第3章 第111話 商人たちの小さな争いと、変わり始めた街
異世界生活百四日目。
朝の城館に、神城皇牙の落胆した声が響いた。
「……くっそー! 全部Nかよ!」
目の前に浮かぶ三つの召喚結果は、見事なまでに白一色だった。
【N マルタ/裁縫補助】
【N ヘルマン/荷車整備補助】
【N リヒャルト/農作業補助】
「殿。Nの方々も、立派な人材ですよ」
隣にいた巴が、微笑みながら声をかける。
「分かってるって! むしろ全員ちゃんと必要な仕事ができるしな。たださ、昨日までの勢いなら、また偉人が出るんじゃねえかって期待しちゃうだろ?」
数日前の有料十連では、ナイチンゲールとラムセス二世を同時に召喚した。あんな大当たりを経験してしまえば、毎朝の無料ガチャにも夢を見たくなる。
皇牙は気を取り直すと、召喚された三人を歓迎し、生活案内の担当者へ引き継いだ。
【国家人口:523人】
【無料召喚:0/3回】
【SR以上排出率:5%】
「よし。今日も三人増えたし、あとはのんびり……」
そう言いかけたところで、城下町の方から怒鳴り声が聞こえてきた。
皇牙が窓を開けると、市場の一角に人だかりができているのが見えた。
「……なんだ、朝っぱらから喧嘩か?」
巴はすでに腰の刀を確かめていた。
「殿。まずは様子を見てまいりましょう」
「だな。せっかく賑やかになってきた市場で揉め事なんて、勘弁してほしいぜ」
皇牙はため息をつきながらも、巴とともに市場へ向かった。
◇
「五樽分を注文したんだ! これじゃ足りないだろ!」
「だから、確かに五樽分を運んできたんです!」
市場で言い争っていたのは、アストレアの菓子職人と、ヴァルデン子爵領から訪れた蜂蜜商人だった。
二人の間には蜂蜜の入った樽が五つ並び、周囲では買い物客が足を止めている。
巴が近づくと、騒ぎを見守っていた人々が道を空けた。
「お二人とも、少し声を落としていただけますか。何が起きたのか、順番にお話を伺います」
その声は決して大きくなかったが、不思議とよく通った。菓子職人は気まずそうに口を閉じ、商人も帽子を取って頭を下げる。
事情を聞くうちに、問題の原因はすぐに分かった。
菓子職人が普段使っている樽と、ヴァルデンの商人が使う樽では、大きさが違っていたのである。
「……なるほど。同じ五樽でも、中に入る量が違うわけか」
皇牙は二種類の樽を並べ、腕を組んだ。
「注文するとき、どっちの樽を使うか決めてなかったのか?」
「はい……。いつもの大きさだと思っていました」
菓子職人が答えると、商人も申し訳なさそうに頷いた。
「私も、こちらで使われている樽の大きさまでは存じませんでした」
どちらかが悪意を持って騙したわけではない。それでも、菓子職人にとって蜂蜜が足りないのは困るし、商人も約束を守らなかったと疑われては商売に響く。
「とりあえず、ここで言い争ってても蜂蜜は増えないだろ。まず実際の量を確かめようぜ」
皇牙がそう提案したところへ、騒ぎを聞きつけたコルベールが姿を現した。
「皇牙様。事情は伺いました。まずは双方が納得できる基準で量り直すのがよろしいでしょう」
「おっ、コルベール! 頼んだ!」
さらに、近くで商人たちと話していたイブン・バットゥータも加わった。
「旅先では、同じ名前の単位でも土地によって量が違うことがあります。知らないまま取引すれば、こうした行き違いも起こるでしょう」
彼は二人を交互に見て、穏やかに続けた。
「大切なのは、どちらの習慣が正しいかではなく、互いが何を約束したつもりだったのかを確かめることです」
その言葉に、商人の肩から力が抜けた。
巴は周囲の買い物客へ声をかけ、市場の通路を空けてもらう。騒ぎはすでに収まっていたが、荷車が通れなくなっていたのだ。
皇牙はその手際を横目に見ながら、頼れる仲間が増えたことを改めて実感していた。
◇
休憩所へ場所を移すと、コルベールは市場で使われている秤を借り、二種類の樽に入る蜂蜜の量を確かめさせた。
結果は明白だった。商人が運んできた蜂蜜の総量は、菓子職人が想定していた量のおよそ四分の三しかなかったのである。
「……ほら、やっぱり足りないじゃないか!」
菓子職人が口を開くと、コルベールは手を上げて制した。
「ですが、注文書には『五樽』としか記されておりません。どの大きさの樽を使うのか、双方とも確認していなかったのです」
彼は帳面を開き、二人に数字を示した。
「今回は実際に納品された量を基準に代金を計算し、不足分は別途注文する形ではいかがでしょう。追加分の価格と運賃については、改めて合意していただきます」
菓子職人はしばらく考え、やがて頷いた。
「それなら構いません。次からは量をきちんと指定します」
「こちらも、運ぶ前に確認するようにいたします」
商人が答えると、ようやく二人の表情が和らいだ。
「……よかった。喧嘩が長引かなくて」
皇牙が息を吐くと、コルベールは帳面を閉じた。
「今回のような問題は、交易が増えればまた起こるでしょう。そこで、一つご提案があります」
その眼差しには、すでに次の仕事を考えている実務家の鋭さがあった。
「商人が取引に用いる量を、誰でも確かめられる仕組みを整えたいのです」
「……へえ。面白そうじゃん!」
皇牙が身を乗り出すと、イブン・バットゥータも頷いた。
「各地の単位を調べ、違いを一覧にしておけば、初めて訪れる商人にも役立ちます。相手の土地の習慣を尊重しながら、取引の間違いを減らせるでしょう」
「だったら、量を確かめる場所もあった方がよくね?」
皇牙の頭には、すでに新しい建物の姿が浮かんでいた。
コルベールはそれを察したように、小さく笑った。
「ええ。ただし、先に必要な道具と運営方法を決めましょう。建物だけできても、正確に量れなければ意味がありませんので」
「……あっ、そうだった」
皇牙は苦笑した。自分の魔法で建物を造るのは簡単だが、その中で働く人や使う道具まで生まれるわけではない。
「分かった! じゃあ、準備ができたら俺が建物を造る! 制度の方は任せたぜ!」
◇
それから数日後、市場の端に小さな計量所が完成した。
建設に先立ち、コルベールは職人たちと既存の秤を点検し、基準に使う重りを揃えていた。イブン・バットゥータは各地の商人から計量単位を聞き取り、Rマティアスが比較表を作成している。
皇牙が造ったのは、荷物を運び込みやすい石造りの建物だった。内部には広い作業台と、道具を保管するための棚が設けられている。
「よし! これなら使いやすいだろ!」
「ええ。十分です」
コルベールは建物の中を確かめ、満足そうに頷いた。
「まずは希望する商人に利用していただきましょう。利用の手順や料金についても、負担が大きくならないよう調整いたします」
「おう! そこは任せる!」
皇牙は上機嫌で笑った。
もっとも、看板の名前を『黄金天秤の館』にしたいという提案だけは、全員からやんわりと却下された。
「……せめて天秤の絵くらいは入れようぜ!」
最後まで食い下がった結果、入口には金色の天秤を描いた看板が掲げられることになった。
◇
さらに二週間ほどが過ぎた頃。
市場の計量所では、以前言い争っていた蜂蜜商人と菓子職人が、今度は穏やかに取引を進めていた。
「今回は、こちらの基準で量を指定しておきました」
菓子職人が注文書を差し出すと、商人は頷き、持参した蜂蜜を秤へ運ぶ。
「確かに、この方が分かりやすいですな。私も次からは、どの単位で注文されたのか確認するようにします」
近くではマティアスが記録を確認していたが、二人の会話に割って入る必要はなかった。
取引は滞りなく終わり、菓子職人は満足そうに蜂蜜を受け取った。
その様子を見守っていたイブン・バットゥータは、隣のコルベールへ静かに声をかけた。
「こうして自然に使っていただけるようになると、嬉しいものですね」
「ええ。制度というものは、実際に役立ってこそ意味がありますからな」
二人は小さく頷き合った。
計量所の利用者はまだ多くない。それでも、初めて訪れた商人が取引の量を確かめたり、地域ごとの単位の違いを質問したりする姿が、少しずつ見られるようになっていた。
西門の宿でも変化が起きていた。
ローレンは客室を段階的に開放し、利用者の意見を聞きながら食事や荷物の預かり方を整えている。宿に泊まった商人たちは、市場の品物について情報を交換し、アストレアで売れる商品にも関心を示すようになった。
コルベールはその動きを見逃さず、商人たちの需要を調べ始めていた。
◇
そして、さらに二週間ほどが経過した。
異世界生活百三十三日目。
朝の無料ガチャを引き終えた皇牙は、城館の執務室で《国家管理EX》を開いていた。
【国家人口:622人】
【SR以上排出率:5%】
「……おおっ! 六百人超えてるじゃねえか!」
皇牙は思わず声を上げた。
三十日間、欠かさず毎日三回の無料ガチャを引いた結果、召喚された人材は九十人。さらに、周辺の集落やヴァルデン子爵領などから、働き口を求める十二人が正式に移住してきていた。
合わせて百二人の増加である。
「いやあ、毎日三人ずつって、改めて考えるとすげえな!」
「ふふ。殿が毎朝楽しみにしておられた成果ですね」
巴は嬉しそうに微笑んだ。
「……まあ、最近はNばっかりだけどな!」
皇牙は少しだけ不満そうに口を尖らせた。
この一か月間、三回ともNだった日が最も多かった。N二人とR一人の日もあり、珍しくRが二人出た日は大喜びした。
そして、一度だけRが三人続けて現れた朝には、城館中に皇牙の歓声が響き渡った。
ただし、SR以上の偉人は一人も召喚できなかった。
「……なあ、巴。俺、あの有料十連で運を使い果たしたんじゃね?」
「そのようなことはないと思いますよ。新しい方々も、皆さんそれぞれのお仕事で活躍しておられますから」
「それは分かってる! 分かってるけど、やっぱ偉人も引きたいんだよ!」
皇牙は大げさに机へ突っ伏した。
その姿を見て、巴は楽しそうに笑った。
◇
昼過ぎ、皇牙は久しぶりに市場を訪れていた。
以前より店が増え、通りには荷車や買い物客の姿が絶えない。西門の宿には新しい商人が出入りし、計量所でも商品を量る人々の姿が見られた。
「……なんか、すげえ賑やかになったなあ」
皇牙は思わず呟いた。
「はい。最近は、ほかの土地から訪れる商人の方々も増えております」
巴が答えると、皇牙は満足そうに頷いた。
そこへ、コルベールとイブン・バットゥータがやって来た。
「皇牙様。交易について、ご報告したいことがございます」
「おっ、何かいいことでもあったのか?」
コルベールは嬉しそうに微笑んだ。
「計量所の運用が軌道に乗り始めました。また、西門の宿を利用する商人が増えたことで、継続して取引を行う方々も少しずつ増えております」
「おおっ! やっぱ宿屋を造ってよかったな!」
「ええ。ただし、まだ大きな利益を生む段階ではありません。商人たちとの信頼を積み重ねることが、今は何より重要でしょう」
イブン・バットゥータも頷いた。
「旅人たちの話では、アストレアは以前より立ち寄りやすい場所になったそうです。宿があり、市場があり、取引の量も確かめられる。それだけでも安心感が違いますから」
「……なるほどなあ」
皇牙は街の様子を眺め、しみじみと頷いた。
最初は自分が快適に暮らすために造った国だった。
それが今では、商人たちが訪れ、住民が働き、新しい暮らしを始める場所になっている。
皇牙は自然と笑みを浮かべていた。
「……よし! この調子で、もっと便利な街にしていこうぜ!」
「はい。ですが、次に何を整備するかは、住民の皆さんの声も聞いてから決めるのがよろしいかと」
コルベールの言葉に、皇牙は頷いた。
「そうだな! 俺が好き勝手に造るだけじゃ、必要なものは分かんねえし!」
そして、ふと思いついたように笑った。
「……まあ、格好いい建物を造るのはやめねえけどな!」
巴が小さく吹き出し、コルベールも苦笑した。
人口六百二十二人。
まだ小さな国ではあるが、アストレアは確実に成長していた。
皇牙の理想とするスローライフは、相変わらず遠い。それでも、自分が造った国が少しずつ形を変えていく様子を眺めることは、何より楽しい時間になりつつあった。
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