第3章 第110話 西門の宿、初めてのお客様
異世界生活百三日目。
神城皇牙が朝食を終えて自室へ戻ろうとしたところ、廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。
「殿。今日は西門の宿の開業準備がございますよ」
振り返ると、巴が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「……あれ? 俺、今日こそ何もしないで昼寝する予定だったんだけど」
「開業の準備はローレン殿が進めておられます。殿がすべてなさる必要はありませんが、最初のお客様を迎えるところは見たいとおっしゃっていたでしょう?」
「ああ、そうだった!」
皇牙は思い出したように手を打った。
昨日、《国家創造EX》で建設した商人向けの宿泊棟。建物自体は一瞬で完成したものの、寝具や食器、従業員などは別に揃えなければならないため、営業開始は準備が整ってからと決めていた。
その準備が、どうやら思った以上に順調らしい。
「よし! じゃあ、開業を見に行くか! ……っと、その前にガチャだな!」
皇牙は《英霊召喚ガチャEX》を開いた。
【国家人口:517人】
【無料召喚:3/3回】
【SR以上排出率:5%】
「昨日はRの衛生管理者が来てくれたし、今日も期待したいところだな!」
一回目の召喚陣から現れたのは、給仕補助を得意とするNのリーナ。二回目は馬の世話に慣れたNのトーマス。そして三回目には青い光が広がり、商業記録を得意とするRのマティアスが姿を現した。
「おおっ! またRが出た!」
皇牙は嬉しそうに声を上げた。
「しかも給仕に馬の世話、帳簿の管理って、宿屋にぴったりじゃねえか!」
「ふふ。殿の引きは相変わらずですね」
「だろ? 昨日の大当たりといい、最近の俺はガチャ運が絶好調だぜ!」
もっとも、召喚されたばかりの三人に、いきなり仕事を押しつけるつもりはない。
まずは生活案内を受けてもらい、本人たちの希望を確認してから、それぞれの得意分野に合う仕事を紹介するよう手配した。
【国家人口:520人】
【無料召喚:0/3回】
「よし! これで五百二十人だな!」
満足そうに画面を閉じると、皇牙は巴を振り返った。
「それじゃ、西門の宿を見に行こうぜ!」
◇
西門の宿では、朝から開業に向けた準備が進められていた。
入口の前には荷車が停まり、職人たちが木製の椅子や小さな机を運び込んでいる。建物の脇にある厩舎では、フェリクスが飼葉の保管場所を確認していた。
皇牙が玄関をくぐると、一昨日召喚されたRローレンが帳面を片手に出迎えた。
「皇牙様。お越しいただきありがとうございます」
「おう! 準備はどうだ?」
「順調です。既存の宿や工房で余っていた備品を購入し、使えるものから揃えております。寝具も必要な分を確保できましたので、まずは一階の二部屋だけで試験営業を始める予定です」
ローレンはそう言って、客室へ案内した。
部屋には木製の寝台が二つ置かれ、窓際には小さな机が用意されている。清潔な寝具も整えられており、昨日まで空っぽだった建物とは見違えるようだった。
「おおっ! ちゃんと宿屋になってるじゃん!」
皇牙が感心すると、ローレンは少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。ただ、まだすべての部屋を使えるわけではありません。従業員も新しい施設に慣れておりませんので、最初は少人数のお客様をお迎えしたいと考えております」
「いいじゃん! いきなり満室にして混乱するより、その方が安心だな!」
皇牙は頷いた。
ローレンによると、当面の業務は既存の宿で経験を積んだ者が中心となって担当するという。新しく加わった人材にも適性に応じて協力してもらうが、慣れないうちは見学や補助作業にとどめる方針だった。
皇牙はその説明を聞き、満足そうに笑った。
「よし! そういう細かいところは全部任せるぜ!」
「承知しました。では、最後に入口の看板についてご相談が……」
「看板?」
ローレンが差し出した図面を見た瞬間、皇牙の目が輝いた。
「おっ! ついに名前を決めるのか!」
「はい。場所が分かりやすいよう、『西門の宿』という名称を考えております」
「……西門の宿?」
皇牙は腕を組み、しばらく真剣に考え込んだ。
「いや、もっとこう……伝説の黄金竜が眠る宿、とかどうだ?」
「殿。初めて訪れる商人の方々が、宿だと分からなくなってしまいませんか?」
巴が冷静に指摘すると、皇牙は悔しそうに唇を尖らせた。
「じゃあ、『黄金竜の安らぎ亭』!」
「……竜は外せないのですね」
「そこは俺のこだわりだ!」
ローレンは困ったように笑いながらも、皇牙の案を完全には否定しなかった。
「それでしたら、正式名称は『西門の宿』として、看板に竜の絵を入れてはいかがでしょうか?」
「……なるほど!」
皇牙は勢いよく立ち上がった。
「それだ! 名前は分かりやすく、見た目は格好よく! 完璧じゃねえか!」
巴とローレンは顔を見合わせ、思わず笑った。
◇
昼前になると、巴は宿の周囲を見回り始めた。
新しい宿は西門の外側に建っている。街道を通る商人にとって便利な場所だが、門の警備範囲と宿の敷地が接するため、人の出入りには注意が必要だった。
巴はフェリクスとともに厩舎の裏手まで歩き、荷車が通る道や夜間の出入口を確認した。
「こちら側からも、宿の裏へ入れるのですね」
「はい。荷物を運び込むための通路です。普段は従業員が使うことになると思います」
「でしたら、日が暮れたあとは使わないようにした方がよいでしょう。夜間の出入りを入口一か所にまとめれば、宿の方々も確認しやすくなります」
巴の提案に、フェリクスが頷いた。
さらに巴は、門番たちへ新しい宿の開業を伝え、不審な騒ぎや火事があった場合には宿の従業員と連絡を取り合うよう確認した。
ただし、宿のためだけに警備兵を増やすわけではない。今いる人員で無理なく対応できる範囲を決め、宿の管理者にも役割を持ってもらうことにした。
見回りを終えて戻ってきた巴を、皇牙が出迎える。
「お疲れ! どうだった?」
「宿の裏手にある搬入口について、夜間の使い方をローレン殿と相談してまいりました。これなら、門の警備にも大きな負担をかけずに済むと思います」
「おおっ! さすが巴だな!」
皇牙は嬉しそうに笑った。
「俺、宿の見た目ばっかり気にしてたわ。そういうところを考えてくれるのは助かるぜ!」
「殿が建物を造ってくださるからこそ、私たちも守る方法を考えられるのです」
巴は穏やかに答えたが、その表情には女武者らしい凛々しさがあった。
◇
午後になると、宿の前に一台の荷馬車が停まった。
降りてきたのは、百日目の定期市で蜂蜜を販売していたヴァルデン子爵領の商人だった。
「おや、皇牙様! こちらが噂の新しい宿ですか!」
「おう! 今日から試験営業を始める予定なんだ!」
皇牙が胸を張ると、商人は建物を見上げて目を丸くした。
「この間までは何もなかった場所に、こんな立派な建物が……。アストレアの建築は本当に不思議ですな」
「へへっ! まあな!」
皇牙が得意げに笑うと、商人は入口に掲げられた看板へ目を向けた。
そこには『西門の宿』という文字とともに、金色の竜が描かれていた。
「おお、これは見事な竜ですな! 遠くからでもよく目立ちます」
「だろ!? やっぱ分かる人には分かるんだよ!」
皇牙は満面の笑みを浮かべた。
そんな主君を見て、巴は小さくため息をつきながらも、楽しそうに笑っていた。
商人は今日も蜂蜜の追加取引について相談するために訪れたという。以前は宿の空きがなく、街の外で休むことになったため、今回は早めに泊まる場所を探していたらしい。
「それでしたら、ぜひ当宿をご利用ください」
ローレンが声をかけると、商人は嬉しそうに頷いた。
客室の説明を受け、料金を確認すると、その場で一泊分の宿泊を申し込んだ。
「ありがとうございます。最初のお客様として、心より歓迎いたします」
ローレンは丁寧に頭を下げた。
こうして、西門の宿は記念すべき最初の宿泊客を迎えることになった。
◇
その様子を少し離れた場所から見ていたラムセス二世が、静かに口を開いた。
「……なるほど。宿が一つできただけで、商人の表情が変わるものだな」
「そうだろ? やっぱ泊まれる場所があると安心するんじゃねえか?」
皇牙が答えると、ラムセスは頷いた。
「それだけではあるまい。遠くから来る者が安心して滞在できれば、交易に使える時間も増える。商いが続けば、やがて人と物が集まるようになるであろう」
「……おおっ!」
皇牙は目を輝かせた。
「つまり、宿屋を造るだけでも国が発展するってことか!」
「宿そのものが国を豊かにするのではない。人々が集まり、安心して取引できる場所を整えることに意味があるのだ」
ラムセスは宿へ入っていく商人たちを眺めながら続けた。
「遠方の商人が何度も訪れるようになれば、この国で求められている品も、外の国で売れる品も分かるようになる。そうした情報は、王にとって財宝にも劣らぬ価値を持つ」
皇牙は思わず腕を組んだ。
「なるほどなあ……。そう考えると、宿屋ってただ寝る場所じゃねえんだな」
「うむ。そなたの国はまだ小さいが、商人が訪れたいと思う場所になれば、発展の可能性は広がる」
ラムセスは静かに笑った。
その言葉を聞いた皇牙は、しばらく考えたあと、ふと思いついたように顔を上げた。
「だったらさ! 宿に泊まった商人から、どんな商品が人気なのか聞いてみるのはどうだ?」
「よい考えだ。ただし、相手が話したくないことまで無理に聞く必要はあるまい」
「もちろん! 普通に世間話する感じでいいんだよ!」
皇牙は嬉しそうに笑い、ローレンへ声をかけた。
「なあ、ローレン! お客さんの邪魔にならない程度でいいから、商人たちの話を聞いてみてくれないか? どんな商品が欲しいとか、どんなものが売れそうとかさ!」
「承知しました。宿の利用者のご意見として、無理のない範囲で記録しておきます」
「頼んだぜ!」
皇牙は満足そうに頷いた。
昨日までは、宿泊施設を造ることだけを考えていた。しかし、商人たちが集まる場所ができたことで、新しい交易のきっかけまで生まれようとしている。
それは、皇牙が想像していた以上に面白い変化だった。
◇
夕方、西門の宿では最初の宿泊客を迎える準備が整っていた。
ローレンは従業員たちと最終確認を行い、客室の寝具や水差し、食事の提供について一つずつ確認している。
最初の客は蜂蜜商人を含む二人。使用するのは一階の客室二部屋だけだ。
今朝召喚されたリーナとトーマス、マティアスも、本人たちの希望を確認したうえで、見学を兼ねて業務の説明を受けていた。
リーナは給仕担当者の隣で食事を運ぶ手順を学び、トーマスはフェリクスから厩舎の設備について教わっている。マティアスはローレンの帳簿を見ながら、宿泊記録の付け方を確認していた。
誰もが自分の得意分野に関心を示していたが、今日は正式な担当を決めず、まず仕事の内容を知ってもらうことになっている。
そんな様子を見守りながら、皇牙は満足そうに息を吐いた。
「……いやあ、いいなあ。昨日まで空っぽだった建物に、もうお客さんが泊まるんだぜ?」
「はい。皇牙様のお力で、こうして新しい宿を始めることができました」
ローレンが頭を下げると、皇牙は慌てて手を振った。
「いやいや! 俺は建物を造っただけだって! 家具を揃えて、働く人を手配して、宿泊料金まで決めたのはローレンだろ!」
「……ありがとうございます」
ローレンは少し驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに微笑んだ。
「これからも、お客様に安心して利用していただける宿にしてまいります」
「おう! 頼んだぜ!」
そのとき、客室へ向かう蜂蜜商人が皇牙へ振り返った。
「皇牙様。次の定期市にも、ぜひ参加させていただきたいと思っております。こちらの宿があれば、今後はずいぶん利用しやすくなりますな」
「おっ! それは嬉しいな!」
「今度は蜂蜜だけでなく、別の商品も持ってこようかと考えております」
「マジか! 楽しみにしてるぜ!」
皇牙が笑うと、商人も嬉しそうに頷いた。
宿の入口には明かりが灯され、夕暮れの街道を柔らかく照らしている。
小さな宿の初営業は、こうして無事に始まった。
◇
城館へ戻る頃には、空が茜色に染まっていた。
皇牙は巴と並んで歩きながら、今日の出来事を思い返していた。
「……いやあ、今日はいい日だったな!」
「はい。宿も無事に営業を始められましたね」
「だろ! しかも、ラムセスの話も面白かったしな!」
皇牙は嬉しそうに笑った。
宿屋は、ただ商人が眠るための建物ではない。人が集まり、話を交わし、新しい商売のきっかけが生まれる場所でもある。
自分が造った建物が、住民や商人たちの生活に役立っている。
その事実が、思っていた以上に嬉しかった。
「……なあ、巴」
「はい、殿」
「俺さ、やっぱりこの国を造ってよかったと思うわ」
何気なく呟いた言葉に、巴が少し驚いたように顔を上げた。
「最初は自分が楽するために始めたんだけどさ。こうやって街が賑やかになって、みんなが喜んでくれるのって、結構いいもんだな」
皇牙は少し照れくさそうに笑った。
巴はそんな主君を見つめ、柔らかな表情を浮かべる。
「ふふ。殿がそのようにお考えくださることが、私は嬉しいです」
「……なんだよ、改まって」
「いえ。ただ、今日も殿のお役に立てたのでしたら、何よりです」
皇牙は少し考え、巴へ向き直った。
「今日の宿の警備も助かったぜ。俺、そういうところ全然気づかなかったしな」
「殿は建物を造ることがお得意です。でしたら、守ることは私たちにお任せください」
「……おう! 頼りにしてるぜ!」
皇牙が笑うと、巴も嬉しそうに頷いた。
そして、城館の入口が見えたところで、皇牙は大きく伸びをした。
「よし! 明日こそ絶対に昼寝するぞ!」
「殿。明日も無料ガチャを引かれるのでしょう?」
「それは別! ガチャは仕事じゃなくて趣味だからな!」
即答する皇牙に、巴は声を上げて笑った。
アストレアの人口は五百二十人。
新しく灯った宿の明かりは小さなものだったが、その一つの明かりが、街の未来を少しだけ明るく照らしていた。
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