二人いる意味ってあんまりなくね?」
「いや、あるだろ。二人なら昼寝の素晴らしさを二倍楽しめる」
「……それ、意味あるか?」
「あるに決まってるだろ!」
皇牙は笑った。
確かに分身は自分と同じ性格なので、仕事を押しつける相手としては最悪だ。だが、話し相手としては妙に気が合う。
好きな食べ物も、面白いと思うことも、休みたいタイミングまで同じなのだから当然だった。
「……あ、そうだ」
皇牙は身体を起こした。
「お前、今度俺の代わりに会議に出てみない?」
「嫌だね」
「即答すんなよ!」
「だって面倒だろ」
「……まあ、そうなんだけどさ!」
二人が笑い合っていると、庭園の入口から使者が近づいてきた。
「皇牙様。失礼いたします」
「おう、どうした?」
「ヴァルデン子爵領から、正式な書状が届いております」
「……えっ?」
皇牙は身体を起こした。
使者が差し出した封筒には、見慣れない紋章が押されている。
ヴァルデン子爵領とは、これまでも商人を通じて交流を続けてきた。最近では西門の宿を利用する者も増え、蜂蜜をはじめとする商品の取引も盛んになっている。
だが、領主側から正式な書状が届くとなれば、商人同士の取引とは少し話が違う。
「……何かあったのかな」
皇牙が呟くと、分身が横から覗き込んだ。
「とりあえず張良たちに渡せばよくね?」
「……まあ、そうだな」
皇牙は封筒を手に取った。
ところが、開こうとしたところで、ふと思いとどまる。
「……いや、待てよ」
「ん?」
「これ、俺宛ての正式な書状なんだよな。だったら、内容くらいは俺が知っておいた方がよくね?」
分身は少し考えた。
「……まあ、確かに」
皇牙は封を確認し、書状を開いた。
◇
書状には、ヴァルデン子爵領との交易を今後さらに安定させるため、正式な協議の場を設けたいという申し入れが記されていた。
具体的な条件は今後の話し合いで決める予定らしく、まずはアストレア側に協議へ応じる意思があるかを確認したいようだった。
「……なるほど。いきなり何かを押しつけてくるわけじゃないんだな」
皇牙は少し安心した。
とはいえ、交易の取り決めには細かな条件が必要になる。どの商品を扱うのか、どのように運ぶのか、互いの商人をどう受け入れるのか。考えるべきことはいくらでもあるだろう。
「……うわっ、面倒くせえ」
思わず声が漏れた。
分身も頷く。
「分かる。めちゃくちゃ面倒くさそう」
「だよなあ」
二人は同時にため息をついた。
だが、皇牙はそこで書状を閉じ、立ち上がった。
「……よし。張良とコルベールに相談しよう」
「……えっ? お前、働くの?」
分身が驚いた顔をする。
「いや、交渉は任せるけどさ。相手が正式に話したいって言ってるんだから、俺が何も知らないままじゃ駄目だろ」
「……なるほどな」
分身はしばらく皇牙を見つめていた。
そして、にやりと笑った。
「……じゃあ、俺は昼寝してるわ!」
「お前も少しは手伝えよ!」
「必要なときには働くんだろ? 今は必要ないだろ!」
「……くそっ! 正論で返してきやがった!」
皇牙が頭を抱えたところへ、巴がやって来た。
「殿。張良殿とコルベール殿でしたら、城館にいらっしゃいますよ」
「おっ、ちょうどよかった! ちょっと相談してくる!」
皇牙は書状を持ち、巴とともに庭園を出た。
残された分身は、満足そうに長椅子へ寝転がった。
「……さて、俺はもう少し寝るか」
その直後、分身の身体が淡い光に包まれ、静かに消えていった。
皇牙が《分身EX》を解除したのである。
◇
張良とコルベールは、書状を受け取ると真剣な表情で内容を確認した。
皇牙は向かいの椅子へ腰掛け、二人の反応を待つ。
「……どう思う?」
最初に口を開いたのは張良だった。
「悪い話ではないと思われます。商人同士の取引が増えれば、領主側としても安定した関係を望むのは自然なことでしょう」
コルベールも頷いた。
「ただし、今の段階では具体的な条件が示されておりません。正式な協議に入る前に、こちらが何を重視するか整理しておく必要があります」
「……なるほどな」
皇牙は腕を組んだ。
アストレアには、まだ大国のような経済力はない。だが、街は少しずつ発展し、住民たちもそれぞれの仕事を持ち始めている。
交易が増えること自体は歓迎だ。しかし、そのために国民が不当に苦労するようなことは避けたかった。
「……俺としては、商売が増えるのは大歓迎だぜ。美味いものも入ってくるだろうし!」
皇牙は笑ったあと、少しだけ真面目な顔になる。
「でも、こっちの商人や住民が困るような条件は嫌だな。それに、アストレアは独立した国なんだから、どこかの領主に従うような話も受けるつもりはねえ」
張良は穏やかに微笑んだ。
「承知いたしました。その方針であれば、十分に交渉を進められます」
「具体的な条件については、こちらで案を整理いたします」
コルベールも続けた。
「協議に応じる意思を先方へ伝え、正式な話し合いの日程と議題を確認する形がよろしいかと」
「おう! それで頼む!」
皇牙は満足そうに頷いた。
細かな交渉を自分で行う必要がないと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。
すると、少し離れた場所で話を聞いていた信長が口を開いた。
「……なるほど。そなたは、やはり妙な王よな」
「ん? 今度は何だよ?」
「天下を欲しがらぬくせに、自分の国のこととなると妙に頑固だ」
信長は不敵に笑った。
「だが、それでよい。守りたいものがはっきりしておれば、家臣たちも動きやすかろう」
「……へへっ。まあ、難しいことはみんなに任せるけどな!」
皇牙が笑うと、張良とコルベールも微笑んだ。
信長は呆れたように鼻を鳴らしたが、その目には楽しそうな光が浮かんでいた。
◇
夕暮れの城館。
皇牙はようやく自室へ戻り、寝台へ倒れ込んだ。
結局、今日は分身を使ったにもかかわらず、思っていたほど仕事が減らなかった。
むしろ、自分と同じ顔の相手と口論していた時間の方が長かった気さえする。
「……はあ。分身って、もっと便利なもんだと思ってたんだけどなあ」
皇牙は天井を見上げた。
しかし、今日の出来事を思い返すと、自然と笑みが浮かんできた。
分身は確かに面倒くさがりだ。だが、自分と同じ考え方をするからこそ、ちょっとした相談相手にはなる。
そして、仕事を全部押しつける相手としては役に立たなくても、自分に代わって短時間だけ人前に出るような使い道なら、考えられそうだった。
「……ま、今度はもう少し上手く使ってみるか」
そう呟いたところで、扉が静かに叩かれた。
「殿。お茶をお持ちしました」
巴だった。
「おっ、ありがと!」
部屋に入ってきた巴は、皇牙が寝台に寝転がっているのを見て、少し呆れたように微笑んだ。
「今日はもう、お休みになられるのですか?」
「もちろん! 俺、今日は結構頑張っただろ?」
「はい。大切なご判断をなさいましたね」
予想外に素直な言葉が返ってきて、皇牙は少しだけ目を丸くした。
「……なんだよ。今日は怒らねえの?」
「怒る理由などございません。殿は必要なときには、きちんとお働きになりますから」
巴はお茶を置き、柔らかく微笑んだ。
「ただし、明日も同じように分身殿と喧嘩を始められたら、少し考えますが」
「……うっ!」
皇牙は思わず顔をしかめた。
その反応に、巴は楽しそうに笑った。
窓の外では、アストレアの街に夕暮れの灯りがともり始めている。
人口六百三十七人。
小さな国は少しずつ発展し、周辺の領主たちとも正式な関係を築こうとしていた。
皇牙が望むのは、相変わらず悠々自適な暮らしだ。
だが、どうやら分身を何人増やしたところで、国の主として決めるべきことまで消えてなくなるわけではないらしい。
「……やっぱ王様って面倒くせえなあ」
皇牙はため息をつき、それからお茶を一口飲んだ。
温かな香りが広がり、自然と肩の力が抜けていく。
「……ま、明日こそ昼寝を満喫するか!」
そう決めた皇牙は、今度こそ何も考えずに寝台へ身体を預けた。
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