第3章 第102話 失われた北の街道! 石畳の発見と謎の境界標
異世界生活九十一日目。
灰の荒野の北西部では、アストレアとヴァルデン子爵家による共同調査が続いていた。
低い丘の間を縫うように、古い石の列が伸びている。現在使われている旧街道からは少し離れた場所だが、周囲の地形をよく見ると、そこだけ地面が不自然なほど平らになっていた。
山本勘助は膝を折り、草の間から顔を出した石を観察していた。
石の大きさは完全には揃っていない。しかし、平らな面を上に向けたものが一定の幅で並び、その外側には細長い窪みが続いている。
「……アレクシス殿。こちらを測っていただけるでござるか」
勘助が指したのは、石の列を挟む両側の窪みだった。
測量士アレクシスは頷き、補助のマティアスとともに測量縄を張った。ヴァルデン子爵家の測量官も反対側から距離を確認し、数値を照らし合わせる。
「石の列の外側に、ほぼ同じ間隔で窪みがありますね」
マティアスが記録板へ数値を書き込む。その間、アレクシスは地表に露出している石の形を確かめていた。
「こちらの石は、上面が平らに加工されています。自然に割れた石とは少し違うようです」
その言葉に、土地管理官エーベルハルト・クラインが身を乗り出した。
「……では、古い道の跡である可能性が高いと?」
「ええ。ただし、石を並べただけの別の施設かもしれません。窪みとの位置関係をもう少し確かめたいところです」
アレクシスはそう答え、窪みの底に積もった乾いた土へ視線を向けた。
周囲には低い草がまばらに生えている。地面の色にもわずかな違いがあり、そこだけ雨水が流れたような跡が残っていた。
「……おおっ!」
少し離れたところで話を聞いていた神城皇牙が、目を輝かせた。
「本当に昔の街道が見つかるかもしれねえのか! やべえ、めちゃくちゃ面白いじゃん!」
歴史好きの皇牙にとって、何十年も使われていない道を探すという行為は、退屈な書類仕事とは比べものにならないほど魅力的だった。
今すぐ石を持ち上げ、その下に何があるのか確かめたい。
だが、境界が確定していない土地で勝手に調査対象を動かすことはできない。
「……なあ、勘助。石の下をちょっと見るだけでも駄目なのか?」
「殿。石を動かせば、元の位置が分からなくなるかもしれぬでござる」
「……だよなあ」
皇牙は残念そうに肩を落とした。
隣に立つ巴は、そんな主君の様子を見て小さく笑った。
「殿。今日は見学のお約束ですからね」
「分かってるって! 俺だって、歴史の証拠を壊したいわけじゃねえよ!」
皇牙は腕を組み、専門家たちの仕事をおとなしく見守ることにした。
◇
調査隊が最初に確認したのは、石の列が同じ幅でどこまで続いているかだった。
アレクシスたちは地表に見えている石の位置を測り、自然にできた窪みとの違いを調べていく。測量そのものは現場担当者の判断で進められるが、掘削や石の移動には双方の責任者の承認が必要となる。
そして危険な場所が見つかれば、誰であっても作業の停止を申し出られる。
その約束は、調査開始前に確認されていた。
「……勘助殿。こちらへ来ていただけますか」
アレクシスが声をかける。
石の列が緩やかに曲がる場所で、地表から顔を出した平らな石が三つ並んでいた。
そのうち二つの石には、表面を削って形を整えた痕跡が残っている。さらに、外側の窪みには小さな石が重なるように置かれていた。
勘助は地形を見回し、ゆっくりと頷いた。
「……路面と排水のための溝を、同じ向きに整えたのでござろうな」
エーベルハルトも近づき、石の並びを確かめる。
「そういえば、北道の修繕記録に『雨季の水を逃がすため、道の両脇を整えた』という記述がありました」
彼は持参した帳簿の写しを開いた。
その記録は、今回の調査に備えてあらかじめ抜き出しておいたものだった。古い道の位置が分からなかったため、これまでは具体的な場所と結びつけられなかったのである。
アレクシスは帳簿を確認すると、周囲の窪みへ視線を戻した。
「なるほど。地形にも合っています。石の並びが道の構造だと考えれば、両側の窪みは雨水を逃がすためのものだったのでしょう」
マティアスが測量結果を示した。
平らな石の列は丘の斜面に沿って続き、両側の窪みもそれに合わせて曲がっている。途中で石が失われた場所はあるものの、人工的に造られた路面と排水溝の組み合わせとして、十分に筋が通っていた。
アストレア側と子爵家側の測量官が結果を照合し、同じ結論に達する。
「……少なくとも、ここには人工的に整備された古い道が存在したと考えてよさそうです」
アレクシスの言葉に、エーベルハルトは深く頷いた。
「ええ。この点について、子爵家側も異論はありません」
コルベールは二人の顔を確認し、記録担当者へ声をかけた。
「では、人工的に整備された道路遺構を確認したことを、双方の調査記録へ残しましょう」
アウグストと子爵家の書記が、それぞれの記録に同じ内容を書き込んだ。
古い北道そのものかどうかは、まだ資料との照合が必要だ。しかし、ここに人の手で造られた道が存在していたことは、双方が確認できた。
「うおおっ! やっぱり道だったんじゃねえか!」
皇牙は思わず拳を握った。
「すげえな! 何十年も前に人が造った道が、今でも残ってるなんて!」
巴も嬉しそうに微笑んだ。
そして勘助は、道が北西へ曲がる先を静かに見つめていた。
古い街道の存在が確認できたことで、調査はようやく次の段階へ進むことになった。
◇
昼前、一行は石畳の跡をたどりながら低い丘へ向かった。
道の痕跡は途中で何度か途切れているが、地形を見れば進んでいた方向はある程度推測できる。勘助は高低差と水の流れを確認し、アレクシスたちへ調べる場所を示していた。
そのとき、皇牙が丘の斜面にある一つの石へ目を留めた。
「……ん?」
周囲に転がっている石とは違い、その石だけは地面からまっすぐ突き出している。上部が平らに整えられ、表面には細い溝が刻まれているように見えた。
「なあ、巴。あれ、何か変じゃねえ?」
巴が視線を向ける。
「……確かに。自然にできた形には見えませんね」
皇牙は近づこうとして、すぐに足を止めた。
石の周囲だけ地面が少し沈み、乾いた土に細い亀裂が走っていたのである。
「……おっと。ここ、危なくねえか?」
巴は即座に皇牙の前へ出た。
「殿。ここでお待ちください」
声を聞いた勘助とアレクシスが近づき、地面の状態を確認した。アレクシスはその場で調査を一時停止し、責任者の二人へ報告する。
石へ直接近づくのは危険と判断され、調査隊は安全な足場から位置と形を記録することになった。
その様子を見ていたエーベルハルトが、持参した土地台帳の写しを開く。
「……この石、古い記録と関係があるかもしれません」
コルベールが顔を上げた。
「何か記されているのですか?」
「はい。境界の目印について書かれた項目に、『三つの刻みを持つ石』という記述があります」
エーベルハルトは慎重に説明した。
その記述自体は以前から確認していたが、目印がどこにあったのか分からず、調査の対象を絞れなかったのだという。
アレクシスは安全な位置から石を観察し、表面の溝を確かめた。
「……確かに、三本ありますね」
マティアスも位置を変えて確認した。
風化しているものの、三本の溝は一定の間隔で刻まれており、偶然できた傷とは考えにくい。上部と側面にも加工の跡が見られた。
「少なくとも、人の手で形を整え、印を刻んだ石であることは間違いなさそうです」
アレクシスの判断に、子爵家の測量官も頷いた。
ただし、それが台帳に記された境界標と同じものかどうかは別の問題である。
勘助は石と道の位置関係を見比べ、顎へ手を当てた。
「……なるほど。道の曲がり角に近い場所に、印を刻んだ石が立っておる。境界の目印としては不自然ではござらぬな」
皇牙は目を輝かせた。
「おおっ! じゃあ、本当に境界標かもしれねえのか!」
エーベルハルトも興奮を隠しきれない様子だったが、すぐに表情を引き締めた。
「詳しい照合が必要です。ただ、場所を探すための重要な手掛かりが得られたことは確かでしょう」
石の位置と刻みの形が記録され、双方の測量官が内容を確認した。
調査隊は、その石を動かすことなく先へ進むことにした。
◇
異変が起きたのは、その直後だった。
子爵家の若い測量補助員が、石の位置を記録しようとして足を踏み出した瞬間、乾いた地面が不気味な音を立てた。
「……え?」
足元の土が崩れ、男の身体が大きく傾く。
次の瞬間、地面が抜け落ちた。
「うわああっ!」
悲鳴とともに男の身体が沈みかけた、その瞬間だった。
巴が地面を蹴った。
皇牙の側に控えていた彼女は、迷うことなく男へ駆け寄り、落下する寸前に腕を掴んだ。勢いのまま後ろへ引き寄せ、安全な場所へ身体を移す。
直後、男が立っていた地面がさらに崩れ、乾いた土が穴の中へ落ちていった。
「大丈夫ですか?」
巴が声をかけると、男は青ざめた顔で何度も頷いた。
「は、はい……! 助かりました……!」
だが、巴はすぐに周囲へ視線を向けた。
「皆さん、下がってください! まだ崩れるかもしれません!」
その声に、調査隊が一斉に後退する。
勘助も即座に動き、アレクシスたちへ安全な場所まで離れるよう指示した。
「測量を中止するでござる! 地面の状態を確認するまで、誰も近づいてはならぬ!」
コルベールとエーベルハルトも作業の全面停止を命じた。
周囲の空気が一変する。
先ほどまで静かだった荒野には、土が崩れる音と、補助員の荒い呼吸だけが響いていた。
皇牙は穴を見つめ、思わず眉をひそめた。
「……おいおい、危ねえな。巴がいなかったら落ちてたぞ」
巴は男の様子を確かめてから、静かに頷いた。
「幸い、大きな怪我はなさそうです」
救助された補助員は、震える声で礼を述べた。
「本当に……ありがとうございました」
その言葉に続き、エーベルハルトも巴へ深く頭を下げた。
「我が方の者を救っていただき、感謝いたします。あなたの素早い判断がなければ、重大な事故になっていたかもしれません」
「いえ。無事で何よりです」
巴は穏やかに微笑んだ。
皇牙はその姿を見て、少し誇らしそうに胸を張った。
「へへっ! うちの巴はすげえだろ!」
「殿。今は自慢している場合ではありませんよ」
「……あっ、そうだった」
巴に注意され、皇牙は慌てて表情を引き締めた。
◇
安全を確保したあと、調査隊は崩れた場所を離れた位置から確認した。
穴の内部は暗く、底までの深さはすぐには分からない。しかし、崩れた土の下には石が弧を描くように並んでいる部分が見えた。
自然にできた穴というより、人の手で造られた何らかの構造物が地中に残っているようだった。
「……まさか、井戸の跡か?」
皇牙が呟く。
エーベルハルトも息を呑んだ。
もしこの場所が北の古井戸の跡なら、古い道が北西へ伸びていたことともつながる。
だが、アレクシスはすぐに首を振った。
「井戸だった可能性はあります。ただ、現段階では貯蔵穴や別の施設だったとも考えられます」
勘助も頷いた。
「今は無理に近づくべきではござらぬ。まずは崩落の危険を避け、次の調査方法を考えるのでござる」
皇牙は少し考えた。
魔法を使えば、崩れた土を動かすこともできる。しかし、古い構造物そのものを壊してしまっては意味がない。
「……じゃあ、今日はここまでにするか。俺が魔法で何とかするより、ちゃんと調べてもらった方がよさそうだしな」
その判断に、コルベールは安堵したように頷いた。
調査隊が持参した木杭と縄を用い、危険な場所へ立ち入らないよう目印を設ける。土地の形を変えるのではなく、人が近づかないようにするための応急措置だった。
皇牙も木杭を運ぶのを少しだけ手伝い、設置場所の判断は専門家たちへ任せた。
「……よし。これで誰かがうっかり落ちることは減るな!」
巴はそんな皇牙を見て、柔らかく微笑んだ。
◇
夕方、共同調査は正式に中断され、その日の記録を確認することになった。
成果は決して小さくなかった。
旧集落の北西には、人工的に整備された道路遺構が存在していた。石を並べた路面と、その両側に設けられた排水用の窪みは、双方の測量官が確認している。
さらに、道の曲がり角に近い場所では、三本の刻みを持つ人工的な石が見つかった。
そして、その近くには地中の空洞を伴う石造構造物が残されていた。
コルベールとエーベルハルトは記録を照合し、事実として確認できた内容と、今後検証すべき推測を整理した。
「本日は大きな成果がありました」
エーベルハルトが静かに言った。
「少なくとも、北西に古い道が存在していたことは確認できました。子爵家の記録にある北道と同じものかどうかは、さらに照合する必要がありますが」
「ええ。調査を続ける価値は十分にあります」
コルベールも頷いた。
双方の責任者は、危険な空洞の内部調査について、改めて安全な方法を協議することで一致した。
今回救助された測量補助員は、巴へもう一度礼を述べてから仲間のもとへ戻っていった。
その様子を見ていた皇牙は、少し照れくさそうに笑った。
「……何か、ちゃんと協力できてるじゃねえか」
巴が隣で頷く。
「はい。調査の目的を共有できているからでしょうね」
「へへっ。まあ、こういう話なら俺も嫌いじゃねえな!」
皇牙は夕日に照らされた丘を見上げた。
古い道が伸びていた先には、まだ調べられていない場所が残っている。
そして、地中に見つかった空洞が本当に北の古井戸なのか。その答えは、次の調査で明らかになるかもしれなかった。
◇
同じ日の夜。
ヴァルデン子爵家の領主館へ戻ったエーベルハルトは、疲れた身体を椅子へ沈める間もなく古い土地台帳を開いていた。
机の上には、現地で測った道路遺構の位置と、三本の刻みを持つ石の記録が並んでいる。
エーベルハルトは古い境界の記述を何度も読み返し、やがて一つの箇所で指を止めた。
『三つの刻みを持つ石より、北の古井戸へ至る道を境とする』
「……待て」
彼はゆっくりと顔を上げた。
これまで子爵家は、現在残されている石の井戸を境界の目印の一つと考えてきた。
だが、今日見つかった人工的な石が本当に台帳に記された目印だったなら、境界の基準はそこから北の古井戸へ続く道になる。
そして、その近くで見つかった地下空洞が井戸の跡だった場合――。
「……我々が考えていた境界は、最初から違っていたのかもしれん」
エーベルハルトは思わず呟いた。
もちろん、今の段階で結論を出すことはできない。
それでも、長く謎だった古い記録が、現地で発見したものとつながり始めていることだけは確かだった。
窓の外では、領都の夜の鐘が静かに鳴っていた。
エーベルハルトは新しい紙を取り出し、アルブレヒト子爵へ提出する報告書を書き始めた。
お読みいただきありがとうございます。
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よろしくお願いいたします。




